紅の王国 ロゼリア 5
「ごめん。石をダシにしたのは謝るよ。私はラピスっていう人魚姫を知らない」
「……ちっ。なら時間の無駄だな」
「まぁ聞いてよ。私は貴方と結婚したくて、この舞踏会に来た訳じゃないの。ホームズ子爵とも赤の他人。お世話にはなってるけどね」
「は?じゃあ何しに来たんだよ?」
「私達は『人魚病』について調べてるの。貴方なら何か情報を知ってるでしょ?」
「なんで人魚病についてなんか…ホームズ子爵の差し金が?」
「彼も関わってくれてるけど、大半は私の個人的好奇心。でも荒らすだけじゃない。理由を知りたいの。『人魚病』が何故、今の時期に流行っているのか」
小声で他の者には聞こえないように話す蓮姫とルードヴィッヒ。
疑うような視線を、彼は蓮姫に注ぐ。
その後は無言のまま、ダンスは終了してしまった。
だが、一礼するとルードヴィッヒの方から声を掛けてきた。
「ここじゃ話しにくい。バルコニーに移るぞ」
王子は妃に『この娘と少し話したいので外に出てきます』と告げると、つかつかとバルコニーへ歩いていった。
妃は驚きを隠せないようだったが、息子が人魚以外に好意をを持ったのだと思い、その申し出を許す。
残された蓮姫には貴族達の興味の眼差し、娘達の嫉妬を感じながらも、バルコニーへと王子の後を追った。
外に出ると、王子はバルコニーの手摺りに手をかけ、寄り掛かるように夜風を受けている。
蓮姫が隣に立つと、王子は蓮姫の方を見ずに語りだした。
「俺とラピスが初めて出逢ったのは、10年前。岩場で遊んでいた俺は大波に攫われ、海へと引きずり込まれたんだ」
ルードヴィッヒは過去を懐かしむような、愛しい相手を脳裏に描きながら語り出す。
月光に照らされた紅い髪が、ソヨソヨと夜風に揺れる。
貴族や王族等の深窓の姫君は、口を挟むこと無く王子の話に耳を傾けるだろう。
が、残念ながら彼の話を聞く相手は、深窓の姫君とは程遠い蓮姫。
「あ、人魚姫との馴れ初めとかはどうでもいいから。聞きたいのは『人魚病』についてだけだし」
それはもう、バッサリと、一国の王子の話を切り捨てた。
王子は軽くコケそうになるが、寸でのところで堪える。
「はぁ?お、お前なぁ!」
「そんなの聞かなくても、ルーイが人魚姫……ラピスさんにゾッコンなのは見ててわかるからね」
「……ルーイって」
「初めて会った時、自分から名乗ったんでしょ?ちなみに…私の事覚えてる?」
「………はぁ。蓮、だろ」
王子はため息を吐くと、ようやく蓮姫へと向き直った。
しかし、その表情は先程までのやる気の無い物とは違う。
やっと本気でまともに話せる段階にはこぎつけたようだ。
「覚えててくれたみたいだね」
「そりゃな。あんな貴族らしくない姫様は、忘れたくても印象に残る。……お前よりも、腹立つ従者の方が、忘れたくても忘れらんねぇけど」
ユージーンの事を思い出したのか、王子の額に青筋がピクピクと浮かぶ。
その言葉に、蓮姫は苦笑いしかできなかった。
「あ、あはは…ごめん。ホントにごめん」
「別にお前が謝んなくてもいいけどな。で、『人魚病』についてだけどよ……何が知りたいんだ?」
「どうして今の時期にアクアリアが『人魚病』を広めたのかを知りたいの。ルーイとラピスさんが認められないのはわかる。でも……だからって、女王の勅命を破ってまで『人魚病』を広める意味がわからないの」
「…………今回、『人魚病』を流行らせたのはアクアリアの人魚達じゃない」
「…え?でも『人魚病』はアクアリアの人魚達しか」
「俺はガキの頃から、親父やお袋の言いつけを破って、アクアリアまでラピスに逢いに行ってた。だから知ってる。アクアリア王家は『人魚病』を流行らせたりなんかしない。そんな根性腐ってねぇし、女王の勅命を破るほど愚かじゃねぇ。仮に誰かが『人魚病』を流行らせても、王家の者が治す。そういう奴らだ」
王子の口から放たれたのは、蓮姫の考えとは真逆の物だった。
しかし、それではつじつまが合わない。
「ちょ、ちょっと待って!人魚達が関わってないって言うの?でも実際『人魚病』は流行ってるし、人魚達だって治してくれてないんでしょ?」
「人魚はロゼリアに入る事を深く禁じられてんだよ。こんな事態だから戒厳令を解いても良い筈なのに……あの女が親父達に意見しやがった。『始祖の取り決めを破るなど、人魚にも劣る行為を誇り高きロゼリアの王がなさっては民への示しがつきません』ってな」
「あの女……もしかして、イザベラ=コルベット?」
「よくわかったな」
「怪し過ぎだからね、あの人。でもソレはソレ。ルーイもラピスさん達に『人魚病』を治してって頼まなかったの?」
「頼んだに決まってるだろ!ラピスにもアクアリア王家にも!!でも……無理なんだよ」
「無理って……なんで」
「王子様。わたくしも一緒にお話をしてもよろしいですか?」
不意に聞こえた不協和音。
二人が一斉に振り向くと、そこに居たのは
「……ドロシー」
「もしかして……お話の邪魔をしてしまいましたか?申し訳ありません」
全く持ってその通りだ。
と、二人は同時に心で目の前でシュンと落ち込む少女につっこんだ。
が、さすがに口には出せない。
(あれ?イザベラとドロシーはジーンが相手をしてるんじゃ…)
蓮姫は確かに、王子の元へと向かう前、ユージーンに二人の相手を頼んだはずだ。
ドロシーの向こう……ホールへと目を向けると、ユージーンと目が合う。
ユージーンは蓮姫の視線を受けると、左手を顔の前に垂直に出し、前髪に隠れていない方の紅い瞳をウィンクすると、口パクで蓮姫へと告げた。
『ご・め・ん・さ・い』
(……ごめんさい。じゃないっつの!!つーか『な』が抜けてる!?イヤ『さ』なのか『な』なのかわかんないけども!)
まるで語尾に、ハートマークでも付きそうなほどの笑顔を向けるユージーン。
余りにも可愛こぶったユージーンの仕草に、蓮姫は軽く……いや、大分殺意が湧いた。
「ドロシー。何か用か?」
「すみません。お妃様より『そなたも王子の元へと行っておいで』と命ぜられまして。……ご迷惑でしたか?王子……えと…」
「御挨拶が遅れまして申し訳ございません、ドロシー嬢。わたくしはホームズ子爵の遠縁にあたります、『蓮』と申します。以後お見知りおきを」
ドロシーに顔を向けられ、蓮姫は今までのように貴族の姫君さながらの所作で対応する。
蓮姫の挨拶を受けると、ドロシーはニッコリと幼さの残る可愛らしい笑顔で返した。
「蓮様。わたくしはドロシー=コルベットと申します。蓮様や貴族の方とは違い低い身分の者ですが、その様な御挨拶、嬉しく思いますわ」
ドロシーのその笑顔、喋り方、所作を間近で受け……蓮姫は単純に、彼女が苦手だと感じた。
ドロシーは顔こそ似ていな いが、醸し出す雰囲気が、あのソフィアに良く似ていたからだ。
「………そろそろ冷えてきたな。二人も中に戻るぞ」
「え?」
「宜しいのですか?王子様と蓮様は、何かお話をされていたのでは?」
「もう終わったからいい。俺は先に戻る」
そう告げると、王子はさっさとホールへと戻って行った。
蓮姫の側を通る際、小声で彼女にある言葉を告げて。
「あの……蓮様。わたくし…本当に、御邪魔してしまったのですか?」
「お気になさらないで下さい。本当に王子とは話が終わったのです。ドロシー嬢は、何も気に病むことはございませんわ」
「……蓮様は…お美しく優しいですのね。それに私とは違って、本当のお姫様。王子様には…蓮様のような方が……お似合いなのだと思いますわ」
そう話す少女は、姿以上に小さく見えた。
目尻には薄っすらと涙も見える。
「母もお妃様も……わたくしを王子様の妃に、と考えております。でも……蓮様のような方が居られるのなら…」
「………ドロシー嬢。失礼を承知でお聞きします。貴女のお気持ちはどうなのですか?」
「わたくしは……初めてお逢いした時から…王子様をお慕いしております。でも……わたくしが何より望むのは、王子様の幸せだけですもの」
「………ドロシー嬢」
「っ!も、申し訳ございません。蓮様をいつまでも夜風に当たらせるなど…王子様に怒られてしまいますわね。…そろそろ戻りましょう」
そう言ってホールへと戻る少女。
やはり何処か似ている。
ソフィアに。
それ故に、蓮姫はドロシーが苦手で、それ故に嫌いになれないタイプだ。