弐の姫と仔猫 6
「貴方達……助けてくれたの?…じゃあ……あっちにいるのは…」
『貴方のお母さん?』と続くはずだった蓮姫の言葉。
だが突如、ドォォン!!と何かが倒れる音がして蓮姫は後ろを振り向く。
そこには、大きなサタナガットが倒れていた。
「っ!?さ、サタナガット!」
母親のサタナガットは倒れるとピクピクと痙攣しながら、徐々に小さくなり普通の猫のサイズに戻った頃にはピクリとも動かなくなった。
「魔獣用の毒針……一応持ってきておいて正解だったな」
生き残った最後の刺客が、サタナガットに向けて右腕を突き出している。
手首にはあの暗器が装着されていた。
倒れた母親……いや、絶命した母親を見てショックを受けたのか、子供のサタナガットは仔猫サイズに戻ってしまい母猫へと駆け寄った。
それは蓮姫が母猫の身体を治した時と同じ。
しかし駆け寄るのは子供のみ。
母猫の方は………もう動く事は出来なかった。
「……うにゃ……うにぁあっ…うにぁぁあああっ!!」
仔猫の悲痛な叫びが無情に響く。
刺客はそんな仔猫に近寄ると、片足で仔猫を乱暴に蹴り飛ばした。
「ちぃっ。とんだ邪魔が入ったが、結果は変わらん。獣風情が人間様の邪魔をするとは…無駄な事を」
「いえ、無駄ではありませんよ」
「き、貴様っ!!」
刺客が声の方を振り向くと、そこには全身を血に染めたユージーンが立っていた。
両手両足はかろうじて繋がっており、胸や腹からもドクドクと鮮血が流れ出ている。
「サタナガットが時間を稼いでくれたおかげで、俺の身体は回復しましたし、抜け出せました。有り難いことに武器まで手に入れて、ね」
ユージーンは自分の身体に刺さっていた剣の一つを使い、素早く刺客を切り裂いた。
刺客が倒れると、ユージーンは蓮姫の方へと目を向ける。
蓮姫は親のサタナガットを抱き抱えると、身体を治した時のように想造力で怪我を治してやる。
「しっかりして!怪我は治ったから!だからっ!」
必死に親のサタナガットへと問い掛ける蓮姫。
それでも、腕の中の小さな塊は息を吹き返す事はない。
「生き返って!お願い……お願いっ!!」
「無駄ですよ」
「…ジーン……だ、だって!怪我はっ!」
「そいつはとっくに死んでます。死んだモノを蘇らすなんて、想造力でも不可能なんですよ」
「そ、そんな……そんなっ!でもっ………っ!?」
蓮姫がユージーンへと抗議しようと、彼の方を見上げる。
だが、ユージーンの蓮姫へと向ける紅い瞳はとても冷たい物だった。
今まで蓮姫は、ユージーンのこの凍りつきそうな程の瞳を何度も見ている。
しかし
蓮姫本人が向けられたのは初めてのことだった。
「…じ……ジーン…?」
「っ!…こ……の馬鹿女っ!!」
バキィッ!!
ユージーンは叫ぶと、蓮姫の顔を拳で強く殴った。
蓮姫の身体はあまりの衝撃でその場に倒れ込む。
あまりの出来事に呆然とする蓮姫だが、ユージーンはそんな彼女の胸ぐらを掴み無理矢理起こすと自分の怒りをぶつけた。
「なんで逃げなかった!なんで結界すら張れなかった!なんで奴等を殺せなかったんだ!!」
ユージーンは感情のまま蓮姫へと怒鳴り続ける。
「何の為に人の殺し方を教えたと思ってる!何回俺を殺した!?なんで同じように出来なかった!ビクビク泣くだけでっ!偉そうな事ばっか言いやがって!いざって時には怯えて何も出来ないとかふざけてんのかっ!あんたの覚悟なんざその程度かっ!!」
「っ!ジーン……私…」
「こんな弐の姫じゃ!死んだサタナガットは刺客の言う通り無駄死にだ!庶民街で死んだガキもだ!」
「っ!!?……あんたに…ジーンになにがわかるってのよ!」
ユージーンの暴言に、蓮姫の方も彼の髪を掴み殴りかかった。
「私はジーンみたいに強くないんだからっ!」
「はぁ!?何開き直ってんだ!」
「ジーンみたいに人を殺して何も思わないなんて出来る訳ないでしょっ!殺されるってわかってて!ジーンまで倒されてっ!恐いに決まってんじゃない!!そもそも私は……私は人殺しなんてしたくないのにっ!」
「甘ちゃん発言も時と場合を考えて吐けっ!本当にわかんねぇのかっ!この馬鹿女!」
ユージーンも負けじと蓮姫の服を掴み、空いた方の手で再度彼女を殴った。
蓮姫もユージーンの髪を引っ張りながら彼を再度殴る。
そんな殴り合いの中ユージーンの拳ではなく、ある一言で蓮姫はトドメをさされる。
「あんたの覚悟が無かったから!そこのサタナガットは死んだんだっ!あんたが殺したんだよっ!サタナガットもっ!庶民街のガキもっ!!」
「っ!!?」
ユージーンの言葉を聞いた蓮姫の表情……それを見た瞬間にユージーンも流石に言い過ぎたと気づく。
だが時は戻らず、一度口にしてしまった言葉も戻る事はない。
「うにゃぁ!!うにゃっ!!にゃあっ!」
蓮姫とユージーンが呆然とお互いの顔を見つめていると、先程の仔猫が二人に向かって鳴いた。
それはまるで、子供が親の喧嘩を止めるような声。
蓮姫はユージーンの髪から手を離すと、仔猫を抱き締めた。
「…ごめんね。……私のせいで…あなたのお母さん…っ、…ごめんね」
蓮姫は泣きながら仔猫へと懺悔をし、ユージーンもバツが悪そうに地面を見つめた。
「うにゃ……うにゃぁん……」
仔猫はペロペロと蓮姫の指を舐めている。
泣かないで……とでも言うように。
「っ!?なん…で?……私のせいで……お母さん…死んじゃったのに」
「いえ……姫様のせいじゃありませんよ。…俺が油断したせいです。……姫様…申し訳ありませんでした」
先程とは打って変わって反省したように、蓮姫へと跪くユージーン。
事実、彼は反省している。
感情のままに、蓮姫を詰って侮辱した事………悲しませ…傷つけた事に。
「姫様のせいなんかじゃありません。そもそも、俺が奴等を見誤ったからいけないんです。だから…姫様は」
「ううん。ジーン、それは違う」
「……姫様?」
「ジーンの言う通り……私に覚悟が無かったから。……この子のお母さんを殺したのは…私だよ」
仔猫を撫でながら呟く蓮姫を見て、ユージーンはギリッ、と唇を噛み締めながら俯いた。
こんな事を言わせたかった訳ではないのに…。
あんな顔をさせるつもりなんてなかったのに…。
ユージーンの心には後悔の念で埋め尽くされる。
(俺がっ!俺が油断したからだっ!あんな奴等、いつもみたいに直ぐ片付けられる。確かにナイフを渡して軽く姫様を脅した。だからって!俺だって本気じゃなかった!姫様に自ら手を汚させる気なんざっ!……クソッ!!これじゃホントにただの八つ当たりじゃねぇかよっ!)
ユージーンも気づいていた。
どれだけ殺そうとも直ぐに息を吹き返す自分。
だからこそ自分の身を使って、蓮姫に何度も心臓を刺させた。
しかし、普通の人間相手ではそうはいかないのは明白。
一度死んでしまえば、二度と目を覚まさない。
エリックや…この仔猫の母親のように。
蓮姫はユージーンや刺客達のように、誰かの命を奪った事など無い。
そんな者に、正当防衛とはいえ……いくら不死身の身体で練習をしたところで…無理なものは無理だ。
だが、弐の姫としてこれからも蓮姫は命を狙われ続けるだろう。
それでも
蓮姫が人を殺すにはまだ……早すぎた。
「…………っ、姫様?どうしたんです?」
ユージーンが顔を上げると、蓮姫は仔猫を下ろし近くにあった枝でザクザクと地面を掘っていた。
「………お墓」
「は?」
「お墓作ろうと思って。せめて…弔ってあげたいから」
蓮姫は手が土で汚れるのも構わずに、黙々と穴を掘っていく。
ユージーンは思った。
助けてもらったのも、母猫が自分達の犠牲となった事も理解できる。
それでも、たかが一匹の獣のためにそこまでする必要なんてない。
先程は蓮姫のせいで死んだ、と言ったが彼はサタナガットが死んだ事を悲観した訳ではない。
自分と蓮姫の不甲斐なさでイラつき、彼女に八つ当たりしただけだ。
サタナガットへの同情など彼には無い。
しかし蓮姫は違う。
それがわかっているから、ユージーンは蓮姫の前に回り込むと、腰をおろして彼女の手を両手で握り締めた。
ユージーンの仕草に蓮姫は彼を見上げた。
ユージーンは泣きそうな顔で蓮姫を見つめている。
「……ジーン?」
「俺がやります」
「………でも…」
「させて下さい。そんな仕事は俺に任せて。汚れ仕事は俺がするべきです」
「汚れ仕事って!?」
ユージーンの発言に蓮姫は激昂した。
だが、悲壮感ただよう彼の目を見ると何も言えなくなった。
「勘違いしないで下さい。サタナガットや墓を掘るのが汚れ仕事って訳じゃないんです。土にまみれるのは俺の方が似合ってます」
そう告げて蓮姫の手を離し、穴を掘るユージーン。
そんな彼を見つめながら、蓮姫は再度子猫を抱いて撫でた。