序章 4
そこは何処までも闇が続いていた。
光も何もない。
広がるのはただ……闇。
闇しかない、闇だけの空間。
自らの身体も見えず、進むべき道もわからない。
自分は歩いているのか?
飛んでいるのか?
進んでいるのか?
戻っているのか?
何もわからなくなる。
思考が停止しそうになる。
そんな中でユリウスは、迷う事なく真っ直ぐに歩いていた。
後頭部をさすりながら…。
「~~~~~っ!!チェーザレの奴……夢から覚めたら覚えてろよ。……あ、たんこぶ出来てる」
弟への悪態をつきながらも、ユリウスは歩みを止めない。
常人が受け入れられないような状況でも、ユリウスは迷う事も止まる事もない。
それはここが夢の中だから。
ユリウスが夢を支配できる能力者だからだ。
ユリウスは頭をさするのを止めると、真っ直ぐ奥の方を見つめた。
何も見えない闇でも、ユリウスは感じ取る事ができる。
「………さて、と…泣き虫さんはこっちか。随分と気配も泣き声も小さくなったな………急ぐか」
夢の中ではユリウスに不可能はない。
仮に『砂漠から米粒を一つ見つける』という夢でも、そこが夢である限りユリウスには可能だった。
ユリウスは走った。
走って
走って
走って
見つけた。
目の前で泣き続ける女の子を。
その身には何も纏わず、うずくまるように膝を抱え、泣きながら同じ言葉を繰り返す女の子。
ユリウスは彼女の姿に一瞬驚きを隠せなかったが、すぐにいつもの笑みを口元に浮かべ、そっと彼女に歩み寄る。
「お願い………助けて…………………誰か………助けて…」
「うん。助けるよ」
ユリウスが夢の中で目的を果している頃。
兄を無事(?)夢へと送り出したチェーザレは、先程のテーブルにつき寛いでいた。
窓から聞こえる鳥のさえずりを聞きながら紅茶をひと口飲む。
シュガーポットから砂糖を10個追加する仕草と、テーブルの角に置かれた血がついている置時計を視界に入れなければ美しい光景だ。
ふと隣の部屋……ユリウスの部屋から人の気配がしたが、兄が夢から戻って来たのだろうと悟り、チェーザレは構わずティータイムを続ける。
「ただいま」
不意に響いた兄の声。
ユリウスは視線だけそちらへと向けるが、その瞬間……口に含んでいた紅茶を一気に吹き出してしまった。
とっさに横を向いた為にユリウスにはかかっていないが、激しくむせながらも勢い良く椅子から立ち上がるチェーザレ。
あまりの勢いに椅子が倒れる。
それがチェーザレの動揺を表しているかのようだ。
驚愕の表情を浮かべ、声もなかなかに出せない。
チェーザレの目は夢から戻った兄…………ではなく、その兄が恐らく夢から持ち帰ったであろう、彼の抱えているモノに釘付けだ。
「お、お前!!そ、ソレは!?」
声が裏返りそうになりながら、尋ねるチェーザレ。
ユリウスはそんな弟ににっこりと微笑みながら答える。
「見てわからないかい?女の子だよ。服着てない全裸の女の子」
「それぐらいわかる!!そうじゃない!!私が言いたいのはっ!」
「君が言いたい事もわかってるよ」
ユリウスは会話しながらも、彼女を抱えたまま反対側にある別室(チェーザレの部屋)へと向かう。
ユリウスが夢へと入る前と同じ様に兄の意思を理解したチェーザレだが、止める事なく兄へと続いて自室へと向かう。
チェーザレの部屋へとつくと、ユリウスは抱えていた彼女をベッドへと横たえ、毛布をかけてやった。
そんな兄の仕草を見ながらも、チェーザレは言葉をかけられずにいた。
かけたい言葉はいくつもある。
言いたい言葉は山ほどある。
確認したい言葉がある。
それでも……その一言を口に出す事がなかなか出来ないチェーザレ。
そんなチェーザレよりも先に、口を開いたのはユリウスの方だった。
「……なんで気づかなかったのかな?俺も君もさ」
スウスウと寝息を立てて眠る彼女の髪を優しく撫でながら呟くユリウス。
だが、その目には同情の色がこめられている。
そしてそれはチェーザレも同じ。
何も答えないチェーザレだが、ユリウスは構わず言葉を続ける。
「………いや…敢えて考えないようにしてたのか?この可能性に」
「…ユリウス……彼女は…」
「あぁ。間違いない」
ユリウスの言葉には確信がこもっていた。
疑う余地も無いのだと、ユリウスは自分に…弟に……そして今も眠る彼女へと言い聞かせるように言い放つ。
予測は出来た。
可能性もあった。
でも考えるまでもなく、その可能性を頭の中で無意識のうちに消していた。
何故?
何故、今なのだろう?
「母上や姫じゃないのなら……二人と同じ存在。…母上と姫が同じように……彼女もまた…」
頭を撫でる手は休まずに、視線は彼女から外さないユリウス。
そんな兄の言葉の重さを知るチェーザレは、片手で自分の頭をおさえながら、ゆっくりとため息を吐きながら同意した。
「確かに…それなら説明がつく………だが厄介だな。この世界にとっても………そいつにとっても」
「うん。可哀想だけど…ね」
厄介……可哀想……哀れみを込めて見下す言葉に聞こえるが、事実彼女はソレに相応しい存在。
女王と同じ存在。
本来ならば姫と呼ばれ、世界中の人間に好かれる存在。
だが、この世界には既に姫と呼ばれる女性が一人いる。
一人目に呼ばれた姫と二人目に呼ばれた姫とでは、境遇も、他人からの評価も、全てに天と地ほどの差がある。
それでも……この世界に呼ばれた彼女には……その運命から逃れる術など無い。
ユリウスはチェーザレの方へと顔だけ向けると、静かに…そして強い口調で言い放った。
「彼女は弐の姫だ」