龍人族の魔王が勇者に一目惚れしたので、人族の帝国と戦争をしちゃってもいいと思いました。
正義がいれば、悪もいる。
勇者がいれば、魔王がいる。
英雄がいれば、奸雄もいる。
賢王がいれば、愚王もいる。
剣術があれば、魔術もある。
人族もいれば、魔族もいる。
そんな世界の魔族の国、エルローレシアで新しい魔王の就任式が行われていた。
「あー、第一九八代魔王として就任しました、ヴァン・ヴァルディアと申します。若輩者ですがよろしくお願いいたします……」
多くの魔族の見守る中、ヴァンはめんどくさそうに頭を掻きながら宣言した。
見た目は眼鏡をかけたぼさぼさ頭のひょろっとした青年。
まだ一九八歳になったばかりの若い龍人族だ。
先代の一九七代魔王はヴァンの父だったが、勇者の相手で精神的に疲弊してしまい、つい先日引退してしまったのだ。
魔王は代々世襲制でヴァンの一族、ヴァルディア家から選出されることになっている。
先日、前魔王でありヴァンの父、ガミルナ・ヴァルディアは息子であるヴァンに本気で頭を下げていた。
それも、地面に擦りつけんばかりの勢いだった。
「ヴァン、本当にすまん。父さんはもう疲れた。何故我が家があの馬鹿どもの相手をする必要があるというのだ。こっちが下手に出て死なない程度に痛めつけて帰してやってるというのに、新しく沸いてきやがる。こっちだって斬られたら痛いんだよ。いくら死なないからって、痛みは感じるんだ」
「そうですよね。死んでしまった方が楽な痛みってありますよね。僕は経験したことないですけど」
「そうだよ。こっちが手加減しないと、あいつらあっさり死んじまうんだ。なのにあっちは手加減なしだ。これ見ろよヴァン。年取るとな、傷の治りも遅くなるんだ。それなのに連日勇者様が入れ代わり立ち代わり来やがる。生き地獄ってのはこういうことなんだな。爺さんもぼやいてた。あの言葉の意味がやっとわかったよ。だからヴァン。お前は好きにやって構わん。最悪、戦争になっちまってもいいんだ。そうなったとしても、どうせ負けやしないだろうからな」
体中包帯だらけで龍人なのかミイラ男なのか見分けがつかないヴァンの父。
研究職であったヴァンは、実家からの呼び出しに応じ、戻ってきて目を疑った。
父の姿をみたヴァンは、あまりにも不憫に思って仕方なく魔王を引き受けたのだ。
「この姿、母さんもさぞ嘆いていたでしょうね。そういえば、母さんの姿が見えないようですが?」
「実家に帰った。【今のあなたは、私が愛した人じゃないわ!】って書置き残してな……」
父の情けない声を聞いてヴァンは手を合わせて目を閉じ、こう言った。
「それはなんていうか、ご愁傷さまです」
「お前、何気に酷いこと言うな……」
ヴァンの父は龍人族の王族で伯爵家の出、母は龍人族の第一王女だった。
共に従姉弟の間柄だったので、昔から父は母に頭が上がらなかった。
龍人族はその昔、龍族と魔族が血縁を結んだことから始まったと言われる種族。
ヴァンたち龍人族の寿命は一万年とも言われている。
龍族は人化することは出来ないが、龍人族は龍化も人化も自在にできる。
普段の姿は肌の色が若干浅黒い人族にしか見えない。
それもそのはず、龍人族でも王族であるヴァンは黒龍の血を引いているからであった。
背中から羽を出して空を飛ぶこともできるのだが、普段は出すことはない。
他の人とすれ違うときに正直邪魔だからという単純な理由である。
ついでに羽を出すとバランスを取るのが難しくなるから、一緒に尻尾まで出さないと駄目だ。
余計に邪魔になるのだ。
だから滅多に出すことはない。
せいぜい年に一回あるかないかの頻度。
羽と尻尾だけ出す半龍化、二メートルから二十メートルのサイズを自在に変化できる龍化。
状況に合わせて変化させることができる。
研究職だったヴァンはここ十年羽すら出したことはなかったのだった。
人族が住む世界は魔獣の住む死の森を挟んで存在する。
魔獣といっても元々は魔族領から溢れる魔力にあてられた普通の動物だったりする。
良く太り、巨大化して人々や魔族の栄養源となるので重宝されている。
ただ、人々の間では、魔獣はひたすら強い。
鬼のように強い、と言われている。
魔族領に鬼族は実在するので、鬼族の人が聞いたら笑ってしまうのだが。
今週も死の森を通って新しい勇者がやってくる、はずだった。
先月の終わり頃、ガルミナが引退する前はさすがに手加減ができなくて、瀕死の状態で勇者らしき人族を返り討ちにしてしまったからだろう。
今月に入って、まだ勇者を名乗る人族が来ないのである。
魔王職になったとはいえ、普段通り自分の研究室に篭っていたヴァン。
ヴァンは人族の研究をしていた。
なぜ勇者が選出されるのか。
なぜ魔王に挑んでくるのか。
ヴァンは争い事が嫌いで温厚な性格。
魔王なんてなりたくはなかったのだ。
剣術が得意なわけではなく、魔術は困らない程度しか使えない。
使えないというのは勉強しなかっただけで、魔力も膨大な量を持っていた。
だから基本的な使い方を学びさえすれば、その膨大な魔力を制御することて大抵のことはできてしまう。
元々、龍人族は物理攻撃だけで他の種族を圧倒してしまうほどの力を持っているから必要がなかったのだ。
ぼうっと昔の勇者の資料を眺めていたとき、研究室のドアを叩く音がきっかけで、ヴァンの退屈な生活が一変することになる。
コンコン
「はい、開いてますよ」
「失礼いたします、坊ちゃま。勇者が現れたと報告がありました」
入ってきたのはヴァルディア家に仕える家令のバジェッタ。
ヴァンパイアの女性で、ヴァンが小さい時から面倒をみてくれている優しいひと。
いつ年齢を聞いても【十七歳ですが、なにか?】とちょっと怖い視線で笑顔を向けてくる。
確かに見た目は若くて綺麗な女性なのだが、ヴァンが知っている限り一九〇年は変わっていない。
小さい時のヴァンが悪戯をして叱られたとき、慈愛に満ちた笑顔で腫れあがるまでお尻を叩かれた記憶から逆らわないようにしていた女性の一人だった。
「う、うん。どこにいるのその人?」
「はい。国境の森から出たところで発見したとの報告でした」
「じゃ、ちょっと行ってくるね。あー、めんどくさい。我こそは魔王なり。だっけ。形式ばったくだらない自己紹介してる間に攻撃してくるんだったよね。適当に痛めつけて帰ってもらうのが通例だったよね。あー、めんどくさい……」
「はい、それが魔王様のお仕事ですので。いってらっしゃいませ、坊ちゃま」
ヴァンは王城を出て、軽く屈伸運動をする。
しばらく研究室を出ることがなかったせいか、ちょっと鈍っている感じがした。
厩舎へ顔を出すとそこにはヴァンのペット兼愛馬でナイトメアの牝馬がいた。
ヴァンを見つけると近づいて頭を擦り付けてくる。
「よしよし。メアリール、最近遊んであげられなくてごめんね。悪いけど国境まで乗せていってくれるかな?」
ヴァルの頭をかぷっとかじってくる。
甘噛みにしてもちょっと痛い。
しばらく構ってあげられなかったから、甘んじて攻撃を受けることにした。
メアリールに乗って城下町を抜けようとすると、町往く人々が手を振ってくれる。
「お勤めご苦労様です。魔王坊ちゃまー」
「坊ちゃまー、がんばってー」
威厳も何もあったもんじゃない、実に言われたい放題だった。
小一時間ほど進んでいくと、人族との国境の森が見えてくる。
人族が死の森と場所だった。
遠くに人影が見えてくる。
深くローブを被った小柄な人族。
腰にエストックと呼ばれる細身の剣を下げた姿が確認できる。
おそらく聖剣か魔剣なのだろう。
国境の森を一人で超えてくるくらいだ。
それなりの剣の腕前と、強力な剣がないと無理なはず。
メアリールの首をぽんぽんと叩いて歩みを止めてもらう。
およそ五十メートルくらいの距離をおいて、メアリールから降りる。
頭をぽりぽりと掻きながらヴァンはめんどくさそうに口上を切り始める。
「やーやーわれこそは、ひゃくきゅうじゅうはちだいまおうであるぞー」
明らかなやる気の感じられない棒読みのセリフ。
「ゆーしゃだかなんだかしらんが、かかってくるといい。ひまつぶしに、あそんでやろうぞー」
様子がおかしい。
口上を終える前に突っ込んでこなかった。
父に聞いていた勇者と違うような感じがする。
「……な」
「な?」
「なんてやる気のない魔王なのよー! 人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」
目の前の若い女性は怒っているようだった。
「どうせ下っ端を差し向けてきたんだわ。こんなところで時間をかけてるわけにはいかないのよ!」
その女性は腰から剣を抜き、五〇メートルもある距離を走り込んで一気に詰めてきた。
その切っ先はヴァンの心臓のあたりを的確に突いてくる。
エストックであれば、有効な攻撃方法だった。
「……なんかすみません」
左手後頭部を掻きながらヴァンは小声で一言謝った。
剣先がヴァンの心臓を貫こうとした瞬間、その切っ先を右手の親指と人差し指で摘まんで止めてしまう。
「えっ、うそっ」
渾身の一撃だったのだろうが、あっさり止められてしまった。
その気まずい雰囲気に、ヴァンはひとつ咳ばらいをしてセリフを続ける。
「こほん。あー。どうしたー? それだけかー?」
相変わらず棒読みなヴァン。
その女性は力の限りヴァンの指から振りほどこうとしている。
いくら左右に振ろうとも、押してみようともびくともしない。
今度は地面に足を思い切り踏ん張って剣を引っ張ろうとしたとき、ヴァンは指先を離した。
その女性は地面を蹴った勢いで後ろに転がっていく。
一回、二回。
三回転しようとしたとき、やっと勢いが収まって両足を上げて止まった。
力なく下りてきた足が地面についたとき、ヴァンは思わず目を背けてしまう。
そう、その女性の下着が丸見えだったからだ。
「うわ、やべっ」
仕方なく近づいて、衣装として着けていたマントを外すとその女性の下半身にかけてあげる優しいヴァン。
相手は声からして若い女性だと思っていた。
倒れた拍子に頭を覆っていたローブがめくれてその女性の顔が露になっている。
泥などで汚れているが年若い少女のように見える。
顔のあちこちにある、魔獣から受けただろう小傷が痛々しく思えた。
彼女の額に手を当てたヴァンは。
「えっと、どうだったっけ。えー、万物に宿るマナよ、癒しの光をここに。だっけか」
ぽうっとヴァンが手のひらを当てている部分が光り始める。
「お、発動したっぽい。めんどくさい、ここは一気に。よっと」
ヴァンは少し強めに魔力を開放する。
すると、彼女の身体全体を薄く強い光が覆っていく。
その光が収束する頃には、彼女の顔の傷も癒えていった。
「よし、こんなもんかな」
そのとき、ヴァンの服の裾を引っ張られる感触があった。
くいくい
「ん? あ、メアリールどうした?」
メアリールは服を離すと、腰にある水筒をつんつんとつついてくる。
「あ、この水で顔を拭いてやれと?」
軽く頭を上下させるとヴァンに頭を擦り付けてきた。
「メアリールも女の子だから気付いたんだね。ずぼらな僕じゃ気付かなかったよ……」
ヴァンがその場に座り込むと、その女の子に膝枕をするように頭を乗せる。
メアリールもヴァンの側に身体を伏せるようにしゃがんだ。
水筒の水で手ぬぐいを濡らすと、その女の子の顔を優しく拭いてあげた。
するとどうだろう、泥で隠れていた顔が元の姿を現していく。
「うわ、なんだこの子。とんでもなく可愛い……」
メアリールはヴァンの話が解るのだろうか。
ヴァンの頭に噛みついてくる。
「いてててて。わかった、メアリールも可愛いって。うん」
損ねた機嫌が戻ったのか、噛みつくのをやめて甘噛みし始める。
「それでも痛いんだけど、ま、いいか」
その少女の顔をぼーっと眺めているヴァン。
口に出して感想を言うとメアリールにかじられるから言わないが。
ヴァンのストライクゾーンど真ん中だった。
同族の女性に何度も告白されていたヴァンだったが、魔王の嫡子という肩書に寄ってくる女性が多かったように思えて、縁談などは断り続けていたのだった。
火龍族、水龍族、地龍族など他種族に渡る名家の女性ばかりだったが、同じ龍族の女性にはあまり興味がなかった。
何故かって。
ヴァンは身長が低いのだ。
龍人族の成長期は三〇〇歳まであるようだが、一六五しかないヴァルより皆身長が高かった。
龍化すればサイズはあまり気にならないのだろうが、普段は人化して過ごしている。
自分より身長の高い女性、魔族領の女性たちには踵の高い靴が流行している。
だから余計、自分より大きい女性ばかりに思えるのだ。
この子は見た感じ一五〇はないだろう。
それにこの可愛らしさ。
細くきめの細かい柔らかそうな栗色の髪の毛。
身長が低いのに、鉄製の胸当てが沈むくらいの大きな胸。
細くて折れてしまいそうな腰回り。
すらりと伸びた綺麗な足。
ヴァルはその少女に目を奪われてしまっていたのだった。
どれくらいの時間が経っただろう。
ヴァンは愛おしそうに彼女の栗色の髪を撫でていた。
「……んっ。はぁっ、なんか気持ちいい。お母さん、もう少しだけ寝させて……」
自分の頭を撫でていたヴァンの手を握って頬ずりしながらそう言った。
「あの。僕は君のお母さんじゃないんだけどな」
「……えっ?」
その少女の目がぱちっと開いた。
少女の視線の先には、穏やかに微笑むヴァンの顔があった。
「えっ? わたし、何してるのかしら? あなた、どこかで見たような……」
「初めまして、僕の名前はヴァン。先日就任したばかりの魔王なんだけどね」
「魔王? あっ」
ようやく状況が飲み込めたのだろう。
慌てて身体を起してヴァンから距離を置いた少女。
「あ、あ、あ、あなた! な、なにもしなかったでしょうね?」
「うーん。あちこち傷だらけだったから治療はしちゃったけど、迷惑だった?」
「えっ? あれ? 身体が軽い。腕にあった傷もなくなってる。どういうこと?」
彼女は服の裾をめくって自分のお腹を見た。
白くて綺麗な滑らかな肌だった。
「ちょっと、女の子ならもう少し恥じらいをだね」
顔を赤くしてヴァンは後ろを向いた。
「あれ? 古傷が消えてる。お医者さまも傷だけは残るって言ってて諦めてたのに。あなた鏡もってない?」
「確か、あったあった。はい、これでいいかな?」
後ろ向きのまま、手鏡を彼女に差し出す。
「ちょっと借りるわね。あっ、顔の傷も全部なくなってる。どうして?」
「よくわかんないけど、一気に治しちゃったから。それとメアリールが顔を拭いてあげろっていってたから、泥で汚れてたのを拭ったけど」
「メアリールって?」
「そこにいる、ナイトメアの女の子だよ。小さい時から一緒でね」
ヴァンが指さした先にいたのは、漆黒の皮膚をもつ優しい目をした牝馬だった。
「な、ナイトメアっていったら、魔獣じゃないのよ!」
「そうだよ。小さい時から育ててるから、気の優しいいい子だよ。たまに頭をかじってくるけど」
余計なことを言わないの、と言わんばかりにヴァンの頭をかじっている。
「いたたた、こんな感じにね」
「あ、もうこっち向いていいわよ」
「うん、助かる」
ヴァンは彼女の方を向いた。
未だに頭をかじられているヴァンを見て毒気が抜かれてしまったのだろう。
「ふふふ、あはははは。何よそれ。魔王なのに、なんでそんなに優しく笑えるのよ?」
「うーん、多分、争い事に興味がないからじゃないかな。今回はお勤めだから仕方なく来たけど」
「お勤め?」
「うん。勇者を名乗る人が来たらちょっと痛い思いをしてもらって追い払うのが魔王の役割みたいなんだよね。僕の父も体中ボロボロになりながら責務を果たしててね、先日引退したから仕方なく僕が就任したんだ」
そう言いながらヴァンはメアリールに着けてもらっていた鞄からカップを二つ出して、水筒に入っていたお茶を入れて彼女に渡した。
自分のカップに入ったお茶を少し飲んでから、笑顔で勧める。
「ほら、毒なんて入ってないから飲んだらいいよ」
そう言って布製の敷布を敷いたヴァン。
鞄から少し大きめの器を出して水を入れてメアリールの目の前に置く。
メアリールはヴァンに頭を擦り付けると、嬉しそうに水を飲み始めた。
「よっと。立ってないで座ったら? それともまだ続ける?」
敷布の上に座って、預かっていたエストックを前に差し出すヴァン。
「どうせ敵わないんだからもういいわ。お茶いただきます」
エストックの横に座ってカップを口に運ぶ。
しばらく水分も摂っていなかったのだろう。
喉を鳴らして一気に飲んでしまう彼女。
「ぷぁ。何これ美味しい」
「うんうん。美味しいんだこのお茶。おかわりいる?」
「……いただきます」
両手でカップを前に出す彼女。
ヴァンは並々注いであげた。
「ところで、僕はさっき名乗ったんだけど、あなたは何て呼べばいいんだろう?」
「あ、ごめんなさい。わたし、バネッタ・ローリエンスと言います。今年勇者になったばかりなんです」
「これはご丁寧に。改めまして、僕はヴァン・ヴァルディアです。一応魔王してます」
「変なの。魔王って感じじゃないわね」
「そりゃそうだよ。僕は元々人族の風習、風俗、習慣などを研究してたんですから」
「それってどんな?」
「そうだね。なぜ勇者が存在するのか、なぜ魔王に挑んでくるのか。勝てないのに毎週挑んでくるって父さんやお爺さんからも聞いてたからね。母さんは興味なさそうだったけど」
「そう……」
何か思うことがあったのだろう。
バネッタは頭を少し項垂れるように落としてしまう。
そんなとき。
きゅるるるる
「あっ。うそ。恥ずかしい。聞こえちゃった?」
「ちょっと待ってて」
ヴァンは人参に似た野菜と布に包まれた四角いものを鞄から出した。
「こっちはメアリールね」
メアリールは前足の上に器用に野菜を乗せて食べ始めた。
「これ、うちの人が持たせてくれたパウンドケーキだけどどうぞ」
皿を二つ出して、布からパウンドケーキを出すと薄くナイフで切り分けた。
皿にフォークを添えてバネッタに勧める。
「あ、ありがとう。いいの?」
「うん。おやつみたいなものだから。小腹が空いたら食べようと思ってたんだ」
「じゃ、遠慮なくいただきます。あむ、むぐむぐ。わ、美味しい……」
「よかった、作ってくれたバジェッタも喜ぶよ」
「バジェッタ、さんって?」
「うん。僕が小さいころから面倒を見てくれてるうちの家令の女性だよ」
「へぇ。本当に王子様みたいなんだ。ヴァンさんって」
「ヴァンでいいよ。バネッタさん」
「わたしもバネッタでいいわ」
「うん。じゃ、バネッタ、さん。うわ、恥ずかしいな、これ……」
「何で?」
「だって、女の子、呼び捨てにするのなんて慣れてないから」
「あははは、変な魔王様ね」
「変なは余計だよ」
お茶とパウンドケーキで落ち着いたのだろう。
ぽつりぽつりと話を始めたバネッタ。
「あのね。死の森を挟んでね、そこには帝国があって、強い影響力と戦力を持っているのよ」
「うん」
「わたしの国なんか、小さくて帝国に見放されたら生きていけないくらいなの。だから皇帝から勅命が出てるの。強い魔剣を打て、その魔剣で魔王を倒してこちらの資源を手に入れろってね」
「うーん。バネッタさんが死の森っていってるところ、僕たちは国境の森って呼んでるんだけど、そこにいる魔獣化した動物を狩るだけで十分な資源にならないのかな?」
「そうね。確かに一頭倒すだけで何人も食べていけるだけのお金になるわね。でも、それだけじゃ国は維持できないのよ。わたしの国はね、武器を打って産業品として交易をしているの。帝国に属しているそんな国は七つあるわ。どこの国も同じ勅命を受けて勇者を排出して魔王に挑んでるのね。どこまで手傷を負わせたか、魔法でわかるみたいなの。それでその年に帝国に買い上げてもらえる金額や、納税する金額が上下するみたいなのね」
「そりゃまた、ややこしいことになってるんだな……」
「魔王を倒せるまでの魔剣が出来たことなんてないのよ。倒せないことも皆わかってるの。でもそうしないと、国の人々が困ってしまう。わたしも国王からくれぐれも頑張るように言われて出てきたのよ」
バネッタの話をまとめると、皇帝がこの魔族領を欲しがっている。
でも、魔王を倒せる魔剣が生み出せない。
そういうことなんだろうとヴァンは思った。
「んー。それさ、なんで帝国じゃないと駄目なんだろう」
「えっ?」
「だってもしさ、魔王にバネッタさんが殺されちゃっても何の保証もないんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「帝国が攻めてきたって話も父さんから聞いてないし。あ、先代の魔王ね」
「そうね。魔獣の討伐も数が物凄いから難しいと思うわ。わたしだって適当にいなして逃げながら死の森を抜けてきたんだもの」
「それで傷だらけだったんだ」
「そう。それにね、魔剣って魔剣を元の金塊に変えないと打ち直せないのよ」
「へぇ。そうだったんだ。んー、あ、そうだ。いい考えがある」
「いい考えって?」
「うん。バネッタの国とうちの国で交易結ばない? この魔族領には鉱石が取れる山が少なくてね、農機具を作るのも結構大変なんだよね。全ての種族が魔法を使えるわけじゃないし。そうだよ、うちと国交結んじゃえばいいんじゃないかな。父さんも好きにやれって言ってたし、最悪戦争になってもいいからって」
「戦争って、帝国と?」
「うん。多分負けることはないんじゃないかな。僕一人じゃきついかもだけどね」
「なんでそこまでしてくれるの?」
「うん、正直に言うけど。バネッタに一目惚れしたから、じゃ駄目かな?」
「えっ? わたし、人間じゃないのよ? 魔族でもないし」
栗色の髪をかきわけると、そこには長い耳が鎮座していた。
「あ、もしかして、エルフ?」
「うん、帝国では亜人って言われて蔑まれているわ。国として一番扱いが酷いのよ。それにね、ヴァンから見たら、わたしお婆さんなのよ。今年で一五〇歳になるし……」
「あ、それ大丈夫。僕、今年で一九八歳だし」
「えっ?」
「僕は人間に見えるかもしれないけど、一応龍人族なんだ。寿命は数千年って言われてるからまだまだ子供みたいなものだけどね」
「うそ、わたしより年上だったの?」
ヴァンの見た目は、バネッタには人間の青年くらいに見えたのだろう。
「うん、だから仲良くしてくれると嬉しいんだよね。僕より背の低い女性は初めてだし」
「う、うん。わたしでよかったらお友達になってくれると、嬉しいかも。よく見るとヴァンって可愛らしいし……」
「うーん、可愛いって言われても困っちゃうんだけどね。じゃ今日から僕たちは友達ってことでいいね。友達が苦しんでいたら助けるのは当たり前だし」
「いいの?」
「うん、じゃ僕の家に遊びに来るといいよ。父さんと母さんにも相談しないと駄目だし。あ、母さん戻ってるかな? 父さんと喧嘩して出て行っちゃったみたいだからなー」
「くすくす、変なご家族ね」
「父さんがだらしないから、怒っちゃったみたいなんだよね」
ヴァンは片づけを終えるとメアリールを立たせてご機嫌を伺う。
「メアリール、バネッタは僕の友達になったから、乗せてもいいよね?」
メアリールはヴァンの顔に擦り寄ってくる。
「うん、いいみたいだね」
「メアリール、わたしからもよろしくね」
綺麗な黒い鬣を撫でるバネッタ。
気分良く喉を鳴らしたメアリール。
ヴァンはバネッタに手を差し伸べる。
「はい、先に乗って」
「う、うん」
バネッタを抱えるように後ろから乗り込んだヴァン。
ちょっと手綱が遠い感じがしたけど、構わずメアリールを立たせた。
「じゃ、戻ろうか」
メアリールの首を撫でるヴァン。
徐々に加速していくメアリール。
「わっ、凄いわね。馬は乗ったことあるけど、こんなに優しく走ってくれるのね」
「うん。この子はいい子なんだ。僕のことを第一に考えて走ってくれるんだよね」
「羨ましい、わたしもこんな子が欲しいわ」
「うちにこの子の妹がいるから会ってみる?」
「いいの?」
「うん、友達だから紹介するよ。メアリールもいいよね?」
メアリールは嬉しそうに喉を鳴らした。
魔族領を二人を乗せて疾走するメアリール。
ヴァンはこの後どうしたいのか。
バネッタは国に戻ってどういう報告をするのか。
初めてできた女の子の友達。
魔王をしててよかったと思ったヴァンだった。