楽園の危機 1
蓮姫一行とキラ率いる海賊達はその後、何の問題もなく神殿内を歩き、来た道を戻って行った。
途中何度か水棲の魔物に出くわす事もあったが、誰も怪我を負う事無く、全員が無事に船へ戻れた。
船に残っていた船医の老人や他の海賊達も、宝が無かった事に対して深く落胆していたが、それ以上に全員の無事を喜んでくれた。
問題が起こったのはその後……船が海面に浮上してからだった。
海面に出た船の頭上には一羽の白い鳥が旋回するように飛んでおり、船が現れた事で同じような白い鳥が続々と集まってくる。
よく見るとその鳥達は全て、黒い逆五芒星が描かれた水色のスカーフを首に巻き、足元には白い紙を括り付けられていた。
それにいち早く気づいた船医の老人が、船長であるキラに向けて叫ぶ。
「船長!アレは全部うちの伝書カモメだぞ!」
「なに!?」
「伝書…カモメ?伝書鳩じゃなくて?」
伝書カモメという聞き覚えの無い言葉に蓮姫が呟くと、キラは鴎達から目を逸らさず律儀にそれに答えてくれた。
「用途は鳩と同じさ。でも海上の俺達と陸のシャングリラで連絡を取る為には海を渡らなきゃいけない。だから鳩じゃなくてカモメにしたんだ」
「へぇ。そうなんだ」
キラの説明を聞きながら蓮姫はキラと同じようにカモメ達を見つめる。
(なんか想造世界の海賊漫画でも似たようなカモメが……って、カモメ多すぎない!?)
呑気な事を考えそうになった蓮姫だったが、直ぐにこの伝書カモメ達の異常に気づく。
これが彼等の連絡手段ならば、伝書カモメが船を見つけて飛んできた事は問題では無い。
問題はこのカモメの多さだ。
どう見ても船の上に集まっているカモメの数は10羽以上。
(なんでこんなにカモメが?まさか……シャングリラで何かあったの?)
当然この異常さに気づいているのは、蓮姫だけではない。
その中の一人、火狼は驚きつつも不審感を隠さず声を上げる。
「オイオイ。伝書鳩…じゃなくてカモメ多すぎね?しかも降りてこねぇし」
「戦闘中とかで勝手に降りてこないように躾てるからな。とりあえず一羽呼ぶ」
「キラ。数えたがカモメの数は13。シャングリラに置いてた奴が全部ここに来てるってのは」
「分かってる。俺は直ぐに手紙を確認するから、ガイは全員に全速前進する指示と準備を」
「了解だ。船長」
ガイに指示を出した後キラは指笛を吹き、もう片方の腕を伸ばして10羽以上いるカモメの中の一羽に向け指をさす。
キラに指を向けられたカモメは直ぐに下降し、伸ばされたキラの腕に止まった。
「ありがとな。お前らも降りてきていいぞ」
キラは降りてきたカモメを軽く撫でてやると、足に括られた手紙を外しながら頭上のカモメ達に向けて三回首を縦に振る。
それを見た他のカモメ達も甲板に降りてきた。
キラは片手で器用に手紙を開くと、内容に目を通すが直ぐにその顔は驚愕に染まる。
「なんだと!?」
「キラ!何が書いてあったの!?シャングリラは!?」
「どうやらシャングリラがブラウナードの軍艦に襲われたようです」
「ジーン!?なんで知って……あ」
蓮姫が呆然とするキラの代わりに答えたユージーンの方を振り返ると、彼の手には同じ手紙があった。
「アジトに置いていた連絡用のカモメが全部飛ばされたのなら、間違いなく緊急事態でしょう。嫌な予感しかしなかったので勝手に読ませてもらいました。しかしブラウナード軍は何故……いや、どうやってシャングリラに?」
「そうよね。シャングリラに入るには『リヴァイアサンの墓場』っていうヤッバイ海域を通らなきゃいけねぇし……その通り方だって海賊王さん達しか知らねんだろ?」
「それより!皆さんは無事なの!?書いてない!?」
「先に読んだ手紙には『ブラウナード軍がシャングリラに上陸し街が襲撃された』と書かれていましたが、こっちの手紙には『非戦闘員を全て隠し通路へ避難させた』とあります」
ユージーンは別のカモメから外していた手紙の内容を蓮姫へ簡単に伝える。
それにいち早く反応したのは残火と星牙。
「よ、良かった~!じゃあ女の人とか子供とか年寄りは大丈夫ですよ!姉上!」
「おお!残火の言う通りだぜ!あいつら元奴隷だもんな!戦えねぇ奴が安全な場所にいるなら一安心だぜ!」
シャングリラへの心配や不安で無口だった二人は、ユージーンの言葉に安堵と喜びの表情を浮かべて騒ぐ。
だが手紙を読んだユージーン、そして火狼と未月は固い表情を崩さない。
戦闘経験が高い三人の表情から、蓮姫は安心するどころか不安を駆り立てられる。
「…………ジーン…」
「姫様。カモメが順次飛ばされてきたのなら……ブラウナードの軍がシャングリラに上陸してから、かなりの時間が経っているはずです」
「ブラウナードの奴等があの海域を抜けてシャングリラに入れたってんなら、あの楽園には裏切り者や内通者が絶対いるぜ。そいつなら隠し通路の場所だって伝えてるはずだろ」
「…まだ……安心出来ない。……シャングリラ……危ない」
三人の言葉を聞き、蓮姫はキラの方へと振り返ったが、その瞬間に蓮姫の全身には寒気が走った。
蓮姫の視線の先……キラは怒りのあまりあの美しい顔を鬼のように歪ませ、歯を食いしばり、持っていた手紙を握り潰していたから。
ここまで怒り狂うキラを蓮姫は見た事がない。
あのブラウナードの商船にいた貴族と対峙した時でさえ、これ程の殺気は溢れていなかった。
「…………に………んだ…」
「…………え?」
「……人間なんだ。…お前らと同じ…人間なんだ。……なのに……なんで分からない。…なんで……なんでそこまで踏みにじれる…」
紙を握りしめながら呟き、ギリッと唇を噛み締めるキラの口の端からは血が滴る。
その言葉で、蓮姫の中にあったキラへの恐怖は完全に消えた。
蓮姫は俯きシャングリラの人々の笑顔を思い出すと、力強く拳を握りしめる。
(……あそこにいる人達は……シャングリラの人達は皆、キラが救った人達だ。シャングリラに来て、やっと友達と笑ったり、ご飯をお腹いっぱい食べたり、安心して眠れるようになったんだ。……そういう平凡な生活を……今までずっと…誰かに奪われてきた人達なんだ)
シャングリラの住人はキラの仲間の海賊と、キラがブラウナードから救った元奴隷…もしくは奴隷として売り飛ばされるはずだった者達。
そしてそんな彼等を今襲っているのもまた、ブラウナード。
キラの怒りは当然であり、蓮姫の中にも恐怖より怒りが沸々と湧き上がる。
恐れるべき相手はキラでは無い。
怒りを向けるべき相手はキラと同じ。
(それにあそこには……キラの大切な人が……結婚を約束した恋人だっている!)
「キラ!直ぐにシャングリラに戻ろう!皆を助けよう!!」
「当然だ!どいつもこいつも俺の大事な仲間だ!誰だろうが傷つける事は許さない!!」
「船長!準備オーケーだ!!」
「よし!シャングリラに戻るぞ!!全員戦闘準備もしておけ!!全速……いや、船がぶっ壊れるぐらいの速さで前進しろ!!」
「「「アイアイサァアアアアアアアア!!!」」」
覇気のこもった掛け声と共に、船は来た時以上のスピードでシャングリラへと戻る。
風圧でバタバタと靡く髪を手で抑えながら、蓮姫もその従者達も心の中で闘志を燃やしていた。
船が数キロ進んだ所でキラは戸惑いつつも蓮姫に声を掛ける。
「面倒事ばかりですまない。だが俺は君達まで巻き込むつもりは無い。シャングリラに戻ったら、俺か仲間が呼びに来るまで君達はこの船に隠れて」
「私達も戦う!!」
キラの言葉を途中で遮り、蓮姫は力強く答えた。
呆気に取られるキラに構わず、蓮姫は仲間達へと顔を向ける。
「皆もいいね!」
「とーぜん。ここまで来て無関係とか、隠れてのんびりとか無しっしょ」
「勿論いいです!姉上!あの人達やシャングリラの事情を聞いてるのに!黙って隠れてなんかいられませんっ!!」
「……母さんと皆が戦うなら……俺も戦う」
「弱い奴!戦えない奴を守るのが武人だ!!俺も一緒に戦うぜ!」
「まさに乗りかかった船です。この際、最後まで付き合わなきゃ寝覚めが悪すぎますね」
仲間達の言葉に蓮姫もまた力強く頷いたが、キラの顔は晴れず、むしろ曇っていく。
それに気づいたユージーンは、冷静に、しかし溜息混じりに告げる。
「はぁ…。巻き込むとか今更過ぎるんだよ。それにブラウナードの軍がどれだけいるか分からない。向こうの戦力が分からないなら、こっちの戦力は多い方がいいに決まってる。勝つ為にも、助ける為にもな」
「……だとしても……蓮ちゃんや残火ちゃんまで戦いに巻き込むのは…」
「キラ!!今襲われてるのは私達なんかよりよっぽどか弱い人たちでしょ!守らなきゃいけない人達でしょ!!」
まだ気が引けている……というか女の子である蓮姫と残火に気遣うキラなったが、そんなキラに蓮姫は容赦なく一喝する。
「……蓮ちゃん」
「襲ってるのがブラウナードって事は、キラが助けた人達は連れ戻されてまた奴隷にされる。それか……全員殺されるかもしれない。勝たなきゃダメだ。守らなきゃダメだ。その為に誰かの助けが必要なら、迷わずその手を取って!」
「っ、……蓮ちゃん」
片手を差し出す蓮姫の姿に、キラは目を潤ませた。
「私達にも戦わせてよ!一緒にシャングリラの人達や!キラの恋人を助けようよ!!守ろうよ!!」
「っ!!?」
蓮姫が『キラの恋人』という言葉を口にした瞬間、キラは目を見開き息を飲む。
あまりに驚いたせいか涙は流れることなく、むしろ引っ込んでしまい、ただ声の出ない口をパクパクしているキラ。
「…………俺の…恋人って…。……蓮ちゃん……なんで?……一体……誰から……っ!!?」
明らかに動揺しているキラだったが、その言葉が最後まで続く事はなかった。
突然、ドォオオオオンッ!!という大きな音と共に、船にとてつもなく大きな衝撃が走ったからだ。
甲板にいた蓮姫達はグラグラと揺れる船から海に投げ出されないよう、必死に傍にある柱や船べりに捕まる。
残火を庇うように抱きしめながら船べりに捕まる火狼は、同じように蓮姫を抱きしめ柱を掴むユージーンへと叫んだ。
「おい旦那っ!!これってまさか!!」
「チッ!よりによって……このクソ急い出る時に!!」
頭上でユージーンが舌打ちしているとザバァッ!!という大きな音と共に水飛沫が甲板にいる蓮姫達にかかる。
衝動的に首を振って水を飛ばす蓮姫の目に映ったのは、海面から空高くへと上がる……昨日見た巨大な蛸の足。
「く、クラーケン!!?」