楽園の危機 4
届かないと分かっていながらも、海底に深く沈んでいく友に向かって手を伸ばすキラ。
しかし眼前にあるのは、何処までも広い真っ青な水平線と震える自分の指先だけ。
友の姿は既に何処にも無い。
その直後、キラは衝撃を受けたように大きく目を見開くと震える手のひらをギュッ!!と握り締め、直ぐにまたマストへ振り返り魔法を放つ。
「爆発する風【ウィンディボム】!爆発する風【ウィンディボム】!爆発する風【ウィンディボム】!爆発する風【ウィンディボーーーム】!」
前進する為に魔法を一心不乱で乱射するキラ。
そんなキラに向けてユージーンは一言だけ声をかける。
「………………いいのか?」
「何がだっ!?」
「てっきり『戻る』とか『引き返す』とか言うと思ったからな」
挑発的に告げられたユージーンの言葉に、キラの瞳は大きく揺らぐ。
だがキラの答えは決まっていた。
「っ、…………もどらないっ!!俺はシャングリラに行って仲間達をっ!リヴの子供を助けるっ!!それが……リヴの最後の望みなんだっ!!爆発する風【ウィンディボム】!」
深い悲しみとも強い怒りともとれる表情で叫び、再度魔法を放つキラ。
だが今の言葉で、ガイはある事実に気づいた。
「最後……?キラ…………まさかリヴは…」
ガイの小さな呟きに、キラは魔法を放つのをやめ、ダランと腕を下にさげ、俯く。
「………………俺には分かるんだ。……リヴは…………死んだ。…今……あいつは死んだよ」
それはリヴと唯一心を通じられるキラだからこそ分かったこと。
キラはリヴの命の灯火が消える瞬間を……確かに感じていた。
望まずとも、キラは友の……リヴの死を知ってしまった。
その悲しみがどれだけのものか、どれだけ辛いかを知るガイは、キラの肩をグイッと自分へ寄せる。
「泣きたいんなら泣け。我慢なんかするな」
「……ガキの頃……『男は泣かないもんだ』って、ガイが言っただろ」
「…………言ったな。でもな……友達死んで泣かねぇ奴は男でも女でもねぇ。ただの薄情もんだ。お前は……俺達の船長は…違うだろ」
「…………でも……俺は泣かない。まだ泣くわけにはいかない」
「……キラ」
「泣くのは……キラの子供を助けた後だ。全部終わらせてから……あいつと一緒に泣く。だから今はいい」
「………………そうか」
強く唇を噛み締めるキラに、ガイもそれ以上は何も言わなかった。
それからもキラとユージーンは二人で魔法を放ち続けた。
海が夕暮れで赤く染まり、蓮姫達の魔力も戻った頃……ついにシャングリラが見えてきた。
しかしそこは……昨日や今朝、蓮姫達が船から見た光景とは全く違う。
目の前に広がる真っ赤な景色。
海が、空が、島が、赤く見えるのは夕焼けのせいだけではない。
「っ!!?船長っ!!俺達のシャングリラがっ!」
「…………燃えてる」
シャングリラは……海賊達と海賊王に助けられた者達の楽園は…襲撃を受け、あちこちから炎や黒煙が舞い上がっていた。
バチバチと街が焼ける音に混ざり、何人もの悲鳴や泣き叫ぶ声が聞こえる。
「おいっ!あそこ見ろっ!!元奴隷共がっ!!」
「っ!!?」
海賊の一人が叫び、ある方向を指さす。
そこには鎖で繋がれた者達が、鎧で武装した者達に連行されていた。
鎖で繋がれているのは、このシャングリラで生活していた者達。
キラに助けられた事で、やっと人間らしい生活が出来た『ブラウナードの奴隷』だった者達だ。
そんな彼等は再び、首や足、腕を鎖で繋がれ、鎧に身を包む者達に無理矢理引っ張られ歩かされている。
子供も大人も老人も、男も女も関係ない。
彼等は所々から血を流したり、服が焼けていたり、火傷をしていたり…中には腕や指が変な方向を向いていたりと……誰がどう見ても怪我人だと分かる者ばかり。
泣いている者だっている。
上手く歩けない者も、倒れる者もいる。
それなのに……鎧を着た者達は容赦なく、彼等を物のように扱い、鎖を引っ張り続け、港に停泊している大きな軍艦の方へと連行していた。
「っ、あの……ゴミ共めっ!!野郎共ぉっ!今すぐ船ごとシャングリラに突っ込むからなっ!全員しっかり捕まっ」
「待ってキラ!!全員で行くなら私がやるっ!!」
「蓮ちゃんっ!?」
「全員同時に!一気に行きますよっ!!」
キラの叫びを遮った蓮姫は一瞬で想造力を発動し、甲板にいた者を全員、シャングリラへと空間転移させた。
蓮姫らしからぬ突飛な行動だが、全員が戦闘態勢であることは彼女も知っていた。
船ごと突っ込めばキラや蓮姫達だけでなく、シャングリラの住人にも更なる怪我を負わせてしまう。
何より……あんなものを見ては、もう一瞬だろうと我慢できなかった。
それはキラも、蓮姫も、キラの仲間達も、蓮姫の従者達も同じ。
「うわぁああ!!」
「な、なんだ!?こいつらっ!?」
「っ!!キラ様ぁああ!!」
「助けて下さいっ!キラ様っ!!」
急に現れた殺気を放つ集団に、鎧の者達は慌てふためき、シャングリラの住人達は救世主の名を叫ぶ。
だがそんな中……全く動じていない一人の男が、キラ達に向けて一歩前へと踏み出す。
「おや。雁首揃えておかえりなさい。海賊の皆さん。いえ……皆さんには『奴隷強奪集団』の方が相応しいでしょうか?」
「っ!?貴方……昨日の船にいた!」
「おや?そちらの黒髪の女性は記憶力が良いようですね。さすがは海賊王の女……に、見えるだけはある」
前に出た男は、昨日の商船で誰よりも早く降伏した商人風の男。
だが今日は商人らしい装いではなく、上等な濃茶の軍服のようなものを身に纏っていた。
「先ずは礼儀として自己紹介を。私は『アルファ』と申します。私は『ブラウン』の隊長として、我等が国王陛下より『奴隷奪還』の王命を受け此処へ参りました」
彼の話す内容にキラや海賊達は驚きの表情を浮かべる。
「『ブラウン』だとっ!?」
「ブラウナードの……精鋭部隊の名前じゃねぇか!?」
「その通り。しかし我々はブラウナードの精鋭部隊と言われており実力者ばかりですが、その実体は王族直属の情報部に過ぎません」
「情報部?」
「そのブラウナードの情報部が、わざわざ武装してこんな海の僻地に何用ですか?」
蓮姫を背中で庇いつつ、ユージーンは冷静にアルファへと問いかけた。
「あの鎖で繋がれている者達は全て、元は我がブラウナードの貴族の奴隷や商品。つまりはブラウナードの所有物である事は既に調べがついております。全員が海賊に奪われた商品リストに載っていましたからね」
懐から紙の束を取り出すアルファ。
これが彼の言うリストらしいが、アルファはリストを片手にキラを見つめ…………蓮姫が予想もしていなかった……とんでもない、衝撃発言をする。
「そういえば……貴女もリストにありましたね。ブラウナードへの輸送中この海賊団先代の船長に奪われた大和先帝の御子、光の君。いえ…………光姫様」
アルファがキラに向けて放った言葉に、蓮姫も残火も星牙も衝撃を受ける。
特に蓮姫の頭の中では、今のアルファの言葉と共に蓮姫が知る物語や情報がグルグルと渦巻いていた。
(キラが…………あの光の君?…でも……光姫ってことは!!?)
想造世界では光の君が活躍する源氏物語を、そして大和では竹取の翁達から話を聞いていた蓮姫。
この世界に来て想造世界とは違う『人魚姫』や『かぐや姫』の物語にも遭遇した。
だとしてもコレは、今まで知っていた物語と違い過ぎる展開。
蓮姫はどう反応すべきか分からず、キラ含む海賊達へと視線を移す。
当然キラ本人や仲間のガイ、海賊達も目を見開いて驚いていたが誰一人として反論しない。
特にキラとガイ以外の海賊達は驚きの表情を浮かべながらも、誰も彼も顔色が真っ青。
そしてユージーンと火狼はまったく動揺しておらず、静かにこのアルファと名乗る男を見つめ警戒を一切緩めない。
アルファはキラを『光の君』と言った。
しかもその後、わざわざ『光姫』と言い直した。
蓮姫達は例外として、一般的に『姫』とは王の娘、または王族や皇族の女性に向けられる敬称。
つまりこの言葉の意味は……。
誰も何も喋らない中、再びアルファが口を開く。
「おやおや?皆様揃って何を驚いたフリをしているのです?何年も寝食を共にしているお仲間が、船長の性別を知らない訳がないでしょうに」
その言葉にハッとした海賊の一人が慌てたように、一気に喋りだした。
「そ、そうだぜ!お前が言うように俺達は船長とずっと一緒にいたんだ!俺達は全員船長が男だって知ってるもんな!なっ!!」
「お、おうよ!せ、船長は海の男だぜ!女なんかじゃねぇ!」
「そ、そうだぜ!船長がお、女な訳…ねぇじゃねぇかっ!どっからどう見ても男だろっ!!はっ、ははっ!ははは~…」
最初の一人を皮切りに、口々に『船長は男だ』と言い出す海賊達。
だが視界はあっちこっちを向いていたり、声が裏返ったり、下手な笑いで誤魔化そうとする者までいる。
彼等の思惑とは真逆に、仲間が船長を想ってのこの行為が、更にアルファの言葉が真実だと訴えていた。
「はぁ……。ただ肯定する返事よりも真実味や説得力のあるお話。感謝致しますよ。海賊の皆々様」
そんな海賊達に呆れながら深いため息をつくアルファは、哀れみの目をキラへと向ける。
「流刑となったとはいえ一国の姫だった方が、奴隷よりも更に低俗で下劣な海賊にまで成り下がるとは。その上、何処までも『王』の座に縋り付き、いつまでも男のフリを続ける……。その卑しい性根は母親譲りですか?光姫」
「っ、貴様ぁ!!」
「おっと失礼。もはや貴女に『姫』という言葉は相応しくありませんでしたね」
丁寧な口調ではあるが、その内容は誰がどう聞いてもキラを見下している。
アルファはまるで煽るようにキラへの言葉を止めない。
「かつては次の帝とまで持て囃された方が、今や海にのさばる無法者を束ねる犯罪者。故郷の方々が聞いたらさぞや嘆かれる……事はありませんか。貴女は大和で、父である先帝を母と伯父と共に謀った大罪人ですから」
「違うっ!!母上は帝を謀ってなどいない!!」
アルファの言葉に激昂するキラだったが、対するアルファの方は淡々と言葉を続ける。
「『姫』ではなく『皇子』だと帝や民を謀った事が露呈されたから、貴女は流罪となったのでしょう?大和でなくとも他のどの国でも重罪案件です」
「民を欺き!俺を皇子扱いしたのは帝の方だ!」
「そこはどうでも良いのです。大和の元姫だった方。原因の事実ではなく、結果の事実こそ重要なのですよ?」
何処までも冷静に答えるアルファとは対照に、キラは怒りのままフーッ!フーッ!と荒い呼吸を繰り返し、目の前の男を睨みつけていた。
そんな中、蓮姫は怒りに顔を歪めるキラを背にする形で一歩前へ出ると、アルファと同じ冷静な口調で語りかける。
「……そうですね。貴方の言う通りだと思いますよ」
「っ、蓮……ちゃん」
蓮姫のその言葉に顔を青くするキラと海賊達。
騙していた事への罪悪感からか、そんな蓮姫に誰も何も言わない……言えないでいた。
アルファの方はこの展開が面白かったのか笑みを浮かべている。
「フフッ。そちらのお嬢さんは我々へと寝返りますか?まぁ、惚れていた男が女だったと知れば、今までの愛情も温情も一瞬で消え去り裏切りたくなるのも無理は」
「何を勘違いしているんです?キラが男でも女でも私の大切な友達であることに変わりません。貴方なんかの言葉で、キラへの愛情も温情も友情も消えるわけないでしょう」
「おや?でも貴女は私の言葉に同意されましたよね?それも勘違いでしたか?」
「いいえ。それは勘違いじゃありません。私は貴方の言葉に深く納得しましたから」
そう答える蓮姫の黒い瞳には、街を燃やす炎だけでなく、彼女自身の強い怒りの炎が揺らめいていた。
「このシャングリラの惨劇は、貴方達の仕業で間違いないんですよね?ブラウナードの特殊部隊さん」
「えぇ。その通りです。間違いありません」
「わかりました。じゃあ……やっぱりこっちの方が重要です」
淡々と答えるアルファだったが、蓮姫はそれを聞いた直後、あのオリハルコンの短剣を抜き、アルファに向けて構える。
「キラがブラウナードの奴隷を奪ったという原因の事実より、今この惨状を起こした相手が…シャングリラの人々を傷つける相手が目の前にいる。その結果の事実の方が、遥かに重要です」