弐の姫と仔猫 7
サタナガットを埋葬した後、蓮姫は墓の前にしゃがみこみ手を合わせた。
ユージーンはそんな彼女の後ろに控えている。
蓮姫が立ち上がり振り返ると同時に、ユージーンは彼女に跪いた。
「……ジーン?」
「姫様。どうか俺に罰を与えて下さい」
「え?」
頭を上げずに告げるユージーンに、蓮姫は困惑した。
何故いきなりそんな話になるのか?と。
「俺は姫様に罵声を浴びせるだけでなく、手も上げました。姫様に逆らい、口答えするだけでも罪深いのに、殴り飛ばしたんですよ。ヴァルとして……姫様に仕える者として、許される事ではありません」
『どうぞ罰を…』と項垂れるユージーンに対し、蓮姫は悩んだ。
「………罰…」
「えぇ。どうぞ煮るなり焼くなり、殴るなり蹴り飛ばしたり罵声浴びせまくったり殺すなり、なんなりと」
(それいつもと何も変わんないじゃない。こう改めて考えると……ジーンにこれ以上の罰って何があるの?)
蓮姫は場違いにも、今迄自分がユージーンにした仕打ちを思い出していた。
確かに、一通りの事はやってしまっている。
もし彼女が本当のお嬢様やお姫様ならば、平手一発くらいで済んだのだたろうが……。
長く悩んだ末、蓮姫は一つの結論を出した。
「…………保留」
「………は?今なんておっしゃいました?」
「だから保留。罰を与えないって選択肢もあるんだけど……それじゃジーンは納得しないでしょ?」
「しませんね。そもそも姫様は人の上に立つ女王となるべき御方なんですよ。そんな簡単に他人を許したりしてはいけません。罪のある者、姫様に害を及ぼした者、反旗を翻した者は断罪すべきです」
蓮姫の予想外の発言に、彼は顔を上げて蓮姫を嗜めた。
ユージーンの言葉の意味も蓮姫には分かる。
しかし蓮姫は殴られただけで、相手を厳しく罰しようとは思わない。
何より、ユージーン相手に何をどうすれば罰になるのか皆目見当もつかない。
「ジーンの言いたい事も、姫として時には罰を与えなきゃいけないのもわかる。でも今、ジーンを罰するつもりはないから。内容も思いつかないし……だから保留にしておく」
「そんな悠長なこと言ってられるのは俺に対してだけですよ。罰が決まるまでの間、罪人が逃げ出すことだってあるんですから」
「罪人って………そもそも、なんでそんなに罰を与えてもらいたいの?ジーンってやっぱり」
「姫様。違いますからね。俺はあくまでノーマルですからね」
蓮姫は若干引き気味にユージーンを見た。
彼女の次の言葉が安易に予想できたユージーンは、すかさずその考えを否定する。
(主に変態のレッテル貼られるわけにゃいかねぇよ!そもそも!俺が殴られても蹴られても抵抗しねぇのは姫様だけ!姫様限定!!)
ユージーンは内心焦りながら、心中のみで呟いた。
「まったく…アホな事言ってないで先を急ぎましょう」
ため息を吐きながら告げるユージーンに、蓮姫は口を尖らせる。
「先に話を振ったのはジーンの方じゃない」
「姫様が墓に囲まれて寝たいのでしたら、俺は喜んで置いていきますよ。そもそも、サタナガットだけならまだしも、なんで刺客達の分まで作ったんです?」
「いや、だってさ…死体の周りにお墓って…それはそれで怖くない?」
「あ、そういう理由ですか」
つい先程まで殴り合いの喧嘩をしたとは思えない、和やかな会話をする2人。
だが、蓮姫とユージーンにとってこの空気こそが落ち着けるものだった。
「てっきり『かわいそう』だの『刺客達も大切な命を失った』だの、ふざけた偽善者宣言するかと思ったんですが…予想が外れて何よりです」
「ホント、ジーンってムカつく。さてと……行こう」
「はい。姫様の仰せのままに」
ユージーンは胸に手を当て、蓮姫に向かって深く腰を折る。
蓮姫はパンパンッ!と土のついた両手を払いながら、ユージーンへと背を向け歩き出す。
ユージーンはヴァルらしい所作に何もコメントを貰えず『あれ?放置プレイもお好きですか』と余計な一言を言ってから、彼女の後を追った。
が、そんな二人の耳に小さな足音が聞こえる。
二人同時に振り向くと、そこにはあの仔猫がいた。
「???どうしたのかな?」
「さぁ?畜生の気持ちなんて俺には皆目見当もつきませんので。姫様が目障りなら」
「それ以上言ったらぶん殴る」
ユージーンが危険な発言を口にする前に、蓮姫はギロリ!と彼を睨みつけると仔猫へと近づく。
「どうしたの?」
「姫様。サタナガットは人の言葉を学習して理解する事は出来ますけど、俺達はどうやってもソレの言ってる事なんてわかりませんからね」
「うるさい」
仔猫は二人を見つめながら『うにゃうにゃ』と鳴いている。
当然、この仔猫…仔サタナガットが何を言いたいのかなど二人にわかるわけもない。
「姫様。時間の無駄ですよ。母親が死んでも、まだまだ子供でも、そいつはサタナガット。魔獣だらけとはいえ十分森の中で生きてけるんですから。過度な干渉は不要です」
「…………わかってる。ごめんね。私達はもう行かなきゃ。バイバイ」
蓮姫は軽く仔猫へと手を振ると、ユージーンへと振り返り再び歩き出した。
しかし仔猫も二人の後をついてくる。
ユージーンはわざと、無駄に曲がったり、蓮姫を抱えて走ったり、ターザンのように蔓を使って先へと進むが……やはり仔猫はついてきた。
時には巨大化して。
「………はぁ。…ったく!こいつなんなんですか!?凄ぇうざいんですけど!?姫様!殺らせて下さい!!」
「駄目に決まってんでしょ!この馬鹿!!」
ユージーンはイライラした様子で蓮姫を抱えながら、サタナガットへと叫ぶが、その頬は蓮姫の右ストレートが綺麗に決まる。
蓮姫はため息をついてから、悶絶するユージーンの腕から抜け出すと、再び仔猫へと近づきしゃがみこんだ。
仔猫は嬉しそうに蓮姫へと擦り寄り、蓮姫はその頭や喉を撫でてやる。
「ねぇ」
「なんですか?」
「ジーンじゃない。ねぇ…私達と一緒にいたいの?」
その蓮姫の言葉に、仔猫は嬉しそうに顔を上げると『うにゃんっ!』と舌っ足らずの鳴き声を出す。
ユージーンの言葉通り、この仔猫は短時間で人の言葉を学習したらしい。
その様子を見た蓮姫は、仔猫を抱えてユージーンへと振り向いた。
「ジーン」
「嫌ですよ」
「まだ何も言ってないでしょ」
蓮姫に呼ばれたユージーンは、あからさまに眉を寄せて嫌そうな顔をする。
「どうせ『連れていきたい』っておっしゃるんでしょう?俺は嫌ですよ」
「なんでよ?こんなに可愛いのに。あ、ジーンって犬派?」
「犬も猫もどうでもいいです。ハッキリ言って獣に興味なんてありません」
「じゃあ、いいでしょ?」
お願い、とユージーンを見つめる蓮姫と仔猫の四つの瞳が彼を見つめる。
ユージーンは大きく見せつけるようにため息を吐くと、蓮姫へと近づいた。
「姫様のお好きなように。姫様が成さりたい事を俺は否定しません。ただし、サタナガットは賢いからと言っても姫様に噛み付いたり、引っ掻いたり、歯向かったりしたら俺はソレに容赦しませんからね。そこは姫様のヴァルとしては譲れません」
「やった!!ありがとジーン!」
「話ちゃんと聞いてます?都合のいい事しか聞こえてないんですか?」
やれやれと呆れるユージーンをよそに、蓮姫は仔猫を高久持ち上げて嬉しそうにクルクルと回る。
すると急にピタリと止まった。
「どうしました?」
「ジーン。この子……雄だ」
「は?………あぁ、見えたんですね。良かったじゃないですか。雌猫ならそこらの雄猫に孕まされる事もありますけど、ソレが孕ませる方ならこれ以上猫が増える心配無いですね」
「だから、もっと言葉を選びなさいよ。にしても、これから一緒に行くんだから『ソレ』って呼ぶのやめて」
「なら姫様が名付けて下さい。お得意でしょう?」
自分の事もあり、ユージーンはニヤニヤと蓮姫を見つめた。
蓮姫もその言葉の意図は理解しているが、名前がなくては不自由なのも事実。
「ん~~~……黒い猫だから…………ノアール!」
「まんまですね。……ちなみに略して?」
「ノア!!」
「……やっぱり」
自分の名前や蓮姫の記憶、ロゼリアでの友人達を呼ぶ時でもわかるように、蓮姫が相手を略称で呼ぶ事が予想できたユージーン。
その予想はまったく裏切られなかった。
腰に手を当てて、軽く呆れるユージーンだが、蓮姫は楽しそうに仔猫…ノアールへと話しかける。
「今日から君はノアールだよ。よろしくね、ノア!!」
「うにゃあ!」
「姫様、それじゃノアが混乱しますよ」
「いいじゃない。それにノアだって喜んでるし、ちゃんとわかってるみたいだもん。ねぇ、ノア」
「うにゃん!!」
ノアールは嬉しそうにひと鳴きすると、蓮姫の頬をペロペロと舐めた。
そんなノアールに蕩けそうなほどに顔が緩む蓮姫と、顔をしかめるユージーン。
「親が死んだ途端に人間様に尻尾をふって守ってもらおうなんて、中々にしたたかですね。姫様、やっぱこいつ殺りたいんですが」
「本気で殴るよ?」
蓮姫は満面の笑みをユージーンに向けながら、優しく言い放った。
ユージーンは蓮姫に苦笑いすると、肉眼では確認できない程の後方………サタナガットや刺客達の墓のある方を見つめた。
蓮姫は気づいていない。
あの時放たれた炎の魔術。
倒れた刺客達の中には、その術者がいなかった事に。
ユージーンは一握の疑問を口にせず、それを胸に秘めた。