『怨嗟の実』の覚醒 1
その咆哮の主は、蓮姫を妹達の仇と憎むあの男……ツルギ。
彼はその場に蹲り、ガクガクと震える自身の体をキツく抱きしめ、唸り、叫んでいた。
「ガッ、グァッ………あ…ぎ…が……あぅ……ガガッ……ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
耳をつんざくようなその叫びは、やはり人間よりも獣のソレを彷彿とさせる。
しかし本物の獣である巨大化したノアールの方が、いくらか可愛く聞こえる程に、その叫びには言いようのない禍々しさをユージーンは感じていた。
(…ホントに……なんだってんだよ?…ただの人間じゃないとは思ってたが…この気配。……奴はもう完全に……人間じゃない)
ユージーンは頭の中で、ツルギが人間である可能性を完全に否定している。
それだけツルギから漂う気配は、冷たく、重く、不気味だったから。
「……あ、あの人…」
「姫様は俺と未月の後ろに。未月。もう大丈夫だな」
「うん。…俺…もう大丈夫。…俺…ユージーンと一緒に……母さん守る」
顔を真っ青にしカタカタと震える蓮姫を気遣いながら、ユージーンと未月は蓮姫とツルギを隔てる壁のように立ち、武器を構える。
そんな中、あのイアンが口を開いた。
「…そ、そんな。奴は…『怨嗟の実』にもう順応したというのか?い、いかん!覚醒したら!」
(『怨嗟の実』?さっきもアイツらの誰かが言ってたな?……覚醒?)
800年の時を生きているユージーンですら、その言葉は初耳だった。
あの化け物のような男に何が起こっているのか、起ころうとしているのか?
ユージーンがソレを尋ねる前に、イアン含む反乱軍達は一斉にその場に立ち上がる。
放心状態だった彼等を奮い立たせているのは、蹲り獣のような声を上げるツルギへの危機感からだった。
「お前達っ!奴を殺せ!!完全に覚醒する前に!何としてでも殺すのだ!」
「はっ!」
「死ねっ!化け物!!」
反乱軍達はイアンの命令の直後、同時に様々な攻撃魔法をツルギへと放つ。
しかしどの魔法もツルギには当たらなかった。
ツルギの周囲には黒いモヤのようなモノが現れ、ソレが彼を守るように反乱軍達の攻撃魔法をジュッ!と音を立てて消滅させたからだ。
「クソ!結界か!?」
「いいや違う!アレは『怨嗟の実』で増幅された奴の纏う魔力が溢れ出ているだけだ!」
「それが我等の力全てを阻止する壁になっていると!?そこまで奴の力は!?」
「ほ、本当に…『怨嗟の実』が覚醒するというのか!?」
ザワザワと騒ぎ、腰が引けていく反乱軍達。
彼等の目には恐怖の色が宿っている。
そんな部下達を叱責するようにイアンは今まで以上に声を荒らげた。
ソレは怒りではなく、彼等と同じく焦りや恐怖の混じった声。
「怯むなっ!お前達っ!奴が死ぬまで攻撃を続けろぉおおお!!」
イアンの言葉にビクッ!と体が震えた反乱軍達だったが、直ぐに命令通りツルギへの攻撃を再開する。
それが無意味だと既に証明された今、彼等がここまでツルギへの攻撃を続けるのは理由があった。
「クソッ!なんで今なんだよ!?」
「こんな所で覚醒されちゃ!俺達も全員ヤバい!」
「俺達の命は一族の名誉回復の為にある!こんな所で無駄死にする為じゃない!」
「そうなる前に!なんとしても奴を殺せ!なんとしても!奴の覚醒を止めるんだ!!」
獣のようなツルギの叫びや溢れ出る禍々しさ、それに加えて反乱軍達の焦りと恐怖。
蓮姫達がいるこの場は、かつてない異常事態に陥っていた。
そして反乱軍達の様子を見る限り、彼等はこの異常事態が何故起こっているのか、目の前の男の身に何が起こっているのか……全てを知っている。
ユージーンは反乱軍達の長であり、自分の正体にもいち早く気づいたイアンへと叫んだ。
「おい!お前なら知ってんだろ!奴は一体なんなんだ!?奴に何が起こってる!?」
「……あ、あやつは今……真の化け物へ変貌しようとしているのです」
ユージーンの正体を知ったせいか、イアンは敬語で質問に答える。
その言葉に反応したのは、ユージーンではなく蓮姫だった。
「………真の……化け物?」
「…そ、そうだ。彼奴に与えた…我が一族に伝わる呪いの果実…『怨嗟の実』。ソレは宿主の恨みや憎しみを糧に育ち……ついには宿主の体と精神を乗っ取り、全てを壊す化け物へと覚醒する」
蓮姫にはユージーンのような敬語を使うこと無く、淡々と答えるイアン。
しかしそんな言葉を聞いて、蓮姫は冷静でなどいられない。
「っ!?そ、そんな危険な物を!仲間に渡したっていうの!?」
「仲間ではない。貴様等を殺す為だけに手を組んだだけだ。しかし奴は我等と同じ覚悟を持つ者。目的を果たす為なら手段を選ばず、命も惜しまない。だからこそ俺は奴を認め『怨嗟の実』を渡した」
「っ、おか……しいでしょ。…そんなの……っ、おかしいでしょっ!?」
涙ながらに訴える蓮姫だったが、イアンは激昂し蓮姫へと叫び返す。
「っ!!?何がおかしいというのだっ!?貴様の存在こそおかしいだろうが!異世界人め!薄汚い略奪者!想造世界から来た人間など」
「黙れ」
バシュッ!!
イアンが叫ぶ中、ユージーンは彼に向けて氷柱【アイシクル】を放つ。
その氷柱は一瞬の速度でイアンの左耳を貫き、潰した。
「ぐあっ!!」
左耳が無くなり、血が噴き出す箇所を抑えながら、イアンはユージーンに恐怖の眼差しを向ける。
対するユージーンは殺気だけの冷たい眼差しでイアンを見据えていた。
「次、姫様に舐めた口きいてみろ?次は心臓を貫くからな」
「あ、貴方様が……貴方のような方が……何故?……何故、弐の姫に?…想造世界の人間は…」
「聞かれた事にだけ答えろ。余計な言葉を吐くな」
「…ぎょ、御意」
「全てを壊す化け物、か。どうすれば止められる?どうすれば奴を殺せる?」
目の前の男が文字通り『全てを壊す化け物』に変貌しようとしているのなら、真っ先に壊されるのはこの場にいる者達。
蓮姫もユージーンも含め、ここにいる全員が殺される事になるだろう。
奴が反乱軍の仲間ではなくとも、手を組んでいるのは明白。
奴を化け物にする『怨嗟の実』を与えたのが反乱軍達…イアンならば、その対処法だって知っているはず。
蓮姫を侮辱した事への罰をしっかりと与えた上で、イアンから方法を聞き出そうとするユージーンだったが、イアンの方は左耳を抑えながら顔を真っ青に染め、力なく首を横に振る。
「……あ、ありま…せん…」
「なに?」
「な、無いのです。過去に『怨嗟の実』に覚醒した者は…二人だけ。どちらも目的を果たすまで…死ぬまで……戦い続けました。奴も例外ではありません」
「っ!?…死ぬまでって……目的を果たすまでって………それじゃあ…あの人は……」
イアンの言葉に誰よりも衝撃を受け、動揺したのは蓮姫。
その話が本当なら、あの化け物止める方法は…二つだけだろう。
あの化け物……ツルギが死ぬか。
もしくはツルギの目的……殺したい相手である蓮姫が死ぬか、だ。
蓮姫が良からぬ考えに至る前、ユージーンは先手を打つようにイアンへと吐き捨てる。
「チッ。目的は姫様だって言ってたな。そもそもソレは奴の勘違いだぞ。説明したところで……言葉は通じなさそうだがな」
「い、いえ。勘違いではないようです。奴の妹達を直接殺したのは女王ですが……死ぬ原因は弐の姫にあった、と」
「なに?」
『女王』という言葉にピクリと眉を動かすユージーン。
そしてまた蓮姫も、イアンの言葉を聞き返した。
「陛下が殺した?原因は……私?どうして?」
「奴はそれ以上、何も語りませんでした。しかし……奴が弐の姫…様を憎むのは事実。奴が殺したい程に、女王と姫達を恨むのは事実でございます」
蓮姫には訳がわからない。
何故、自分が原因で彼の妹達が殺されなくてはならなかったのか?
考えたところで答えは出ないし、そもそも悠長に考えている時間など蓮姫達には無い。
「目的を果たすまでって言っても、奴は不死身じゃないだろ。殺す方法はあるはずだ。だから攻撃してんだろ!さっさとソレを教えろ!」
「じょ、上級の魔法や結界!もしくは超級魔法を使えば!ある程度のダメージは与えられ、足止め程度にはなるかと!」
焦るユージーンの声に怯えながら、慌ただしく答えるイアン。
しかしその返答はユージーンが望んだものでは無かった。
イアンが出した提案は、あくまで足止めや時間稼ぎに過ぎず、確実な倒し方はイアンも知らない、という意味だからだ。
どれだけ高度な魔法を放っても、怨嗟の実で覚醒した化け物を倒せる確証などない、と。
「ぐぁああぁッ!!」
「ぎゃああああぁぁっ!!」
ユージーンとイアンが話している間も、イアンの部下達はツルギへの攻撃を続けていた。
しかし、彼等は次々と倒れ、中には既に絶命している者もいる。
ツルギからの攻撃ではなく、暴れているツルギから放たれた衝撃波や斬撃のようなモノを受けて。
コレが覚醒前にただ暴れているだけの余波ならば、完全にに化け物へ覚醒した時の脅威は計り知れない。
倒れている者達、段々と体が変貌している男を見てユージーンは顔を歪ませる。
「クソ!始末の仕方も知らねぇくせに!厄介なモン生み出しやがって!」
「か、返す言葉も」
「余計な事を言ってる暇あんなら責任取ってどうにかしろっ!未月っ!俺と一緒に奴を止めるぞ!ついてこい!」
「っ、分かった!」
「姫様は結界を!何処かの転送型魔法陣の近くで張って下さい!最大限の力で!」
「ジーン!未月っ!」
蓮姫の制止の言葉を聞かず、ユージーンと未月はツルギへと駆け出した。
「奴だけに範囲を狭めれば………っ、未月っ!それと残った反乱軍共!俺が合図をしたら炎の魔法を放て!」
そう叫ぶと、ユージーンはツルギに向けてあの氷結魔法を放つ。
「蒼き冥府の檻【クリスタル・ケイジ】!」
それは一定の空間を氷に包まれた世界へと変える、上級の氷結魔法。
ユージーンは敢えて威力はそのままに、範囲をツルギだけに留めた。
一瞬で氷漬けになるツルギを確認すると、彼は更に未月や他の者達へと叫ぶ。
「今だっ!!」
「っ、爆発する業火【フレイム・バースト】!」
「火炎の嵐【ファイヤーストーム】!」
「火炎の壁【フレイム・ウォール】!」
「深紅の矢【クリムゾン・アロー】!」
「火炎の球【ファイアーボール】!」
未月が火炎系の上級魔法『爆発する業火【フレイム・バースト】』を放った直後、反乱軍達も上級、中級、下級、と自身が扱える火炎系の攻撃魔法を放つ。
ユージーンの魔法により急激に冷やされたツルギの体や周囲は、無数の炎熱を受けたことで大爆発を起こした。
蓮姫やツルギは結界で守られており、ユージーン達もまた爆発を予想していたのでそれぞれが結界を貼ったり、物陰に隠れたりと直接ダメージを受けてはいない。
直接、この大爆発をその身に受けたのはツルギのみ。
(超級を一発放つより……こっちの方がまだ魔力の消費は少ない。本当に足止めだけになったとしても……余力を残しておけば姫様を安全に逃がせる)
ユージーンは激しい爆煙から目を守るように腕で顔を覆いながらも、爆発の中心を見つめる。
(せめて……倒れてるか…膝をつくくらいはしてろ)
心の中で呟くユージーンだったが……それがただの願望でしかない事を、彼自身よく理解している。
爆煙の向こうから感じる不気味な気配は……消える事は愚か、弱くも薄くもなっていないからだ。
煙が徐々に晴れていくと同時に、徐々に現れてくる黒い影。
頭部に胴体……二本の手足。
人型のはずのその影は……人としての気配が既に…完全に無くなっていた。