十六話 死ぬな……おまえがいなくなったら……
あれから二日が経過した。
あの時、すでに限界だったのだが、よく持った方だと思う。
食料は当然尽きている。水も完全に枯渇した。
小便も一日ぐらい出ていない。頭も痛いし、体力も精神力も尽きかけている。
「はぁ、はぁ……ね、姉ちゃん。……た、頼む。水だけでいい。水を……わけてくれ」
「投降すれば、お腹いっぱい飲ませてあげるよ。肉も魚も食い放題。いやぁ、晴樹に見せつけるため、こうやって御馳走を食べてるわけだけどさ、おかげで一キロ太っちゃったんだよね」
「わん」
「ああ、ぎるてぃ、おまえもふっくらしたなぁ。一昨日まではガリガリだったのに」
静奈の頭上には、二日前に託した子犬が乗っていた。
ぎるてぃという名前が付けられたらしい。
静奈が指で肉を摘まんで、ぎるてぃの鼻先へ近づけていく。
ぎるてぃは、美味しそうにはぐはぐ。
尻尾をプロペラのように回転させていた。元気になってなりよりだ。
「おまえはよく食うなぁ。いつまで頭に乗せてやれるかわかんないね」
「わん?」
「犬は、頭の上で飼うもんじゃねえよ……。なぁ、水をわけてくれ。俺たちを、ミイラにする気か?」
「ミイラにする? ノンノン。あんたたちが勝手にミイラになっていくだけ。こっちは、いつでも受け入れる用意はできてるんだから」
「くそ……っ」
静奈は、また一口、ステーキを頬張る。見せつけるように。
そして、そのステーキを焼いているのは有馬さんだ。
今日も機嫌よさそうに、静奈のコックを務めていた。
ちなみに、こっちはというと、リュカとチェルキーは体力を使わないように、事務所のソファで寝たままになっている。
クラリティが付き添ってくれたが、俺のやや後方で、陸に打ち上げられた魚のように横たわっていた。
「……なぁ、姉ちゃん。リュカたちが投降したらどうなるんだ?」
「ハッピーエンド」
「もっと具体的に教えろよ。方針ぐらいあるんだろ? こちとら、ある程度は事態をドライに捉えてるんだ」
「悪いようにはしないと思うよ。ま、武器に関しては取り上げられるかもだから、姉ちゃんが預かった方がいいね」
「だから、そうじゃなくて、ぶっちゃけた話だよ。処遇とか耳に入ってくるんじゃないのか?」
指揮官なのだから、それなりの情報が入ってくるのではないのか。
そうでなくても、与えられた情報で、ある程度の推理ができるのではないか。
「……ふむ。いい質問だね」
静奈は箸を置いた。腕を組んで眉を顰める。
「は?」
「ここだけの話だよ。……実を言うとね。姉ちゃんも気になってたんだよ。果たしていったい、国はリュカさんたちをどうしたいのかってね。友好的に接するのか、それとも管理しようとしているのか、はたまた異世界のことを考え、元の世界に戻してやりたいと思っているのか――」
「聞いてないのか?」
尋ねると、静奈は黙ってしまった。
「……なぁ、何か隠してることでもあるのか?」
「そうだねぇ……」
歯切れ悪く返事をすると、やがて静奈はポツポツと話し始めた。
静奈個人の考えを。
「最初は、拘束しろとしか言われなかった。まあ、事件があれば、それを解決するのが姉ちゃんの仕事だ。テロリストを鎮圧するんだし、これぐらいの配備も当然だと思う」
テロリスト呼ばわりに関しては、今更反論する必要もないだろう。言わせておけばいい。
「けど、その後、具体的な対処方法や方針などが降ってこないんだ」
これほどの事案となれば、国の偉い人が会議をして、方針なり対処方法なりを決める。
友好的な関係を築きたいのなら、それこそ静奈に平和的な交渉をさせるだろう。
危険視しているのなら、もっと攻撃的かつ威圧的なアプローチがあるはず。
ビジネスライクな関係になりたいのなら、取引材料を用意してくる。
しかし、静奈に下された命令は、最初から変わらず、異世界人を拘束せよという一点。
「小言は降ってくるんだけどね。どうも、歯切れが悪い。それに急かされる様子もない」
「混乱しているってコトか?」
「ない頭を絞って、話を合わせようとしなくてもいいよ。混乱しているのは馬鹿でもわかること。気になるのは、なぜ、混乱しているか、だよね?」
「う、ぐっ……。じゃ、ジャあ説明してクれよ」
俺は、顔を引きつらせてお願いした。
「上層部で意見の相違があった。そう考えるのが普通なんだろうけどさ。それならそれで、署長が正直に教えてくれそうなもんじゃん? けど、その署長も言葉を濁らせてる」
宇宙人襲来と同レベルの事件だ。迅速に対処されて然るべしである。
「それがないということは、誰かが奇妙なアプローチをかけて、引っかき回している可能性がある」
「なんだよ、その奇妙なアプローチってさ」
「さすがに、方針ぐらい決まっていても不思議じゃない。日本だけの問題ならね」
「……ってことは、外国が横槍を入れてるってコトか?」
「あくまで想像の話、だけどね」
というよりも、この愚鈍さは、個人レベルのパイプを駆使しての接触ではないかと静奈は見ている。それゆえに、国内でも意見が食い違い、現場への命令が曖昧になっているのではないかと言うこと。
「ま、上から何も言われないのはありがたいんだけどね。やりやすいし。――ただ、気持ち悪くはある」
「じゃあ、姉ちゃんの見立ては……」
「そう。何度も言っているように『わからない』ってこと。だから、投降させることが仕事になってる。けど、その後に関しては、なるべくリュカさんたちの希望に添うよう動くつもりだよ」
「そう……か」
「あくまで姉ちゃんの推理だかんね。実際は、他の思惑があるかもしんないし、ただ普通に混乱しているだけかもしんないし」
「リュカたちにとって、いい話じゃないんだよな」
「ぶっちゃけ、いい話じゃないね」
不透明な現状ということか。考えてみれば、リュカたちにも先行きが見えていない。
同時に、静奈にも見えているとは思えない。
「考えてはみたよ。晴樹やリュカさんたちの立場にもなってみたよ。けど、それでも導き出される答えは投降一択だね。苦しむだけ損だと思う。水なしでよく頑張ったよ。けど、そろそろ身体に影響が出てくるハズだ。リュカさんやクラリティさんは大丈夫かもしんないけど、ちぇるきーたんは子供だよ? 道徳的に考えても、無理はさせたくない」
「……わかってる」
話すのも億劫になってる俺は、必死に声を絞る。
「姉ちゃんの言ってることは、全部正論だ……けど、世の中、効率や倫理だけじゃないかんな」
結界をドンと叩いて、静奈を睨む。
「……ツラそうだね。立っているのがやっとって感じだ」
「は! まだまだ平気だよ」
「人間は追い詰められると何をするかわからない。そして、心理に絶対はないんだよ。仲間割れをするリュカさんたちを見たくないのなら投降させな。それも、思いやりだ」
「黙れ……ッ」
「うう、必死になってる晴樹くんも素敵です。成長したんですねぇ」
えぐえぐと涙をこぼす有馬。エプロンでちーんと鼻をかんでいた。
「んにゃ、ただ意地になってるだけ。昔っからこんなだよ。ガキなんだ。どれだけ大事になっているかも知らずにね」
静奈の言っていることはごもっとも。
「……くそっ……じゃあな」
踵を返す晴樹。ふらっとよろめいてしまう。
「クラリティさーん。あんたのところの外交官がお帰りだよ」
「ん、あ……ああ」
クラリティは、満身創痍といった感じに立ち上がった。
朦朧としながら俺に歩み寄る。
「晴……樹、生きてるか……?」
自身が倒れそうなのに、肩を貸してくれるクラリティ。
「当然だ……」
「お疲れさん。次に会う時は、結界なしでね」
滑らかに吐き捨て、静奈は食事の続きへと戻る。
「……死ぬなよ、晴樹……おまえがいなくなったら、ゲイの私はどうすればいい……」
「……死ねばいいと思うよ……」
言っておくが、あとを追ってこいという意味じゃないからな。