弐の姫と仔猫 2
蓮姫は立ち上がると、ユージーンに向き直りため息をついた。
「あのねぇ…この子は怪我してるの。それにまだ子供なんだからさ、そんなに毛嫌いしないでよ」
「馬鹿も休み休み言って下さい!普通の猫だって怪我してたら神経過敏になんですよ!」
「大丈夫大丈夫。そんな小動物にはね、ソッと手を差し伸べて『怖くない、怖くない』って言ってあげればいいんだよ。咬まれても怒らないで『怖くない、怖くない』って優しく笑いかけてれば傷口を甜めてくれるんだから」
「何処の馬鹿ですか?そんな知識を姫様に植えつけたのは?」
「想造世界だと有名な話だよ。そういえば……アレも姫様だったような…」
「いいから離れて下さいってば!馬鹿なら馬鹿なりに俺の言う事聞いて下さいよ!」
「また馬鹿っつったな?」
再度蓮姫の額に青筋が浮かぶが、その姿に大きな影がかかる。
蓮姫が振り向こうとした瞬間、ユージーンは蓮姫の腕を引き、後ろへと飛んだ。
ザシュッ!!
地面が抉られるような音がしたかと思うと、辺りに強風が起こり土煙が巻き上がる。
ユージーンの腕の中で風になびく髪を抑えながら、蓮姫が土煙の中心を見ると、そこにはライオン程の大きさをした黒い獣が唸っていた。
「な、何アレ!?まさか、さっきの子猫!?」
「だから言ったじゃないですか」
先程まで愛くるしいだけだった子猫のあまりの豹変ぶりに、蓮姫は青ざめる。
土煙と轟音の正体は、子猫が巨大化した鋭い爪で地面を抉ったことが原因らしい。
蓮姫が居た場所は深く広い穴が出来ていた。
一方ユージーンは、蓮姫が魔獣から離れ、自分の腕の中に居ることから先程までの焦りは消えていた。
自分が抱えていれば、蓮姫は安全だとわかっているからだ。
その余裕からか、いつもの憎まれ口まで出てくる。
「どうします?『怖くない、怖くない』って試してみますか?姫様」
「試すわけ無いでしょ!あんなの相手じゃ、咬まれるどころか腕が食い千切られる!」
「まぁ、確実にそうなりますよねぇ。だから俺の言う事を素直に聞いてれば良かったのに……姫様はホントに」
「嫌味なら後で聞くからっ!」
ユージーンの憎まれ口を遮り、蓮姫はグイッと彼の服を握り締め、逃げるよう促した。
自分が悪い、自業自得だというのは蓮姫自身がよくわかっていたが、何より今は刺客達に襲われる以上の恐怖が蓮姫を包む。
それは動物的本能。
食物連鎖の中で自分よりも上に位置する存在に、本能的な恐れを抱いていた 。
「姫様に上目遣いされるとか貴重ですね」
蓮姫に見上げられるユージーンは、やはり余裕の態度を崩さない。
彼は口元に笑みを浮かべたまま、チラリ、と後ろに転がる死体の方へ目線を向けた。
蓮姫もユージーンの視線に気づく。
「ちょ、何考えてんの?まさか…さっき捨てた剣で斬るつもり?」
「えぇ、そのつもりですけど」
「そ、そんなの駄目っ!!」
蓮姫は容赦ないユージーンの物言いに大声で反発する。
いきなり耳もとで叫ばれたユージーンは、耳鳴りに頭を抱えそうになる。
「ひ、姫様…無礼を承知で言いますが…うっさいですよ」
「無礼でも何でもいいから!とにかく駄目!!」
「はぁ?姫様…まさかとは思いますけど『元は可愛い子猫だから殺さないで』とか言いませんよね」
「それもあるけど!あの子、足を怪我してるの!」
「そんなのとっくに気づいてますよ。血の臭いには敏感な方なんで。だからさっさとトドメを刺そうってんです」
「駄目!絶っっっ対に駄目っ!!」
「さっきまでビビりまくってた人の台詞とは思えませんね。甘ちゃんも程々にして下さいよ 」
ユージーンにたしなめられながらも、蓮姫は後ろの子猫……もとい子供の魔王猫を見つめる。
威嚇するだけで攻撃はしてこない。
距離を詰めている訳でもなく、ただ警戒しているように見えた。
サタナガットの方から距離をつめる事もなく、ただ唸りながら牙を剥き出している。
しかし、こちらから何かを仕掛けたら迷わずに向かってくるだろう。
「…あの子……ただ脅えてるだけ。足も怪我してるし…手荒な真似なんてしないで」
「…………冗談ですよね?」
サタナガットを庇うような発言に、ユージーンは蓮姫へと視線を向ける。
軽く薄笑いを浮かべるユージーンとは違い、蓮姫の方は至極真面目な表情で彼を見つめ返した。
「本気。あの子はこっちから攻撃なんてしたら、確実に襲ってくるでしょ?だからやめて」
「瞬殺しますから問題無いですよ」
「ジーン。なんでも殺して終わらせようとしないで。それに……あの子…なんか気になる」
蓮姫はサタナガットの方を振り向いた。
やはり、こちらに向かってくる様子はない。
というより、その場から動こうとはしない。
「また姫様特有の勘ですか?前回はそのせいでロゼリアの事件に首突っ込むはめになったんですよ」
「ソレは………っ、ジーン。見て、あの子の奥の茂み。何か動いた」
「風か何かじゃ……いえ…違いますね」
ユージーンは蓮姫を抱えると、ジリジリと横に移動した。
サタナガットはその動きを、ジッと見つめている。
「っ、あ! 」
「なるほど……そういうことか」
横へ移動した事で、二人の目には茂みで動いた正体がハッキリと目視出来た。
茂みの中に居たのは踞る黒い猫だった。
目の前にいるサタナガット。
それに比べればとても小さな存在。
しかしこのサタナガットが巨大化する前よりは大きいサイズ。
「もしかして……親猫じゃない?」
「そのようです。しかし…普通なら親が子供を守るものなんでけどねぇ…」
「ジーン。さっきこの子が怪我してるの、血の匂いでわかったって言ってたよね?もしかして…親猫も?」
蓮姫に問われ、ユージーンは意識と嗅覚を奥にいる猫に集中した。
「……………しますね。こいつよりも濃い匂いです」
「……やっぱり」
つまりこのサタナガットは、親猫を守るために二人の前に立ち塞がり威嚇をしているのだ。
「この子……親を守ってるんだ…」
「そのようですね」
蓮姫はサタナガットの親を守る姿勢に軽く感激している。
そんな彼女を見てユージーンは嫌な予感がした。
(なんか…次に姫様が言う台詞……予想が出来るような…外れて欲しいもんだな)
ユージーンは微かに期待する。
が、そこは蓮姫。
ユージーンの予想通りの台詞をはいた。
「ジーン。私あの子の傷、治してあげたい」
「(……やっぱりな)一応聞きますけど、冗談じゃ」
「ないよ」
ユージーンの問いかけに蓮姫はニッコリと微笑みながら答えた。
普通なら主人の言葉に従うのが従者たる者の在るべき姿だ。
しかし蓮姫が蓮姫なら、ユージーンもユージーン。
黙って主の言うがままではない。
「姫様?今の状況わかってますか?俺達は今、この獣に襲われそうになってんですよ」
「まだ襲われてない。私もジーンも怪我なんてしてないじゃない」
「ソレは俺が優秀だからです。姫様だけなら、とっくにくたばってますよ」
「そんなに優秀なら主の希望も叶えられるでしょ?」
「………ああ言えばこういう方ですね」
「ジーンにだけは言われたくない」
ニッコリと笑顔を崩さずに自分へ言葉をかける蓮姫に、結局はユージーンの方が折れた。
「はいはい。姫様の仰せのままに」
ユージーンは軽く投げやりに呟くと、サタナガットの方をジッ…と見つめる。
いや、正確には睨みつけた。
当然サタナガットの方も唸りながら睨みを返す。
重く緊迫した空気が流れる。
蓮姫はユージーンに声をかけようと彼の方をチラリ、と見る。
が、瞬間に目を逸らした。
その視線の鋭さや殺気に、一瞬でゾワリと全身に鳥肌がたち、背筋に冷や汗が流れる。
まるで視線だけで殺されそうだ、と蓮姫は思った。
だが、そんな恐ろしいユージーン本人の服をギュッと再度握り締める蓮姫。
どんなに恐ろしかろうと、危険だろうと、彼女を守る存在はユージーンだけなのだから。