十二話 鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
「あー……気持ち悪かった……」
ようやく一段落といった感じだ。
風呂から出た俺は、真っ白に燃え尽きるかのようにグロッキー。
ソファでぐったりと項垂れている。
「大丈夫ですか? そんなに、クラリティのことが嫌でしたか?」
「いや、嫌いというか、男が男と密着するなんて、相手が誰でも気持ち悪いもんだよ」
「そ、そうなんですかぁ……。私は、美しいというか……ちょっとドキドキしました」
頬を赤らめて、犬耳をピコピコ。尻尾があったらフリフリさせているだろう。
卑猥なコトは嫌いでも、BLには興味があるようだ。
「リュカたちは、五人で旅をしていたんだよな? てっきり、女性ばかりのパーティだと思ってた」
「最初は、そうなるのかなって思ったんですけどね」
リュカは、女王の圧力のせいで、自らスカウトしなければならなかった。
四人集まった時点で全員が女性。
力仕事要員として、男手も欲しかったのだが、女性だけの方が気兼ねなく旅ができる。
男がいると色恋沙汰に発展する可能性も否めない。
どうしたものかと悩んでいたところ、ちょうどいいのがいた。
女性の心を持った男。クラリティ・ウーロフランである。
彼にその気がないのだから、絶対に色恋沙汰は起こらない。女性の気持ちも分かるから、相談もできる。実力も申し分がない。
そんなわけでリュカたちは、クラリティを五人目の仲間として選んだのだった。
「クラリティは、凄く頼りになります。私たちの中で一番強いと思いますよ。なんといっても伝説の傭兵なのですから」
「伝説の傭兵……」
根無し草の傭兵。世界各地を転々とし、様々な組織に雇われ活躍をしてきた。
彼が、どちらに味方をするかで、戦争の勝敗をも変えてしまうと噂になっている。
それは眉唾ではない。
旅の最中、リュカたちは幾度となく、クラリティ・ウーロフランの活躍を見てきたという。
噂に違わぬ剣聖の如き働き。
世界を平和に導く者の一人としての資格が十分にあると言える。
「そんなふうには見えないが……」
「ふふっ。普段は、あの調子ですからね」
「――あぁ、いい湯だったぁ」
クラリティも風呂から出たようだ。ほんのりピンク色の頬にスレンダーな体型。
こうして眺めていると、男であることを忘れてしまいそうになる。
「チェルキー。水をもらえるか?」
「あ、俺も頼む」
「はーい、なんだよ」
トテテテテ、と、給湯室へ向かっていくチェルキー。
「ちょうど、クラリティの話をしていました」
「私の話?」
言いながら、彼は俺の隣へとナチュラルに座ろうとしてきた。
抵抗しても、力では敵わないので、俺の方が移動する。
「伝説の傭兵だったって話だよ」
「ふむ。惚れ直したか?」
嬉しそうな笑みを浮かべるクラリティ。
「ねえよ。言っとくが、俺がおまえのことを好きになることはないからな!」
「別にいい。けど、私が、おまえを好きになるのは止められない。アルクリフへ戻るまでに、必ず口説き落としてみせる。連れて帰るんだ」
リュカの犬耳が、ピンと伸びる。何かを期待するかのように、じっと眺めてきた。
「リュカ、これ以上の発展はないからな」
「へ? あ、あの、その、けど、お、応援するのは……自由、ですよね」
ココへ残ったことを、後悔させないでください。
「はるきぃ」
ふと、給湯室から、チェルキーがひょこっと顔を覗かせる。
「どうした?」
「――お水がね、出ないんだよ?」
「水が出ない?」
故障だろうか。
俺は、給湯室へ。
リュカたちも何事かとついてくる。
チェルキーが蛇口を捻ってみせた。
「ほら」
たしかに水が出ない。
俺は、流しの下の扉を開けて、元栓を調べてみた。少し弄ってみるが、蛇口の方はうんともすんともいわなかった。
「っかしいなぁ。……クラリティ、風呂場の水道はどうだった?」
「さあな。晴樹の浸かった残り湯で頭を洗ったり、石鹸を流したりしたから……」
「……もしかして」
懸念。焦燥感が沸々と湧き上がる。
バスルームの蛇口も調べてみる。けど、やはり洗い場同様、水は出ない。
「お水、出ませんね。井戸が涸れてしまったんでしょうか?」
「故障か?」
この不思議な状況を唯一理解した俺は、額に汗を滲ませる。
「……やられた」
「なにをやられたんですか?」
「断水だ。……水を、止められたんだ」
「水を止められた?」
「姉ちゃんの仕業だよ。蛇口から水が出ないよう、外部から弄ったんだ」
「そんなことができるんですか?」
敵同士だと言っていた。けど、ここまでするとは思わなかった。
「ど、どういうことだ晴樹。蛇口を捻れば、水が出る仕組みだったんじゃないのか?」
「……ああ。けど、別の場所からでも、それを止める方法はあるんだよ」
現代の知識がある俺が警戒すべきだった。俺しか警戒できないことだった。
――静かな降伏勧告。
少しずつ少しずつ、選択肢を減らしていく。
俺たちが投降する以外にないと判断するまで待つのだ。
ああ、静奈にとって、それがいいのだろう。
無傷無血の完全勝利のために。
「要するに……水が手に入らなくなってしまったんですね?」
「これからどうするんだ? 食料も心許ないのに」
「すまん……としか言いようがない」
「晴樹さんが悪いわけではありません。私たちが浮かれすぎていました」
「……もう、お水は飲めないんだよ?」
「俺の落ち度だ。まさか、姉ちゃんがここまでするとは思わなかった……」
☆
てんとんしゃららん。てとしゃららん。
しゃらららてんとんてんしゃららん。てとてとしゃららんてんてんてん――。
寒川静奈は、闇夜に包まれたフォルトナビルを正面から見上げていた。
身体を、生温い風が撫でる。
周囲は静かだ。けど、物々しかった。
大勢の機動隊員が、ビルを取り囲んでいる。
四階の一室から明かりが漏れている。
晴樹たちは、そこにいるのだろう。
「静奈さん、出ないんですか?」
有馬が、心配そうに問いかける。
「まだいい」
――甘やかして育てすぎたのかもしれない。
寒川静奈は、神山晴樹の姉代わりで親代わりである。
立派な人間になって欲しいと思って、厳しくしながらも、愛を持って育てたつもりだ。
悪いことをすれば怒る。正しいことをすれば褒める。
結果、晴樹は思いやる人間に育ったと思う。それは姉として誇らしい。
けど、晴樹は現実を知らない。
世の中にはどうしても抗えない力がある。
勝てないと悟ったのならば、最善の選択をして、最大限の結果を出すしかないのだ。
電話をかけてくるということは、おそらく不安を感じているのだろう。
ヤクザ連中から、ビル内の食料事情を聞き出したが、嗜好品が多少あるだけで、長期間の籠城は不可能。水がなければ長くは持つまい。
今日一日は、不安を抱いて眠ればいい。
世の中は、正義が通用しないことがある。正義とは違う、正しい選択もあるコトを理解しろと静奈は思った。
「……晴樹くんがかわいそうだと思います」
「知らね」
「人質同然の立場なんですよ! 何かあったらどうするんですか?」
「あいつが選んだ道。自業自得」
「まだ高校生です。事態の理解がわかってない……大人の世界を理解してないんですよ」
「理解するいい機会だ」
「けど――!」
何か言いたそうだった有馬を制して、静奈がつぶやいた。
「大丈夫だ」
「……保証はあるんですか?」
「あるよ」
実を言えば保証などないのだが、こうでも言わないと有馬は納得しないだろう。
相手の人間性と嘘を見抜くのは、職業柄得意な方である。
リュカたちと対峙した時、連中が悪い人間には見えなかった。
大勢のために、個人を犠牲にする効率主義の軍人ではない。
魔王を倒すという使命感に染まった英雄だと思った。
非効率的でも、自分が希望であり続けることを望む馬鹿。
希望が、人質を取ったりすれば、世界を裏切ることになると信じている馬鹿。
自分よりも、他人の幸せを望んでいる愛すべき馬鹿。
晴樹と似ていると思った。
これから、晴樹たちは苦境に立たされるだろう。
空腹になる。
水分が失われる。
それらは、理性を失わせ、判断力を鈍らせる。
次第に自分たちの選択肢がないことに気づくだろう。
「晴樹が自分で選んだんだ。十分苦しい思いをすればいい。そうすれば考えも変わる」
「……説得に、応じてくれるでしょうか……」
「たぶんね。連中には、それ以外の選択肢がない。だから、あたしたちは待つのさ」
寒川静奈は、まだ、ビルを見上げていた。
見上げて、ぼそりとつぶやいた。
「……姉ちゃんを相手にするなんて十年早いよ。……弟らしく守られてろ、バーカ」
その独り言は、流れる風がさらってくれた。