蒼き国 アクアリア 6
ホームズ子爵の話を聞いた三人は、応接室へと赴いた。
ガチャ
「王子!蓮様!」
「ドロシー嬢。お待たせしてしまい、申し訳ございません」
蓮姫は最初に会った時のように、貴族の姫らしく振る舞う。
が、彼女をおぶったままのルードヴィッヒの顔は険しい。
「ドロシー。なんでホームズ子爵の邸に居るんだ?」
「王子をお訪ねしましたら、こちらに蓮様をお見舞いに来られたと聞きまして。私も蓮様のお見舞いに。コレは……つまらない物ですが、ハーブティーと…私が作った茶菓子です。王子様と蓮様と一緒に」
「断る。俺はもう城に帰るしな。オイ、俺は帰るから蓮を頼む」
ルードヴィッヒはユージーンに背を向けて、蓮姫を彼に預けるとスタスタとドアへと歩いていく。
ドアを開ける直前、振り向きもせずに彼はドロシーに告げた。
「ドロシー。お前が俺を慕っているのは知ってる。母上もイザベラも、お前を俺の妃にしたいらしいが俺にその気は無い。媚を売ったり点数稼ぎをしようとしても無駄だ。お前もさっさと帰れ。じゃあな蓮。また」
バタン
「………王子…」
悲しげに瞳を伏せるドロシーを、ソファに座りながら(正確にはユージーンに座らされながらだが)蓮姫は声をかけた。
「ドロシー嬢。お気を落とされず……とは酷かもしれませんが…王子の事は…」
「わかっています。……蓮様…『人魚病』とは誠だったのですね。何故……アクアリアの方々は…この様な病を…」
沈んだ声で話しながらお茶の準備をするドロシーに、蓮姫は「違う!」と言いたかったが……。
蓮姫はため息で押し殺した。
この少女に真実を伝えるのは簡単だ。
しかしそれは……今の傷心したこの娘をさらに追い詰めるだけ。
「蓮様?どうかなさいましたか?足が痛むのですか?」
蓮姫の心配など知る由もないドロシー。
蓮姫が気落ちしているのを見て『人魚病』に侵された足を悲しげに見詰める。
何も知らない、無邪気で、自分を慕う素振りをする少女。
やはり蓮姫には、彼女を嫌う事は出来ない。
「大丈夫です。痛みは勿論、何も感じませんから」
「蓮様…そうでしたね。『人魚病』は痛みも感覚も奪う病。…差し出がましいかと思いましたが…『ピンクハーブ』で作ったお茶です」
ドロシーは小瓶を取り出すと、テーブルに置いた。
中にあるのは茶葉のようだが、薄桃色をしている。
「『ピンクハーブ』はリラクゼーション効果の高いハーブ。姫様が『人魚病』で沈んでいるのでは、とお持ち下さったのでしょう」
ピンクハーブについての知識など皆無な蓮姫に、ユージーンは説明する。
つまりこれが、先ほど彼女が自分と王子(本命は王子だろう)と一緒に飲む為、準備したお茶のようだ。
「お心遣い感謝致します。ドロシー嬢」
「そんな……私には…こんな事しか出来ません。蓮様さえよろしければ、ご一緒してもよろしいですか?」
俯き悲しげに呟いたかと思うと、自分には幼さの残る可愛らしい笑顔を向けるドロシー。
蓮姫には少女の申し出を無下にすることは出来ない。
そんな蓮姫の性格も、ユージーンはよく知っている。
「……ジーン…」
「わかっております、姫様。只今ティーセットをお持ちします」
応接室に備え付けられている戸棚から、ユージーンが取り出したのは銀のティーセット。
ドロシーが持って来たとはいえ、イザベラが関与していないとは限らない。
ホームズ子爵の邸にある銀食器は、普通の銀食器よりも毒に素早く反応し、食器が黒く変色する物だった。
ユージーンがお茶を入れ、二人の前に差し出すが、カップもポットも変色はしていない。
(毒は入ってねぇか。まぁ…王子にも飲ませるっつってたし……考え過ぎか)
ユージーンが差し出した事で無害だと判断した蓮姫は、カップに口をつけ、一口含む。
(…あ……ほんのり甘いんだ。…美味しいかも)
蓮姫はこのピンクハーブのお茶を気に入ったようだ。
甘いものを口にすると、脳裏に甘党の友人が浮かぶ。
が、彼ならばこの仄かな甘みでは物足りなく、砂糖を何杯も入れただろうが……。
そんな友人の姿を想像し、素の笑みが溢れそうになるが…ドロシーにバレる訳にもいかず、蓮姫はドロシーが帰るまでずっと、貴族の姫を演じていた。
ちなみに、ソレを眺めるユージーンはニタニタと、わざと蓮姫にバレるようにニヤけていた。
「それでは蓮様。失礼致します」
「本日はありがとうございました。ご機嫌よう」
ガチャ
ドロシーがホームズ子爵に促され、ドアから出て行くと蓮姫は上半身をソファに投げ出した。
「はぁ~~。つっかれた~」
「猫かぶりご苦労様でした。苦手な相手に愛想よく……とか、俺ならストレス原因で即死ですよ」
「いや。死なないよね、あんた」
足は動かない為、腕だけで伸びをしながら、ユージーンにつっこむ蓮姫。
ユージーンの言う通りだからこそ、そこに関しては反論しない。
「にしても……ホントに疲れたよ、今日は。ジーンの方が疲れたかもだけも…なんか今すぐ寝たい」
「行儀悪いですよ姫様」
「だって……予想外…ってか、想定外過ぎる事ばっかり知って…正直混乱してる」
「ですが、欲しかった情報は貰えましたよ。コレで壱の姫が来る前に、あのアバズレの化けの皮をひん剥いて、『人魚病』を治しましょう。その上ロゼリアとアクアリアが友好関係を取り戻したら、姫様の株が一気に上がりますね」
壱の姫と対等となる絶好の機会。
利用しない手はないだろう。
しかし、蓮姫から出たのは意外な言葉だった。
「やめてよ。それに、私はそこまで干渉しない」
「は?何言ってるんですか?こんなチャンス滅多に来ないのに」
「ルーイとラピスさんの恋や、ロゼリアで『人魚病』にかかった人達。『人魚の涙』を盜まれたアクアリア。ロゼリアとアクアリアの現状を……私益になんて利用したくない。勿論『人魚病』は治す。『人魚の涙』も壊す。でも……ことが済んだら直ぐにロゼリアを出るよ。『弐の姫』である事を明かしたりもしない」
「…………本気ですか?」
「本気。人の不幸を自分の幸せに繋げたりなんてしたくない」
「綺麗事ですね。世の中なんて……人間なんて所詮そんなもんですよ」
「だとしても嫌。いつかそんな事をしなきゃいけない日が来るとしても……それは今じゃない。……友達を…利用なんてしたくない」
「…………頑固者ですね」
「呆れた?」
「まさか。それでこそ、俺の姫様です」
ユージーンは満足げに微笑むと、蓮姫を抱き上げる。
「どうします?部屋行きますか?それとも先に夕食か風呂でも?」
「ううん。なんか眠いから、このまま寝たい。今日はご飯もお風呂もいいや」
「わかりました。姫様の仰せのままに」
ユージーンはそのまま、蓮姫の部屋へと向かった。
先ほどの話。
アレは蓮姫の本心だ。
しかし全てでは無い。
彼女はただ……怯えている。
あの時のように
自分が弐の姫だと知られ、彼等が離れていく事が……恐いのだ。
蓮姫はユージーンの顔を見上げる。
彼は、自分が弐の姫であるのは勿論、何をしても、何を望んでも……どんな境遇であれ、自分を見捨てない。
(言わないけど……ジーンの存在に…私はかなり救われてるんだ…………絶対ジーン本人には言わないけど)
「姫様。確かに俺は最高にイイ男ですけど……惚れちゃダメですよ」
「いやあり得ないから」
ー翌日ー
コンコン
「姫様、入りましたよ。……と、起きていたんですね」
ユージーンが蓮姫を起こしに部屋へ行くと、寝ているとばかり思っていた蓮姫は、上体を起こし窓の方を見つめていた。
「湯浴みの準備はできてますよ。朝食の前にどうぞ」
「……ジーン…」
「なんですか?…って、何処見てんですか?俺はこっちですよ。寝ぼけてんですか?」
蓮姫はユージーンの方へと振り向くが、その視線は彼を見てはいない。
寝ぼけているだけかと思ったが、次に蓮姫から出たのは驚愕の事実。
「………見えない…」
「は?何を言って…」
「起きてから……何も見えないの…ジーン、そこに居るんだよね?」
「……え?……な、何言ってるんですか?…ふざけてるんですか?やっぱり寝ぼけて?」
「違うよ。……本当に…見えないの…」
「…っ!?そんなっ…そんなバカなっ!?」
ユージーンは蓮姫に詰め寄るが、やはり彼女の瞳はユージーンを捉えない。
『人魚病』の特性はユージーンが一番よく知っている。
『人魚病』は身体の一部が機能しなくなる病。
そう、一部だけ。
蓮姫は既に、足の機能を失っている。
その上、視力まで失った?
(有り得ない!『人魚の涙』に出来るのは機能を一つ奪うだけだ!アレを強化出来るのも創作者の俺だけ!『人魚の涙』にも『人魚病』にもそんな事、出来るはずない!!)
蓮姫に不安や焦燥が伝わらぬように、ユージーンは考えを巡らせる。
そして一つの仮説に辿り着いた。
(…っ!?…まさか……コレは…『人魚病』じゃないのか?)