朱雀と呼ばれる男 1
ノアという新たな同行者を連れて、蓮姫達は未だ薄暗い森の中を歩いていた。
ノアが同行して半日過ぎるが……
「………どう?ジーン」
蓮姫に尋ねられたユージーンは、周りをゆっくりと、静かに、射るような目付きで眺めていく。
「……………。やはり人の気配はありません。気配も視線も動物のものばかり……刺客はいないようです」
ロゼリアを出てから昨日まで、連日襲ってきた刺客。
それも一日のうちに何度もだ。
蓮姫とユージーンは何度も食事や睡眠を邪魔された。
しかし、昨夜の襲撃を最後に刺客達は現れない。
蓮姫もユージーンも警戒しながら進むが、二人以外の人間は近くにはいないようだ。
「本当に?誰もいないの?」
「本当の本当ですよ。殺気どころか人の気配が感じられません。現にノアだって落ち着いてるじゃありませんか」
ユージーンはそう言って、蓮姫の足元にいるノアを見る。
ノアは体をん~、と伸ばすとペロペロと前足を舐めた。
「ノアはサタナガットです。俺達人間は勿論のこと他の獣より気配には敏感。その上つい昨晩に刺客によって母親を殺されているんですよ?俺達以外の人間が近くに居れば、過剰に反応するはずです。なのにこれだけリラックスしてるのは、近くに刺客がいない証拠でしょう」
「言ってる事も刺客がいないっていうのもわかった。でも……なんで急に?」
「そんなの俺に聞かれても困りますよ。姫様のご存知の通り、俺は姫様を護る立場であって、殺す立場じゃありませんから」
ユージーンは軽く嫌味で返すが、刺客の件には彼も疑問に思っていた。
自分の身体には、まだまだ通用する毒が何種類もある事を彼等にバレている。
それなのに、誰一人襲って来ないのは何故か…と。
ユージーンがこれだけ疑問を持ち続け、警戒を怠らないのにはもう一つ理由があった。
今までユージーンは、襲って来た刺客を全て殺している。
しかし、昨夜は違う。
少なくとも…一人、確実に仕留め損なっていたからだ。
自分達に向けられた、あの高度な炎術。
ユージーンも魔術を多少なりと使えた。
だから、魔力を持っている者はわかる。
理屈ではない。
感覚的に、本能的に、自分と同じだと感じるのだ。
しかし、昨夜殺した刺客達の中には、誰一人その感覚を覚える者はいはかった。
(あれだけの炎術を使える奴……相当な手練だ。殺傷能力の高い、高度な炎術なら森の中で使える。森ごと俺や姫様を燃やしちまえばいいし、術者はソレを跳ね返されたりしない限り平気だ。…なのに襲って来ない?仲間でも待ってんのか?もしくは呼びに戻った?仲間呼ぶより自分でやった方が早いのに?そもそも仲間呼んじまったら手柄を独り占め出来ねぇし、その間に俺達が森を抜ける可能性もある。なのに襲って来ない……意味がわかんねぇな)
ユージーンは一人で考えを巡らせた。
が、答えが出るはずもない。
代わりに彼が思いついたのは……
「姫様、提案があります。聞いて頂けます?」
「提案?聞くけど……どうしたの?」
「刺客がいないってのは好都合ですが、いつまでもちんたら森の中を歩き回ってる訳にもいきません。早急にこの森を抜けましょう」
「それは……構わないけど、この森あとどれくらい歩けば抜けれるかわかる?」
蓮姫は不安そうな顔で木々を眺める。
約1日、森の中を歩いて来たが、その終わりはまだまだ見えず、延々と木が続くのみ。
刺客達に襲われた時や、ユージーンがノアから逃げる時に無茶苦茶に通ったせいで、街道すら見当たらない。
(一体……どこまで森は続くの?どれだけ歩けば抜けれるんだろう?)
疲労と不安が溜まっている蓮姫に、ユージーンがとどめを刺す。
「そうですねぇ……まぁ、あと数キロ…10キロは無い……とは思いますけど」
「じゅっ!?ま、まだそんなにあるの!?」
「いえ、単なる憶測です。若干俺の希望もプラスされてますけどね」
ケラケラと笑いながら話すユージーンだが、蓮姫はガックリと肩を落とした。
早急に抜ける…というユージーンの提案は受けるべきだし、その方がいいと蓮姫も思う。
しかし、ただでさえ歩き続け疲労の貯まっている若い女の身体に鞭打ち、約10キロを走れというのは酷だ。
「……姫様。心配しなくとも大丈夫ですよ。姫様にはいつだって、俺がついてるじゃありませんか」
項垂れる蓮姫の肩をポン、と叩きユージーンは彼女に声をかけた。
それもとびっきりの笑顔で。
「…ジーン……もしかして、私を抱えて走ってくれるの?」
蓮姫は期待の眼差しをユージーンへと向ける。
昨夜散々、腹に肩を打ち込まれ痛い思いをした蓮姫だが、抱き抱えられるならばその心配も無用。
ずるいとも思ったが蓮姫も疲れている。
が、ユージーンから出た言葉は蓮姫の欲しかった言葉とは違った。
「え?俺が姫様をですか?非常時ならともかく、姫様を抱えて走るとか…重いし疲れるんで丁重にお断りしますよ」
「よし。蹴る」
蓮姫が額に青筋を浮かべながら蹴りの体勢に入るが、逆にユージーンは両手を前に突き出し、待ったの体勢に入った。
その姿と逆にユージーンは全く焦っていないが。
そんな二人の側でノアールは地面に身体を伸ばし、いつの間にか眠っている。
「まぁ、待って下さい。姫様を抱えたくないって言ってんじゃないんですよ、俺は。抱えて走るのが疲れるってだけで、俺としては姫様を抱えるのは問題無い、むしろ大歓迎です」
「ジーン。あと10秒以内に本題を言わないと、ビンタも追加するよ」
蓮姫は右手を高く上げると、ニッコリと笑う。
しかしその目はガチだ。
ユージーンは冷や汗をかきながら、ふざけずに簡潔に本題を口にした。
「姫様も俺も疲れない方法があります。俺達は走らなくていい……乗ればいいんですから」
そう言ってユージーンは、スヤスヤと眠るノアールをチラリと見る。
その視線で、蓮姫もユージーンの意図を理解した。
「……まさか…ノアに乗るの?」
「えぇ。デカくなれば俺と姫様の二人くらい乗る事は出来ますし、本当に10キロ程なら仔猫…いえ仔サタナガットでも人間二人乗せて走る事は可能ですから」
「確かにそれは私もジーンも楽だけど……ノアが大変じゃない。自分より大きな生き物乗せて走るなんて…かわいそうだよ」
蓮姫はノアの身体を軽く撫でてやりながら呟いた。
この小さく愛らしい仔猫。
いくら巨大化出来て凶暴で魔王と呼ばれる魔獣といえど、蓮姫にとっては可愛い飼い猫のようなものだ。
後ろにいる魔王と呼ばれた男には、自分を抱えて10キロだろうと50キロだろうと走ってもらっても、罪悪感は感じない。
だが、蓮姫にとってそう思える対象はユージーンのみ。
彼に対して罪悪感は感じなくとも、他の者達に対しては違う。
むしろ蓮姫は相手を気遣う性格だ。
ユージーンの提案は名案だが、蓮姫にはノアの負担になるくらいならば、自分で歩いた方がいいだろうと思った。
「姫様。何を考えてらっしゃるのか簡単に想像出来るので、あえて言わせてもらいますよ。姫たるもの、他者を上手く使う事も重要です」
「それは……わかるけど…」
「ノアは姫様に懐いてます。サタナガットは警戒心が強いですが、姫様を背中に乗せる事には抵抗無いでしょう。使える物は人だろうと魔獣だろうと使って下さい。……俺のように」
静かに告げるユージーンに、蓮姫はノアを抱き上げ、ハァ…と息を吐きながら首を縦に振った。
姫といえど、他人を物のように扱うのにはまだまだ慣れそうにない。
自分の腕の中で軽く身じろぐノアールを見ながら、ごめんね、と心の中で蓮姫は謝った。
いずれ蓮姫も、ユージーン以外のヴァルや部下を持つだろう。
彼だけに負担を追わせるわけにはいかない。
ユージーン以外の者にも、日常的に命令する日々がくる。
だが、今はまだ……。
「わかったよ、ジーン。ノアに乗って森を抜ける。ただし、ノアも疲れてるから1時間休憩しよう。森を抜けるのはそれから」
「姫様の仰せのままに」
蓮姫らしい言葉に、ユージーンはクスリと笑いながら胸に手を当てて彼女へと頭を下げる。
「ノアも疲れてるかもしれませんが、それは姫様もでしょう?軽く食事をしてから出発。それでよろしいですね」
「うん。ありがと」
「いえいえ。姫様の仰せとあらば、このユージーンなんなりと」
ユージーンは顔だけ上げると、蓮姫へとウィンクして答えた。
「……いい歳してウィンクとか寒いよ。八百歳超え」
「姫様もまだまだですねぇ。いい男に年齢は関係ありません。つーか俺はダメでホームズ子爵みたいな爺さんはいいんですか?」
「私の中でジーンはいい男にランキングされてないからいいの。ちなみにホームズ子爵は入ってます。じゃあ焚き火よろしく。私は果物剥いてるからね」
蓮姫は片手でノアを抱いたまま地面に座り込むと、ノアを膝に乗せて荷物の中にあった果物の皮をナイフで剥いてく。
「………俺が爺さんに負けた?……俺に精神的ショックを与えるとは…流石ですね、姫様」
ユージーンはピクピクと口角を痙攣させながら苦笑する。
余程ショック……いや、心外だったらしい。
「姫様、寒くはないですか?」
「平気。ジーンも食べたら」
焚き火を挟みながら蓮姫とユージーンは、地面に座って食事を摂っている。
メニューは森の木になっていた果物と、ユージーンが捕まえた魚だ。
薪を探す時たまたま見つけた小川で、魚だけでなく、しっかりと二人と一匹分の水も確保している。
蓮姫は焚き火で焼かれた魚を手でほぐし、ノアールへと食べさせている。
「えぇ。遠慮せず食べますが、ノアばかりでなく姫様も食べて下さい。食事の後に軽く休んだら出発しますよ」
「うん。はい、ノア。いっぱい食べて力をつけてね」
蓮姫の手からバクバクと旺盛に魚を食べるノアだが、その動きがピクリと止まる。
蓮姫はノアが腹を満たしたと思い、自分も魚を食べるが……どうもノアの様子がおかしい。
ただ蓮姫の奥にある森を見つめていた。
「………ノア?どうしたの?」
「姫様?」
ノアと蓮姫の様子に、ユージーンも周りの気配を探った。
が、やはり人の気配は無い。
そうでなくては、呑気に食事など出来ないし、刺客が近くにいないのはユージーンが何度も確認した。
ユージーンは食べ掛けだった魚を口の中に押し込むと、立ち上がり目を凝らして耳も澄ました。
それでも、人の気配も殺気も感じはしない。
彼は常に警戒していたが、改めて意識をノアの視線の先に集中させてる。
それでも結果は変わらない。
ただ、視線の先には一つの気配を感じた。
動物一匹分の気配。
それも徐々にだが近づいている。
「姫様、一応俺の後ろに来て下さい」
「……また刺客?」
「いえ、人ではないです。ただの獣…いえ、恐らく魔獣ですね」
「もしかして……ノアの仲間?」
蓮姫はノアを抱えてユージーンの後ろへ回り込んだ。
蓮姫は別のサタナガットが近づいているのかと思ったが、その考えは首を横に振るユージーンに否定される。
「確かに…サタナガットは仲間意識の強い魔獣ですが、この獣は違いますね。巨大化したノアよりは小さい……犬程の大きさの魔獣です」
「犬?火を焚いてるのにどうして?それにサタナガットは強い魔獣なんでしょ?普通の獣なら自分より強い獣に近づいたりしないはずなのに…」
「ですから、獣の気持ちなんて俺にはわかりませんし興味もありません。ですが……近づいているのは事実です」
ユージーンの言葉に蓮姫が耳を澄ませると、小さな足音が聞こえた。
その足音は段々と大きくなり自分達に近づいてるのがわかる。
ノアは唸りもせずに、ただ目の前の暗闇を見つめていた。
ノアが威嚇をしたり、怯えたりしていないのならば、確かに相手の魔獣はサタナガットよりも格下だろう。
足音が大きくなり、蓮姫はノアを片手で抱きなおすと空いた片手でナイフを構えた。
森の奥から現れたのは………。