黄金の瞳 9
それは幾度となく一愛の口から告げられてきた言葉。
それは老人が幾度となく一愛から聞かされてきた言葉。
彼は一愛が赤ん坊の頃から、一族次期当主の若様であり、絶対の主君である一愛の世話をしてきた。
だからこそ、この世話係の老人は一族の誰よりも一愛の事を分かっている。
コレは一愛の本心。
心の底から一愛は、自分が偽物だと思い込み……いや、理解しているのだと。
頭ではそれが分かっていても、心では納得出来るはずもなく、老人はボロボロと涙を流し続けた。
「……な、何故ですか。…何故なのですか…若様。……若様はあの『はぐれ者』達ですら認めた…絶対的な王ですぞ。……そのような事…何故おっしゃられるのか…」
「結局はそのイアン達も、王の一族として返り咲きたいという想いを捨てきれなかったから、証を持つ俺に期待した。認めたんじゃなく、尻尾を振ると決めただけだ」
幼い頃からの世話係が何を言っても、一愛の心には何も響かない。
それを目の当たりにした老人は涙を流したまま更に一愛へ問い掛けた。
「あのお言葉は……王になると一族に宣言されたは…嘘だったのですか?」
きっと『そうだ』と返ってくる。
これ程までに自分の宿命や一族を嫌う一愛の気持ちが、簡単に変わるとは思えない。
『王になる』という宣言は、ただ煩わしい一族を黙らせる為の方便に過ぎなかった、と返ってくるはず。
まだ一愛に僅かな希望を抱きつつも、その心境は諦めの方が近い。
だが、一愛はニヤリとした笑みを浮かべ、老人の予想とは反した意外な返答を口にする。
「いいや」
たった一言の否定の言葉。
その言葉にバッ!と老人が顔を上げると、一愛は彼を見据えて、しっかりとした口調で宣言する。
「俺は王になる。この血や証が偽物だろうが関係ない。誰もが平伏する世界の王になってやるさ」
「っ!!?若様っ!!」
歓喜から顔を紅潮させ、先程とは違う涙を流す老人。
そんな老人を見て……やはり鬱陶しいと思いつつも、一愛は言葉を続ける。
「勘違いするなよ、じい。イアン達の事も都合がいいから使ってやっただけだ。先祖や一族の為じゃない。俺が王になるのは、俺の目的を果たす為。俺の為だ」
先祖や一族の汚名返上?
先祖や一族の恨みを晴らす?
先祖や一族に今度こそ栄光を?
そんなものは全て、一愛にはどうでもいい。
一愛が王になりたい理由は…ただ一つ。
たった一人の愛しい女……蓮。
彼女を探し出し、正式に妻として迎える為だけ。
王になるのは、この世の何より愛しい女を手に入れる為の手段……ただそれだけ。
(……蓮…)
一愛は愛しい女の笑顔を思い浮かべるが、それと同時に胸には痛みが走る。
あの時……自分達は確かに想いを通わせていた。
自分は彼女を愛していた。
自分は彼女に愛されていた。
それなのに……彼女は自分と別れる決断をした。
(……どうして俺から離れた?仲間を捨てられないって…どういう意味だったんだ?)
蓮の行方はおろか、身元も一切分からない。
仲間達の事も、彼女の置かれる状況も何一つ知らない。
それでも一愛は……彼女を諦める事など出来ない。
(優しい君の事だ。何か理由があるんだろ?なら……その全てを俺が片付ける。今度こそ…二人で一緒に……幸せになれるように)
蓮を見つけ出し、彼女が抱える問題を解決して、今度こそ蓮が自分だけを選んでも……一族は蓮を認めないだろう。
ならば、今以上に一族が逆らえない……自分の決定を何者にも反対されない…反対を許さない存在になればいい。
今の女王や、かつての暴君達のように。
(誰も逆らえない世界の王になれば……蓮を正式に妻に迎えられる。蓮の憂いも、一族の反対も……全ての障害を排除できるんだ)
なんとも子供じみて、自分勝手な理由。
しかしそんな一愛の心境など知らぬ…知ったとしても、王になるという決意だけを絶対的に尊ぶ一族やじい。
結局は誰も彼もが自分の我を通しているだけ。
「若様っ!!」
「泣いたり喜んだり忙しいな、じい。年寄りはさっさと部屋に戻って寝てろ。興奮しすぎて本当にそのまま死ぬぞ」
「いいえ!じいは死にませぬ!若様が!一愛様が王となるその姿を見れるまで!じいは死ねませぬぞ!」
「そうか。なら安心しろ。近いうちに王都を襲撃して、女王と姫…それに仕える全ての者を殺し、俺は王になるからな」
「一愛様っ!なんと!なんと喜ばしく頼もしいお言葉!……しかし…ならば何故…ここへ参られたのです?」
一愛がこの書庫に来るのは、一族を鬱陶しいと思った時。
王になるべき存在だ、という自分の宿命を否定したい時だった。
ならば何故……王になると決意した今、この書庫に訪れたのか?
「俺が王になるには……一つだけ懸念要素があってな。それを調べに来た」
「と、申されますと?」
一愛は他の書物に手を伸ばしつつ、じいへと答える。
「俺達の先祖を影武者にして逃げた本物の王。古の王族……その末裔だ」
一愛の懸念要素……ソレは本物の王族…古の王の末裔…その存在だ。
「俺達の先祖は確かに殺された。当時の王妃も毒を飲んで自害。だが王妃は夫を影武者にされた腹いせに、同じ方法を使って逃げた。侍女の一人を自分の影武者にする、という方法でな。そして子を宿していた事を誰にも明かさず、無事生き延びて子を産んだ」
それもまた一愛の一族しか知らぬ、世間から隠された真実。
本物の古の王の子孫や竜王族族長と同じように、何の罪もない一人の人間を犠牲にしたからこそ生き延び、その子孫である一族は今もこうして存在している。
「そうやって俺達一族は今日まで続いてきただろ?なら……本物の王族にもいるんじゃないか?世間に隠れた…本物の末裔が」
もし自分が王になっても、女王や姫という王位継承者を殺しても……本物古の王の末裔が現れては……人々はそちらを王に据えようとするかもしれない。
かつて初代女王が現れた時のように。
だが一愛の心配を聞いた老人は『なんだ。そんな事か』とでも言いたげに、笑い出した。
「ほっほっほ。ご安心下され。逃げた腰抜け愚王でしたら、反乱の数年後に一族の手の者が見つけました。そのまま見つけた土地……ロゼリアで殺したと記憶が残されております。ソレは影武者ではなく、本物だったと」
「王は、な。しかし……子が生き延びた可能性は?」
殺したその王が本物だったとして、王が王都から逃げて反乱が起こるまで一年は経っていたはず。
自分達の先祖のように、子を作り、またその妻や子が逃げた可能性は十分に有り得る。
だが、その可能性もまた、じいは笑顔で否定した。
「それも有り得ません。逃げた愚王はロゼリアのホームズ子爵が有する森の中の邸にて監禁されていたとのこと。そこには食事を運ぶ為の小窓しか無く、誰も出入り出来ない建物だったとか」
「俺が読んだ記録と同じ内容だな」
「左様です。王が在位中に相手をした女は全員殺され、逃げた後は女は疎か何人とも関わる事すら許されなかった。子など残っておりますまい」
無用な心配だ、と笑顔で告げる老人。
一愛は繰り返し読んだ書物の内容をじいに改めて告げられても……心の底にあるわだかまりが消える事は無かった。
「…だと……いいがな…」