楽園の危機 2
この一刻を争う事態に更なるトラブル……クラーケン襲来。
時間をこれ以上、費やす訳にはいかないが、相手は海で最も強く恐ろしい怪物の一つ。
そしてクラーケンはキラの親友であるリヴ…リヴァイアサンの宿敵。
「このっ……クソダコめっ!!」
ブラウナードだけでなくクラーケンへも怒りを顕にするキラだったが、ここで無駄に戦力を消耗する事は出来ない。
キラはクラーケンへの殺意をなんとな押し込め、甲板や船内に散らばる部下達に向けて指示を出す。
「クソっ!!お前ら振り切れぇ!!」
「む、むぐぐぐぐっ!!無理だ船長ー!舵が動かねぇ!クラーケンの足がガッチリ船に絡んでやがる!!」
「船のあっちこっちから変な音聞こえてきやがった!!」
「うわっ!!船底に穴空いたー!水が入ってきたぞー!!」
「んな報告してる暇あったら樽でも大砲でも使って穴塞げ!水を入れんなっ!止めろよ馬鹿野郎がっ!!」
「船長っ!!このままじゃ先に進むどころか俺達全員船ごとお陀仏になっちまうよ!」
突然のクラーケン襲撃で海賊達は大パニック。
何人かはまだ冷静に対処をしているが、ほとんどの人間が慌てふためいている。
その上先程の船員の言葉通り、クラーケンの足は何本も船に絡みつき、至る所でミシミシと木が押し潰される音が響いていた。
シャングリラの者達の命を救おうと向かっていたキラ達海賊と蓮姫一行だったが、今はこの場にいる全員の命の方が危うい。
キラは駆け出すと舵輪へと向かう。
「なんとか動かすぞっ!」
「ぐっ!ぐぎぎぎぎっ!!」
船員と共に舵を動かそうとするキラだったが、やはり二人がかりでも舵輪はビクともしなかった。
ユージーンと火狼は目を合わせると大きく頷き、それぞれが蓮姫と残火の手を引いてまだクラーケンの足が絡んでいないマストへと走る。
「姫様!残火と共にこの柱に捕まってて下さい!!」
「残火!姫さん!絶対こっから手離すなよ!!」
「氷柱【アイシクル】!!」
「炎弾!!」
「雷の矢【サンダーアロー】!」
「でやぁああっ!!」
近くにあるクラーケンの足に向けてユージーンと火狼、未月がそれぞれ魔法を放つ。
星牙は二本の愛刀で巨大な蛸の足を切り裂いた。
足を二本破壊されたクラーケンだったが、引くどころか船を締め付ける事を止めず、残りの足は更に伸ばされマストまで絡みついていく。
むしろその力は強くなり、船べりや船首にはヒビが入り出した。
段々と悪化していく状況に、火狼は頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「だぁあああぁぁっ!!もうっ!チマチマ足を攻撃しても意味無ぇってか!頭は海に潜ったままで出てこねぇし!一体どうしろってんだよ!?」
「チマチマがダメならでっかいのだ!!ユージーン!火狼!物凄く強い魔法ぶっ放してくれよ!!」
魔法知識皆無の星牙が二人に向かって叫ぶが、それに対してユージーンもまた叫びながら答える。
「出来るかっ!こんな状態で上級魔法なんざ使ったら俺達にも直撃する!全員クラーケン諸共海の藻屑だ!」
「そ、そっか!じゃあ何もしない方がいいのか!?」
「このまま何もしなくても結果は一緒だけどね!?」
何処までも素直が過ぎる返答をする星牙と、こんな時でもツッコミを忘れない火狼。
だが今の会話で蓮姫はある突破口を導き出した。
「近すぎるからダメなの!?じゃあクラーケンを引き離す!」
「えっ!ちょっ!?姉上っ!?」
蓮姫はマストから手を離すと、甲板に両手を付き自分が今出せる限界まで想造力を発動する。
蓮姫の体が淡い光に包まれると、蓮姫を中心にその光は瞬時に船全体へと広がった。
それとほぼ同時にバシッ!という音が響きクラーケンの足が船から引き剥がされる。
蓮姫が何をしたのか誰よりも早く理解したのは、やはりユージーンだった。
「これは……結界!?姫様っ!!」
「ぐっ……ダメだ…………力が……もう…」
結界を張ることでクラーケンの体を船から引き剥がす事に成功した蓮姫だったが、その直後、彼女は真っ青な顔で甲板に倒れ込み、同時に結界も消滅してしまった。
ユージーンは慌てて蓮姫へと駆け寄ると彼女を抱きかかえる。
「姫様っ!大丈夫ですか!姫様っ!!」
「姫さんっ!無茶すんなよ!神殿で力使い過ぎたんだろ!」
「母さんっ!」
「姉上っ!!」
「蓮っ!」
とっくに限界を超えている蓮姫の体は想造力の発動に耐えられなくなっていたのだ。
「だ…だい……じょぶ。…クラ……ケン…は?」
「引き剥がせました。今の内に何とかしますから、体力が回復するまでもう想造力を使わないで下さい。お願いします」
悲壮なユージーンの表情が蓮姫の身の危うさを物語る。
これ以上蓮姫に想造力を使わせれば、また数日は昏睡状態に陥るだろう。
最悪、死ぬ可能性だってある。
その時、船の右側……蓮姫達の正面に当たる海面が大きく波打ち、ザバアッ!!という大きな音と共に海から巨大な蛸の頭が現れる。
蛸とはいえ巨大過ぎるその姿と、あのキメラより禍々しい気配が蓮姫達全員の身に悪寒を走らせた。
ギョロリと歪な目玉が自分達を捉えると、ユージーンは古くから伝わるクラーケンの呼び名を呟く。
「…海の……悪魔」
意図せず発せられたその言葉は、まさにこの魔物を表すに相応しいもの。
目の前にハッキリと現れた海の悪魔の全貌に、蓮姫達全員の身に死の恐怖が降り掛かる。
キラやユージーンのように知識が無くとも、今まで出会ったどの魔物よりも禍々しい気配に動物的本能が『死』を訴えかけてきたのだ。
体はピクリとも動かず、視線すら逸らせず、呆然とする一同だったが一人だけ恐怖に飲み込まれていないキラが声を上げた。
「クラーケンが離れた!今のうちに逃げるぞっ!取り舵いっぱい!」
「だ、ダメだ船長!舵が完全に壊されちまった!」
そう叫ぶ海賊の手元では、舵輪がグルグルと勢いよく回っている。
「これじゃ船が動かねぇよ!オール出して漕いでもクラーケンのスピードに勝てねぇ!」
「ならメインマストに風の魔法を当てて船を無理矢理方向転換!後にシャングリラに向けて前進させる!お前ら手伝え!」
キラは蓮姫の仲間達に向かって叫ぶが、それに対して火狼もまた叫び返す。
「無理ぃ!風の魔法とかいきなり言われても無理ぃ!!俺は炎専門なのぉおおおお!!」
「無理とか言わないでなんとかしてよ!焔ぁ!」
「…か…ぜの……まほぅ?……私…が…」
「母さんダメだ。…やめて……お願いだから」
「海賊王ー!魔法使えない俺にも何か出来ること無いのかーー!?」
全員が口々に叫ぶ中、ユージーンだけは冷や汗をかき、強張った表情でクラーケンを見つめている。
彼はクラーケンが全貌を現した瞬間、相手の力量を見抜き、今までの攻撃では絶対に倒せない事、そして逃げきれない事を悟っていた。
(コイツには上級魔法じゃダメだ!超級魔法でもなきゃ倒せねぇ!全員殺られる!)
海で最も恐ろしく、最も強い魔物を倒す為には並大抵の強い魔法では意味が無い。
しかし、いかなユージーンとて超級魔法を詠唱無しで放つ事は出来なかった。
「犬っ!未月っ!クラーケンに攻撃しろ!!」
「へっ!?」
「なんでもいいからぶっ放せ!詠唱の時間稼げ!」
「は、ハイよ!炎塊弾!」
「五本の矢!」
「残火。姫様を頼む」
「えっ!?う、うんっ!!任せて!!」
ユージーンは未だ立つことすら出来ない蓮姫を残火に預けると、その場に仁王立ちし、クラーケンを鋭い眼光で見据える。
『灼熱の炎よ。生きとし生けるもの全ての脅威。赫きを過ぎ、蒼きを超え、漆黒の……』
火狼と未月が魔法を放ち、その間に超級魔法の詠唱を始めるユージーン。
だが火狼と未月の魔法などものともしないクラーケンは、ユージーンの詠唱が進む度に船との距離を縮めていく。
また未月は神殿内での戦闘の疲労と魔力の消費により、強い魔法を乱発出来ずにいた。
そして火狼が放つ炎の魔法は元々水棲の魔物には効果が薄い。
魔法を放つ度に段々と二人の顔色も悪くなり、呼吸も乱れていく。
クラーケンが圧倒的有利な状態のまま、船には『全滅』という最悪の危機がもう目前まで迫っていた。
最後の希望であるユージーンの超級魔法も、クラーケンが船に接近し過ぎたら放つ事は出来ない。
(クッソ!!間に合うか!?)
ユージーンの顔に焦りがハッキリと現れる。
その時だった。
ピュンッ!!という音と共に一筋の閃光がクラーケンの頭部を貫いたのだ。
「ピジュア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア!!」
正体不明の閃光に頭部を貫通されたクラーケンは、耳を劈くような、甲高くもおぞましい悲鳴を上げる。
その閃光の正体に真っ先に気づいたのは、やはりユージーンだった。
「っ!!?今のは竜の咆哮【ドラゴンブレス】!?」
「竜の咆哮【ドラゴンブレス】!?オイオイオイ!!今度は竜まで来やがったのかよ!?」
竜の咆哮【ドラゴンブレス】とは人間や他の魔物は使えない、竜族だけが放てる高度で強力な攻撃魔法。
火狼はユージーンの言葉に新たな敵の出現を危惧した。
クラーケンですら手一杯の今、世界最強種族の竜まで現れれば彼等の勝機は完全に無くなる。
しかしユージーンはある可能性に気づいた。
「海に竜?……まさか!?」
「そんなっ!!?」
ユージーンは自分の中である予測をしただけだったが、キラは確信を持って叫ぶ。
今の竜の咆哮【ドラゴンブレス】は敵の攻撃などではなく、蓮姫達や海賊達にとっては味方の援護射撃。
この場で全員が助かる希望の兆し。
それでもキラにとっては……絶望に等しい一撃だった。
閃光が飛んできた先の海面には……海の悪魔クラーケンの天敵である海の竜。
そしてキラの大切な親友の姿だった。
「グァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
「リヴッ!!ダメだ来るなっ!頼む!やめてくれぇえええええ!!!」