紅の王国 ロゼリア 1
紅の王国 ロゼリア
宝石採掘や装飾技術に優れ、それにより繁栄した国。
主に宝石やその原石を使った商業が栄えており、それ目当ての行商人が行き交う。
扱う物が高価な為か、その技術の高度さか、民の間の貧困の差はそれほど大きくは無い。
勿論、貴族や庶民の格差はあるが、庶民達の中には自らの腕で富を築き上げた者が多く見られる。
国の半分、主に西側が海に面しており、西の港には多くの行商船が常に並んでいた。
活気に満ちた華やかな国。
ただひとつ
どの家や店にも、白い旗がかかっていること以外は。
「あれは……どうやら王族の誰かが死んだみたいですね」
「軽く言わないでよ。でも、もしかして『人魚病』のせい?」
「いえ、『人魚病』は命を奪う病ではありません。それにしても……ホントに『人魚病』が広まってるんですかね?」
ユージーンは周りを行き交う人々、主に女性達を見ながら呟く。
それは蓮姫も気づいていた。
王族が死んだのならば、国全体で喪に服すのが通例。
しかし、街は活気に満ちており、特に女性達は意気揚々(ようよう)として…どこかはしゃいでいるようだ。
「なんか女の人の方が、元気じゃない?ガセネタかな?」
「ともかく、ホームズ子爵の邸に行きましょう。子爵なら詳しい事情を知っているはずですから」
「あ、ホントに厄介になるんだ」
「昨夜…いや朝方か?ちゃんと言ったじゃありませんか」
「そうだけど……大丈夫なの?ジーンの知ってる人じゃなくて、その子孫だよ。先祖が信用できても、子孫が同じとは限らないんじゃ?」
「平気ですって。さぁ、とっとと行きましょう」
ユージーンに手を引かれるまま歩いて行くと、大きな邸へと辿り着く。
つまりここが子爵邸なのだろう。
ユージーンは門前に立つと、大声で『すいまっせーん!!』と門番に向って叫んだ。
不審そして無礼極まりない。
当然門番に文字通り門前払いを受けるが、ユージーンが何かを耳打ちすると、門番は慌てて邸の中へと駆け込む。
数分後には身なりの整った白髪の老人が現れた。
「これはこれは。弐の姫様とその従者様。このよな粗末な邸においで頂き光栄で御座います」
「世話になりますよ、ホームズ子爵」
「ほっほっほ。まさか本当に貴方様が……いやぁ、長生きはしてみるものですなぁ。ささ、お疲れでしょう。どうぞ中にお入りください。今、食事と湯浴み、寝室の準備をさせておりますので」
「では、お言葉に甘えて。参りましょうか姫様。……姫様?」
目の前で繰り広げられるユージーンと老人……(恐らく彼が現在のホームズ子爵だろう)の自然なやりとりに呆気にとられる蓮姫。
「いやぁ……なんかあまりの展開の速さに面食らっちゃって。えと、子爵様」
「私に敬称は必要ございませんよ、弐の姫様。色々と疑問はございましょうが、先ずは中に入り、ごゆるりと身体をお休めください」
右手を胸に当てながら、うやうやしく腰をおるホームズ子爵。
全く同じ動作をユージーンがしていたが、その差は歴然。
彼の紳士さはその言葉や動作からにじみ出ていた。
「ジーンにも見習ってほしい」
「え?老けろって事ですか?」
「紳士さを見習えっつの」
二人は夫婦漫才めいたやりとりをしながらも、ホームズ子爵にエスコートされるまま、邸へと入った。
中に入ると数人の使用人に、蓮姫とユージーンは別々の場所へ案内される。
蓮姫が案内されたのは
「どうぞ。ごゆるりと身体を温めて下さい、姫様」
「あ、ありがとうございます」
浴室……と言うよりも大浴場。
公爵邸もそうだったが、貴族の邸の風呂は一人で入るには勿体無いほどの広さだ。
蓮姫が浴室に入ると使用人達も数人、後に続く。
彼等は主人や客人の着替えは当然、背中を流すことも仕事に入っている。
公爵邸でも繰り返されていた事だが、今の蓮姫はすんなりと身を任せられない。
特に他人へ素肌を見せる事には抵抗があった。
「あ、あの……私、一人で大丈夫ですから」
「姫様、遠慮なさる事はありません。これがわたくし達の仕事ですので。お客様のお世話をするよう主人から承っております」
「(遠慮とかじゃなくてさ!!)じゃ、じゃあせめて!外で待っててもらいたいんですが」
「…………はぁ。そういう訳には参りません」
蓮姫の言葉に困惑しつつも、溜息を吐く使用人の一人。
彼女に悪気は無いのだろうが、蓮姫はビクリと身体を震わせる。
公爵邸でも蓮姫が、少し一人にしてほしい、と頼むだけで使用人達はあからさまに嫌な顔をしたものだ。
「失礼しますよ、姫様」
「じゅ、従者様っ!?姫様は今、湯浴みをされるところです!」
「知ってますよ。姫様のお世話は私の仕事ですから、皆さんは下がってください 」
急に現れたユージーンに、蓮姫よりも使用人達が動揺する。
主の世話は従者の仕事だが、蓮姫の…女性の入浴を男の従者であるユージーンに任せるのは、如何なものか………そもそも女が風呂に入ろうとしてるのに堂々と入ってきた男に動揺するなというのも無理だ。
しかしそんな使用人達に構うつもりは最初から無いユージーン。
蓮姫も、助かったと内心思っていた。
「子爵も了承済みですよ。姫様の事は私にお任せ下さい。姫様、よろしいですか?」
「うん、お願いジーン。皆さんはお構いなく。本当に大丈夫ですから」
二人に言われ、納得はいかない使用人たち。
それでも自分達の主人が了解しているのなら、使用人である彼女達には何も言う権利はない。
使用人達はすごすごと浴室から出ていった。
「ありがとジーン。助かった」
「でしょうね。俺は外で見張りしてますから、ゆっくりと入って早めに出てくださいね」
「それ結局どっちなの」
ユージーンもいなくなり、一人になってから蓮姫は湯浴みを済ませた。
別に世話をやかれたくない訳ではない。
公爵邸に居た頃から常に使用人がいた為、今更恥じらいもない。
しかし今の蓮姫は、他人に身体を見られたくはなかった。
湯船に浸かりながら、蓮姫は浴室の外に声をかける。
「子爵は?」
「食事の準備をしてくれてますよ。心配しなくても、ここは安全です。姫様の湯浴みが終わったら、子爵にロゼリアの現状を教えるようにも伝えてありますから。話はそこで詳しくしますよ」
「なんでそんなに信用してるの?子爵もジーンも」
「知りたかったら早くあがって下さい」
「なら、もう出ようか?」
「何言ってるんですか?ちゃんと肩まで浸かって100数えなきゃダメですよ」
「だからどっち?ジーンじゃなくてオカンって呼ぶよ」
「それはごめんこうむります」
蓮姫はツッコミを入れながらも、広い浴槽の中で大きく伸びをした。
ジーンがそこまで言うのなら大丈夫だ、と。
お互い悪態もつくが、蓮姫は心底ユージーンを信頼しているから。
数分後
「はい。終わったよ」
「はい。お疲れ様でした。では子爵の元へ行きましょう。食事でもしながら、のんびりと話を聞かせてもらわないと」
「ジーンは入らないの?」
「俺は後で大丈夫ですよ。姫様を一人にする訳にもいきませんしね」
ユージーンはスタスタと、しかし蓮姫とはあまり距離をとらずに歩き出す。
蓮姫も濡れた髪をタオルで拭きながら後に続き、廊下や階段の壁に飾られている肖像画を眺めながら歩いた。
それは全て同じ人物であり蓮姫はその絵を見て少し首を傾げる。
髪を拭く手を止めるとポタポタと床に落ちる水滴の音。
その音に蓮姫は朝方会った青年を思い出した。
「そういえば、ルーイもかなり濡れてたよね?潮の香もしたし…真夜中に海水浴でもしてたのかな?」
「さて……どうでしょうね?さ、姫様どうぞ」
「あんたの邸じゃないでしょう」
ユージーンが開けた扉の先は大広間だったらしく、貴族や裕福な家庭にありがちな長いテーブルにごちそうが山ほどのっている。
こんなに食べれないんてすけど……とも思ったが、横にいる男を見て蓮姫はその心配も無いな、と席についた。
「じゃあ、亡くなったのはロゼリアの国王なんですか?」
目の前にある鴨肉のローストを切り分けながら、蓮姫はホームズ子爵に聞き返す。
ちなみにユージーンは驚くほどのスピードで料理を平らげていた。
「はい。半年程前より陛下は肺を患っておられました。お亡くなりになられたのはつい先週の事でございます」
「その割に街の様子がおかしいですね。国王が亡くなり、『人魚病』の患者がいる。にも関わらず活気に溢れているとは。特に女達が。そんなに亡くなった国王は人徳が無かったんですか?」
「………ジーン」
「ほっほ。構いません姫様。この方……ユージーン殿の物言いは存じております」
「すみません子爵。実はその事も気になっているんです。どうして千年間も封印されてたジーンと、ロゼリアの子爵である貴方が面識あるんですか?」
蓮姫の疑問はもっともだが、ユージーンは自分の事だというのに、我関せずといった具合に食事を進める。
蓮姫の問いに子爵はやんわりと紳士的に笑顔を向けた。
公爵よりも年上の老人だというのに、蓮姫はその笑顔にときめきそうになる。
「では、順々にお話して参ります。まずは陛下がご崩御された事に、民はたいへん悲しみました。陛下はとても民に支持、信頼された方でしたから。しかし翌日にお妃様より出された命に民は、特に女性達は心躍らせる事となります」
「お妃様の命令……ですか?」
「はい。次期国王である王子の伴侶、つまり新しき妃を探す為に舞踏会を開くと。貴族や名のある商家の後ろ盾があれば身分は問わぬ、というものでした」
「まるでシンデレラみたい。……でも、一国の王子の妃を庶民からも選ぶんですか?それにそんなに急がなくても」
「ロゼリアの王位継承にはしきたりがあるんですよ。王位を継承する者には伴侶がいなくてはならない、とね。確か先王が死んで50日を過ぎたら、実の子供であろうと王位継承権を失います。このまま王子が結婚しなくちゃ、王位は実の息子の王子ではく、亡くなった国王の兄弟か、その子供達。継承権が変わるのは……戦争、反乱、革命の種になるだけですね。あ、ローストビーフおかわり」
ユージーンの言葉に頷く子爵。
しかしそれでも蓮姫は腑に落ちない。
「貴族や王族なら婚約者がいるんじゃないんですか?」
「殿下が幼い頃、レムスノアの末の姫君と婚約されていました。しかし、王子はそれをある日キッパリと断られまして……」
今まで流麗に説明してきた子爵が口ごもる。
何か言い難い事なのは蓮姫でもわかった。
「つまり、女王陛下と親類であるレムスノアとの婚約を破棄した為に、他の国からも断られた…という訳ですね」
「あのブ……女王陛下を敵に回す事など、どの国も家も望んでませんからね。あ、シーザーサラダおかわり」
世界を統べる女王に喧嘩を売る様な行為をした国と、わざわざ婚約したい国があるはずも無い。
貴族も女王に目をつけられるのは困る。
だからこその庶民。
王子が王位に付けば貴族や商家は甘い汁を吸えるし、もし女王に目をつけられるような事があれば簡単に切り捨てられる。
蓮姫は身勝手な上流階級者に怒りを覚えるが、それでも妃となり庶民から抜け出すのを望んでいるのは彼女たちだ。
それにそんな事をこの場で子爵に言っても、なんの意味も無い。
蓮姫はグラスに注いである水と一緒に、怒りを体の中へと流し込んだ。
「で、子爵。『人魚病』の患者は現在何人ですか?あ、さっきのシーザーサラダですけど、トマト抜いてくれます?」
「『人魚病』の患者は現在30弱といったところです。当然、患者の娘達はお妃候補からは外されます」
「『人魚病』は感染る病気じゃないですよね。発生理由も人魚が関わっている事以外は不明ですし。そういえば……なんで今の時期に人魚達は『人魚病』を?」
「それが……殿下が婚約をお断りになった事と理由がありまして……その……殿下はアクアリアの姫君を妃に迎えたいと仰ったのです」
「え!?それって800年前と同じ!?」