『怨嗟の実』の覚醒 2
完全に煙が晴れると、ツルギの姿が……いや、ツルギだった者の姿が、この場にいる全員の目にしっかりと映る。
それはまさに……化け物としか言いようのない姿。
筋肉がボコボコと歪に盛り上がり巨大化した体は、あのガイすらも小さく感じるほど。
全ての五指からは獣のように鋭く、大きく、長く伸びた爪。
四肢も顔も、どす黒く変色した全身の肌。
ボタボタと涎を垂らし、牙をむき出しにした大きな口は耳まで裂けている。
あの血と闇を連想させた彼の目は、人間の何倍にも大きく見開き血の涙を流していた。
眼球の中央にある黒い瞳には光など全く宿していない。
額からは二本、細かく歪な螺旋状の長く太い角。
先程までのツルギと同じなのは、老人のような真っ白な髪の毛だけ。
その白髪がドス黒い肌と共に不気味さを更に際立たせる。
今のツルギは文字通り……化け物として覚醒した姿だった。
「………グ…グゥウウウゥゥ……グギッ……ガッ…………ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア!!」
真っ直ぐ正面へ向けて放たれた彼の声は、複数の人間の声や雑音が混ざったような音。
ツルギの声を微塵も残していない咆哮が広間に響くと、その場にいる全員の体が恐怖と威圧感でビリビリと痺れた。
隠れる事はせず、結界を張っていた反乱軍達はあまりの恐怖に結界が消えてしまい騒ぎ出す。
「ひ、ヒィぃぃぃぃ!!ほ、本当に覚醒しやがった!」
「で、デカい!2メートルは超えてるぞ!」
「なんて醜い顔と姿だ!あんなんもう人間じゃねぇ!」
「ば、化けも」
ビュンッ!ザシュッ!!
口々に反乱軍達が騒ぐ中、最後の一人が『化け物』と言い終わる前………それは起こった。
化け物となったツルギは一瞬で反乱軍達の元へ移動し、体を屈め、片方の角で反乱軍の一人の体を貫いたのだ。
「…………は?………え?」
腹部を貫かれた本人ですら、何が起こっているのか理解出来ずにいる。
この現状に誰よりも驚いているのは……ユージーンだった。
(………なんだよ今の?……見えなかった?…この俺が?………体が……動かねえ?)
ツゥ……と流れる冷や汗を感じながら、顔を真っ青に染めるユージーン。
今のツルギの移動速度はユージーンですら目で追えぬ程の速さ。
そして、あのユージーンすら怯えて体が膠着する程の威圧感が、このツルギ……化け物からは溢れ出ている。
ツルギは屈んでいた体勢を真っ直ぐにして仁王立ちになると、角に刺さりぶら下がった反乱軍の手足をそれぞれ左右の手で掴んだ。
そして……そのまま反乱軍の体を、いとも簡単に引きちぎる。
「ぎ、ぎゃああああぁぁっ!!」
ツルギの体と周りの人間には、殺された反乱軍の血がビチャッ!と飛び散り、辺りは血の海と化した。
「…ご……ゴワず。………ナニも……カも…ゴわッ…ズ……ゴワずゥウウウウウゥゥ!!」
天を仰いで叫ぶツルギの…化け物の姿に、反乱軍達は泣き叫びながら逃げ出した。
「……う、うああああぁぁっ!!に、逃げろぉ!」
「ば、化け物ぉ!化け物に殺されるっ!」
「し、死にたくない!こんな所で!死にたくないんだァァ!!」
だがツルギの目前から逃げ切れる者は誰もいなかった。
「逃げっ!……ぎゃあぁぁっ!!」
ツルギは目の前で逃げ惑う反乱軍達を一人、また一人と捕まえ、その体を破壊していく。
計り知れない握力で頭を潰したり、鋭い爪で体を真っ二つに割いたり、強固な顎と牙で腹部を食いちぎったりと……全て一撃で。
それは未月のように幼い頃から訓練された反乱軍の戦士達と、化け物になったツルギの差があまりにもデカすぎる証拠だった。
反乱軍達は今のツルギにとって虫けら同然。
子供が虫を殺すのと同じように、簡単に相手の体を引きちぎり、潰していく。
「ごワ…ズ!ゴろず!!はん…ラングん!…ガダ…ギ………とぉ…ザん…がァざ………ア゛ア゛…あザヒの……ガダぎぃいいい!ぜんブ……ぜんブゼンぶゥウ!ゴロじでやルゥあァァ!!」
叫びながら既に死体となった反乱軍達の体を、原型を留めない肉塊になるまで潰していくツルギ。
自分達の方に意識が向いていないこの隙に、ユージーンは未月の腕を掴むと空間転移で蓮姫の側へと移動した。
「っ!?ジー」
「お静かに。大きな声を出すと奴に気づかれます」
急に目の前に現れたユージーンに驚いた蓮姫だったが、彼の言葉を聞き、反射的に手で口を抑えコクコクと無言で頷く。
「姫様は未月と共に魔法陣を使ってこの部屋から逃げて下さい。想造力で犬の魔力を探りながら他の者達とも合流し、直ぐにでもシャングリラへ帰還を」
「っ、ジーンは?ジーンはどうするの?」
「俺は一人で時間を稼ぎます。不死身の俺なら死ぬ事はありません。殺す方法が無いのなら……戦いながら探るしかない」
「っ!?一人って……そんな無茶な!」
「奴に対抗出来るのは……攻撃に耐えられるのは俺しかいません」
ユージーンは既に覚悟を決めている。
確かに、不死身のユージーンなら殺される事はないだろう。
ただ……本当に時間稼ぎにしかならない可能性もある。
殺せる方法も、止める方法も無いと言われたのだから。
しかしユージーンの言葉を聞いた蓮姫は、数歩先にいたイアンへと駆け出し、彼の肩を掴んで必死に問いかけた。
「戻し方は!?」
「は?も、戻し方というと?」
「どうすれば!どうすればあの人を元に戻せるの!」
蓮姫はまだ諦めていない。
ツルギを殺すでも止めるでもない……人間へと戻す選択を、諦めてはいなかった。
しかし蓮姫の必死の形相や剣幕に押されながらも、イアンの回答は変わらない。
「も、戻すなど……出来ません。奴はもう人間ではなく、完全な化け物と変わりました。もう人間には戻れな」
「そんなことない!見えないの!?あの人……あの人はずっと!ずっとずっと泣いてるの!今も泣いてる!」
「ち、血の涙は、化け物に覚醒した際に細胞が」
「そういう意味じゃない!なんで見えないの!?あんなに泣きじゃくってる男の子が!なんで!なんで見えないの!?」
それは蓮姫だけに見えるツルギの姿。
初めてツルギの素顔を見た時は、ただ彼が泣いている姿が重なっていた。
だが化け物となった今のツルギに重なるのは……。
『ふっ……うっ。…父さん……母さん』
泣きじゃくる小さな男の子。
『うぅ……サクラ……フブキ……アサヒ…。みんな……みんな……殺されちゃった………いなくなっちゃった』
それが自分にしか見えない姿でも、幻覚でもいい。
彼は片手で胸を抑えながら、もう片手で溢れる涙を何度も拭っている。
『……痛い。…苦しいよ。……淋しいよ。……みんな……みんなに……会いたい……会いたいよぉ…』
確かに目の前の男の子は泣いているのだから。
自分にしか見えないとしても……蓮姫の目には確かに、その男の子が見えるのだから。
蓮姫はイアンの肩から手を離すと、そのまま乱暴に彼の胸ぐらを掴み、怒鳴った。
「見えなくても聞こえたでしょ!お父さん、お母さんの仇だって!さっきそう言ってたでしょ!?確かにあの人は!憎しみに囚われてるかもしれない!でもまだ人間の頃の記憶がある!まだ人間の心が残ってる!だから……だからずっと泣いてるの!!」
蓮姫らしからぬ乱暴な振る舞いに、ユージーンも未月も驚きを隠せないでいる。
ユージーンも、未月も、イアンも、他の反乱軍達も、この場にいる者は全員、ツルギを化け物だと認識し、もう人間とは思っていない。
だが……蓮姫だけは違った。
「今ならまだ間に合うっ!今ならまだ……っ、人間に戻せるんだっ!」
涙を流しながらも蓮姫は力強く叫ぶ。
それは彼女の決意が強く、固い証拠。
化け物となったツルギを倒せる方法も、ましてや蓮姫の望む人間に戻す方法も分からない。
逃げなければ……ここにいる者は全員殺されるだろう。
それでも蓮姫の中にはツルギから……目の前の化け物から逃げる選択も、ましてや彼を殺す選択肢も無い。
どれだけ危険だろうと、望み薄だろうと……蓮姫は化け物となったツルギから逃げない。
自分を仇と憎む相手から逃げないと、彼女は既に決意している。
(どんなに危険だろうと私は……私だけは逃げちゃダメだ!陛下があの人の妹さんを殺したのなら!私があの人を止めなきゃダメだ!だって!だって私は!弐の姫なんだからっ!)
本当に女王である麗華がツルギの妹を殺したのか、そしてその理由はなんなのか?
今の蓮姫には何も分からない。
分からないからこそ、知らなければならない。
分からないからこそ、彼から逃げてはいけない。
彼の憎しみが本物なら……彼の妹達の死に弐の姫が関わっているのなら、弐の姫である自分だけは逃げる訳にはいかない。
ただそれは……とてつもなく不可能に近い事だと、この場にいる誰もが思った。
そして蓮姫が大きな声で叫んだことで……ツルギはぐちゃぐちゃに潰していた遺体から、蓮姫へと視線を…意識を移す。
「……にノ…………ひ……メ…?」
ツルギは真っ直ぐ蓮姫達を見据えた。
しかしツルギの瞳には、その他大勢の姿は無く蓮姫のみが映る。
「にノヒ……めぇ!ガダ…ぎっ!がぞグノぉぉおおがァだぎぃいイイ!!ニノひめェェエエ工!!」
「ひいっ!!お、大声を出すから!バレたではないかぁ!このバカ女めぇぇぇぇ!」
イアンは蓮姫の腕を振りほどくと、仲間と共に何故か壁へ向かって逃げて行く。
壁ではなく、あの魔法陣に入れば上手く逃げれるかもしれないが……そんな考え、死の恐怖の前に浮かぶ訳も無い。
「ニノヒめにノヒめにのひメぇ!!ぞゴがァ”ァ”ァ”ァ”ァ”!!」
「っ!?蒼き冥府の檻【クリスタル・ケイジ】!!」
蓮姫達に向け突進して来たツルギだったが、既の所でユージーンによる氷結魔法が直撃し氷漬けとなる。
少しの猶予が出来たのか、ユージーンは蓮姫へと振り向いた。
その顔は何処か……哀しげを帯びている。
「……姫様」
「ジーン!あの人を!」
「今は無理です。今の俺達に出来る事は『逃げる』以外ありません」
「でもっ!」
無情な決断に納得がいかず食い下がる蓮姫だったが、引けないのはユージーンも同じ。
「っ、聞き分けて下さいっ!綺麗事だけで誰も彼も救えるなら!この世に恨みや憎しみなんて存在しない!あの男が化け物になることも無かった!!」
そう叫ぶユージーンもまた、蓮姫同様に苦しげな表情を浮かべている。
蓮姫が誰よりも信頼し、蓮姫を誰よりも大切に想うユージーン。
そんな彼は蓮姫の気持ちを蔑ろにするつもりはない。
もし本当にツルギを人間に戻せるとしたら……可能性は蓮姫の想造力。
あの時のキメラとは違い、ツルギ一人が『怨嗟の実』という呪いの果実によって変貌しただけなら……希望が無い訳では無い。
それでも……ユージーンは今、彼女の気持ちに応えられなかった。
応えるわけにはいかなかった。
もし想造力で確実にツルギが人間に戻せるとしても、その前に蓮姫が殺されるだけ。
そうなる未来が容易に想像出来るからこそ、ユージーンはツルギを人間に戻せる可能性について蓮姫に告げなかった。
ユージーンは誰よりも大切な蓮姫を、仲間である未月を……失いたくないから。
大切な人達を……もう誰も……失いたくないから。