海底神殿 4
結界が壊れた余波か、神殿の周囲からは無数の水泡が上がり、暗闇でも分かるほどに海底の土で辺りが濁り出した。
ここが海中でなければ、結界が壊れた時、とてつもない大きな破裂音がその場に響いていたかもしれない。
結界が消滅した事で後ろに下がっていた海賊達と残火と星牙は、大いに喜んでいた。
「やったぜ!流石は弐の姫様だ!」
「おう!弐の姫様々だぜ!」
「ふんっ!もっともっと姉上を褒め称えなさい!姉上にかかれば結界なんて御茶の子さいさいだわ!」
「お茶?……残火…喉乾いたのか?」
「すっげえな!やっぱり蓮は凄ぇ弐の姫だ!こんなデカい結界!簡単に壊しちまうんだもんな!」
結界の破壊しか見ておらず喜びに沸く後方の者達だったが、蓮姫の近くにいた三人は表情を曇らせていた。
それは蓮姫の両手が小刻みにプルプルと震え……痙攣をおこしていたからだ。
「姫様…」
「だい…じょぶ」
不安げなユージーンに答える蓮姫の声は、疲弊が感じ取れる。
ユージーン、キラ、火狼の三人には今の蓮姫が大丈夫とは思えなかった。
星牙は蓮姫が簡単に結界を破壊したと言い、他の者もそう思っているだろうが……蓮姫の両手の痙攣や声を聞けば、そうではない事実が嫌でも分かる。
それを真っ先に口にしたのは、以前にも想造力を使ったせいで倒れた蓮姫を見ていた火狼。
「それ大丈夫じゃないだろ?玉華で呪詛解いた時もそうだったじゃん。無理しないでよ。なんなら船に戻ってもいいぜ。坊や残火も一緒に行けば護衛にはなるだろ?」
「蓮ちゃん。その方がいい。俺の考えが浅はかだった。俺のせいだ。すまない。蓮ちゃんは船に」
「ううん。私は行く。……行かないと…ヤバい気がする」
蓮姫は一度神殿を見つめた後、再び口を開いた。
「今……この結界を解くのに、今までで一番想造力を使ったの。…そうしなきゃ…壊せなかった。ジーン、言ったよね?ここには結界以外にも罠や仕掛けがあるかも…って」
「はい。憶測ではありますが…」
「キラも言ってたよね?…戦力は多い方がいいって」
「……言った。でも蓮ちゃんを無理に危険な場所へ連れていくのは」
「三人とも聞いて。……もしまだ…こんなに強い魔法がこの神殿内に仕掛けられてるなら…少しでも多く魔法を使える人がいなくちゃダメだよ」
真剣な表情で語る蓮姫だったが、その黒い瞳には…何処か不安が揺らめく。
「海賊の皆さんは…キラくらいに魔力が強い人はいない、ってガイさんから聞いた」
「それは……本当だ。でも、俺達は宝さえ手に入れらられば、それでいい。蓮ちゃんの役目は終わったんだ。後は俺達の」
「キラ。もし宝に、今みたいな結界や封印がされてたらどうするの?このまま私が戻ったら、宝が目の前にあっても……手に入れられなくなるかもしれないよ」
「っ、それは……」
蓮姫の言葉はユージーンと同じ憶測でしかないが…この可能性もやはり捨てきれない。
宝を話題に出されれば、キラとて言葉に詰まる。
それを分かった上で蓮姫は言葉を続けた。
「この神殿……何があるか分からない。だから、なるべく大勢で行こう。その方が……絶対にいいと思う」
「……そうですね。姫様の意思に従います」
「いいのかい?旦那」
「あぁ。正直、俺も姫様を未月やノアと一緒に船へ戻したいが……万一の為に戦力や総合的な魔力量を削りたくない。かといって、姫様だけを船に残すのも危険だ。なら、俺達が傍でお守りした方が姫様も安全だろ」
ユージーンもまた蓮姫と同じく、この神殿に不気味さを感じていた。
それでも蓮姫を連れて逃げ出さないのは……蓮姫がそれを何より嫌い、決して選ぶ事の無い選択肢だと知っているから。
今、全てを捨てて逃げることは……蓮姫が信頼を築き上げたエメラインやキラとの信頼を捨てること。
それは今後の蓮姫の……弐の姫の未来にとって、得にはならない。
何より、彼自身が先程説明したように、蓮姫の傍にいることこそ蓮姫を守る最善の策と考えたからだ。
「ありがと……ジーン。二人も……それでいいね?」
「良くはねぇけど……まぁ、姫さんが決めたんなら…ね。俺は姫さんの従者として従うよ」
「ありがとう、狼。キラもいい?」
「俺もそいつと同じだ。良くはない。でも……君を守ると約束したのは俺だ。君を…約束を守る」
「皆、ありがとう。じゃあ…未月達も皆さんも待ってるし……そろそろ行こうか」
蓮姫がチラリと後ろを見る。
いつまで経っても自分達に声や号令を掛けない主や船長を、彼等もまた不思議そうに見つめていた。
「かしこまりました。犬、海賊王。今の話、他の奴らにはするな。不安になって乱れるだけだ」
「分かってんよ。姫さんがマジ疲れました~、なんていちいち言いませんて。残火騒ぐとやかましいし、ファングまで騒いだら更にやかましくて耳もげちまう」
「俺も部下達に言うつもりはない。責任を感じるのは、船長である俺だけでいいからな」
四人は揃って頷くと、何食わぬ顔で後方の者達へと向き合った。
蓮姫が笑顔で彼等に手を振ると、彼等もまた笑って手を振り返し全員が蓮姫達の元に集う。
これから本当に……未知の神殿へと踏み入ることとなる。
「よっしゃーーー!これからが本番だぜぇ!」
「お宝お宝ー!!」
「待ってろよー!!」
「お前ら騒ぐな!警戒を怠るなよ!」
「皆さん!頑張りましょう!」
全員が歓喜に湧き、また意気込む中…ユージーンは自分の中に浮かんだ……ある疑惑と不安について考えていた。
(玉華の頃とは違う。ロージーの訓練や女帝との戦い……旅の中で姫様の想造力は前より格段に成長した。今の姫様なら上級魔法だって難なく使えるはず。そんな姫様が…結界を解くだけで腕が痙攣した)
結界の破壊や解除は比較的簡単であり単純なものだが、その為にはその結界と同等…もしくは上回る魔力が必要となる。
もし今回キラが、弐の姫の蓮姫ではなく名のある魔道士に頼んでいたとしたら……この結界は解けなかっただろう。
蓮姫の疲弊や腕の痙攣が、それ程までに強い結界だったと物語っていた。
恐らく壊せたのは……女王か姫くらいのもの。
(あの結界は俺と同じ……もしくは俺より強い奴が作ったもの。結界が作られたのが古代じゃなく、術者が生きているとしたら…結界の破壊に気づいたはず。この神殿に……そんな奴がいるとしたら…。……今回ばかりは当たるな。本当に…ただの杞憂であれよ)
自分の悪い予感がほぼ毎回当たっているユージーン。
そんな奴と出くわすのは……万が一にも戦闘になるのは、正直避けたい。
そんな展開にはどうかなるな…と一人願うユージーン。
そしてこのユージーンの願いは……ある意味叶う。
ユージーンの抱いた不安以上の混乱を招く、という……展開で。
そしてついに…というか、やっとというか……蓮姫一行と海賊王キラ率いる海賊団は海底神殿へと入る。
神殿の入り口には大きな門があるだけで、扉などはない。
蓮姫達はそのまま門をくぐり、更にその奥へと泳いだ。
泳いでいる最中も、先方や後方への警戒は怠らず、注意を払いながら進む蓮姫の従者達と海賊達。
しかし蓮姫の意識は、そのどちらにも向いていなかった。
今まで感じた事のない違和感を自身のある箇所に持ちつつも、仲間達と共に泳ぎ続ける。
しばらく泳いでいくと階段があり、そこを昇るように泳ぐと階段の先には石造りの回廊。
階段の上には海水もなく、彼等は水から上がると久々の地面……石造りの床へと足をつけた。
全員が回廊に足をつけたのを確認すると、キラは彼等を見回しながら指示を出す。
「海水に浸かってるのはここまで、か。空気はあるみたいたが……何処も彼処も真っ暗……当然か。とりあえず灯りをつけよう。蓮ちゃん達も、魔法使える奴は灯りを頼む」
「りょーかいよ。灯火!」
キラの言葉を聞き、火狼はパチンと指を鳴らすと、朱雀の炎の一つである灯火(とても小さな炎)を人差し指の上にポンッと出す。
ユージーンやキラ達は光属性の初級魔法『ライティング』で小さな光を生み出した。
さすがに初級魔法なので、これくらいを使える者は海賊団の中にも数人いるらしい。
各々が小さな灯りをつけた事で、この場は微かな明かりに照らされるが…回廊の先…光の届かない場所は依然真っ暗。
ユージーンは更なる指示と今後の確認をキラに仰ぐ。
「海賊王、今後はどう動く予定ですか?」
「本当はいくつか班を分けて動く予定だったが……この先は何があるか本当に分からない。全員で固まって動くぞ。その方が効率は下がっても、安全性は高まるだろ」
「分かりました。………姫様?どうされました?」
キラとの会話を終わらせたユージーンが主の方へ視線を向けると、そこには自分の腰……ベルトの先の短剣を見つめる蓮姫。
「……ここに入ってから…何か感じるの。……短剣から」
「オリハルコンの短剣から…ですか?」
「うん。なんだろう?嫌な気配じゃないんだけど……なんか…変な感じで」
蓮姫はベルトから短剣を取り外すと、まじまじと見つめる。
こんな風に短剣から何かを感じるのは、持ち主である蓮姫とて初めてだった。
そのまま何も考えずに、鞘から短剣を抜く蓮姫。
現れた刀身を見て……蓮姫達は驚く。
「っ、短剣が……黒く光ってる?」
「黒く光る……って、言葉としておかしいけど……マジで黒く光ってんな。姫さん、何それ?」
「……知らない。こんなの……初めて見た。そういう狼は?すざ…他の人から聞いた事ないの?」
蓮姫は『朱雀』と言おうとして、言葉を言い換える。
キラ達には朱雀の事は話していないし、無駄に話す必要もないからだ。
そして蓮姫の前にこの短剣の所有者だったのは、暗殺ギルド朱雀頭領である火狼の仲間兼部下。
だからこそ火狼に尋ねた蓮姫だったが、火狼は両手を広げて肩をすくめる。
「んな報告は無かったね。そだ。こういうのは旦那の方が詳しくね?」
「………知らない。オリハルコンが黒く光るなんて…聞いた事もない」
「ジーンが知らないんなら………っ、ジーン!ここ見て!小さいけど古代文字が浮かんでる!」
「古代文字が?」
ユージーンが蓮姫から短剣を預かると、確かに宝の地図に書かれていた古代文字と同じような模様が浮かんでいた。
今まで短剣にこのような文字が浮かんだ事は無いし、蓮姫もユージーンも知らなかった。
恐らく、黒く光った時にだけ文字が浮かび上がる仕様だったのだろう。
蓮姫の発言で短剣に興味を持ったのか、全員が蓮姫を囲うように集まった。
特に海賊達は勝手に期待のようなものを膨らませ、興奮している。
「マジか!?それも宝の手がかりじゃねぇのか!?」
「こりゃもう!船長と弐の姫の嬢ちゃんが出会ったのは運命だぜ!」
「そうだぜ!これはきっと、宝は船長が手に入れるべきだ、っていう天のお告げだ!」
「おい!銀髪兄ちゃん!宝は何処だ!」
「騒ぐな!お前達!……ったく…すまないな。ユージーン。……それも読めるか?なんて書いてある?」
騒ぐ仲間達を一喝して静まらせると、キラはユージーンへ真剣な眼差しを向けた。
それはキラもまた、彼等と同じような期待を抱いている証拠。
ドキドキと自身の脈打つ心臓を感じながら全員が黙り込むと、静寂の中でユージーンの声が響いた。
「これは……『我の全ては汝の為に』……いや、違うな。逆か。『汝の全ては我の為に』?」
「『汝の全ては我の為に』?どういう意味だろう?というかジーン。単語は読めても、文章は読めないんじゃなかった?」
「えぇ。他のは読めませんが……コレだけは別です。『我の全ては汝の為に』っていうのは、翻訳と共に昔見た事があるんですよ。それこそ何度も、色んな所から見たので間違いありません」
ユージーンだけが知っている今の古代文字。
それは彼の先祖が、誰よりも…何よりも偉大な盟友から贈られた誓いの言葉だった。
ユージーンも幼い頃、彼の生家にあった数ある文献や絵画に記されたこの古代文字だけは、しっかりと覚えている。
彼の先祖やその盟友達の逸話と共に。
「だからコレもそう書いてあると思ったんですが……単語が逆でしたね。だから読めたんですが」
ユージーンによって判明した短剣に書かれた古代文字の内容。
しかしソレは蓮姫達…特にキラを更に悩ませるものだった。
「本当にどういう意味だ?宝となんの関係が?何かのヒント……暗号か?」
「悪いがな、海賊王。これだけじゃなんとも言えん。何かのヒントかもしれないし……全くの無関係ともとれる。過度な期待は抱かない方がいいだろう」
「でもさ旦那。『我の全ては汝の為に』ってのは『私は全てをかけてあなたに尽くします!』みたいな良い意味に取れるけど……逆に『汝の全ては我の為に』ってことは『お前の全部は俺のもんだからな!』みたいな嫌な意味にも取れね?今更だけどさ……その短剣って持ち主の姫さんにとってヤバいんじゃないの?」
「……確かに。その可能性は捨てきれないな。そういう事には頭回るよな、お前。犬のくせに」
「なんで毎回毎回全然関係ないとこで犬出すん?」
「姫様。いつものアレをしても?」
火狼がこめかみをピクピクとさせながら反抗した言葉を無視し、ユージーンは短剣の持ち主である蓮姫に尋ねる。
「いつものアレ?……あぁ、アレね。うん。お願い」
ユージーンが何をしようとしているのか理解した蓮姫は、快くソレを許可した。
「ありがとうございます。では……」
ユージーンが短剣に込められた記憶を覗く為、短剣を額に近づけた………その時。
蓮姫達の足元、壁、天井……神殿全体が大きく揺れだした。