忍び寄る魔の手 1
蓮姫が王都を出てから三日。
彼女とそのヴァル(仮)のユージーンは未だ森の中にいた。
パチパチと燃える焚き火に照らされながら、彼女は向こう側に横たわるユージーンを見る。
水晶に囚われていた頃の地面までつく長い銀髪は、腰の辺りで切りそろえられていた。
彼の胸には短剣が刺さり、口からは血が流れている。
瞳は長い前髪に隠れ、彼独特のオッドアイは見る事はできない。
一見すると、森の中で起きた殺人事件。
しかし、蓮姫はため息をつくと、死体にしか見えない男に話しかける。
「いつまで死んだフリしてるの?ジーン」
「…………………」
「もう騙されないから………そもそも、まだ仮とはいえ主人の言葉を無視とかどうなの?」
「…………………」
「そんなに地べたが好きなら、街に出てもジーンだけ野宿してよね」
「……プッ、ハハッ!それは困りますね」
蓮姫の言葉に笑いがこぼれたユージーンは、そのまま起き上がると胸に刺さっていた短剣を躊躇なく抜いた。
そして前髪を…何故か左目を隠すように整えてから蓮姫へと話しかける。
「今回も、ちゃんと心臓まで届いてましたよ。姫様は人を殺すのが上手くなりましたね」
「全っっ然嬉しくない」
「俺は褒めてるのに」
「褒められるのが嬉しくない、って言ってるの」
つれなく返す蓮姫を見ながら、ユージーンは笑顔を浮かべた。
女王を魅了する程の美貌を持つ彼は、それだけでも画になる程に美しい。
口元を流れる血を拭う仕草以外は…。
「にしても、これで心臓の位置はわかったでしょう?随分慣れたみたいですし」
「わかりたくもなかったし、慣れたくもなかったけどね」
「はいはい。まぁ、相手が無防備な時なんてそうそうありませんけど、今みたいに刺せば大抵死にますから。あ、この短剣要ります?」
「はぁ……。いらないから」
「年季入りすぎて錆びついてますしね」
「そういう問題じゃない」
ユージーンが蓮姫のヴァルとなって彼は直ぐ蓮姫に『これから先を進む上で学んでほしい事がある』と言った。
それは人の殺し方。
当然、蓮姫は激しく拒否した。
しかし、女王や公爵の庇護にあった王都から出た今、弐の姫の命を狙う者がいてもおかしくは無い。
そうならない為のヴァル…ユージーンだが、彼とて四六時中べったりと蓮姫の側に居続ける事は不可能だ。
「仮に大衆浴場の女湯とかで刺客に狙われたりしたら、駆けつけるまでに時間かかりますからね」
その例えはいかがな物かと蓮姫は思ったが、自分の方も風呂やトイレに一緒に入られても困る。
何より自分の理想の為にも彼女は死ぬ訳にはいかない。
ユージーンなら問題は無いが、他の大切な者達………ユリウスやチェーザレ、レオナルド達が狙われた時、黙って指をくわえている訳にもいかないと気づく。
「相手は貴女を殺す気でかかってきます。なのに甘い事をほざいて『殺したくない!怖い!誰か助けて!』なんて思ってたら、相手の思うツボですから。最低限、自分の命を守る術は覚えておいてほしいんです」
そのユージーンの言葉に、彼女は戸惑いながらも首を縦に振った。
姫が人殺しの術を学ぶなど、非常識過ぎる。
だが、弐の姫の置かれる立場はそれ程に劣悪なのを蓮姫自身も知っていた。
それからというもの、ユージーンを練習台に蓮姫は心臓を短剣で一突きできるように繰り返した。
初めはガタガタと震えながら短剣を突き刺した。
ユージーンは刺された後、ピクリとも動かずに蓮姫の反応を楽しんでいたが、刺した方の蓮姫は気が気じゃない。
もし本当に死んでしまったら?
不老不死と言っていたが、何かの拍子に呪いが溶けて殺してしまったら?
何度も不安になりながら、彼女は短剣を刺し続けたのだ。
「さすがに52回も刺せば慣れますよね」
「もういいから、その話」
「他にも上手く戦える術や魔術なんかも学んでほしいんですが……いい加減この森にも飽きましたし、そろそろ進みましょう」
「また無視?」
「この間スルーされた分の可愛いお返しです」
ユージーンが服についた土を軽く叩いて落とすのを合図に、蓮姫も立ち上がる。
ちなみにユージーンの服……胸を赤く染めた血は、呪いにより時間はかかるがその身に戻り綺麗になっていた。
「さてと、少しずつですが森を進みましたからね。そろそろ出る頃ですよ」
「じゃあ、ロゼリアに入るの?」
「いえ。ロゼリアに行く前に、街や村とか山とか越えるので、つくのは……一週間くらい先ですかね」
「そうなんだ」
「あれ?『そんなに歩けない!』とか『遠いから嫌!』とか言わないんですか?」
「進むって決めたばかりなのに、歩くのを止める訳にはいかないもん」
そう言うと、蓮姫はユージーンを放ってさっさと歩き出した。
「…………ふ~ん。……あの女達よりよっぽど女王の素質があるかもしれないな。でも」
ユージーンは蓮姫の背中を見て楽しげに笑う。
「姫様~!!方向知らないのに先行かないで下さい。そっちじゃないですよ~!」
「っ!なら、早く来てよ!!」
ユージーンの話す通り、しばらく歩くと簡単に森を抜けることが出来た。
森の中は鬱蒼とした闇に包まれていたが、外に出てみると夕陽で街道が照らされている。
「いい時間ですし宿でもとりたいんですが……街までまだあるので、今日も野宿ですね」
「そうだね。………?ジーン、あっちに細い煙が上がってる。アレくらいだと民家の釜戸とか煙突じゃないかな?」
「あれ?ホントですね。千年も経ってるから家でも建ったのかな?」
「家どころか街や国が出来ててもおかしくない歳月だよね、普通」
よくよく考えれば彼の土地勘は約千年前の物。
蓮姫同様、今の世界の現状をほとんど知らない。
今更気づいた自分に蓮姫はため息をつく。
それが自分に向けられたと勘違いしたのか、ユージーンは嫌味で返した。
「すみませんねぇ。役立たずのヴァルで」
「ううん。本当の役立たずは私だから。ジーンは謝らないでいいよ」
「は?」
彼にしては、蓮姫が珍しくしおらしいと、感じる。
そう思うほどに蓮姫はユージーンに対して、遠慮がなかった。
過ごした時間は短いが、蓮姫はそれなりにユージーンを信頼している。
それは彼女が、ユージーンは自分の部下…ヴァルだと理解し接している証拠。
「とりあえず行こう。さすがに木の実だけじゃ、お腹空いたから」
「けっこう姫様ってサバイバーですよね。無駄に」
「無駄に千年生きてる奴に、無駄とか言われたくない」
そのまま二人は煙の出ている方角へと歩き出した。
二人が辿り着いたのは、蓮姫の読み通り民家だった。
小さな看板も出ており、そこには『宿』の文字。
「こんな街道の真ん中に宿屋ができたんですね。なんか小さくてショボイですけど」
「文句言ってる場合じゃないでしょ。すいませーん!!」
蓮姫が声をかけると、中からは恰幅のいい中年の女性が出てきた。
「はいはい。お待たせしましたね。お泊りですか?」
「はい。部屋は一つでいいんですが空いてますか?」
「は?」
普通に自分達は同室だと言い切るユージーンに、蓮姫は目を丸くする。
そんな彼女の視線に気づいたユージーンは、蓮姫に耳打ちするように話しかけた。
「今更でしょう?それに側にいないでどうやって貴女を守るんですか?」
「いや……それはそうなんだけど…」
「大丈夫ですよ。貴女に変な気を起こしたりとか、絶っ対にしませんから」
「安心できるはずなのに、ムカつくのはなぜだろう」
「あらあら。まだ若いのにあんたら夫婦かい?」
女性に聞こえないよう小声で話していた二人だが、そんなの気にも止めないように、女性は明るく二人へと話しかけてきた。
「ええ。新婚なんですよ。これからロゼリアにある妻の実家に向かう途中でして」
「まぁまぁ!お熱いったらないねぇ!腹は減ってないかい?部屋なら空いてるから、先に腹ごしらえでもどうぞ!!」
「では、お言葉に甘えて」
「あ、ありがとうございます」
なんの違和感もなしに嘘をつくユージーン。
何故か盛り上がる宿屋の女声。
そんな二人を見ながら、蓮姫は引き攣った笑顔で返すしかなかった。
「…………めちゃくちゃ食べるね」
蓮姫とユージーンは奥にある食卓へ案内され、二人の元に次々と料理が運ばれてきた。
それは豪華なものでは無く、ありふれた家庭料理だが味は良い。
ユージーンは半分以上を瞬く間に平らげてしまい、蓮姫も腹は減っていたが、ユージーンの食欲に圧倒され思ったよりも食べれなかった。
「いやぁ、久しぶりにまともな食事したんで」
「千年間、食事どうしてたの?死なないからって何も食べてなかったとか?」
「たまに鳥とか獣使って木の実を食べたりしてましたよ。あのブスが差し入れを持ってきた事もありましたし……まぁ、滅多に食べませんでしたけど」
「いくらなんでも……食べ過ぎ。はぁ……」
「今更なんですけど……姫様、路銀はどれくらいですか?足りますかね?」
「食べてから言わないでよ」
実は王都を出た際、藍玉からいくらかは貰ったが…この先を考えると節約して使いたかった。
蓮姫はポケットに手を入れ、彼女の唯一の私物を撫でる。
(コレを売ったら……多分お金にはなるんだけど………でも…コレは……ううん…贅沢は言ってられない)
蓮姫が考え込んでいると、台所から先程の女性と、彼女に負けず劣らずの体格をした男性が出てきた。
「いやぁ!旦那の方はいい食いっぷりだな!!作ったこっちも気持ちがいいってもんだぜ!!」
男……おそらく宿屋の主人は豪快に笑いながら、バシバシとユージーンの肩を叩く。
「ご馳走様でした。……それで…あの……おいくらですか?」
「お恥ずかしい話ですが……俺…私達は、あまり手持ちが無く…」
今更過ぎる申告だ。
足りないと決まったわけではないが、テーブルに積まれた皿を見る限り、良くて全財産を失うだろう。
普通ならば、怒鳴られて役所に突出されても文句は言えない。
しかし、そんな二人の心配は良い意味で裏切られる。
「なんだいなんだい?あんたら貧乏なのかい?仕方ないね。料金は取らないよ。ね、あんた」
「あぁ!新婚さんだしなぁ!それにこれからカアちゃんの実家行くんだろ?なのに無一文ってのはかわいそうだ!!」
「え!?そ、そんな!!払いますよ!!全部は無理でも!足りなかったら皿洗いでも何でもしますから!!」
有り得ないほど親切な主人達の言葉に蓮姫は戸惑う。
手持ちが無い訳ではないし、タダ飯を食らって、その上これから泊まろうというのだ。
とても有り難い申し出だが、そのまま受け取るには抵抗があった。
「いいんだよ!あんたらだけじゃなくて、今日泊まってる他の客もツケなんだからさ!こんなのウチじゃ日常茶飯事だしね!」
「そうそう!!ウチは親切が売りの宿屋なんだ!!人の親切は黙って受けるもんだぜ!!んじゃ、コレは部屋の鍵な!」
「んじゃ、ごゆっくり。あ!そうそう!部屋の壁は薄いし隣にもお客さんがいるからね。あんまり激しくするのはオススメしないよ」
何故か最後は下世話な話で締め、二人は食器を洗いに台所へと戻ってしまった。
「………凄いね。…親切でいい人達だな」
「………親切……ねぇ」
「さすがにチップぐらいは置いておこう。この世界の相場っていくらなんだろう?」
財布の中身を確認しながら、主人達に感心する蓮姫だが
ユージーンの方は、台所でボソボソと何かを話している主人達を、ジッ…と見つめていた。