病の姫と暗躍する従者 2
ユージーンは足で扉を開けると、部屋の中に入り、蓮姫を椅子へと腰掛けさせた。
『行儀悪いよ』と蓮姫には何度も言われているが、片手を話せば蓮姫を落とす危険もある。
どうせ他人の家だし気にする必要なんて無い、とユージーンは注意されても直そうとしない。
「どうぞ、お望みの物です」
「え……と…あ、ここ取っ手か。ありがとう」
「ちゃんと姫様が持てるように渡してるんですから、無駄に手を動かさないで下さい。零したら火傷しますよ。ちゃんと冷ましてから飲まないとダメですからね」
「……オカンめ」
蓮姫がピンクハーブのお茶を飲んで一服している間に、ユージーンはベットを手早く整える。
二人の主従関係は、蓮姫が足だけではなく目が使えなくなった頃から変化していた。
ソレは本当の主人や執事のように。
夫婦漫才のようなやりとりは相も変わらず続いているが…。
コンコン
慎ましいノックの音が部屋に静かに響く。
蓮姫はノックの音だけで誰が来たのかを察した。
目が見えなくなった事で、蓮姫の他の五感はこの数日で研ぎ澄まされている。
「お入り下さい。ホームズ子爵」
「失礼致します」
蓮姫の言葉でユージーンが扉を開けると、そこに居たのは彼女の言葉通りホームズ子爵だった。
子爵はユージーンに促されるまま、蓮姫の向かいの椅子へと腰掛けた。
蓮姫もカップを置き、テーブルの上に両手を重ねる。
「弐の姫様。今日もまた『人魚病』となった娘が出ました。貴族からは三人。平民からは五人です。最近は増える頻度が急速に増え、王子は昨日、再度王都へ早馬を飛ばしました」
「壱の姫……もしくは陛下に、早急に事の収束をお願いしたんですね」
「はい。患者の数も、かつての『人魚病』が流行った頃に近い。このままでは、ロゼリアの娘が全員『人魚病』となる危険がございますから」
「申し訳ありません」
「はて?何故弐の姫様がお謝りになられるのですかな?」
「私も姫です。壱の姫や女王陛下と同じ様に、想造力を使えるはず。なのに……私は自分の病すら治せない」
「何をおっしゃいますか。弐の姫様の病は、我等ロゼリア、そしてアクアリアの方々を想って行動した結果です。本当に感謝しております。ご自分を責めるのは、お止めください」
ホームズ子爵は、そっと蓮姫の手を握りしめた。
ユージーンとは違い、シワの目立つ老人の手。
完璧な淑女への対応を極めるホームズ子爵の動作に、蓮姫は少しだけ照れる。
「姫様。姫様が年上好きなのは知ってますけど、さすがに子爵はお薦めしませんよ。相手は年上ってか棺桶に半分入りかけてる年寄りですからね。美点なんて真っ先に上がるのは遺産くらいなもんです」
「黙れバカ。すみません子爵、このバカの言葉は聞かなかったことにして下さい」
「ほっほっほ。いやいや、この様に若く美しい弐の姫様ならば私も大歓迎です。男冥利につきるというもの。これ程までに若さを欲したのはいつぶりでしょうなぁ」
ユージーンのかなり失礼な発言を笑って流すホームズ子爵。
それもご丁寧に蓮姫を口説くような発言のおまけ付き。
「何言ってんですか。もう勃つかどうかもわかんないのに。そもそも勃ったトコで使えんですか?」
「黙れ。つか出てけ」
先程以上に失礼な上に下ネタを被せてきたユージーン。
さすがに蓮姫もキレたように、声を大きくして言い放った。
「え?でも姫様が休むまでは」
「後は寝るだけでしょ。それくらい何とかするし、無理ならメイド呼ぶから。あんたはこれ以上子爵に失礼を言う前に出なさい」
「え~……じゃあ黙ってますよ」
「黙った試しが無いから出てけって言ってるの」
見えていないはずの目で睨まれ、ユージーンはやれやれ、と溜息を吐くと静かに部屋を出て行った。
「まったく……本当にすみません、子爵」
「いえ、私の事などお気になさらず。……しかし…良いのですか?」
「何がです?」
ホームズ子爵は口を動かそうとするが、やめる。
彼女に従者の最近の様子を伝えるべきかと思った。
だが、これ以上蓮姫の心労を増やす事をわざわざ言う必要は無い。
ホームズ子爵は話を変えた。
「壱の姫様が来られれば、姫様のご正体はバレましょう。私が匿うことも出来ますが……いつまでも居続ける訳には参りません」
「ホームズ子爵、私はロゼリアの問題が解決するまで、この国を出るつもりはありません。たとえ正体がバレて罵られようと石を投げられようと、全てにケリがつくまで……見届けたいんです」
見えないはずの目を大きく開きながら、蓮姫はハッキリと自分の意思を伝える。
ソレは宣言とも、誓いともとれる言葉。
「まぁ、今の私は本当に何も出来ない役立たずというか…穀潰しというか……ジーンがいなきゃどうなってたか」
「ユージーン殿ですか。ヴァル候補とのことですが、最近は常に一緒に居られますな」
「私が何も出来ないので。ジーンを使うしかないんです」
蓮姫の言葉に、ホームズ子爵は少し違和感を感じた。
彼女は今『ジーンに頼る『』ではなく『ジーンを使う』と確かに言ったのだから。
彼女の性格上、人を物のように扱う発言は聞いた事がなかった。
しかし、ユージーンに対してだけは違う。
「姫様。最近の御二人のご様子……以前と変わったようにお見受けします。………何かあったのですか?」
「特には何も。……いえ、私が何も出来なくなったのが原因ですね」
蓮姫は目を伏せながら、苦笑する。
蓮姫もユージーンに対する自分の扱いに気がついていた。
「歩けなくなっただけじゃない。目まで見えなくなった頃から……私はご飯もトイレも…一人じゃ何も出来なくなったんです。そうなると、頼るのは自然とジーンだけでした。何をするにもジーン任せ。でも、ジーンは本気で私が嫌がったら、他のメイドに代わってくれてたと思います」
「率先してユージーン殿が行われたのですね」
「はい。皮肉ですよね。目が見えなくなった事で、私はジーンの主として近づいたんです。その頃から考えも変わった……というか、元から頭の片隅にあっただけの思いが、出てきたんです。ジーンは私の物。私だけの所有物だと」
「…姫様……それは…」
「傲慢な考えだな、って自分でも思うんです。…それでも…頼らなきゃいけない。主として……ヴァルとしてのジーンを使えるように」
「…その様な考えの方を傲慢などとは言いません。きっかけはどうであれ、ユージーン殿と主従として近づいた。その結果だけで充分だと…私は思います」
「ありがとうございます、子爵」
蓮姫はホームズ子爵の言葉に、ホッとした。
この人なら、きっとこう言うだろう事はなんとなくわかっていた。
本当はズルいと思う。
こんな考えの自分が。
それでも、予想通りの答えをくれた子爵に安心したし、嬉しかった。
「では姫様。そろそろ休まれる時間でしょう。失礼ながら、私がベッドまでお送り致します」
「え!?そ、そんな!大丈夫ですよ」
「何をおっしゃられます。歩けない姫様をベッドまで這わせる訳には参りません。それとも……こんなジジイに抱きかかえられるのはおイヤですかな?」
「そ、そんなことは!」
「では、宜しいのですね」
言うやいなや、ホームズ子爵は蓮姫を抱き上げベッドまで運んだ。
(あれ?もしかしなくても…ハメられた?私)
見えない蓮姫でも、彼がとてもいい笑顔を浮かべている事はわかった。
パタン
蓮姫をベッドに寝かせると、ホームズ子爵は部屋を出た。
すると、見計らったように一人のメイドが彼の元へと来る。
「姫様はお休みになられましたか?」
「えぇ。ユージーン殿は?」
「それが……今夜も出掛けられたようです。此度も…また娼館か…どこぞのお邸でしょう」
メイドは呆れたように頬に手を当て、ため息を吐きながら呟いた。
蓮姫が目の見えなくなったあの日から、ユージーンは夜な夜な出掛けている。
それも蓮姫に気づかれないように、彼女が寝た後に。
朝は決まって蓮姫が起きるよりも早く戻り、湯浴みを済ませてから彼女を起こしに行っていた。
「夜な夜な女遊びなど……貴族の姫直々の従者が聞いて呆れますわ。最近は城のメイド達にも手を出しているとか…。まったく…姫様にお仕えしている自覚があるのか疑わしいです。なのに…姫様のお支度には絶対に私達を近づけようともなさいません。あのような方…蓮様には…」
「口を慎みなさい。それを決めるのはメイドではなく主だけ。貴方がたは自分の仕事を全うする事を第一に考えるのです。良いですね」
「ご主人様が……そうおっしゃるのでしたら…」
メイドは納得のいかないまま、仕事に戻っていく。
子爵もユージーンの行動には気づいていたが、あえて本人には何も言わなかった。
その頃、当のユージーン本人は…
「いい加減…俺に全てを委ねて頂きたい。毎夜貴女に逢いに通っているというのに……いつになれば…貴女は俺を欲して下さるのですか?」
ロゼ城にて、一人の女を口説いていた。
その相手は……
「ご冗談も大概になさい。こんな年増を口説いて何の得が?それに聞きましたよ。毎夜娼婦や貴族の姫、メイドを抱いていると。昨日はこの城のメイドにまで手を出されたとか……お盛んですこと」
あのイザベラ=コルベット。
ユージーンが毎夜女を抱くのは、情報を集めるためだ。
自分に身も心も委ねた女は、口が軽くなり何でも話す。
どの家の、どんな娘が『人魚病』となったのか。
蓮姫と同じ症状の者は居るのか、と。
しかし本命はあくまでこのイザベラ。
彼女に近づき、骨抜きにする事がユージーンの本当の目的だ。
「その様な事を仰らないで下さい。男心のわからない方ですね。貴女にフラれた傷心のまま、他の女を貴女だと思い抱くしか出来ない……貴女の美しさに溺れた哀れな男の気持ち…察して下さい」
「随分と自己中心的な考えの持ち主のようですね。良いのですか?貴方のお仕えしている蓮様。ホームズ子爵遠縁の姫様は『人魚病』で苦しんでいるというのに」
「先程から他の女の話ばかり……酷い方ですね」
「何を…っ!!?」
ユージーンはイザベラを壁に押し付けると、無理矢理唇を奪った。
驚き手を振り上げるイザベラだが、その手は簡単にユージーンに捉えられる。
ユージーンはゆっくりと唇を離すと、彼女の耳元で艶を含みながら囁いた。
「…俺は……貴女が欲しい…」
「っ!?ぶ…無礼な!」
「恋に狂った男など…無礼の塊ですよ。いい加減受け入れて下さい。そんなつれない事を言いながら、抵抗しないのは何故です?衛兵に引き渡さないのは?大声を出さないのは?それは……貴女も俺を欲しているからでしょう?」
イザベラはわなわなと震えた。
怒りからではない。
自分のちっぽけな自尊心や、浅ましい女の部分を見透かされていた羞恥からだ。
こうなればユージーンの独壇場。
一週間もかかったが、イザベラがユージーンを受け入れる最後の言葉を、彼は再び放つ。
「…貴女が欲しいんです……イザベラ様…貴女が…」