九話 ネット文化は凄く異端
「しゃららららーなんだよ」
部屋を駆けるようにしてチェルキーがカーテンを閉めていく。
俺は、スマホで『フォルトナビル』と検索してみた。
「げ……」
ドローンを見て嫌な予感はしたが、やっぱり話題になってしまっていた。
動画サイトや画像サイトに、ビル周辺の様子がガッツリ映ってしまっている。
ネットの掲示板も大盛り上がりだ。
875:名無しさん
ビルに結界ってマジ?
876:草食コウモリ
異世界人とか、みんな信じてるの? バカなの? 死ぬの?
877:アリに負けたアリクイ
どうやら、俺の時代が来たようだな。ちょっと剣と盾を買ってくる
878:牛タン好きの牛
本当らしいよ。知り合いのヤクザ屋さんが言ってた。フォルトナビルを異世界人に占拠され たって
879:アシカ似のオットセイ
つか、映ってるの神山じゃね?
880:神山晴樹
神山晴樹だけど質問ある?
881:好色グリフォン
異世界人かわいくない? 妄想が捗る。誰か、個別スレよろしく。
俺は、ガックリと肩を落とした。特定されてるし、偽物までいるし。
いや、隠し通せるとは思ってなかったけど。
早速とばかりに、スマホがラインやメールが受信しまくっている。無視しとこう。
「晴樹さん、いったいなんだったんですか? 急に、カーテンを閉めろって……」
「さっき、空中を変なのが飛んでたろ」
「ええ、珍しい生き物ですね」
「生き物じゃないよ。人間が操ってるんだ。カメラが搭載されていて、俺たちが何をしているのかを別の場所で見ることができるんだ」
「へえ、凄い技術だな。魔法を使ってないんだろう?」
感心したかのようにクラリティが言った。
「その割には驚いてないな」
「この世界の文明が、我々の常識を遙かに凌駕しているのは理解した。いちいち驚いてはいられないだろう?」
「ごもっとも」
完全包囲の監視付き。世間にもリュカの存在が明るみになった。
俺なんざ、顔バレまでして世間の注目の的だ。学校へ行けば、異世界マニアのオタク共や、面白いことが好きな不良共、自称ユーチューバーどもがインタビューに来るのだろう。教師連中からも、いろいろ質問されるかもしれない。
外へ出るのが憂鬱になる。自分の意思でビルに残ったんだから、自業自得だけど。
……嗚呼、掲示板にあることないこと書かれてる。
「異世界人は……変態なの、か? わんこ耳つけて、絶対、馬鹿にしてる? 駆府の海へ、沈めば、いい、のに?」
ふと、俺の背後にリュカがいた。
どうやら俺のスマホの画面を覗き込んでいたらしい。
掲示板の心ない文章を、口に出して読み上げた彼女は、フリーズしてしまった。
いや、フリーズしたまま、機械的に文章を読み続けている。
「けど、わんこ姫、かわいい。×××したい。ペットにして×××しながら、×××を……おおぉおぉぉぉおおおぉぉおぉぉおおぉぉッ?」
「ど、どうしたリュカ?」
「ご乱心なんだよ!」
「リュカァ! ちょっとこっちへこいッ!」
彼女の腕を掴んで、給湯室の方へと引っ張っていく俺。
「きゃああぁあぁぁぁあぁ! ×××される! ××××もされるぅ!」
扉を閉め、俺は彼女の頬を両手で挟むようにペチンと叩いた。
「おい、しっかりしろ! 落ち着け!」
はっとするリュカ。しかし、それでも彼女は、顔を真っ赤にして声を荒げる。
「は、晴樹さあぁああぁぁぁ! さっきのアレ、なんですか! 晴樹さんの心の声なんですかぁぁぁああぁッ? 変態なんですかッ? なんで尻尾で×××を、××らなきゃならないんですかぁぁあぁあッ! そもそも尻尾はありませんよぉッ!」
「違う、アレはタチの悪い掲示板だ。俺の心の声じゃない。尻尾で×××を××る必要もないし、俺は、そんなことを望んでいない。ましてや犬耳に×××を突っ込んだりもしない」
「変態変態変態!」
フーッ、フーッ、と、威嚇するように呼吸する彼女は、犬というよりも猫のようであった。
ネット慣れしていない人が、誹謗中傷関連のスレを読むと、ドス黒い気持ちになるとかなんとか。
現代人ならともかく、異世界人は、人間の裏の感情を赤裸々に集めた文章を見る機会などない。俺だって気分がいいものではないのだ。彼女たちならなおさらだろう。
「いいか、リュカ? まず、あれは俺の文章じゃない。OK?」
「お、おぅけぃ。いぇい。わかります。冷静に考えれば、晴樹さんは、あんな文章を書く人じゃないですから。たぶん」
だったら、睨むのをやめていただきたい。パニックなのはわかるけど。
俺は、現代のネットという文化を理解させてから、掲示板というシステムについて説明。
そして、俺は、その自由奔放なスレッドを見て、情報を集めていただけということをわかってもらう。
一応、理解はしてもらえたようだが――。
「はぁ……。この世界の人は心が歪んでますぅ……ぅぅ」
異世界人がビルジャックしたというコトに対しての文句と誹謗中傷。
加えて、リュカたちの美しい容姿に対してのコメントと卑猥な文言の数々。
彼女は、結構な量を視界に入れてしまったようだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ……こんなの、クラブロス村の冤罪事件に比べたら……フフフ」
ネットより怖いクラブロス村の冤罪事件の方が気になるんですが。
「あんなこと思ってるのは極少数だから。気にすることじゃないよ」
だいぶへこんでいるようだが、俺だってノーダメージではない。
『神山晴樹が異世界人に淫行しないよう監視するスレ』なんてものがあったのだ。
恐る恐る覗いてみたら『最初の犠牲者はツインテの幼女』と、書かれていた。
「うぅ、胸がぐるぐるします……」
犬耳をぺたん。ふらふらしながら事務所の方へ戻るリュカ。
「大丈夫か……?」
俺が肩に手を置くと、リュカは「ひぃ!」と、悲鳴を上げた。
「ご、ごめんなさい、なんでもないです……」
現代人がみんな卑猥な妄想をしていると思わないでいただきたい。
「どうした、二人とも。何かあったのか?」
「空気が淀んでいるんだよ。リュカがしょぼりんこなんだよ」
「……なんでもないです。フフ、犬耳変態美少女勇者様は平気ですよ……」
リュカはソファに座って、ずぅんと項垂れる。
「よ、よし! そろそろ夕飯にするか」
気分を切り替えるように、俺は元気よく言った。
「静奈との連絡はどうするんだ?」
電話に出てくれないのだ。
忙しいのかもしれないし、折り返し連絡が来るのを待つしかないだろう。
「ちぇるきー、さっきポテチ食べたからお腹空いていないんだよ」
「おまえはな。私は、食べておきたい。いつ戦いが始まるか分からないからな」
「フフ、ウフフ。首輪つけての犬食いが、現代の皆様のリクエストなんでしょう。フフ……けど、そう簡単には陵辱されませんからね……」
とりあえず、夕食にしよう。お腹いっぱいになれば、きっとリュカの気分も晴れる。
「しかし……材料はどうする? 私たちの食料は、仲間のリュックの中だ。肉も野菜もあるようには思えないが?」
「ちょっと探してくる」
言って、俺は給湯室に入った。
ポテチを取りに来る時、冷蔵庫が目に入ったのだ。開けてみる。
「……ビールとブロッコリーか」
本格的な料理をするような連中にも見えなかったし、嗜好品だけというのも仕方がないのかもしれない。そうなると、このブロッコリーの存在は謎だが。
「マズったな……姉ちゃんにデリバリーを頼めばよかった……」
最悪、ポテトチップスが、もうひと袋あるので、それを夕食にするしかないか。
「電気コンロがあるし……レトルトでもアレンジすれば、それなりのものが作れるんだけど……ブロッコリーだけじゃなぁ」
料理には自信がある。
小学生の頃から、遅く帰ってくる静奈のために、毎日料理を作ってやっていた。
時間はタップリあったし、貧乏だったから他の子供のようにゲームや漫画を買うこともできなかったゆえに娯楽はない。ある意味、料理が趣味といえるだろう。
静奈が喜んでくれるので、新しい料理を次々に覚えていった。
誕生日に、料理のレシピ本が欲しいと言ったら、結構高いモノを買ってくれた。
静奈が就職してからは、立派な包丁やフライパンなども揃えてくれたっけ。
「ん~。ポテトチップスを料理するのもなぁ……お!」
ふと、棚を覗き込むと、ようやく食品らしい食品を見つけた。
手に取ったのはカップラーメン。
日本の庶民ならば、およそ嫌いな人はいないであろう無敵の食料。
俺も、小学生の頃はお世話になった。ちょうど人数分あった。
俺は、ヤカンで湯を沸かしている間に。カップ麺のビニールを破く。
箸は使い慣れていないだろう。フォークを用意することにした。
沸騰したお湯を注いで、すわ出陣。事務所へと戻る。
「晴樹、食べれそうなものはあったか?」
「簡易食料を見つけた。これとブロッコリーぐらいしか食料はなかったが……ま、これひとつでも十分腹は膨れると思う」
「ところで……リュカなんだが、さっきからこの調子で……大丈夫なのか? 何があったんだ?」
先刻からずっと、空虚な表情を浮かべたままブツブツと独り言を言っているらしい。
詳しい理由を言えば、クラリティやチェルキーも暗黒面に落ちそうなので、黙っておこう。
「まあ、いろいろと……。……腹がいっぱいになれば、元に戻るだろうよ」
そう言いながら、俺はお盆のカップ麺をローテーブルへと並べた。
チェルキーが、くんくんと鼻を動かした。
「いい匂いがするんだよ!」
「……フフ。その中にはね、眠り薬が入ってるんですよ。私たちが眠ったあとに、回転しながら×××を剥き出しにし、××××を繰り出しながら跳躍するんです……ククッ」
「何を言ってるんだ? ほら、メシだぞ。さっきのポテチとやらも美味しかったし、このスープにも期待しよう」
カップ麺に手を伸ばすクラリティ。
「おっと、もう一分待ってくれ」
「……どうした? 冷めてしまうぞ?」
「これはカップラーメンという簡易食料なんだ。中には乾燥した麺が入っていて、お湯を入れて戻すんだよ。三分かかるんだ。個人的には、二分二十秒がベストだと思っているけどな」
「ほぉ~」と、感心するクラリティとチェルキー。
「……三分か……待ち遠しいな」
「いい匂いさせやがって、なんだよ」
「フフ……焦らしプレイですか……」
会話でもしながら待てばいいのだろうが、クラリティもチェルキーも興味津々のようだ。
カップ麺をじっと見つめて、残りの時間を待ちわびる。
「――っし、三分経ったぞ。さあ、食べてくれ」
カップ麺を掴む異世界人。蓋を開けて、フォークを突っ込んだ。
「美味しいんだよ!」
「まだ、食べてないだろ。それじゃあ、いただきます」と、クラリティ。
パスタのようにクルクルとフォークに絡め、口の中へと運んでいく。
クラリティは、もむもむと味わい、ごくりと飲み込んだ。
「う、美味い……」
言って、再び麺を頬張り始める。
「匂いを裏切らない味なんだよ。これなら、どれだけでも食べられるんだよ!」
「具も秀逸だな。特に、この謎の肉。肉汁の塊を食べているかのようだ」
「カップラーメンってのは、パスタみたいに巻くんじゃなくて、ズルズルと食べるもんだ。遠慮しなくていいぞ」
顔を見合わせるクラリティとチェルキー。
そして、本来の食べ方であるズルズル食いを始めた。
音を立てながら、大量の麺を一気に吸い上げていく。
俺も、いただくとしよう。
細い麺が、スパイシーな鶏ガラスープによく絡む。
口の中がジャンクな小麦気の味でいっぱいになった。
「――っ!」
さらにひとり。カップ麺の美味さを思い知った異世界人がいたようだ。
麺を口に入れるなり、自慢の犬耳がピンと立ち上がった。
「……凄く、美味しいです」
ようやく、もとのリュカに戻ったようだ。表情を綻ばせて、少しずつ麺を食べていく。
麺を食べ終わると今度はスープだ。
カップを口元に当てると、一気に傾けてゴクゴクと飲んでいく。
「ぷはっ。……現代の簡易食料とは凄いな。お湯を注ぐだけで完成するのだから」
「ズルいんだよ! 晴樹たちは、こんなに美味しいモノを毎日食べているんだよ!」
喜んでもらえてよかった。世界が違えば味覚も違うのではないかと心配していた。
「アルクリフに、ラーメンはないのか?」
「少なくとも、ガーバングラフにはないですねぇ……。麺類と言ったらパスタでしょうか」
イメージ的に、剣と魔法の世界といえば、中世のヨーロッパを思い浮かべる。
しかし、実際は、別の国どころか別の次元の世界。
彼女たちの世界でパスタが一般的ならば、ガーバングラフはイタリアに近い食生活を送っていることになる。
「レストランだと、オシャレでヘルシーな店が多いですね。盛りつけに関してガーバングラフは世界一だと自負しています」
「へえ、どうして?」
「女性のシェフが多いんですよ」
美への意識が強い女性だからこそ、料理の盛りつけ方を大事にする。
見た目の悪い料理は味も悪いと決めつけられる。腕がないと判断されてしまうらしい。
「リュカは、料理とかするのか?」
「軍人ですから、最低限の料理は学校で身につけますし、魔王討伐に出てからはサバイバル生活でしたからね。それなりにできますよ。さすがに盛りつけを意識して作るほどの腕はありませんけど」
異世界の料理か。凄く興味がある。食材なんかも、日本にはないモノがあるのだろうか。
「しかし……リュカ、この状況は危うくないか?」
クラリティは、神妙な顔つきでつぶやいた。
「どうしました?」
「おまえの結界は無敵だ。この人数でも籠城を可能にするだろう。しかし……食料が乏しい」
「ふむむ……言われてみれば……」
リュカも深く同調している。
「考えすぎだろ。俺たちは戦争しているわけじゃないんだから」
「わかってる。しかし、そういう楽観的な思考が、戦場では命取りになるんだよ」
いつから、駆府市は戦場になったのだろうか。
「本気で言っているのか?」
「……可能性はゼロではありません。交渉が折り合わなければ、状況が変わるまで籠城するという選択肢もあります」
空気がピリと張り詰める。世間話が、いつの間にか会議とかしていたようだ。
「そうなると、たしかにクラリティの言うとおり、食料に不安がありますね」
「ああ。というか、明日の朝ご飯も心配になる。ポテチが一袋あるだけなんだろう?」
「ブロッコリーもある……けど……」
言われてみれば朝食すら満足に摂れない状況か。
静奈がなんとかしてくれると思うが、リュカたちが安心できるのなら、他の階も見て回るのも悪くないかもしれない。どうせ暇だし。