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楽園の危機 7


その言葉と共にデルタの背から激しい痛みとガギィイイイン!!と耳を(つんざ)く程の激しい金属音が鳴響く。


デルタは咄嗟に生存本能の赴くまま、その場から数メートル横へと飛び退()いた。


彼女は剣を構えながらもガタガタと震え、突如現れ自分を攻撃した男を見つめる。


それは自分を確実に殺せる絶対的強者に向ける弱者の恐怖の眼差しだった。


(今……今私は死んでいた!間違いなく殺す気だった!!)


そんなデルタからの視線を受ける男はクルクルと刀を回しながら気の抜けたように喋り出す。


「え~……鉄板仕込んでたとかウザ~。こんなゲロ弱雑魚をしくじるとかありえないんだけど。……まぁいいや。どうせ背中だけだろうし。それなら首チョン切ればいいだけだもんね」


デルタを攻撃し一瞬で彼女の心を死の恐怖へと引きずり落としたその男とは、蓮姫もよく知るあの危険人物。


「……ジョ……ジョ…………カ……さ」


真っ青な顔色をしたまま震える唇でやっと彼の名を呟く蓮姫。


名を呼ばれた本人は呆れたような軽蔑するような視線を蓮姫へ向けて……いや、見下している。


「なにその弱っちい姿。無様なんだけど。俺の子供を産むんだからそんな醜態晒さないでよね」


「……う……産みませ………てか……絶対に……イヤ」


疲弊(ひへい)しきっていても心外な言葉には黙っていられず、蓮姫は心底嫌そうに反論という名の悪態をつく。


だがそんな蓮姫の態度はジョーカーことシュガーのお気に召したらしい。


「な~んだ。元気じゃん。良かった良かった。うん。いいね。凄くいい。俺、君のその目好きだよ。アハッ!ゾクゾクしちゃう!」


顔を若干赤らめ恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべながら興奮気味にとんでもない変態発言をするシュガー。


恐らくここが戦場でなければ誰もが彼を『変態』『危ない性癖男』『頭がヤバい奴』とドン引きするだろう。


それもあくまで他人の評価でしかなくシュガー本人には自覚すら無いが……何より、こうなったシュガーは彼の母親同様止まらない。


「やっぱ子供だけじゃなくて俺と結婚もしよっか。そしたらさ、毎日毎日そんな目で俺を見つめてくれるんでしょ?それって最高に楽しいじゃん!アハッ!これが楽しい楽しい新婚生活ってヤツだね!うん!決ーめたっ!帰ったら母上に結婚の報告しよっと!」


「ちよっと!冗談でもやめ……っ!!?」


流石にシュガーの暴走を止めようと声を荒げ立ち上がろうとした蓮姫だったが、彼女は両手で口を抑えると再び(うずくま)り、その体はガクガクと震え出す。


「母さんっ!」


「姉上っ!大丈夫ですかっ!吐きそうなんですかっ!?」


未月と残火が慌てて蓮姫の体を支え、必死な形相で呼びかけるが今の蓮姫には二人の声すら届かない。


(ダメだ!ダメだダメだダメだダメだ!)


真っ青な顔でガクガクと震えながら自分に言い聞かせる蓮姫は誰よりも自分の体の状況を理解していた。


正確には何故ここまでの事態になったかまでは理解していない。


それでも……今、気を抜けばどうなるかは理解していた。


((こら)えろ!堪えろ堪えろ堪えろ堪えろ!堪えろ!!)


「あれ?その目どうしたのさ?」


シュガーの言う『その目』とは、ツゥ……と一滴の血が涙のように流れた蓮姫の左目。


それは……もう蓮姫がどんなに(こら)えようと、気を張っても、手遅れな事を意味していた。


自分の意思と反して口が膨れ上がるのすら今の蓮姫は気づかない。


(堪えろ!堪えろ!堪え……)


「ブッ!!」


ついに堪えきれなくなった蓮姫は大量の血を吐き出した。


「ゲホッ!ゲホッ!!オエッ……ゲブッ!」


「キャア!!あ、姉上っ!姉上ぇええ!!」


「母さんっ!!どうしたんだ!母さん!」


心配を通り越しパニック状態になる未月と残火に返す言葉すら告げられない蓮姫。


なんとか二人を安心させたい、落ち着かせたい蓮姫だったが、口を開いて出てくるのは言葉ではなく血ばかり。


溢れ出る血と共に咳も止まらない蓮姫は呼吸すらままならない。


吐血の量も尋常ではなく、血を吐く度に顔は更に青白く、視界も徐々に狭くなっていき意識までもが遠のいていく。


(……血が…止まらない。……息が……でき……な……)


苦しむ蓮姫を前に為す術を何も持たない未月と残火は、ただ必死に彼女の体にしがみつく。


標的である弐の姫を仕留める絶好のチャンスが到来したデルタは、シュガーが蓮姫の傍にいる為に動けずにいる。


(……ダメ……し……かり…………しなぃ……と……)


意識を保とうとなんとか自分を鼓舞する蓮姫だったが、それは全て無意味に終わり、血を吐き続けた彼女はついに倒れてしまった。


「姉上っ!姉上嫌ですっ!しっかりして下さいっ!ねぇっ!姉上ぇ!!」


「母さんっ!俺っ!俺どうすればいい!?教えて!嫌だ……俺嫌だ!母さんが死ぬの嫌だ!」


泣きながら訴えかける二人の声にも蓮姫の体はピクリとも動かない。


そんな中……やっと動いたシュガーは残火の体をグイと横に押し退け蓮姫の顔を覗き込んだ。


「ちよっと退いて」


「あ、姉上を助けてっ!お願いっ!!姉上を助けてよ!姉上をっ!!」


「チッ。うるさいな。退いてって言ってんじゃん。……殺そうかな」


「っ!?残火っ!!」


シュガーの殺気を感じた未月は慌てて残火の腕を引き、震えて泣きじゃくる彼女を抱き締めた。


「未月っ!どうしよう!姉上が!姉上がっ!」


「残火!今は……黙って。お願い……残火まで…………っ、嫌だ」


蓮姫を失うかもしれない現状から更に残火まで殺される想像をした未月は、カタカタと震えながら腕の中で泣き続ける残火に懇願する。


自分を包み込む腕の力が強まったと同時に微かに震えているのを感じた残火も、未月の服に顔を埋めながら叫ぶのをやめ 、ひたすらに泣き続けた。


「黙った?ならそのままにしててよ。……で、どうしたのさ?」


「………………」


「無視……って訳でもなさそうだね。ふーん」


返答どころか反応すら示さない蓮姫の体を仰向けにすると、その口元にシュガーは自分の片手をかざす。


「……息してないし。…………心臓はどうだろう?」


遠慮も躊躇もなく蓮姫の左胸に手を置いたシュガーは、一つ頷くと次の瞬間その手に魔力を込めた。


ドンッ!という強い衝撃音と共に、蓮姫の体は大きく仰け反ると口からまた大量の血を吐き出す。


「ゲボッ!!ゲホッ!ハァッハァッ……ハァ……」


「ほら。助けたんだから早く何とかしてよ。銀髪さん」


シュガーが呟いた直後、三人の背後からユージーンが現れた。


「っ、姫様っ!!」


未月と残火の叫び声が聞こえ蓮姫の異変を感じ取ったユージーンは、アルファもキラも全てを放り出し蓮姫の元へ駆け出していたのだ。


シュガーが蓮姫から一歩引くとユージーンが蓮姫の体を抱き上げる。


「ゲホッ……………ジ……ジーン?」


「姫様っ!大丈夫ですか!俺の声!聞こえてますか!?目は!?見えてますか!?」


「だ、だいじょ……」


「大丈夫じゃないのは分かってます!とりあえず治せる所は治しますから!」


今の言葉にピクリと眉を動かしたシュガーは、回復魔法を使うユージーンの様子を見てパンパン!と大きく手を叩く。


「ちょっとー!回復魔法使える奴来てー!いるんでしょー?皇太子命令だから早く来てー!来ないと全員殺すよー!」


呑気な声でとんでもない死刑宣告をするシュガーの元に、慌ててギルディストの騎士団員や親衛隊員数人が駆け寄った。


「お待たせ致しました!シュガー様!!」


「シュガー様!いかがなさいましたか!?」


「はぁ?見たら分かるでしょ。弐の姫がヤバいんだから早く治して。もし死んだり治せなかったら全員殺すから」


「か、かしこまりました!」


「弐の姫様!失礼致します!」


「お体に触れる無礼お許し下さい」


シュガーの命令を受けた女性の魔道士は蓮姫の体に直接触れ、男性の魔道士は手をかざし、それぞれが回復魔法を発動させる。


蓮姫の体が血色を取り戻すとシュガーはウンウンと満足そうに頷いた。


「コレで良し、っと。銀髪さんって強いのに回復魔法は苦手なんだね。戦うだけなら別に困らないからいいけど」


「…………ジョーカー様」


軽口をたたくシュガーを睨みつけるユージーンだが、その視線もまた蓮姫の時と同様にシュガーを喜ばせるだけだった。


恍惚とした表情とは違うが、シュガーは心底楽しそうに微笑む。


「あ、銀髪さんに睨まれるのもいいね。でも感謝もしてよね。無理矢理だったけど止まってた心臓動かしたし、喉に溜まってた血も吐き出させたんだからさ」


「それは……感謝しております。魔道士を集めてくれた事も」


「だってあのままじゃ弐の姫は本当に死んでたでしょ?何させたら死ぬほどの不可が体にくるのさ。ちゃんと大事にしてよね」


「……っ、てめぇに言われる筋合いねぇんだよ」


ギリ……と歯を食いしばりながら敬語をやめてシュガーへと噛み付くように告げるユージーン。


それはただの八つ当たりだと本人も分かっているが、この苛立ちを誰かにぶつけずにはいられなかった。


魔道士に囲まれ横たわる蓮姫の姿……それは彼女と親しい者なら目を背けたくなるような光景。


吐血を無理矢理手で押さえ込もうとしたせいで蓮姫の顔の下半分は血がこびり付き、口元からは小さくヒュー…ヒュー……と通常とは明らかに違う呼吸音が微かに聞こえる。


目元や額は血で汚れてはいないが青白く、血が付いている部分と比例して余計に生気を感じられない。


両目は固く閉ざされており、血にはた両手はピクリとも動かない。


それでも口元から微かに聞こえる音と僅かに上下する胸。


今の蓮姫は『生きている』。


『まだ生きている』だけなのだ。


それでも蓮姫は『まだ死んでいない』。


死にかけの蓮姫を必死に助けようと回復魔法をかけ続ける魔道士達の顔にも焦りの色が見える。


「脈は!?」


「まだ弱いですが徐々に回復しております!」


「体温はどうだ!?」


「上がってはいるけど基準値には達してない!私達は体温マッサージをして血流を更に上げるから皆はそのまま続けて!でも一人は心臓の活性化を促す補助魔法を!」


「了解した!」


慌ただしく指示を出したり動く魔道士達だが、今の会話で蓮姫の体は着実に回復しつつあると分かる。


それに安堵のため息を落とす未月と声を殺しながらポロポロと泣き続ける残火。


だがユージーンだけは険しい表情で自分の拳を強く握りしめていた。


蓮姫の体が徐々とはいえ回復しているのは喜ばしい事だが……それ以上の感情がユージーンの中に渦巻いていたからだ。



ユージーンは心の何処かで蓮姫がこうなる事を予想していた。



あの神殿内では正体不明の強い何かにより蓮姫の力を妨害されていた。


そんな空間で蓮姫は無理矢理に高度な魔法を何度も使った。


中でも死者の魂魄……それも複数人同時にこの世に呼び寄せるという芸当は、仮に蓮姫の状態が万全だったとしても危険な行為だった。


今の今まで蓮姫の体に何事もなく見えたのは『シャングリラを救う』という彼女が自分で定めた使命への意志が強く働いていたから。


どんなに疲労を感じても、不調を感じても、自分自身を騙し、騙して、動き続けてきた蓮姫。


それでも……そんなものいつまでも続くはずはなく遂には限界を迎えた。


蓮姫が瀕死に(おちい)るという結果で。


(クソッ!あの時に……あの時に姫様を止めていれば!!こんなことには!!)


「何その顔?君のせいなの?」


「…………黙れ」


後悔と自責の念に(さいな)まれるユージーンに、シュガーは無神経な言葉を描ける。


(うな)るようにユージーンの口から出た言葉は否定ではない。


だからこそシュガーは更なる追い討ちとなる言葉を無遠慮に続けた。


「ふ~ん。君のせいで弐の姫は死にかけたんだ?君が弐の姫に何かしたの?」


「………………黙れって言ってんだろ」


「あ、そっか。逆か。君は何もしなかったんだね」


「っ、…………」


何かを感じ取ったシュガーはポンッ、と納得したように手を打つ。


それがどれだけ空気を読まない行為だろうと、相手の神経を逆撫でする行為だとしてもシュガーには関係ないし興味もない。


現にユージーンはシュガーに殴りかかったりはしなかった。


何も知らない、関係の無いシュガーの言葉こそ的を得ていたからだ。


むしろ、殴りかかるどころか、自分が鈍器で殴られたような衝撃をユージーンは受ける。


身体ではなく……心と脳内に。


本当は分かっているのだ。


誰よりも理解しているのだ。


蓮姫がこうなった原因は自分に……ユージーンにある、と。


蓮姫をあの時止めなかった負荷が来た。


あの時とは『死者の魂魄を呼び寄せたこと』『神殿に入ったこと』『海賊達と行動を共にすること』……上げたらキリがない。


蓮姫の心を常に尊重してきた。


それが彼女の命を尊重しない事へ繋がると薄々感じていたのに。


それでも……あの時の蓮姫の選択は間違ってもいない。


蓮姫が行動を起こさなければ全員ツルギに殺されていたし、ツルギもまた完全な化け物になっていた。


そうなれば誰一人として救われなかった。


どちらが正しかったかなどユージーンには決められない。


どちらを選んでも結局はユージーンが後悔するだけ。


今更自分の行動を悔やみ自分を責めても、そんなもの何の意味もない。


「まぁ、どうでもいいけどね。あの子もこれくらいで死ぬんなら価値ないし。あの蒼牙さんの息子とかいうゴミと同じだね」


「これくらい……だと?」


シュガーは更なる無神経発言を繰り出すが、今度ばかりは苛立ちを(あらわ)にするユージーン。


それは、かつての蓮姫の姿を彷彿させるものだった。


殺気すら放つユージーンだが、それを一身に受けているシュガーの表情は全くと言っていいほど変わっていない。


「これくらいでしょ?考え無しで魔力使い切って勝手に死にかけてるんだから。こんなのただの無駄死にじゃん」


「っ、てめぇに……てめぇに姫様の何が分かるってんだっ!!」


「は?分かる訳なくない?そもそもあの子は弐の姫なんだよ?理解しようって人間の方が珍しいじゃん」


どこまでも無遠慮でありながら、どこまでも的を得ているシュガーの言葉。


ギリギリと奥歯を噛み締め、拳を握りしめながらもユージーンが行動に移さないのは、その言葉をしっかりと受け止めている証拠だ。


「あのさ。それこそ弐の姫が死んじゃったら永遠に彼女を理解なんて出来なくない?だから無駄死に、なんだよ」


蓮姫がどれだけ人を救おうが、蓮姫を慕う人間がどれだけ増えようが……その結果、蓮姫本人が死んだら何の意味もない。


蓮姫が生きていなければ、蓮姫が志半ばで命を落とせば……蓮姫という少女はこの世界の殆どの人間の記憶にすら残らないだろう。


ただ王都から逃げた挙句無駄死にした愚かな弐の姫としてだけ。


そんなつもりはサラサラ無いだろうが、次にシュガーの口から出たのはユージーンのを奮起させる言葉だった。



「君ってさ、弐の姫を守る為にいるんじゃないの?」


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