二十八話 悪気のないきつね
フォルトナビル襲撃の夜。
寒川静奈は本部トラックのソファに背中を預けていた。
足を組み、顎に指をあて、モニターに映るビルをじっと眺めている。
隣にはぎるてぃ。身体を丸めて眠っている。
チームのみんなも黙りこんでいた。数分に一度は、誰かが静奈の方を一瞥する。
気に障るが……仕方ないと静奈は思った。
誰もが静奈の言葉を待っているのだから。
「あの、静奈さん……」
恐る恐る口火を切る有馬。
「静かに」
「ひっ、そ、そうですよね! ごめんなさいごめんなさい! 全部、私の責任なんです! 私が失敗したのが悪いんです! 怒るのも当然です!」
有馬が、頭を抱えるように怯える。
「怒ってない。ちゃんと罰ゲームの一日メイド服を実行しているんだからね」
「あ、はい……けど、この格好にもだんだん慣れてきちゃったかも。えへへ」
再び、場が静寂に沈んだ。
「……みんな、よくやってくれた」
語りかけると、全員が待ち望んでいたかのように静奈の方を見た。
「作戦に不備はなかったと思う。限られた条件下で、誰もが全力を尽くしてくれた。世の中には『絶対』はない。こういうこともある」
「し、しかし……このままでは静奈さんは」
部下が心配そうに言った。
けど、静奈は、
「指揮権を失う」
きっぱりと、近い未来起こるであろう事実を宣言する。
「晴樹くんのことも心配ですし、異世界人の方々のことも心配です。上層部にも叱責されるでしょう。リュカさんたちも立場も悪くします」
「情報操作よろしく。全面的に、あたしの責任ってコト。温厚な異世界人に、強襲をかけた悪女とでも言っておいてよ。勇者様の心証を悪くするのは避けたい」
「お、お言葉ではありますが、それではあまりに静奈さんが……」
「そうです! 我々はッ、寒川警部も被害者だと思っています! 言われてもらいますが、晴樹くんはあまりに勝手です! 警部が、影でどれだけ苦労しているのか、まったくわかってないのですから!」
「わかってるよ、あいつは」
「はッ! ……そんなわけがないッ! だったら、静奈さんの味方をするはずだ! あいつは、まだまだガキです! 自分が何をやっているのかわかってないッ!」
「心理の達人がわかってるっていってんだろ。あーあ、おまえが大きな声を出すから、ぎるてぃが起きちゃったじゃん」
「わん」
目が覚めたぎるてぃは、トコトコと定位置の静奈の頭上に移動しようと、胸を上ろうとするが、まあまあ、落ち着けといわんばかりに撫で、膝の上で我慢してもらう。
「す、すいません……」
「ん、弟を泳がしてんのはあたしの責任だね。追い詰められてるってのも間違っちゃいない。……けど、あたしはあきらめたわけじゃないから」
「さ、寒川警部……」
皆の表情が明るくなる。
「最後まで足掻くよ」
ほんのわずかな笑みをこぼす静奈。その時、
――べべべべーん!
と、静奈のスマホがベートーベンの運命を奏でた。
「カーライルからの着メロだ」
テーブルの上のそれを、ひょいと取り上げる。
仲間たちの顔色が変わった。空気も張り詰める。
しばらくコール音を聞いてから、静奈は通話ボタンを押した。
スピーカーモードにして、会話の内容を共有する。
「もしもし」
『やあ、静奈。おはよう。いや、日本ではこんばんわかな』
「こんばんわだよ。どうもカーライル。声が聞けて嬉しいよ。元気してる?」
『僕は元気だけど、君の方はそうでもないようだね』
早速、静奈の失敗を聞きつけたようだ。声が揚々としている。
『日本の連中は突入作戦がヘタクソなんだねぇ。収穫がなかったそうじゃないか。せめてひとりぐらい始末できなかったのかな』
――かなり情報が早い。
仲間たちの反応を見る限り、情報を流すような裏切り者はいないと思うのだが。
「うん。参った。さすが魔王討伐隊だ。皆殺しにするつもりでやったんだけどね。ありゃ勝てないよ。もぅマヂ無理」
『くくっ。らしくないね』
スマホの向こうから、笑みがこぼれくる。
『温厚な君が突入作戦なんてさ。相当焦っていると見える。どうしたのかな? 結果を出さないと、罰ゲームが待っているのかな』
「……用件は?」
皮肉を無視して話を進める。相手にすれば、むしろ構ってもらえて嬉しくなるタイプの人間だ。本人に自覚があるから、なおさらタチが悪いのだが。
『日本に行く日が決まったんだ。親友の君にも教えておいた方がいいと思ってね』
「へえ、いつ?」
『いつだと思う? 静奈なら当てられるでしょ?』
「二日後」
『三日後だ。早く会いたいのに残念だね』
「ふーん。それを伝えるためだけにわざわざ?」
『ああ。ベストフレンドの静奈なら、僕の来日を知って、デリシャスな天麩羅屋をリザーブしてくれるとシンキングしてね』
「日本語に中途半端な英語混ぜると、こっちの国じゃ、もの凄く古い人間だと思われるから、やめた方がいいよ」
『……本当に?』
「ホントに」
『……危うく、日本での記者会見でやるところだったよ……流行らせようと思ってたんだ……』
図らずも大きな貸しができてしまった。
「……そんなに異世界人が欲しいのかな?」
『世界共有の財産だと思ってるだけだよ。日本が独占するのはズルい』
この辺りのことは、言っても意味はあるまい。説得のできる相手だとも思っていない。
『個人的に言わせてもらえば、呑気すぎるんだよ。これほどの財産を『様子見』しようとしている。現場にいる静奈が、いちばん分かってるんじゃないかな? 本来であれば、自衛隊を投入してでも決着を急ぐべきだったね』
それをさせなかったのがアメリカだろう。
圧力をかけて、時間を稼いだのがカーライルだ。
「ご立派。あんたの愛国心と出世欲には頭が下がるよ」
『そろそろ、僕のパートナーになる気になったかい?』
仲間たちが、不安げに静奈に視線を向けた。
「パートナーじゃなくて、下僕になれって言ってんでしょ?」
『ご名答。静奈の天下はお仕舞いだ。遠山議員は黙らせた。随分と熱心に刃向かってきたけど、彼と寝たのかな?』
「実を言うと、錬太郎を人質に取ってる」
スマホの向こうから笑いを堪える声が聞こえてくる。
『さすがだよ。笑える。けど、どう足掻いても、三日後、僕は現場で静奈と交代していることになる」
「そっか」
『けど、僕の靴を舐めて懇願するなら、部下として使ってやってもいい』
「やだよ。あたし、皮アレルギーなんだ。動物の皮は全部ダメ。触るとかぶれちゃう」
言いながら、ぎるてぃの背中を撫でる静奈。
『けど、弟が人質になってるんだよね? 無事助けたいんだよね?』
――ようやく、本題へと切り込んできたか。
静奈とカーライル。お互いの駒と布陣、そして弱点は十分に理解している。
どう攻めるかも攻められるかも把握している。
カーライルの目的は、第一に異世界人であろう。
アメリカへの貢献を経て、出世の足掛かりにするのが目的である。
そして、越えられない壁を挟んでの第二が、静奈への復讐――いや、そんな高尚なものではない。ただの嫌がらせだ。
「……あんたが助けてくれるんでしょ?」
『どうかな? FBIほどじゃないにしろ、僕もアメリカ人だからね。派手なのは好みだよ。なるべく無事に助け出すつもりだけど……彼、異世界人の味方をしているそうじゃないか。巻き込んでしまうかも? 怪我、しないといいね』
「――フッざけんなゴルァァアアァアァァ!」
喚き叫んだのは有馬だった。
「晴樹くんに何かあったら、私がおまえを――」
静奈が命令するまでもなく、仲間たちが有馬を取り押さえ、口を塞いだ。
三人の男女にのしかかられながらも藻掻く有馬。
『誰?』
「うちのメイド」
『へえ、使用人を雇っているとは、いい身分になったものだね』
「かなりハイスペック」
『ふふ。ま、僕としてはどちらでもいいんだ。これは、友人としての助け船だよ。媚びへつらい、僕の駒になるというのなら、多少の恩恵はあるかもね』
やれやれと思いながら、静奈は電子煙草を咥えた。スイッチは入れていない。
「CIAもたいしたことないんだね。調査が足りないんじゃないのかな? 弟っていっても血は繋がっていないんだ。成り行きで一緒に暮らしているだけ。そいつを助けるために靴を舐めろって? なしてあたしがそこまでせんといかんばい」
『小学校の頃から、授業参観に欠かさず参加していたんじゃないのかな? 運動会もバイトを抜け出して観戦に行ってるよね。週に一回は一緒に買い物。月に一回はデート。高校の入学祝いには八万円のクロスバイクを『安かったから買ってきた』とか言ってプレゼント。本当なら、三日前に、駅前のクレープ屋の新作を二人で食べに行く予定だった。随分、楽しみにしてるみたいだね、手帳に二重丸が書いてある。……興味のないフリは無理があるんじゃないかな?』
「…………」
静奈は、咥えたばかりの煙草をテーブルに置いた。
うつむいて、眉間を押さえてしまう。頭が痛い。
『気の毒すぎるから、さすがに忠告しておこう。……君の右腕は変えた方がいい』
「……考えとく」
静奈は、かわいそうなモノ見るかのように有馬を見やった。
相変わらず、ぎゃあぎゃあと喚き叫ぼうとしている。
気がつけば、十人がかりで取り押さえられている。
『じゃあね、静奈。三日後に会おう。残された選択肢は、僕の靴を舐めるのか舐めないの二択だ。ぜひ、弟君と天秤にかけてみてくれたまえ。条件を飲むのなら、しっかりと歯を磨いておいてくれよ』
そこで、通話は終わった。
有馬が、仲間たちを吹き飛ばして立ち上がる。
「静奈さん! なんで、言い返さないんですか! あいつ、国宝である晴樹くんを壊す気ですよ! 指揮権握らせたら、何をされるかわかったもんじゃないです。ゲイだったらどうするんですか!」
「指揮権なんざ、あたしがどうこうできるモノじゃないもん。つーかさ、おまえ、最近友達できた?」
静奈は別の話題を滑り込ませる。
素直な有馬は、腕を組んで首を傾げた。
「友達……ですか? ――ああ、そういえば、一週間ぐらい前だったかな。夜の休憩時間にラーメン食べに行ったら、食券システムに困っているブロンドの女性がいまして……これは警察として放っておけないと、丁寧に教えてあげたんです。そうしたら、彼女、もの凄く喜んでくださったんです」
「ブロンド……アメリカ人?」
「多分そうです。アップルとかパイナップルの発音が凄くネガティブでした」
ネイティブな。
「それで、一緒の席に座って、仲良くなったんです。しかも、彼女、静奈さんのこと知ってたんですよ! ポーカー大会を見て、ファンになっちゃったみたいなんです! そこからは、もう、大盛り上がりですよ。本当はいけないと思っていても、やはり側近である私としては自慢したいところもあるわけじゃないですか。そもそも、ファンクラブの副会長ですから――」
「それで、あたしのことをいろいろ教えてやったと」
「軽くですよ軽く。好きな食べ物とか、下着の色とか、家族のコトとか、事件のコトとか……あれ、どうしたんですか、静奈さん? みんなも……?」
カーライルとの会話を聞いていた者たち全員が、哀と怒りと悲しみを込めて、有馬に視線をやっていた。
「寒川警部、一週間前というと、ちょうど事件が始まった頃ですよね?」
静奈は、残念そうに頷いた。
「……ごん、おまえだったのか……」
「へ?」