紅の王国 ロゼリア 3
ー翌朝・ホームズ子爵邸ー
「……んっ」
カーテンの隙間から溢れる朝日に身をよじりながら、蓮姫は薄っすらと目を開ける。
「おはようございます、姫様」
「っ!?はぎゃっ!!」
目を覚ました蓮姫の目の前。
彼女が寝起き早々に見たのは、自分のヴァルの笑顔のドアップだった。
「姫様~。もうちょっと色気のある悲鳴とか出せないんですか?マジで」
「……から………い…」
「はい?何ですか?」
「朝からウザいっ!!」
ボスッ!!
蓮姫は飛び上がるように上体を起こすと、ユージーン目掛けて枕を思いっきり投げつけた。
今回はユージーンの顔面に直撃する。
ズルリと顔から落ちた枕を片手でキャッチすると、ユージーンはやれやれと蓮姫に枕を返す。
「……姫様。女王になる方がそんな言葉遣いでは、下々(しもじも)にしめしがつきませんよ」
「いちいちうるさいな。……あ~、なんで朝から怒鳴んなきゃなんないわけ」
ガシガシと頭を掻きながら蓮姫はふと、自分の身体を見て気づく。
「あれ?なんでネグリジェ着てるの?私」
「あぁ。寝る前に俺が着替えさせましたから」
サラッと問題発言をぶちかますユージーン。
また殴られるか怒鳴られるだろうと彼は思っていたが、蓮姫の反応はとても淡白だった。
「そう。ありがと」
「あれ?怒らないんですか?」
「昨日借りた服だと寝辛いと思ったから着替えさせてくれたんでしょ?そもそもジーンが私に下心なんてあるわけ無いもん。それとも何?悲鳴上げてほっぺた引っ叩かれたかったの?」
「はい。………って、嘘ですよ。あからさまにドン引かないで下さい」
『なら一々キモい事言うな』とユージーンに釘を指すと蓮姫は立ち上がる。
ユージーンはそんな蓮姫の着替えを手伝い、蓮姫もされるがままドレスに袖を通した。
その時、ユージーンと密着した事で彼から薄っすらと、しかしむせ返るような甘い香りがする事に蓮姫は気づく。
「ジーン?」
「はい。何ですか姫様」
普段通りの笑顔を自分に向けるユージーンに、蓮姫は問い詰めるのをやめ、話を変えた。
「子爵にお世話になってるから仕方無いけど……やっぱドレスとかめんどくさい」
「ワガママ仰らないで下さい。貴族の邸で簡素な服着てる方がおかしいんですからね。それに、今晩はもっと豪華なドレス着てもらいますから」
「は?なん…っグェ!」
ユージーンがドレスのウエストをギュッと絞ると、蓮姫は蛙のような悲鳴を出す。
コレも蓮姫がドレスを嫌う理由の一つだ。
「だから、せめて色気ある悲鳴出して下さいってば」
「~っ!ならせめて、締める前に一言言ってよっ!で、なんで今晩………まさか」
「えぇ。そのまさかですよ。本当に姫様の察しの良さには感服しますね 」
ユージーンのニヤリとした表情と言葉で、蓮姫は今晩何があるのか、自分は何をすべきかを理解した。
「子爵の遠縁の姫君。身分は充分。姫様なら見た目も良いですから、全く問題ありません」
「はぁ…わかった。ありがたいことにダンスマナーや立ち居振る舞いは公爵邸で叩き込まれたからね。ボロは出ないと思うけど」
「そうですね。喋らなければ本物の貴族の姫よりも姫らしいですから」
褒めているようで貶されている。
ユージーンとしては逆かも知れないが、蓮姫はムカついたことに変わりないので、背中のリボンを直すユージーンに肘打ちを食らわせた。
夕刻
ガタガタと馬車に揺られながら、蓮姫とユージーンはロゼリアの王族の住まう『ロゼ城』へと向かっていた。
ロゼリア王子の妃を選ぶ舞踏会に参加する為に。
「……確かに、ロゼリア王家ならアクアリアの人魚達が今の時期に『人魚病』を広めた訳を知ってるかもしれないけど…なんで私がフリフリドレスを着て参加しなきゃいけないの?」
「ですから、何度も申し上げた通りですよ。今回の舞踏会が一番すんなりと疑われずに城に入れるから、です」
しれっと答えるユージーンだが、蓮姫は彼の方を見ずに窓枠に肘をかけながら景色を眺める。
外には広大な海が広がり、その底には恐るべき病を広めた美しい人魚達がいるのだろう、と思いながら。
「気分が乗らないのはわかります。俺一人でも城に忍び込むのは簡単ですが……舞踏会参加者のお付の者が城の中で迷った…という方が万一見つかった時にも言い訳できますしね」
「ジーンなら迷わずに殺しそうだから、その判断は嬉しいけどね。むしろジーンが女装した方がよっぽど美人じゃないの?私なんかより」
「俺もそう思いますけど、絶世の美女過ぎて目立っちゃいますから断念しました」
「………する気だったんだ…女装……しかも肯定されんのもムカつく」
とは言えユージーンの言葉も尤もだ。
普段から他人の目を釘付けにする程のユージーン。
今は上等なグレーの燕尾服を着ているせいか、その美貌は普段の比ではない。
(ジーンが女装したら、王子を誑しかねないな。……男に負けるとか…人魚姫が哀れすぎる)
「大丈夫ですよ。姫様も充分美人ですから。充分」
「………なんで充分二回言った?」
「あ、そろっと着きますかね」
「……舞踏会終わったら絶対に蹴ってやる」
貴族の姫らしからぬ発言をかます蓮姫に、ユージーンは声を上げて笑った。
(まったく……自分の姿をもう少し自覚してほしいもんだな。…この姫様には)
赤と白を基調としたフリル満載のボリュームあるドレス。
長い黒髪を巻いた蓮姫は、どこから見ても完璧にお姫様だ。
美しい
単純にユージーンはそう思った。
馬車から降りると、蓮姫はユージーンに手を引かれながら城の中へと入ろうとした。
が、寸前で門番に止められる。
「失礼致します。招待状の御確認をさせて頂きたく」
「どうぞ。ホームズ子爵宛に届いた物です。この方は子爵の遠縁に当たる蓮様です」
屋敷を出る際、子爵から預かった招待状を懐からユージーンが取り出し門番に渡す。
彼は招待状に目を通すと一礼し、納得はしたようだ。
「大変失礼致しました。では御一人ずつ、こちらの魔法陣の上を通り、城内へとお入り下さい」
「はい。それでは姫様、参りましょう」
蓮姫は門番に言われた意味がわからなかったが、ユージーンは理解したらしい。
それに、後ろから他の招待客も続々とやって来た。
ユージーンが素早く蓮姫の手を引き、前進する。
言われた通り紅い塗料で描かれた魔法陣の上を、ユージーン、蓮姫の順で上がるが、何事も起こらない。
蓮姫は拍子抜けしたが、一応門から離れた頃にユージーンに問いただす。
「今の魔法陣って何?何も起こらなかったけど、いいの?」
「いいんですよ。むしろ何か起こったら良くて突っ返されるか、悪くて投獄ですね。アレは『人魚避けの呪い』の一種ですよ。反応するのは人魚に対してだけです」
「人魚避け……そうか。王子と相思相愛の人魚姫…もしくは近い者が来ないとも限らないから」
「昔はともかく、今の人魚は丸一日は人間に変身出来ますからね。あの魔法陣に入れば術は解けて魔法陣の中に封じられます。そこまで警戒する辺り王子と人魚姫の種族違いの恋は真実みたいですね」
「……ジーン。ずっと気になってたんだけど」
「なんですか?」
「前にルーイが言ってた『人魚狩り』……それに今の魔法陣。もしかして、率先してロゼリア王家が人魚を?」
「恐らくは。昔……それこそ『人魚病』が流行っていた時期に同じ事がありましたからね」
その瞬間、ユージーンの顔は表情を失う。
正確には、普段の飄々(ひょうひょう)とした物ではなく、忌々(いまいま)しげな顔をしていた。
そのあまりの禍々(まがまが)しさに、蓮姫はゾクリと全身に鳥肌が立つのを感じる。
が、何事も無いようにユージーンは蓮姫へと振り返ると耳打ちしてきた。
「そんな事より見て下さいよ姫様。どいつもこいつもブスなりに着飾ってますね。馬子にも衣装とは言うけれど、及第点すら出せない奴ばかり。良かったですね。姫様が一番お綺麗ですよ」
「何言ってんの!?綺麗な人ばっかで逆にいたたまれないんですけど!」
「大丈夫ですって。八割は本当に庶民ばかりみたいですし。ロゼリア王家も本気で庶民と結婚させる気は無いと思いますよ」
「どういう意味? 」
「この舞踏会の本当の意味はアクアリアへの牽制です。人魚と結婚させるくらいなら庶民の方がマシ。そう当てつけてるだけで、本当なら貴族出の妃の方が面目は保てますから」
そんなコソコソ話をしている二人だったが、急に会場が湧き出しそちらへと目を向ける。
王子と現王妃のお出ましかとも思ったが、どうやら違うらしい。
会場の視線を独占していのは、二人の女性。
一人は蓮姫よりも若い娘。
もう一人は王子の妃候補とは言えない熟女。
この二人は母娘なのだろう。
「アレが噂の未亡人ですの?」
「えぇ。どう取り入ったのかは知りませんけれど、陛下やお妃様にも大変気に入られているとか」
「貴族でもないのに王家の別邸に住まわせているらしいですわ」
ヒソヒソと数少ない本物の貴族の姫達の言葉。
その話し声は蓮姫とユージーンの耳にも届く。
「有名人なのかな?」
「イザベラ=コルベットとその娘ドロシー。一年程前から王家に厄介になっていますね。元々はとあるロゼリア内領主の妻だったようですが、夫が死んでから城に出入りするようになり、今ではお妃の相談役や使用人達の教育係も兼ねています。イザベラはお妃が現在最も信頼している女ですよ」
「……良く知ってるね」
蓮姫はユージーンの短時間内での情報収集力に驚きながらも感心していた。