二十七話 メイドを記念撮影
「うう……わん……うう、ううわぁああわんわんわん!」
ガバッと、ソファから跳ね起きるリュカ。
辺りをキョロキョロと見回しながら、
「へ? あ、あれ……ここは?」
「リュカ先輩、安心するであります。敵は蹴散らしたであります」
「りおんちゃん大活躍の巻だったんだよ」
「あ……えっと……すいませんでした?」
有馬を倒してから数十分後。
リュカの看病のため、俺たちは事務所にいた。
ようやく目が覚めた彼女に、屋上で何があったのかを説明する――。
「なるほど、そんなことが……」
「水をかけて叩き起こしても構わなかったんだろうけどな。晴樹が、寝かせておけって言うから、目覚めるまで待ってたんだぞ」
「薬で眠らされてたんだ、無理に起こすのはよくないだろ」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
理解してもらったところで、クラリティがそわそわとしながら本題に入る。
「それより……天井の結界を解除してもらえないか。水を確保しておきたいんだ」
「あ、そうですよね、とにもかくにも水です。もちろんです」
リュカが呪文を詠唱し、空側の結界を解除する。
「これで、雨が入ってくるはずです」
「敵には十分注意をするであります」
「大丈夫だ。今度はちゃんと剣を持っていく。リオンのウェブスパイナーも設置してあるしな」
「それでは、行って参ります。晴樹様は、姫様のお世話をお願いできますか?」
「え? あ、ああ」
俺は、しどろもどろになりながらリュカを見る。
「私は大丈夫ですよ? 少し休んだら着替えて作業しますから」
「無理は良くないんだよ。結界を開けっぱにしたままなんだから、倒れられたら困るんだよ。そんなわけで、養生するんだよ」
水の補給作業中に倒れられても困る。
空から続々と突入されてしまうかもしれないから。
「そういうことだ。しかし、リュカの看病は、晴樹ではなくシエルがやるんだ」
「そうでありますね。わかりました自分が――」
うんうんと頷くシエル。
「はいはい、ふたりきりにしたくないのはわかりますけど、大変な仕事はわたくしたちが率先してやるべきでしょう?」
「しかしだ、リオン。男女が二人きりになったら何が起こるかわからないぞ」
「晴樹様は、そんなことしませんわ」
「仲が進展する恐れがある。さっきまでだって、タオルを濡らしたり絞ったり、汗を拭いてやったり、励ましの声をかけてやったりしてたんだぞ」
「えあッ?」
リュカの顔が、みるみるうちに紅潮していった。
「い、いや! そ、そんな大変なことじゃない!」
拡大解釈しすぎだ。病人がいたら、誰でもやることだろう。
「いいんですの。仕事仕事ですわ。シエル様、行きますわよ。チェルキー様、隊の指揮をよろしくお願いしますわ」
「はーい、ちぇるきー隊、出撃なんだよ」
「それに、晴樹様は、きっと責任を感じてらっしゃるんでしょう」
その一言で、シエルもクラリティも気づいてくれたようだ。
「……あ、ああ。そうか。わかった。じゃあ、私たちで仕事をしてくるとしよう」
「で、ありますね」
こうして、アクセリオンに連行されていくシエルとクラリティ。
チェルキーも、ぬいぐるみを引き連れて部屋を出て行った――。
残された俺とリュカ。ふたりきりになると、なんだか少し気まずかった。
たぶん、最後にアクセリオンが言った『責任』を意識しているからだろう。俺が。
ひとつのソファへに、ふたり腰かけたまま。
俺は、ポツリと語りかける。
「その……すまなかった」
「……な、何がですか?」
「俺のせいだろ」
俺のせいで、リュカは麻酔銃を撃ち込まれることになった。
もっと、警戒すべきだった。
有馬の襲撃も、俺を狙ってくることも、あらかじめ予想すべきだった。
静奈のことは、俺がいちばんわかっているのだから。
「晴樹さんは悪くないです」
「気休めはいい」
「気休めじゃないですよ?」
「リュカは…………撃たれたら『本当は』どうなるか知らなかったんじゃないのか?」
有馬たちは麻酔銃を使っていたし、俺も麻酔銃だと思っていた。
それは事実で、現に彼女はピンピンしているけど――。
――本当は、凄く重い現実だ。
リュカは銃の存在を知っている。この世界に来た時、ヤクザと戦ったから。
向こうの世界にも似たような物があるらしい。けど、麻酔弾を放つタイプがあるとは知らなかったはずだ。
俺を庇うことが、死に直結するかもしれないとわかっていた。
結果的に助かってはいるけど、あの時のリュカは命を賭けたつもりだったのではないか。
「いやあ、あはは……」
「笑いごとじゃないだろ。死んだらどうするんだ」
「ふふ、その時はその時ですよ」
「あのなぁ……」
リュカは笑っているが、俺は笑えなかった。
「これが、私たちのやり方です。クラリティやリオンでも、同じことをしたと思いますよ」
「おまえたちは、魔王討伐っていう大事な使命があるんだろう。そんな甘い考えでよくやってこられたな」
「仕方ないですよ。身体が勝手に動いていたんですから」
照れもなく、リュカは言った。
「不可抗力とはいえ、この世界に来たのは、私たちの落ち度です。それに、晴樹さんは善意で私たちの力になってくれているんです。気持ちに報いるため、私たちは絶対に晴樹さんを守らなきゃと思っています。責任や義務ではなく感情です。そういう気持ちに、晴樹さんがさせてくださったんです――」
『そうか』という同意。
『そんなことない』という謙遜。
それらを口にしたかったが、この話題を続けると、もの凄くこそばゆい気持ちになると思った。だから、俺は「ありがとう」と、そう言うのが精一杯だった。
「水、飲むか?」
その気遣いは、たぶん俺の照れ隠しだ。
「はい、いただきます」
俺は、水筒の水をコップに注いでやる。
彼女は「んくんく」と、一気に飲み干していった。
「あ~、ただの水なのに、もの凄く贅沢な気分です」
「もう少し寝ててもいいよ。俺は、この部屋か給湯室にいるから、いつでも声をかけてくれ」
「大丈夫ですよ。ほんとに」
「いいって。そんかし、敵襲があったら起こすけど。結界を塞いでもらわないといけないし」
俺は、意地悪そうに笑った。
「そう、ですか。それじゃ、お言葉に甘えます。ふふふ」
ソファへと横になり、布団を被るリュカ。
「水、冷やしておくからな」
すーすーと、寝息を立てていた。もう、眠ってしまったようだ。
聞こえていないのだろうけれど、彼女の犬耳がピピッと反応していた。
「………………………………………………」
俺は、恐る恐る指を近づける。
そして、犬耳を軽くほにほにした。
再び、ピピッと反応した。
「晴樹さぁん……なんで、耳をほにるんですかぁ……」
「えあッ? お、起きてッ――」
全身から、ぶわっと汗が出た。
というか、その犬耳、神経と繋がっているのか?
「むにゃむにゃ……」
「……ね、寝言か」
吐息を吐き出し、ホッと胸をなで下ろす俺。
すると、ドアの方から、声が滑り込んでくる。
「なぁ、私も倒れたら、優しく看病してくれるのか……?」
扉の隙間から、ジトリ目が覗き込んでいた。
「く、クラリティッ?」
「こんなところでにいたでありますか。ほらほら、サボってないで仕事するでありまーす」
「ちょ、ちょっと待て、見張らなくてもいいのかッ」
扉の向こう側で、クラリティはシエルに引きずられていった。
☆
雨は、思いのほか強く、そして長く続いた。
夕方五時。リュカは相変わらず眠っている。
クラリティは屋上の見張りを頼んだ。
十分すぎる収穫のあった俺たちは、給湯室で雨水会議を始めることにした。
「それでは、成果を報告してくれ」
「はぁい。わたくしは雨水を使って、皆さんの服を洗濯しましたわ」
「ちぇるきーは、水をいっぱい貯めたんだよ。ビニール袋がいっぱいあったから、しこたま水を貯め込んだんだよ」
「飲み水に関しても十分であります。三週間は持つでしょう」
しばらくは豊かな生活ができそうだ。
「えーと、それでですが。実は、この世界の雨水は、それほど綺麗ではありません」
「の、飲めないとか言うのではないでありますよね?」
「飲めないことはありません。けど、この国は、科学が進歩した代償に、海も山も川も雨も空気も汚れているんです。だから、綺麗にする必要があるんです。ちなみに、水道から出ていた水は、綺麗にしたあとの水ですね」
俺は、丁寧な言葉で説明する。
そのまま飲めば、お腹の調子を悪くする可能性もある。
なので、少し工夫する必要があると思った。
「そこで、こういう物を使います」
俺は、空のペットボトルを取り出す。
底の部分を切り取る。そこからガーゼを入れ、砂利、砂などを詰め込んでいく。
砂利と砂は観葉植物のモノを拝借した。
「なんのためになんだよ?」
「これは濾過装置です。砂やガーゼに水を通過させ、不純物を取り除いていきます。そうして作られた水を煮沸消毒して飲料水にします」
「なるほど! 凄いであります!」
「ウォラウォラツルーと、同じ効果なんだよ!」
「……ウォラウォラツルーとはなんですか、チェルキーさん」
説明口調の敬語だった俺は、そのままのノリで問いかける。
「魔法の濾過装置なんだよ」
リュックサックの中に入っているそうです。
シエルが持ってきて、見せてくれました。
なんというか、金魚すくいのポイを巨大化させたようなアイテムだ。このポイに水を通過させると、不純物を粉砕してくれるらしい。使用するには、多少の魔力が必要だそうだ。
「……凄いですね」
とても、いいアイテムだと思います。
俺がネットで調べた、現代人の英知の結晶よりも効率的です。
短時間で大量の飲料水が作れるでしょう。
ドヤ顔で説明していた自分が恥ずかしい――。
☆
一方その頃。
ビルの屋上では、クラリティ・ウーロフランが空を眺めていた。
全身を、雨が叩いている。
――見張りという役目。
別に、塔屋の中から外を眺めていればいい。
傘だってあったのだ。使えばよかった。
けど、彼女は屋上の中心で、ただただ天空を見上げていた。
ドラム缶やバケツに打ち込まれる音が鼓膜を叩く。
冷たい雨が、服へと染みこみ、身体を冷やしていく。
そして、彼女は愁いを帯びた表情で、吐息に言葉を交ぜてこぼす。
「……………風邪、ひかないかな…………」
☆
さらに別の場所。
フォルトナビル正面玄関前。結界の外側。
こちらは、警察側が用意したテントのおかげで雨は届いていない。
足を運んだ寒川静奈は、目の前の光景を見て思わず、
「うわぁ……」
と、言った。ドン引きするように。
視線の先にいるのは、有馬たち精鋭部隊であった。
全員の手足が手錠で結束された上に、ロープでぐるぐる巻きにされている。
「えぐえぐ……。静奈さぁん……」
有馬音羽が、顔を真っ赤にしながら涙目になっている。
そしてさらに、男も女も関係なく、六人全員がメイド姿であった。
静奈は、スマホを取り出すと、記念に一枚撮影しておいた。