蒼き国 アクアリア 1
ー子爵邸・客室ー
舞踏会から二日。
蓮姫達は未だに子爵邸に厄介になっていた。
ガチャ
「姫様。入りましたよ」
「せめて『入ってもいいですか?』ってノックしなよ。何その事後報告」
蓮姫にあてがわれた部屋へユージーンが入ると、蓮姫はベッド上にて足を伸ばし座っていた。
服装は簡素だが細かい刺繍のほどこされた寝巻き姿の蓮姫。
もう昼過ぎだというのに彼女はベッドから起き上がろうとしない。
正確には出来ない。
ベッドから起き上がる事も、着替えすら彼女は一人で出来なくなった。
蓮姫の言葉に普段なら嫌味や屁理屈で返すユージーンだが、今日は違った。
固い表情のまま蓮姫へと近付き、側にある椅子に腰掛ける。
「……医者はなんと?」
「間違いなく『人魚病』だって。変なの。自分の足なのに何も感じないなんて。叩いたりつねったりもしたけど、痛みも無い」
「麻痺とも違いますからね。足が足としての機能を失った。医者の見立ては正しいですよ」
「………ジーン。怒ってるの?顔怖いんだけど」
「俺にはむしろ、姫様の方が異常に感じますよ。今の貴女じゃ想造力なんて全く使えない。『人魚病』を治せる保証なんて無い。女王に頼めば話は簡単ですが…」
「ソレだけはしないよ。ロゼリアの人達が全員陛下に治してもらっても、私は…弐の姫だけは陛下に甘える訳にいかないから」
「俺だって姫様の為とはいえ、あのブスに頭下げるなんて御免こうむりますよ。……はぁ…姫様、俺が言いたいのは……」
ユージーンは言葉の途中で椅子から立ち上がると、彼女に向かって深く頭を下げた。
「………申し訳ありませんでした。俺が姫様から離れたばかりに」
「ジーンが本気で謝るなんて珍しいね。明日は吹雪かな?」
「…姫様」
「ごめん…冗談」
「………なんで責めないんですか?…なんで怒らないんですか?なんで普段みたいにボカスカ殴らないんですか?なんでそんなヘラヘラ笑ってるんですかっ!?」
ユージーンは彼にしては珍しく感情をあらわにし、蓮姫へと怒りをぶつける。
勿論、ぶつける相手が違う事も彼にはわかっていたが、普段と変わらずに過ごす蓮姫に何故か我慢ならなかった。
「あ、あのねぇ…落ち着いてよ。だいたいジーンのせいじゃないでしょ?離れた事を悔やんでるかもしれないけど『四六時中ベッタリって訳にもいかない』って最初に私に教えたのはジーンの方じゃない。それに離れたのなんてほんの2、3分だったんだし」
「それでも!姫様が『人魚病』になったのは俺のせいです。なんで責めないんですか?俺を…他人を……なんで…貴女達弐の姫は…」
段々と小さくなるユージーンの声。
後半はもはや蓮姫には聞き取れなかった。
「ジーン。別に責めたりはしないから。私のコレは自業自得。首突っ込んだのは私なんだし」
「ソコは否定しませんよ。興味本位で無駄に自分を危険に晒した…その報いだと」
「え?さっきまでと言ってること違くない?」
「今後もそういう危険だってある。姫様の様な方は身を持って知った方が学習します。けど……『人魚病』になったのは…俺のせいですよ」
「だからジーンは悪くないって言ってるじゃない」
「そうですか?『人魚病』を創り出したのが俺でも?」
「………え?」
「それでも姫様は…俺を責めないんですか?」
ユージーンの突然の告白に、蓮姫は困惑する。
いつものように、からかっている訳ではない。
彼の表情がソレは事実だと物語っていた。
「…ジーン……それってどういう」
コンコン
蓮姫が真相をユージーンに問おうしたその時、慎ましやかなノック音が部屋に響いた。
「姫様。入っても宜しいでしょうか?」
「……はい。…どうぞ、ホームズ子爵」
ガチャ
「失礼致します。姫様、お身体の具合は如何ですかな?」
「足が動かないだけで、他は全く問題は無いです。すみません、子爵。迷惑をかけてしまって」
「何を仰られます。迷惑などと……しかし『人魚病』となれば事は一刻を争います。妃殿下とアクアリアの国王陛下より、アクアリアへの入国許可を頂きました。ユージーン殿、姫様を頼みましたよ」
「そうですか。感謝しますよ、子爵」
「え?アクアリアへの入国許可?」
アクアリアとロゼリアは敵対関係。
そう易易とロゼリアからアクアリアへの入国許可など出ない。
アクアリアの方もしかり。
むしろそんなに簡単に入国できるのなら、関係も『人魚病』もここまで悪化はしていないはず。
蓮姫の疑問を感じ取ったのか、ユージーンが口を開いた。
「ホームズ子爵は代々ロゼリアとアクアリア間の大使なんですよ。彼だけは、お互いの国を行き来出来るんです。勿論、両国王の許可が必要ですけど」
「わたくしの遠縁の娘が『人魚病』になったと、妃殿下もご存知でしたので許可は直ぐに下りました。また、アクアリア王も快く入国を受け入れて下さっています」
「なら、私達はこのまま」
「海の中の蒼き王国。アクアリアへと向かった方が良さそうですね」
子爵が退室した後、二人の間には沈黙が流れる。
ただ無言で蓮姫を着替えさせるユージーンと、ユージーンに着替えさせられる蓮姫
だが着替えが終わると、ソレは蓮姫によって直ぐに破られた。
「ジーン」
「なんです?姫様」
「取り敢えず、さっきの話は後回し」
「は?何言ってんですか、姫様」
蓮姫の思いがけない発言に、ユージーンは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。
さっきの話とは、十中八九ユージーンが『人魚病』を創り出した、という話だろう。
「当事者がここにいるのに、後回しとか普通ありえませんよ」
「普通じゃなくて結構……って前にも言ったでしょ。大元はジーンのせいかもしれないけどさ、今現在『人魚病』が流行っているのは別の人間か人魚の仕業でしょう。まずはそこから」
「………姫様」
「それにもし、話の内容にムカついても、今の私じゃジーンを全力で殴ったり蹴ったりできないしね」
ニイッと笑う蓮姫を見て、ユージーンは自分の口角が緩まるのを感じた。
(あ~~……なんか前にもあったな、こんなの。この人はホントに……)
ただふざけている訳でもない。
もしかしたら、本気でユージーンを殴りたいだけかもしれない。
それでも……コレは彼女なりの、捻くれた自分への優しさだと、なんとなくユージーンは感じていた。
「ジーン。おんぶして」
「嫌です。姫様なんですからお姫様抱っこされて下さい」
彼は普段通りの笑顔で蓮姫を抱き上げると、そのまま邸前に用意された馬車へと向かった。
ホームズ子爵邸を出た後、二人はガタゴトと馬車に揺られながら今までの話を整理していた。
「………で、怪しいのはイザベラ。彼女の正体って何?金や権力のある人間に近付いて、それを手に入れたい…とかかな?」
「ソレが一番妥当でしょう。子爵から聞いた話ですと、舞踏会に呼ばれた他の娘達も何人か『人魚病』になったそうです。しかし、ドロシーはピンピンしてるとか。あ、姫様も『人魚病』になった事で、お妃候補から外されたようですね。姫様の件は『王子が人魚姫以外に興味を持った娘だったのに…』と、お妃もかなり残念がってたみたいです」
「私としてはありがたいけど……そうなるとやっぱりイザベラが怪しい。娘を王の妃にして裏から王家を操って、権力や財政を好き放題とか?」
「結婚したら、また一年後に王子が死ぬかもしれませんね」
蓮姫は舞踏会で会ったドロシーの姿を思い返す。
ただ一心に王子を慕っていた少女。
彼女は母親の事を何か知っているのだろうか。
本当に今のシナリオ通りに事が運べば、一番傷つくのはドロシーだろう。
「イザベラが元旦那と王様を殺して、今回の『人魚病』も人魚を使って引き起こしてる…としたら…」
「相当なアバズレですね。女王の勅命も破ってますから極刑は免れません。まぁ、全てはタダの憶測ですよ。先ずはアクアリア王家に話を聞きましょう。丁度ついたようですから」
ユージーンの言葉通りに馬車が止まる。
ユージーンは先程と同じ様に蓮姫を抱きかかえると、馬車から下りた。
目の前には大きな灯台。
二人は知らないが、ここはルードヴィッヒとラピスが会っていた、あの灯台だ。
「アクアリアに行くんじゃないの?」
「これから行きますよ。アクアリアへの行き方は二つ。自らに術をかけて海の中へと潜るか、正規の手順を踏んで、この灯台の地下通路から入るか、です」
蓮姫に簡単に説明をしながら、灯台の入り口へと近付く。
灯台の入り口には、城の門番と同じ様に門兵が構えていた。
「王子とホームズ子爵より話は承っております。どうぞ、お入り下さい」
「王子からも……ですか?」
蓮姫は落ちないように、ユージーンの首に腕を回したまま門兵に尋ねる。
すると右側に居た門兵が二人に近付いていた。
「はい。王子は蓮様の事をとても気に掛けておいででした。ソレと……コレをお預かりしております」
「なんですか?この小箱」
蓮姫は門兵から渡された小さな箱を受け取る。
ルードヴィッヒからの餞別だろうかと思ったが、門兵から出たのは意外な言葉。
「王子からラピス姫への贈り物です」
「は?」
「………なるほど。確かにお預かりしました。アクアリアにつきましたら、ラピス姫にお渡ししますよ。姫様、落さないで下さいね」
ユージーンは一人で納得すると、門兵達の間を通り灯台の中へと入った。
蓮姫はただのパシリ扱いかと思っていたが、ユージーンの態度に他の意図があるのだと気づく。
「このプレゼント……なんか意味あるの?」
「アクアリア王家とロゼリア王家は敵対しています。しかし、王子とは友好的な関係のようですからね。王子からの贈り物を預かっている我々ならば、アクアリア王家も悪いようにはしない、という事でしょう。あの頭悪そうな王子にしては気が利いてます」
「そういう事か。………って!何これ!?」
蓮姫が不意に下を向くと、灯台の中は長い螺旋階段が続いていた。
上にも螺旋階段はあるが、見上げれば日の光が差し込んでいる。
しかし地下の方は所々ランプの光があるのみで、下に行くほど暗闇が広がっていた。