十話 僕の大切なブロッコリー
食事を終えた俺たちは、ビルの探検を始めることにした。
フォルトナビルは七階層に分かれている。俺たちのいた事務所は五階にあたる。
まずは、一階から調査開始。
エントランスホールには受付。事務所内は、がらんとしている。
もともとは、大きな会社が入っていたようだ。
現在では、一部屋単位で、テナント貸し出し中らしい。
掲示板に、その旨が張ってある。
「掲示板か……この要塞の情報が張り出されているな」
「掲示板……っ……? ひ、卑猥なものじゃないですよね?」
ネットの掲示板を意識してしまっているのだろう。過敏になりすぎである。
「地図があるんだよ。持っていくんだよ」
「ああ」
クラリティは、長テーブルの上に置かれていた案内図を手に入れた。
丸めて、コートの内側へと差し込む。
――必要ないんですけど?
「あの……ところで……なぜ、武器を構えてるんですか?」
俺は、恐る恐る尋ねてみた。
「なぜって……知らない場所の探索なんだぞ」
「魔族なんていない」
「けど、トラップがあるかもしれない」
物々しいにもほどがある。ここはダンジョンではないのだが。
「トラップもない」
「なぜだ? 盗賊から守るために、トラップのひとつやふたつ仕掛けていても不思議じゃないだろう?」
「盗賊って職業は、こっちじゃそれほど人気がないんだよ」
言ったが、彼女たちは警戒を怠ることはないようだ。
ビルの廊下を、ゆっくりと進んでいくのは、実に滑稽だった。
コスプレのせいで、RPGの世界に迷い込んだ気分になる。
一階には小さなオフィス部屋がいくつかあった。
どれもがらんどうで、段ボールやロープなどが空虚に置かれているだけである。
二階もどうやら小さなオフィス部屋がいくつかあるだけ。
余談だが、彼女たちの階段を上る様は、悪い意味で格好がいい。
クラリティが、手摺りよりも身を低くしながら進み、踊り場から上階を覗き込む。招くように合図をし、リュカたちを呼び寄せる。
これが訓練された魔王討伐対というものだろうか。
ちなみに、スタート地点である一階へ降りてくる時もこんな感じだった。
三階。ここもオフィス部屋がある。けど、他の改装と比べて思いのほか広かった。
倉庫として使われているようだ。大量の高級羽毛布団が所狭しと積み上げられている。
「布団ばかり……寝具屋さんでもしていたのでしょうか」
「こういうのを商売にするギャングもいるんだよなぁ」
四階。俺たちの拠点。事務所のあるフロア。大きめの部屋に、社長が座するような高級デスクと、ソファなどの応接セット。他にも、給湯室やバスルーム。
要するに、生活スペースだ。
五階も大広間。ドラム缶やシャベル。コンクリートなどが数多に用意されていた。大工道具なども揃っている。どうやら、作業用工具の保管庫らしい。
六階は小さなオフィスがみっつほどあった。
ひとつは空っぽだったが、残りふたつは使われているようだ。
「はるき! あの袋に入っているの、ポテチじゃないのかだよ!」
「お、ゲット」
コンビニ袋に入っていたのは、ポテチが一袋。ペットボトルも入っていたが、残念ながら空っぽだった。
部屋を眺めて、クラリティがいった。
「ここは、何をするところだ?」
「ギャングのビジネスオフィスだな」
見た感じは……ネットショップと、いった感じか。
会社のオフィスのようにデスクが並んでいた。
ファイルがあったので覗いてみる。どうやら名簿のようだ。
高級羽毛布団や壺。あとは、白い粉などを販売している。
犯罪の温床といったところか。
もうひとつの部屋も似たようなもの。こちらも詐欺の本部か。
印刷されたマニュアルやら名簿やらが大量にある。
リュカたちも、大変な場所に転移してきてしまったものだ。
こちらには食料と思しきモノはなかった。
七階。ここが最上階となる。
「……待て」
クラリティが、後続の俺たちを制した。
「どうしました?」
小声で問いかけるリュカ。
「気配がする」
リュカの背後に隠れる俺の背後に、チェルキーがサッと隠れる。
「用心するんだよ」
「わかってる」
扉の数でわかる。部屋の構造は、巨大なオフィスがひとつのようだ。
――気配、か。
考えてみれば、逃げ遅れたヤクザがいてもおかしくはない。
「よし、行くぞ……」
クラリティはドアノブを捻る。
そして、間髪入れず扉を蹴飛ばした。
部屋の光景が、瞳へと飛び込んでくる。
「なっ……」
「ひああぁぁあぁぁッ!」
……ええと……なんて説明しましょうか。うん。見たまま言っていこうか。
まず、この部屋は衣装ルームだ。
ピンク色のお店で働く女性のための衣装――要するにコスチュームが揃っている。
学生服から、ナース服、スチュワーデス、メイド服など、ありとあらゆる種類の、ありとあらゆるサイズが用意されていた。深くは語るまい。
それだけでもリュカたちにとってはドン引きだろう。
けど、彼女たちが悲鳴をあげたのは別の理由がある。
――天井からぶらさがる変態がいたからだ。
「んー! んー!」
ほぼ全裸の若い男性。
顔は麻袋に包まれて見えない。声を出せないのだから、猿ぐつわでもしているのだろう。
身体は基本的に全裸。芸術的に結ばれたロープが衣装代わりだ。
さすがに股間部分は、ロープで隠すのにも限界があったのだろう。
手頃なブロッコリーが装着されてる。
「新手のプレイかっ? 新手のプレイなのかっ!」
「変態さんなんだよ! 日本の変態なんだよ! ガーバングラフの負けなんだよ!」
「ふぁふへて! ふぁふへて!」
「ブロッコリーがしゃべってます! しゃべるブロッコリーです!」
「股間に食料があるんだよ!」
もはや地獄絵図である。
とにもかくにも、収拾を付けなければならないだろう。
「落ち着け。変態かもしれないが、あの場所にいる限り襲っては来ないはずだ」
「晴樹さぁぁんッ! こっちの世界って、こんなのばかりなんですかぁぁあぁッ?」
「ンフーッ! フー!」
日本にはもっと素晴らしい物があるんですよ。
日本庭園に、お茶のワビサビ。寿司に天麩羅。芸者に忍者。富士山。
うん、リュカと日本は出会いが最悪なのだと思う。
「クラリティ。ロープを斬ってやってくれ」
「い、いいのか?」
「見て見ぬフリはできないだろ」
おそらく、ヤクザに逆らってしまった哀れな青年の成れの果てだろう。
吊すだけでは飽き足らず、全裸という恥ずかしい格好をさせられたのだ。
見ている方も、さすがにブツが晒されているのは気持ち悪かったのか、良心的にも股間にブロッコリーを添えてくれたらしい。
俺も、下手をすれば彼と同じ姿になっていたのかもしれない。
そう思うとゾッとする。
警戒しつつも、ジリジリと詰め寄るクラリティ。軽く跳躍して、吊してあるロープを切断する。
さすがに、ブロッコリーとロープだけの男性を受け止める勇気はない。
ドスンと、床へと落下する。
「んー! ふぁふふぇへふぇへへ……あひはほー!」
自由になれた喜びからか興奮している。
「フーフー」と、息が荒かった。
三百六十度、どこから見ても、立派な変態である。
歓喜のあまり、彼は声のする方へと両手を広げて突っ込んできた。
「ふぁふふぁっふぁぁあぁぁあぁぁ!」
「ひぁああぁあぁぁぁぁぁぁ!」
リュカの剣が、裸体にクリティカルヒット。
「ふひょふッ!」
彼女にも理性が残っていたのだろう。刃ではなく側面を叩きつけていた。
「トドメです! トドメぇです!」
「やめろリュカ。こちらの人間を殺したら問題になるぞ!」
「弱点はどこですか! ここですか!」
リュカの懇親のローブロー。
拳が、股間のブロッコリーを打ち砕く。
「ああっ、貴重な食料が!」
大丈夫、チェルキー。あのブロッコリーは、食用じゃない。
哀れな青年は悶絶。胎児のように身体を丸めながらゴロゴロと転がった。
リュカは、呼吸を整える。
冷静さを取り戻した彼女は、剣を鞘へと戻した。
そして、転がる変態を見下ろしながら、
「クラリティ、もうしわけございませんが、その醜いブロッコリーの化身を捨ててきてもらえますか?」
どうやら、暗黒面に落ちたようだ。
「リュカ。日本人がみんな、あんなのだとは思わないでくれ」
「わかってますよ。ふふ。わかってます。けど、こういう人が、掲示板の書き込みとかしてるんでしょうね」
それが、意外と普通の人が書いてたりするんですよ。
☆
対策本部トラック。
静奈がソファで寛いでいると、有馬が報告に入ってきた。
「静奈さん。錬太郎くんが見つかりました」
「ふーん。どこにいたの?」
「結界の前に捨てられていました」
「……………………なんで?」
「潜入捜査がバレて、監禁されていたそうです。そこを、晴樹くんたちに助けてもらったようですね。さっきまで、ビルの中にいたそうですよ」
「潜入捜査? バカなの? あいつの管轄外だろ?」
「そうなると、今回の事件はラッキーだったのかもしれませんね。錬太郎くんのコトです、絶対にガサ入れのこととかしゃべっちゃってますよ。予定通りに捜査したら、罠にはめられていたかもしれません」
「錬太郎に言っといて。今月の給与査定、楽しみにしとけって」
遠山錬太郎。
政治家の息子で、一応、静奈の相棒。
本人はがんばっているようなのだが、とにかく余計なことしかしない上に、呪われているのではないかというレベルで運がない。
彼が、今回の事件に関与することはないだろう。気にしなくていい。
ただ、父親は非常に優秀な人格者である。
番組で共演したことがあるのだが、その時に錬太郎のことをよろしく頼むと言われた。
バカゆえに厳しく躾けてやって欲しいと。
それ以来、面倒を見てやっているのだが、しょっちゅう事件か事故を起こしている。
チンピラや不良、小学生や犬の群れに拉致監禁されることは珍しくない。
「寒川警部!」
噂をすれば何とやら。遠山錬太郎の御登場である。
「もうしわけございませんでしたっ! この錬太郎、あろうことか潜入捜査に失敗しッ――卑劣な拷問によって、ガサ入れの件をあらいざらいしゃべってしまいましたぁっ!」
さっきまでビルで拘束されていたせいか、状況をまったくわかってないらしい。
晴樹も、なぜ、こいつに説明しなかったのか。
いや、関わりたくない気持ちは分かる。
「とりあえず、服を着てこい」
ロープの水着は季節外れだ。
股間部分を隠しているブロッコリーもグシャグシャ。今にもこぼれ落ちそうである。
「これはすべて僕の独断です! 規則で禁じられている潜入捜査をしたのも、僕の独断であります! 手柄が欲しかったからです! 寒川警部は、一切関係ありません!」
「知ってますよ。静奈さんが、そんな命令をするわけありません。あ、錬太郎くん、減給らしいですよ。ご愁傷様です」
「へ………?」
静奈は、コクリと頷いた。
「そ、そんな……寒川警部……」
ジリジリと、縋るように近づいてくる錬太郎。
変態に追い詰められている気分だ。
「来月、彼女の誕生日なんですよ……? いつも、安いチョコレートの詰め合わせとかで惨めな思いをさせているから、たまにはちゃんとしたプレゼントで祝ってあげたいんですよ……」
ちなみに、同情する必要はない。彼女というのは、キャバクラで働いている女の子である。キャッチをやっていた彼女に『困ってるんです』と言われ、常連となった。
あくまで店員と客の関係。だが、錬太郎はそれに気づかずカモになっている。
目を覚まさせてやらねばと思っているのだが、彼女への思いは宗教のそれに近く、給料のほとんどを貢いでいる。
減給しようがしまいが、錬太郎の生活は変わるまい。
「ねぇ、寒川警部……」
「近寄るな。変態」
「この失態は、必ず返上しますから……寒川警部ぅ……っ!」
迫り来る変態。
静奈は、パチンと指を鳴らした。
察した有馬が、錬太郎の進路に立ちはだかる。それでも止まらない変態。
有馬は、腰を深く落とし、真っ直ぐに相手のブロッコリーを突いた。
「がはっ……ッ……」
「醜い姿をッ、静奈さんに見せるな」
ブロッコリーが砕けて散った。
ブツを隠すように、錬太郎は床へとうつぶせに崩れ落ちる。
「お、ぐ……」
するとそこへ、丸暴の強面刑事たちがゾロゾロと入ってくる。
「おう、ちいと邪魔するで」
「おす。長沼警部補。どしたの?」
軽快に挨拶する静奈。
「いやぁ、聞いたで。遠山ちゅう刑事が、管轄飛び越えて潜入捜査しとるってな」
「遠山なら、そこ」
静奈は、面倒臭そうに、床へと転がっているバカを指さした。
「おう、こいつか。すまんな、姉さん。こないな若いモンに好き勝ってやられたら、こっちもたまらんのや。ケジメつけさせてもらうで?」
「いいよ。けど、そいつ、あたしの部下なんだ。責任はあたしにもあるよ。今回の件は悪かった。すまんね」
「ええがな。姉さんにはいつも世話になっとる。無粋なこと命じるような人やないのもわかっとる。このバカが独断でやったことやろ? ま、殺しはせえへんから。ちょいと預かるで」
「おっけー」
静奈は、親指をグッと立てた。
「げ! あ……ひ、ひぃぃいいぃぃッ?」
ひょいと、肩に担がれる錬太郎。
「警部! 寒川警部! 有馬さぁぁぁん! 助けてくださいぁああぁあぁぁぁぁい!」