三十四話 悩めよ少年少女
「……そういうことがあったのか」
俺は、ソファに腰掛け、天井を見上げた。
静奈が帰ったあと、リュカから話を聞かせてもらった。
静奈は、初めて結界を見た時から、自分のコトだけではなく、俺やリュカたちのことまで気遣っていた。
姉の気持ちを理解していたつもりはあったけど、これほどまでに想ってくれているとは考えもしなかった。
最初から、手段を選ばず行動していたら、きっと信用は得られなかっただろう。
気がつけば静奈の偉大さを思い知らされている自分がいる。
彼女は、自ら難易度を上げて、この騒動に挑んでいたのだから。
リュカたちも理解してくれたようだ。
チェックメイトできたというのに、心をかよわせたまま終わらせたいから、ここまで引き延ばしてくれた。
その結果がこれなのだと。
「静奈様は、最初から本気ではなかったのですね」
「……いえ、ある意味本気だったのであります。武力での解決という道以外を、本気で模索していたのです」
「けど、カーライルとかいうアメリカ人のせいで、手段を選べなくなった。だから、有馬を突入させたワケか」
「晴樹さん……。静奈さんの言っていた、結界の突破方法というのは現実的なのですか?」
「予算を考えなければ十分可能だと思う」
「しかし、リュカ先輩は、音や熱を防ぐ結界も使えましたよね?」
「ええ。……だけど、弊害もありますから」
光を遮断すれば、農作物が育たなくなる。ずっと夜という環境は精神にも異常を来す。
音を遮断すれば、空虚な世界が構築される。三重四重の結界ともなれば、リュカの疲労も半端ない。マイクロウェーブなどの科学的な攻撃など、どう防げばいいのかわからない。
静奈が提示した以外にも、結界突破の方法があるかもしれない。
ビル全体を土砂で埋めたり、あるいはシートのようなもので結界を包むなど。
手段を選ばなければ、致命的な嫌がらせは、恐ろしいほど思いつく。
「真っ暗な中で籠城するのは怖いんだよ」
「たしかに厳しいであります。水も食料もそれなりには揃っていますが……あくまで普通に生活をする場合であります」
投降を先延ばしにするぐらいなら、静奈に従い、明日投降すべきだと思う。
抗いたい気持ちは、変わっていないだろうが、状況が変わってしまった。
カーライルが指揮官をやってから投降すべきではない。
「……リュカ先輩。……降伏もやむなしかと思うであります」
シエルが切り出した。
俺も同感だった。彼女が口にしなければ、俺が言っていたと思う。
「静奈殿は、命を賭けて交渉に来たのであります。嘘をついているとは思えません。降伏は時間の問題、ならば、静奈殿が指揮官をやっている間に投降し、任せた方がいいと思います。どうなるかは定かではありませんが、彼女ならきっと助けてくれるであります」
「……ちぇるきーも降伏するしかないと思ってきたんだよ」
「わたくしは……反対ですわ……」
つぶやくように、アクセリオンが意見を述べる。
「籠城を続けるでありますか? カーライルとかいうへんくつ者に捕まれば、どうなるかわからないのですよ?」
「投降すべきなのはわかります。わかっているのです。けど、決定権があるは静奈様ではなく、国なのでしょう……。やはり、怖いのです。他国の者に身を委ねるのは……」
「リオン殿……」
「……どうしてもというのなら、正面突破という方法がある」
クラリティが、とんでもないことを言い出した。
「こちらの体勢が万全なら、おそらく包囲は突破できるだろう。投降するフリをして油断させるのもアリだ」
「ま、待て、やめろよ。おまえたちが戦うのは見たくない」
「わかってる。あくまで選択肢のひとつとして言っただけで、私は投降に一票だ。静奈の気持ちはわかったからな。もっとも、リオンは認めたくないようだが」
アクセリオンの顔は、愁いを帯びながら俯いていた。
「……俺も、投降すべきだと思う」
「晴樹様――」
「姉ちゃんが心配なのはたしかだ。けど、おまえたちだって心配なんだ。戦ったところで、望むような結果が得られるかはわからないんだぞ。それに――」
問題はそのあとだ。ビルから脱出できても、逃亡生活が待っている。
元の世界に戻る方法を探すのも、難しくなる。
静奈の肩を持つ気はない。でも、リスクが大きすぎると思った。
アクセリオンの気持ちは分かるが、強行突破はおすすめできない。
消沈。そんな言葉が似合う空気が流れた。
理屈ではわかっているのだろう。静奈の提案を飲むのがベストだと。
けど、依然変わりなく、彼女たちの心には、現実を受け入れたくない気持ちが宿っているのだと思う。
「少し、休憩しましょうか……」
リュカがつぶやいた。誰もが望んでいる言葉だったかもしれない。
「そうだな。洗濯物も取り込まないといけないし、な」
俺たちは、何かから逃げるようにして、一度解散することにした。
☆
本部トラックへと戻った静奈を迎えたのは、仲間たち全員の荒々しい声であった。
敬礼し、真っ直ぐに静奈を見つめて、彼らは一斉に大声を浴びせたのだ。
「寒川警部、お疲れ様です!」と。
「お疲れ。喉渇いた。口の中、酸っぱ――」
「うわぁああぁああぁぁん! 静奈さぁぁあぁあぁぁん! 生きててよかったですぅ!」
腰へと抱きついてくる長身の後輩。
砕かんばかりにぎゅうと力が込められる。
「やめろ。へし折れる。死ぬ」
しれっと言い放ち、静奈は定位置であるソファへ向かう。
ずるずると、有馬を引きずりながら。
「死にませんよ! 死にませんよぉ、静奈さんは! 生きて帰ってくるって信じてましたからぁあああぁぁぁん!」
「死ぬっつの」
チームの仲間たちに引き剥がされる有馬。
静奈がソファへ座ると、ぎるてぃが身体をよじ登ってこようとする。首のうしろをちょいと摘まんで、頭に乗せてやる。
「どうぞ、静奈さん、口直しの珈琲です」
全身を包帯で包んだミイラのような男が、静奈の前に珈琲を置いた。
「おまえ、誰?」
「いやだなぁ、声を聞いて分かりませんか、錬太――」
「ああぁああぁあぁぁん! よかったですよね、よかったですよねぇ!」
「ぐぎゃあぁあああぁああぁぁあッ!」
喜びを分かち合おうとする有馬に、全力で抱きつかれるミイラ男。
コスプレではなく、本当に怪我をしていたようで失神してしまう。
それでも構わず、抱きしめる有馬。
錬太郎は、また病院に戻ることになるだろう。
まともな姿を見ていないので、そろそろ顔を忘れてしまいそうだ。
最後に顔を見たのは全裸ブロッコリーの時だったか。
あの時はブロッコリーが気になって、ブロッコリーしか見ていない。
うん、彼の似顔絵を描けと言われたら、ブロッコリーを描いてしまいそうだ。
「静奈さん、交渉の方は……?」
チームの一人が問いかける。
静奈は、視線を一周させた。
少し黙って、間を置いて、静奈はつぶやいた。
「良好」
静奈は、グッと親指を立てる。