海底神殿 1
海賊王達が蓮姫達と共に、普段通りの平和な日常を過ごしていた夜。
ブラウナードの王族達が、各々の思惑…陰謀を抱いていた夜。
どんな時でも、どんな者にも平等に、変わらず夜は更ける。
そして朝を迎え、ここは強国ギルディスト。
女帝エメラインは、謁見の間の玉座にて親衛隊から差し出された手紙を楽しげに、それはもう満面の笑みで眺めていた。
彼女をここまで笑顔にするこの手紙は、蓮姫があの時、親衛隊に託したもの。
「うふふふ。蓮姫ちゃんったら……海賊王さんを気に入っちゃったみたいね」
「陛下。弐の姫は陛下からの勅命を無視されました。しかるべき罰を」
「あら?貴方も知ってるはずよ。私はこうなる事を望んでいた、と」
「ですが……」
「海賊王の討伐。きっと蓮姫ちゃんなら……ううん。ユージーンさんなら簡単に出来たと思うわ。でも蓮姫ちゃんは……海賊王の討伐を拒んだ。思った通りね」
蓮姫は女帝からの勅命だった海賊王討伐を先送りにしたというのに、エメラインは報告を聞いた時から楽しげに笑っている。
それもそのはず。
彼女の言う通り……コレは彼女の望んだ通りのシナリオだったから。
「んもうっ!さすがは蓮姫ちゃんね!蓮姫ちゃんなら絶対そうしてくれるって信じてたわ!」
「ですが……これでは我が国は、ブラウナードから海を手に入れる事が出来ません」
「心配いらないわ。それについても、蓮姫ちゃんはちゃあんと考えてるみたいよ。それに……私が海賊王さん討伐を断り続けた本当の理由は、貴方も親衛隊も、騎士団も貴族達も…皆が知っているでしょう?」
「それは……はい。存じております。我等も皆、陛下のお考えに賛同致しましたので」
「ありがとう。でも……ブラウナードの国王様も困った方よね。『奴隷として虐げられている人々を救い出し、解放している海賊王さんの討伐』なんて。本当に極悪非道なのは……一体どちらやら」
ふぅ…とため息を吐くエメライン。
蓮姫の読み通り、エメラインは海賊王達の行動…そして何故彼等がブラウナードの貴族船を襲うのか……その意味全てを知っていた。
「人を人として扱わない。民を顧みない他国の王様なんて、同じ王として軽蔑するわ。とても敬う気持ちになれない。勿論、民を虐げる事への協力だってしたくないわ」
「陛下のお気持ちは、陛下の民として誇らしく思います。我等は本当に素晴らしき方を王に持てたと」
「うふ。ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
「だからこそ……陛下は弐の姫に海賊王討伐を命じられた」
「うふふ。そうよ。もし蓮姫ちゃんが相手の肩書きや、ギルディストを味方にしたいっていう自分の得しか考えずに、命令通り海賊王さんを討伐していたら……蓮姫ちゃんへの反感は更に強まったでしょうね。私だってきっと幻滅したわ。でも……ふふっ。流石は蓮姫ちゃんね!蓮姫ちゃんを信じて本当に良かったわ!」
「陛下は本当に…あの方が同盟を結ぶ価値のある素晴らしい弐の姫だと……信じておられるのですね」
エメラインの思惑を知っていた親衛隊は、皇帝からの勅命を無視した蓮姫の行動こそ、女帝の望みだったと知っている。
知ってはいるが……彼はそもそも、闘技場でズルをして優勝した蓮姫に良い感情を持っていない。
だからあんなにも、蓮姫に海賊王を討伐するように訴え続けたのだ。
弐の姫が自分の敬愛する皇帝と、姉妹の契りを結べぬように。
そしてエメラインの望み通り動いたとしても、結局はエメラインの命令を遂行しなかった蓮姫には不満しかない。
そんな感情が顔に出ていたのか、誰が見ても不機嫌な表情の親衛隊に、エメラインは優しく声を掛ける。
「あらあら。そんなに不貞腐れた顔をしないで。勿論、これだけで判断はしないわ。全ては蓮姫ちゃんのこれからの行動で決まるもの。……でも…」
エメラインはニッコリと微笑む。
それは世界三大美女の一人として名を連ねる程に相応しい……美しい微笑みだった。
「これで分かったでしょう?蓮姫ちゃんは得だけで動くような、自分の利だけを考えるような愚かな弐の姫じゃない。民を愛する心、人を思いやる心を持っている姫だって」
「っ、しかし……陛下の勅命を無視した点は変わりません」
「そうね。だから今後、蓮姫ちゃんがどう動くのか、どんな判決を下すのか……楽しみに待ちましょう。大丈夫。どんな結果でも、蓮姫ちゃんを贔屓せずに受け止めるわ。今度はちゃんと親衛隊、騎士団、貴族を交えて話し合いの場を設けて…それから決めるから」
「……かしこまりました」
「ふふっ。今回はどうもありがとうね。任務ご苦労様でした。貴方も同行した親衛隊も、今日はゆっくりと休んで」
バンッ!!
エメラインが親衛隊に労いの言葉を掛けていると、謁見の間の扉が激しい音を立て乱暴に開かれた。
エメラインと親衛隊の男が扉の方へ視線を向けると……そこには不満気な顔をしたシュガーが立っていた。
慌てて奥から騎士団長のサイラスが追いかけて来ている。
「シュガー様!お待ち下さい!」
「うっさい。お前の話なんて聞かない。俺が用あるのは母上なんだから。お前らは消えろ」
「シュ、シュガー様……」
ギロリとサイラスと親衛隊の男を睨みつけるシュガー。
その鋭く殺気のこもった視線に、睨まれた二人はゾクッ!と全身に鳥肌が立ち、汗が滲み出る。
なんとも緊迫した空気が流れるが、それを破ったのは……なんとも呑気な彼の母親の声。
「あらあら?シュガーちゃんったら。そんなに怒ってどうしたの?お腹痛い?それとも寝不足かしら?」
「アホなこと言ってないで、真面目に聞いてくれる?…母上……なんで海賊王討伐っていう面白い話、俺に黙ってたの?」
「あらあらあら?思ったより早くバレちゃったのね。いつ知ったの?」
「知ったのはさっき。昨日、全っ然弐の姫達に会わなかったからさ。気になって使用人達に聞いても逃げてくし。だから適当に何人か捕まえて、脅して聞き出したんだよ」
「まぁっ!国民を脅しちゃダメじゃない!シュガーちゃん、メッ!」
物騒な事を話す息子に、母親は頬を膨らませ幼子を叱るような態度をとる。
サイラスと親衛隊はこの親子のやりとりを冷や冷やしながら眺めるが、シュガーは息子として母親の事を誰よりも理解している。
イラついてはいるようだが、母親を怒鳴ったり、暴れたりしないあたり彼も母親にだけは甘いようだ。
「母上こそ、可愛い息子に隠し事しちゃダメじゃん。……まぁいいや。知ったからには俺も動くよ。海に出て海賊王って奴と遊んでくる」
「あらあら。シュガーちゃんならそう言うと思ったから、ママは黙ってたのよ?今回の事は、蓮姫ちゃんに全部任せたんですからね。シュガーちゃんは邪魔しちゃダメよ。分かった?」
「ん~~~………分かんないや。だから勝手に行って、勝手に海賊王殺してくるよ。母上が勝手にしたんだから、息子の俺も勝手にしていいよね」
「んもうっ!シュガーちゃんったら!そんな屁理屈を言うなんて!まったくもう。……ソルトも海に行ってしまったし…どうしようかしら?」
昨晩……正確には深夜に会った最愛の男…このシュガーの父親の事を思い出し、後半は小声で呟くエメライン。
彼女はどうやって息子を引き止めようかと、頭を悩ませる。
そんな時……シュガーとサイラスの更に後方から、一人の騎士団員が突進する勢いで走ってきた。
彼は団長であるサイラスと、皇帝の息子であるシュガーの間を走り抜け、エメラインの前で跪く。
そして息を切らしながら、女帝へと口を開いた。
「急報!ブラウナードの第三王子から!陛下への急報が届きました!」
騎士団の男は持っていた手紙をエメラインへ差し出し、叫ぶように告げる。
その手紙を受け取ると、エメラインは不思議そうに手紙の封蝋と差出人の名を眺めた。
「…………あら本当。ブラウナード王家の紋章と第三王子様の名前だわ。でも……どうして第三王子様が私に手紙をくれたのかしら?」
「ブラウナードの第三王子?なにそいつ。母上の友達?強いの?」
「いいえ。ブラウナードの王族とはそれなりに交流はあるけれど、第三王子様とは面識も、手紙のやり取りすらした事がないわ。強いという噂も聞かないし……本当にどうしたのかしら?」
息子の問いかけに答えながらも、エメラインは封を開き中の手紙を取り出す。
そして読み進める度に……彼女の顔は驚愕に染まっていった。
ワインレッドの瞳は大きく見開き、体は僅かに震えている。
エメラインは視線を手紙から離さず、そのまま手紙の両端をぐしゃりと握りしめた。
「…………なんということ。……これでギルディストに…海賊王討伐を依頼するなんて……ブラウナード王家は随分と……我がギルディストを舐めきっているようね」
そう呟くエメラインには、先程のような笑顔はもう無い。
彼女の声には、明らかに怒気が含まれている。
こんなにも怒りを顕にするエメラインは珍しく……サイラスと親衛隊は、彼女を呆然と見つめたまま言葉を失っていた。
ただ唯一この場の空気を読めていないシュガーは、呑気な声を出しつつエメラインに背を向けた。
「じゃあ母上。俺もう行くからね。海賊王強いんなら遊びたいし。ついでに弐の姫や銀髪さんとも遊んでくるよ」
「シュ、シュガー様!お待ち下さ」
「待って、シュガーちゃん」
勝手に謁見の間を出ようとしたシュガーをサイラスが慌てて止めようとしたが、それに被せてエメラインは静かに言葉を放つ。
不機嫌そうにエメラインへ振り返るシュガーだったが、母親のまとう冷たい空気に息を飲んだ。
それはサイラスも親衛隊も、手紙を持ってきた騎士団も同じ。
今のエメラインからは、いつものゆるふわな雰囲気も、戦闘時の狂気とも全く違う……激しい怒りを感じたからだ。
エメラインは息子を見つめると、静かに言葉を放つ。
「シュガーちゃんは……もっと別の遊びに行ってちょうだい。これは母としてではなく…ギルディスト皇帝としての命令です」
「別の遊び?なにそれ?」
「大勢との戦闘よ。シュガーちゃんだけじゃなく騎士団も向かわせるわ。サイラス、この手紙を見てちょうだい」
「っ、はっ!失礼致します!陛下!」
サイラスは直ぐに玉座へと駆け寄ると、その場に跪きエメラインから手紙を受け取った。
両端がくしゃくしゃになった手紙を読み進めるサイラスの顔は、エメラインと同じく驚愕に染まる。
「っ!!?こ、これは……」
「どの国にも、民の行方不明や不審死の報告はあるわ。まさかそれに………ブラウナードが関わっていたなんて…」
「…へ、陛下。………この手紙に記されている事が事実なら…ブラウナードは自国の民だけでなく、他国の民まで奴隷にしていたと?我がギルディストの民までも?」
ブラウナード第三王子クリストフェルから、ギルディスト女帝エメラインに送られた手紙。
そこには、ブラウナードが他国の民を秘密裏に誘拐、もしくは買い取り、奴隷として売り飛ばしてきた経歴が詳細に記されていた。
しっかりと不審死や行方不明という裏工作をしてまで。
手紙の内容に驚きを隠せないサイラスに、エメラインは更に顔を苦々しげに歪める。
「ブラウナードの奴隷制度は世界中が知っているし、他国も黙認してきた。自分達の国には関係ない、ブラウナードの問題だと。でもブラウナードが自国の民だけでなく…他国の民を連れ出して奴隷にしてきたとなれば……話は別よね」
エメラインの言う通り、ブラウナードの奴隷制度は今まで他国も黙認してきた。
それはブラウナードの問題であり、ブラウナード独自の文化でもある為、たとえ王族といえど他国が口を挟むことでは無いから。
しかしブラウナードだけで奴隷を使うならともかく、自国の民を勝手に誘拐、もしくは買い取ってきたとなれば他国の王族とて黙ってはいない。
「これが事実なら……私はギルディストの皇帝として、黙っていられないわ」
誰よりも民を愛し、民に愛されるギルディスト皇帝エメライン。
彼女がこの事実を……ブラウナードの悪行を許せるはずもなかった。
「サイラス。直ぐに騎士団を招集なさい。親衛隊の方も全員揃えて」
「はっ!」
「かしこまりました!」
エメラインの命令を受けたサイラスと騎士団員、親衛隊は凄まじいスピードで謁見の間を出て行った。
緊迫した空気が流れる中、シュガーはニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「へぇ~。じゃあブラウナードと戦争するってこと?いいね!戦争って俺大好き!いっぱい殺していいもんね!」
「いいえ。先ずはブラウナードの王族の企みを阻止するわ。シュガーちゃんが向かうのはそっちよ。激しい戦闘になるはずだから、シュガーちゃんもきっと満足するはずだわ」
「分かった。でもさ……それってホントに信頼出来る話なの?」
彼にしては珍しく、まともな疑問を持つシュガーだったが、そんな息子にエメラインは楽しげに微笑む。
「この手紙には、数人だけどギルディストから攫った人の名前まで書いてあるわ。調べれば直ぐに分かる事でしょう?信憑性は高いわ。……それにしても…まさか王位継承者として有力な、第一王子様でも第二王子様でもない……第三王子様からの手紙だなんて」
エメラインは封筒の裏に記されたクリストフェルの名前を見つめると、楽しげに微笑む。
「……爪を隠している能ある鷹は……意外と世界中にいるのかもしれないわね。うふふっ…興味深い方だわ。クリストフェル王子様。ねっ、シュガーちゃんもそう思わない?」
「俺は戦争出来ればなんでもいいし…………ん?そういえば母上。弐の姫と『戦争しない』とか約束してなかった?」
「えぇ。蓮姫ちゃんとはそう約束したわね。でもソレを果たすのは同盟を組んでからでいいの。そう考えると……蓮姫ちゃんとの姉妹の契りが遅れたのは、結果的に良かったのかもしれないわね」
「ふ~ん。今ならまだノーカン、ギリセーフって事か。じゃあいっか!」
「全然いいわ。そもそもブラウナードの奴隷制度もブラウナードの王族も、私は昔から大嫌いだったの。良い機会だし、徹底的にあの国…いえ、腐った王族達を潰してしまいましょう」
「うわっ。そっちが本音じゃん。母上って怖いよね~」
「うふふ。当然よ。だって……私はギルディストの女帝で、シュガーちゃんのお母様だもの」
そう満面の笑みで告げる母親に、シュガーは海より深い説得力を感じた。