海底神殿 6
これまで共に過ごしてきた中で、ユージーンが火狼の名を呼んだのは……二度だけ。
一度目は玉華で、元帥の前だからと外面良く話していた時。
そして二度目は…かつての友『ユージーン』と出会い、心が不安定だった時。
今回は状況的に二度目に近い。
近いというだけで、今のユージーンの心境は、あの時とは少し違う。
「聞こえてるな!火狼っ!お前が姫様を守れ!」
ユージーンの叫びに、火狼は驚きの表情を浮かべたまま瓦礫の壁を見つめる。
「っ、それを…言うのかよ。旦那が……俺に…」
「今!姫様を守れるのは!お前しかいない!いいな!お前が………っ、俺はお前を信じて!姫様をお前に託すからな!!」
今ユージーンの内にある感情……それは蓮姫を守れない事への焦りと恐怖と後悔……そして蓮姫を守れる者への期待。
自分が傍にいない事で蓮姫を守れないのなら……守れる力のある者に彼女を託す他無い。
それは妥協ともとれるかもしれないが……ユージーンは妥協で、他の者に蓮姫を託したりはしない。
決してしない。
ユージーンが蓮姫を火狼に託そうとしているのは……ユージーンの中に僅かでも……火狼への確かな信頼があったからだ。
だから普段の『犬』という見下した蔑称ではなく、『火狼』と彼の名を叫んだ。
そしてそのユージーンの想いは……火狼にも確かに伝わった。
「……はっ…ははっ。俺の信頼は…旦那の中で最低だって自分で言ってたじゃん。なのに……そんな俺に…大事な姫さん任すのかよ」
「お前だからだ!皆まで言わすんじゃねぇっ!行け!火狼っ!!」
「っ!!あぁっ!もうっ!旦那は何処までカッコイイわけぇ!あいよ!姫さんの事は俺が任された!行くぜ姫さん!」
「わ、分かった!皆!後で絶対に合流しようね!ユージーン!皆をお願い!」
「分かっています!姫様も無茶をしないで下さいね!約束です!守って下さいよ!」
「分かってる!約束する!」
「姫さん!早く!」
火狼は既に横穴の隙間へと入り込み、片手を蓮姫に向け伸ばしている。
蓮姫も火狼の手を掴み、二人は穴の奥へと進んで行った。
二人の気配が遠のくのを感じつつ、ユージーンは目の前の敵を自身の剣で薙ぎ払う。
そんな戦闘の中で、ユージーンはあのガイと背中合わせとなった。
「すまねぇな。勝手な事言ったのに、聞いてくれてよ。マジで感謝するぜ」
「じゃじゃ馬な主を持つとお互い苦労するな」
「まったくだぜ!」
「それも宝を手にしたら終わりだろ。もし本当にクラーケンを倒せる宝なら……リヴァイアサンの天敵はいなくなる。お前の主はお役御免。これ以上、偽る必要もない。本来の自分に戻れるだろうさ」
「その通りだっ!!……って、ちょっと待て!?まさかお前気づいて!?」
ユージーンの意味深な言葉が何を指すのか……ソレに気づいたガイが後ろを振り向いた瞬間、魔物が一斉に二人へ襲いかかってくる。
それを難なく全て斬ると、ユージーンはガイへ顔を向けることなく言葉をかけた。
「まだ魔物はいる。隙を見せるな」
「クソっ!なんであんたソレ知って」
「長生きなもんでね。リヴァイアサンが懐く人間の特徴は知ってる。それに加えて姫様に近いあの性格だ。友達のリヴやシャングリラの安全が保証されるまで、あいつはずっと偽り続けるだろ」
「あんたソレ………嬢ちゃんや他の奴に」
「安心しろ。姫様は知らん。俺も他人の秘密を吹聴する趣味は無い。心配なら、これ以上俺に借りを作るような真似はするな」
「っ、あぁっ!そうさせてもらうぜ!」
実は火狼にだけは、ガイの言う『ソレ』を既に話していたのだが、あえてそこは口にしないユージーン。
バラした相手は火狼のみなので、吹聴する気は無いというのもユージーンの本心であり事実。
言葉自体には何一つ嘘偽りは無かったので、ガイも納得したらしい。
むしろ自分がそうしないように務めろ、という言葉もガイの士気を上げる事に繋がった。
「お前らぁ!!海賊王の仲間が魔物なんかに後れを取るじゃねぇ!船長やリヴの為にも!こいつら全部ぶっ倒して先に進むぞぉ!!」
「「「アイアイサー!!!」」」
ガイの宣誓にも近い叫びに、海賊達も興奮したまま、今まで以上に声を張り上げた。
仲間達からの、自分や友を思いやる気持ちのこもった叫びを聞き、キラは溢れそうな涙を堪えるように唇を噛み締めていた。
数分後。
この広間に現れた魔物は、海賊達とユージーン達により一掃された。
肩で息をする者、疲れたのかその場に座り込む者、お互いの健闘を褒め称える者達がいる中、キラはガイの元へと駆け寄る。
「ガイ。大丈夫か?」
「おう!俺は海賊王様の右腕だぜ?こんなの屁でもねぇよ!キラも問題ねぇな?」
「あぁ。………なぁ…ガイ。…俺は……俺の都合でお前らをここに」
「馬鹿野郎。お前の都合じゃねぇ。俺達全員の都合だ。お前にも……何にも囚われないお前自身の人生を送ってほしいんだ。海賊王じゃない……普通の幸せや、普通の暮らしってやつをな。そういう俺達のワガママさ」
「……ガイ」
「俺達っつうか……主に俺のワガママだけどな。だから……お前が責任感じんな。リヴの事もそうだ。あいつは俺達の仲間だからな。子供も産まれたし…残り少ない余生ぐらい……子供とのんびり過ごさせてやりてぇ」
「……そうだな。これからも頼むぞ、ガイ」
「それを言うのはちと早いだろ?なぁ……船長?」
微笑みを交わすキラとガイを遠目で見つめながら、ユージーンは額の汗を拭う。
そんなユージーンに、今度は星牙が近づいた。
「お疲れ!やっぱ強いな!お前…じゃなくてユージーン!それにさっきの言葉!俺めっちゃくちゃ痺れたぜ!」
「………あ?いきなり来て、何の話だ?」
「さっきのだってば!ユージーンってさ!火狼の事めっちゃくちゃ信頼してんだな!男同士の友情ってやつに、俺もう興奮して感動して感激しちゃってさ!」
目をキラキラと輝かせながら矢継ぎ早に話す星牙。
本当に興奮しているのか、ユージーンの目に映る星牙の姿にはブンブンと大きく振れる犬の尻尾が見える。
しばし星牙を見つめたまま固まるユージーンだったが……スッ…と星牙へと手を伸ばし……。
パチンッ!
「痛っ!!?え!?な、なんで俺デコピンされたんだよ!?なんで!?」
「…………うるせぇ。……んな事いちいち言うんじゃねぇよ。ガキンチョ」
それはユージーンなりの照れ隠しだったのだろうが、星牙は本当に分からないのか、今度はオロオロしだす。
そんな星牙に背を向けると、何も告げずにユージーンは数歩だけ歩き彼から距離をとった。
(………クソっ。俺らしくもねぇ。……だがな……)
ユージーンは立ち止まり瓦礫の壁を見つめると……既にこの場を離れた男へ…思いを馳せる。
(…嘘つきのお前と違って……俺のは嘘じゃねぇ。………頼んだからな)
ユージーンが確かな信頼の元、蓮姫を託した火狼。
その火狼は蓮姫と共にあの横穴を通り抜け、その先にある長い回廊を二人一緒に進んでいた。
「…………あれ?また行き止まり?」
「みたいだね」
この神殿内は本当に迷路のようになっており、いくつもの道に別れていた。
一度先に進んでも、行き止まりにぶつかり、また元の分かれ道に戻っては別の道に進む…という行為をひたすら繰り返した二人。
明かりの無い暗く長い道……もはや何処を進んでいるのか、戻っているのかも分からない。
「仕方ないね。またさっきの道に戻ろう」
「それしかないわな。お?姫さん、後ろのそれ」
「後ろ?何か」
『ある?』と言いかけた蓮姫は、後ろを振り向きそのまま固まる
そこには蓮姫の出した明かりに照らされ、ぼんやりと女の顔が浮かんでいたから。
「き、きゃあああぁぁあっ!!?お、おばけ!?おばけーーー!!」
「ちょっと!落ち着いて姫さん!レリーフだってば!さっきと同じ!作り物だって!」
涙目で自分の方を向いて叫ぶ蓮姫を、火狼は必死に落ち着かせる。
その声で我を取り戻したのか、蓮姫は火狼を見た後に恐る恐る再び後ろへと首を向ける。
そこには、あの広間と同じで壁に人間の女のレリーフが掘られていた。
「れ、レリーフ?作り…物?……おばけじゃない?」
「おばけじゃないよ。いてもおかしくないけど」
「ちょっと!そこは『おばけなんていない』って断言して!」
「んな事言われてもさ~。って、なに?姫さんっておばけ怖いの?うわ、意外なんだけど」
「怖いよ!おばけだよ!?幽霊ってことだよ!?怖いに決まってるよ!」
「え~~~?今まで散々刺客やら魔獣やらキメラやら女帝に襲われて平気だったのに、おばけは無理なん?姫さんてホントよく分からんね」
本気でおばけを怖がっている蓮姫に、火狼は苦笑いを浮かべる。
(旦那といい姫さんといい、もうちょいマシな弱点無いもんかね。そうすりゃ俺も………俺も…)
火狼は思考が進む度に笑みを消し、段々と顔を下げ俯いた。
灯りを持った手もいつの間にか下がり、火狼の表情は暗闇の中、完全に消える。
蓮姫はそんな火狼に気づく事無く、彼を背にしてレリーフを怖がりながら見つめていた。
「なんでリアルな女の人のレリーフなんか……あ、男の人や竜まである。なんなんだろコレ?」
「………さぁね」
「はぁ。芸術かもしれないけど、こういう所にあると怖いだけだよ。ただでさえ、今は私と狼の二人きりなんだし」
「………そうだね。……ここには……俺と…姫さんだけだ」
蓮姫の呑気な問いかけに対して、返す火狼の声はこの暗闇のように静か。
蓮姫は気づいていない。
火狼が今……どんな表情で…どんな目で自分を見つめているか、など。
一度『おばけが出るかもしれない』と考えた蓮姫の頭の中は、それに対する不安と恐怖でいっぱいだったからだ。
(こういう場所って、ゲームとかアニメだと幽霊やゾンビ出てくるよね?映画でも白骨死体が出てきたり…襲ってきたりとか………うぅ…急に悪寒が!)
想造世界で見たいくつかの作品を思い出しつつ、自分の回想と想像で全身をブルッ!と震わせる蓮姫。
そんな蓮姫に……火狼は音も無く…確実に距離を詰めていく。
火狼の顔は……いつものおちゃらけた笑顔ではない。
蓮姫を見つめる火狼の瞳は……決して仲間に向けるようなものではない。
何の感情も宿していない……とても冷たい瞳。
(今は……旦那も…残火も……誰もいない。…今…ここにいるのは…俺と…姫さんだけ。……俺だけだ)
(あ、今って…ホントに私と狼の二人きりなんだよね。こんな暗くて怖い所に狼と……そうか。それってつまり…)
同じ事を考えていながら、その思考の先も抱く感情も全く違う火狼と蓮姫。
何の感情も宿していなかった火狼の翠色の瞳には今……ある感情が…決意が宿る。
蓮姫にバレないように隠してはいるが……それは彼が…火狼が蓮姫と共に過ごしてきた中で、今の今まで…本気で蓮姫には向けてこなかったもの。
こんな火狼の瞳は蓮姫もユージーンも知らない。
彼の身内の残火とて、こんな火狼の顔は見た事がない。
見た事があるのは……あのアビリタ付近の森で、火狼によって殺された部下くらいだろう。
今の彼は、仲間とふざけたり、おちゃらけたり、いざという時いつも頼りになる蓮姫の従者…火狼ではない。
今の彼は、暗殺ギルド…その頭領にして最強の殺し屋……朱雀。
今この時……火狼は確実な殺意を…蓮姫へと向けていた。
火狼は自分に背を向けたままの蓮姫……いや、弐の姫である女に向け……ゆっくりと手を伸ばす。