黄金の瞳 12
目の前にいる男は老人のように真っ白な髪をして、顔の左側は皮膚が抉れ、剥きでた真っ赤な眼球の中心には真っ黒な瞳。
それはまるで血の海に浮かぶ闇の塊。
その顔は誰がどう見ても醜く、恐ろしい化け物のよう。
しかし蓮姫には、この化け物が泣いているように見えていた。
彼が……ツルギが素顔を晒した、あの瞬間から。
(……この人は……ずっと私に強い殺意と…憎しみを向けてる。それは変わらないのに……今は…それ以上の悲しみが伝わってくる。痛いほどに…苦しいほどに)
蓮姫には分からなかった。
自分にだけ彼が泣いているように見えるのは、彼の…ツルギの発言や未月の様子から薄々気づいてはいる。
当然、ツルギ本人は蓮姫と違って涙など流していない。
でも蓮姫の目には彼が悲しんでいるような、苦しんでいるような姿にしか見えないのだ。
見えるだけでなく、彼を見ていると胸が締めつけられるように苦しく、痛い。
今の蓮姫はツルギの言う通り、戦意を喪失していた。
泣いている人間を目の前にしては、どうあっても戦意など湧いてこないから。
今の蓮姫の内にあるのは、それ以外の感情。
(…ダメだ。……この人とは…戦えない。私はこの人と……戦っちゃいけない)
この男を倒すなど、そもそも蓮姫と未月の実力では難しいが…そんな理屈など今は関係ないし、どうでもいいとすら思える。
(私にだけこの人の涙が見えるなら……私だけは…この人と戦っちゃいけない!)
「やめて!戦わないでっ!」
ツルギと戦わない。
そう決意した蓮姫は、涙を流したままツルギへと叫んだ。
未月へ剣を振り下ろそうとしていツルギは、蓮姫の言葉でピタリとその手を止める。
(届いた!?そのまま聞いて!)
「ねぇっ!お願い!もう!」
蓮姫が再度叫んだ瞬間、ツルギは振らつく未月の体を剣ごと殴り、倒れた未月の腹を踏みつけた。
「ぐあっ!」
「っ!!?未月っ!」
「弐の姫よ。今のはなんだ?命乞いか?自分や従者への?そんなもの……聞くはずないだろうがっ!」
ツルギはそう叫ぶと、未月に馬乗りになり、彼の顔面を容赦なく殴り出した。
何度も何度も。
抵抗しようともがく未月だが、ツルギが未月を殴る度に地面がひび割れ、未月の体は沈んでいく。
異変はそれだけではない。
未月は確かにがいているが、それだけで全力の抵抗が出来ずにいた。
(コイツ…殴る度に…重くなって……ヤバい。…内臓や…骨が……潰れる。…それに……魔法が…魔力が…出せない)
未月は魔法を使えず、殴られる度に自分に乗る男の重量が増え地面に沈んでいく。
ミシミシと体が軋む音、自身が殴られる鈍い音が耳に響く度に、自分が死へ近づいているのを感じる未月。
こうなっては……未月は為す術なく、その命が尽きるまで殴られ続けるだろう。
「ぐっ!ぶっ!がっ!?」
「未月っ!?やめてっ!」
「貴様のくだらん命乞いを!俺が聞くと思ったか!お前等を見逃すと!助けるとでも思ったか!?聞く訳ないだろ!俺はっ!お前等をっ!殺しに来たんだからな!よく見ろっ!」
ツルギが叫び、暴行を繰り返す度に、未月の体から血が吹き出す。
殴る音とは違う…バキッ!という骨が折れる音が聞こえると、蓮姫はたまらずツルギへと駆け出し、その体にしがみついた。
「お願い!やめてっ!」
蓮姫は必死にツルギを未月から引き離そうとするが、力で勝てる訳もない。
そんな蓮姫の行動は、ツルギにとってとても不快だった。
全身に鳥肌が立つほどに。
「離せっ!汚らしい手で触るなっ!」
「うぁっ!」
ツルギは未月にしたように、容赦なく蓮姫の顔も殴りつける。
それでも蓮姫はツルギから手を離そうとしない。
自分の背中にまとわりつき、自分を従者から引き離そうとする弐の姫。
自分に触れるその手は…未月にとって優しく温かい蓮姫の手は……ツルギにとっては汚らわしいだけ。
ツルギは上体をよじり蓮姫の顔面と肩を掴み、彼女の体を無理矢理押して引き剥がそうとする。
「離せっ!離せって言ってるだろっ!このっ!触るなっ!汚い手を退けろっ!」
「は、はなさ…ないっ!」
「っ!?なんだとっ!」
「お…願い……っ、お願い!もうやめて!もう戦いたくない!貴方と戦いたくないの!やめてぇ!」
泣き叫びながら告げられた蓮姫からの…憎い弐の姫からの懇願。
その言葉に、ツルギの中にある弐の姫への憎しみと怒りが更に膨れあがる。
「っ!?……貴様という女は…っ、何処までも自分の身が大事かっ!」
醜い顔を更に憎悪で歪めると、ツルギは立ち上がり蓮姫の髪を乱暴に掴み上げた。
「キャアッ!!」
「戦いたくない!?自分は死にたくないっていうのか!?何処までも意地汚く!醜 !卑しい!化け物以下の女め!前言撤回だ!やはりお前から殺してやる!」
ツルギが片手で蓮姫の前髪を掴んだまま持ち上げると、彼女の足は地面から離れ体は宙に浮く。
いくら化け物のような顔をしているとはいえ、体格はユージーンと変わらぬ男の何処にこんな怪力があるのか?
蓮姫の悲鳴が聞こえ、未月はヨロヨロとツルギへ手を伸ばす。
「が、があさ……やめ」
「お前もうるさいんだよっ!」
ツルギは片足を上げると未月の顔を踏みつけようとするが、未月は傷ついた体でなんとかソレを避け、ツルギの足にしがみつく。
「がっ、があざっ…ゲフッ!ぐっ……に…逃げっ……おねがっ……にげでっ!」
何度も殴られ続けた未月の鼻や歯は折れ、口内は傷つき血まみれ。
酷いのは顔だけではなく、肋骨や内臓もいくつか潰れている。
立つことはおろか、上手く喋る事すら出来ていない。
それでも未月は、ボロボロの体を必死に動かし、今出せる全力の力でツルギにしがみつく。
体は横たわったまま、鼻血を流し、血を吐きながらも、未月は叫ぶのをやめない。
「があ……ざを…はな…せっ!」
「未月っ!」
「この死に損ないがっ!さっさと俺の足から離れろ!こんなクソ女に!貴様がそこまでする価値なんて無いだろうがっ!」
「おれっ…のっ!おれの……があざ…だっ!…まも…るって……いっじょ…いぎる…って…やぐぞぐ…じだ!おれがっ…があざ…まも…る!があざんを…はなぜ!があざんを……がえぜっ!!」
未月が叫んだその瞬間、ツルギの心臓はドクンッ!!と大きく脈打つ。
そして脳裏に浮かんだのは……15年前…同じような状況で叫んだ自分の言葉。
『俺の弟を!弟を返せ!守るって!俺が守るって!約束したんだぁっ!!』