三十二話 さあ、交渉を始めようか
リュカたちと相談した結果。俺たちは静奈を招き入れることにした。
土産は、肉や海産物の缶詰が二十個ほど。
菜食主義になる未来が見えていたので、正直なところ、ありがたかった。
言っておくが、食料に釣られたわけではない。
静奈は、要求通り両手首をロープで拘束してやってきた。護衛はひとりもいない。
結界の一部を解除して、静奈をビルの中へ。
俺とクラリティの監視の下、シエルが身体検査を行った。
武器の類いは持っていない。スマホも置いてきたようだ。
静奈を事務所に招待する。
そこで、ようやく彼女のロープを解いてやる。
リュカと静奈が、向かい合うようにソファへ。
その両サイドのソファに、チェルキーとアクセリオンが、それぞれ腰掛ける。
リュカの背後にはSPのように佇むシエル。静奈の背後にはクラリティが立っていた。
そして、俺はリュカの隣にいた。
「まず、襲撃の件を詫びるよ。もうしわけないことをしたと思ってる」
「しれっと言ってるが、おまえは自分の立場がわかっているのか? これが戦争なら生きて帰れないぞ」
静奈は、身体を反らせるようにして、背後のクラリティを見た。
「戦争じゃない。それに、クラリティさんたちが、そんなことをしないってわかってる」
リュカが話を戻す。
「昨日のことはいいです。立場もあるのはわかっています。用件を窺いましょう。なんでも、指揮官の立場を退かれるとか?」
「ああ、二日後、あたしは指揮官兼交渉人の役目を降ろされることになる」
「な……二日ッ?」
俺は、目を丸くする。
反応を無視して、静奈は話を続ける。
「こうやって話す機会は、もうないと思う。だから、最後の降伏勧告をしに来たんだ」
「何度言われても、答えはわかっているだろう」
静奈の背後からクラリティが言った。けど、リュカが制した。
「ただの降伏勧告なら、返事はいつもと同じです。……が、条件次第では話し合いの余地はあると思っています」
「ありがと」
静奈は、組んでいた足を戻して、ソファへと座り直した。
「投降を選んだ場合、この国が身柄を一時的に預かることになる。武器ぐらいは、あたしが裏で保管してやってもいい。これは、最初から今日に至るまで不変の約束だったね」
「条件に何か進展は?」
リュカが問う。
だが、静奈は「ない」と、ハッキリ言いきってしまう。
「ぶっちゃけると……リュカさんたちのことは好きだ。あたしが会った人間の中でもっとも純粋。国民のために、自分を犠牲にできる志を持ってる。晴樹だって懐いてるし、人間くさいところもある。だから、少しでもリュカさんたちが有利なように終わらせたいんだ」
「どのように……?」
「ここからが本題。さっきも言ったけど、あたしが指揮官でいられるのは明後日まで。だから、それまでに投降して欲しい」
「手柄が欲しいからか?」
再び、クラリティが嫌味を述べる。
「手柄に興味があったら、もっとえげつないことをしてるよ」
「ほう、たとえばどんなだ」
「麻酔銃なんか使ってない。実弾使って、ばんばーん」
静奈は、両手で銃の形を作り、リュカを撃つ真似をしてみせた。
全員が冷ややかな視線を向ける。静奈は悪びれない態度でつぶやいた。
「嘘。さすがに、そんな酷いことはできない。――できない、が、あたしの後任は、それを遠慮なくやるクズ野郎だ」
「くずやろう、ですか?」
「名前はカーライル・ブラックヒル。アメリカという大国からやってきた諜報機関のエージェントだ」
「カーライルって……。もしかして、ポーカー大会で姉ちゃんがやっつけた――」
「覚えてた? そう、そいつ」
常に人を馬鹿にする、いけ好かないアメリカ人だ。
現地では結構名が売れているらしく、世界一有名な諜報員とか、有名すぎる諜報員とかいう肩書きを持っている。
「彼が、後任になることで、何か問題が?」
「カーライルは、他人の気持ちを一切考えない。情がないんだ。あいつからすれば、リュカさんの人生がどうなろうと知ったこっちゃない。ガーバングラフの国民のことも気にしない。自分が出世できるのならそれでいいのさ」
「冗談じゃないであります! なにゆえ、自分たちが出世の道具にならなければいけないのでありますか!」
「カーライルは、自分を中心に世界が回ってると思ってるんだ。ま、あたしに言われても困るよ。今回の人事は、あたしだって不服だ。これでも各方面にクレームを入れたよ。けど、向こうのが一枚上手だった。交代は決定事項さ」
「だから、投降しろと?」
凜とした表情のリュカ。真っ直ぐに静奈を見据えて問いかけた。
「そういうこと。投降するなら、カーライルじゃなく、あたしにだ。でなきゃ、絶対ロクな事にならない。これが最善」
静奈が指揮官をやめるのは、俺たちにとって、よくない。
自己中野郎が、俺たちの交渉相手になるなど考えたくない。
俺が、会話に割って入る。
「本当に、リュカたちのことを思っているのなら、代替案を出すべきじゃないのか。お互いの国から人質を預けるとかさ」
「無理だね。カーライルが指揮官になったら、どっちの人質も無視して、一方的な取引を持ちかけるよ」
カーライルに引き継がせる時には、解決していなければダメ。
中途半端な先延ばしは、ほとんど意味を成さない。
「籠城を続けるってのはどうだ? そのうちに、カーライルも帰国するんじゃ……」
「カーライルは、姉ちゃんほど甘くないよ。どんな手段を使ってでも、リュカさんたちを拘束する。あいつの気分次第では、晴樹だって無事じゃ済まない。姉ちゃんからの最後のアドバイスだ。これからの籠城は、地獄だと思った方がいい」
――そんなはずはない。
有馬の襲撃があったからこそ、リュカたちはさらに警戒している。
結界に加えて、ビルの周囲にはアクセリオンの糸を張り巡らせてある。
ビルに入ろうとすればわかるようになっている。
「あいつは、これぐらいの結界は容易く突破するよ?」
「あ、ありえないであります。リュカ先輩の結界は無敵です。ハッタリなのです」
そう、思いたいが――。
「む~。眠くなってきたんだよぅ」
お子様には難しい話題だったようだ。チェルキーは、コテンとソファへ寝転がる。
「姉ちゃんが真実を言ってるって保証は?」
「明後日になれば、嫌でも真実だってわかる。いや、明日には、ニュースでやるかな。カーライル(あいつ)、目立ちたがり屋だし」
俺には、嘘だとは思えなかった。
リュカたちを説得するのに『指揮官の交代』は、弱すぎる。
それに、これが嘘だと仮定しよう。
もし、明後日になっても何も起こらず、いつものように静奈が交渉人を務めていたら、信用を失って終わりだ。
時間が経てばバレる嘘で、信頼関係を失うような真似をするとは思えない。
「カーライルは、自分が上にいないと気が済まないタイプだ。相手を気遣うこともしないし、要求だって聞くわけがない。あいつと交渉するぐらいなら、鮫に森で生活してもらうよう説得する方が楽だよ。このままだと、リュカさんとカーライルで戦争になる。日本だって面子があるから、リュカさんたちを容易く受け入れることができなくなる。もちろんアメリカもだ。そうなると、元の世界に戻るのだっていつになるのかわからない」
ゆえに、静奈が指揮官をやっているうちに投降させたいという。
「リュカさんたちには、不幸になって欲しくない。だから、こうやって最後の交渉に来た。リスクは承知だよ。あたしを人質に取るってのも、新しい選択肢だ。昨日の襲撃を鑑みれば、殺されたって文句は言えない」
言って、静奈は唇を結んだ。
そして、誰もが、リーダーたるリュカに視線を向けた。
効率を考えるなら、静奈の言うとおりにした方がいい。
俺だって、静奈が相手だからこそ籠城をしていられるのだ。
だが、それ以外の人物を相手にするとなれば――不安でしかないと思う。
おそらく、静奈は正しいことを言っている。
ただ、その、正しい選択が、正解かどうかまではわからない。
「……言いたいことはわかりました。ですが、すぐに答えを出すことはできません。ふぁ」
「もちろん。十分考えたらいい。けど、タイムリミットは明日の朝までだよ。……リュカさん、お疲れ?」
ほんのわずかにこぼした欠伸を見て、静奈は言ったのだろう。
「も、もうしわけございません」
「あたしの話が退屈だったのかな。結構大事な話だと思ったのに。はは、大物だね」
「あはは、少し疲れているようですね」
苦笑するリュカ。欠伸は伝染すると言うが、クラリティも欠伸をしていた。
「そっか。んじゃ、あたしからは以上だよ。んじゃ、あたしはそろそろお暇しようかな――」
俺もなんだか眠くなってきた。
このあと、みんなで話し合いになる。これではいけないと首を振る。
……けど、みんなも眠そうだし、昼寝をしてからでも――。
――いや、おかしい!
クラリティも、眠気を払拭するために伸びをしている。けど、そのままふらつくようにソファの背もたれに手を置いた。アクセリオンはこっくりこっくりと首を動かしている。チェルキーは完全に寝ていた。
リュカもシエルも――静奈以外が全員――。
声を出そうと思った。『姉ちゃん、何をしたッ?』と。
でも、声を出す前に、眠気が俺の前身を包んだ。
身体が弛緩し、意識が遠のいて――。
自分の意思とは関係なく、ソファから転げ落ちてしまった。
☆
「う……ん……」
柔らかなうめき声を漂わせながら、リュカトリアス・ライエットはまぶたを持ち上げた。
静奈と会話をしていたら、徐々に睡魔が身体を侵食し始め、ついには眠ってしまった。
それが、人為的なものであるというのは、眠る瞬間に理解する。
リュカだけではなく、寒川静奈以外の全員が、眠たそうにしていたのだから。
「――や、お姫様。目は覚めたかな?」
「ふぇ……?」
「口の中が酸っぱいだろ。あんたにだけ、気付け薬を飲ませたもんでさ。ごめんね」
目を覚ましたリュカは、景色を取り入れる。
時計が視界に入った。どうやら、眠っていたのは十五分ほどらしい。
「……静奈さ……ん?」
眠る前と、さほど変わらない光景だった。
テーブルを挟んだ向こうに静奈がいて、周囲のソファにはチェルキーとアクセリオンが眠っている。そして、晴樹とシエルとクラリティが、床へと横たわっていた。
「拘束する気もないし、危害を加える気もない。もし、何かあったら、そのナイフであたしを刺せばいい」
視線を、わずかに落とす。
すると、膝の上に果物ナイフが置かれていた。給湯室にあったものだと思う。
リュカはぎょっとした。
けど、気怠い身体が、俊敏な反応を許さなかった。
「な、何を……」
「二人で話がしたかった」
「話……? そ、そのためにみんなを」
「そだよ。――さあ、リュカトリアス。交渉を始めようか」