レムスノアの末姫とブラウナードの第三王子 6
コンコン。
アンドリューが妹の婚約の真相について語ろうとした時、またドアをノックする音が聞こえた。
部屋の主であるアンドリューは、ノックをしたであろう扉の外の人物に声をかける。
「誰だ?」
「ジュリアンヌです。お兄様」
「入れ」
「失礼致します」
アンドリューに促されると、ジュリアンヌは部屋に入り深く頭を下げた。
身内である兄に準備された部屋だろうと、ジュリアンヌは淑女としての礼儀を欠かさない。
コレも全て、彼女の恩師サリヴァン先生の教育の賜物なのだろう…と久遠は改めて感心していた。
「お兄様、そして天馬将軍。先程はお話の途中で退室してしまい、申し訳ありませんでした」
「構わん。で?クリストフェル殿の用は済んだのか?」
「その件について……お兄様にお願いがございます」
「可愛い妹の頼みだ。なんなりと言ってみろ」
「ではお言葉に甘えまして。お兄様に同行している我が国の魔道士の中に、空間転移を使える者がおりましたら……その者の力をお借りしたいのです」
「空間転移を?有事の際に備えて一人連れて来てはいるが……レムスノアに戻るのか?」
「いいえ。行き先は…ブラウナードです。理由は………申し訳ありません。今はまだ…私の口からは申せませんわ」
兄である皇太子配下の魔道士の力で、他国に行くのなら納得のいく理由が必要。
しかも婚約者であるブラウナード第三王子との鏡を通した面会の後に、ジュリアンヌは彼の国へ行きたいと言った。
アンドリューは、それがただ『愛しい婚約者に会いに』という理由だけでも構わなかった。
しかしジュリアンヌは嘘をつく事も、誤魔化す事もせず……正直に『今はまだ話せない』と言う。
その上でブラウナードに行きたい、と。
ジュリアンヌの顔はとても真剣だが、そのオレンジの瞳から…不安や焦りのようなモノを感じるアンドリュー。
いつもなら可愛い妹……それも今ではほとんどワガママを口にしなくなった妹の願い…兄としては何でも聞いてやりたいし、叶えてやりたい。
しかし今回ばかりは……兄は可愛い妹の願いを叶えてやる事は出来なかった。
「……すまん。それは無理だ」
「っ、お兄様!どうかお願い致します!なんとしても今日!いえ!遅くとも明日にはブラウナードに!」
「落ち着け。お前の望みを叶えたくない訳じゃない。お前がブラウナードに行くというのなら、それも兄として、皇太子として許す。クリストフェル殿の事は、俺も信頼しているからな」
「…では……何故ですか?」
「連れて来たその魔道士は、俺の側近の一人だ。俺もそうだが…俺直属の配下達も一年以上ブラウナードには行っていない」
空間転移とは、たとえどんなに遠方でも一瞬で移動出来る高度な転移魔法。
熟練した魔道士の中でも、更に強い魔力を持つ者…もしくは魔晶石で魔力を強化した者でなくば使えない。
しかも空間転移の行き先は、術者である魔道士が一年以内に行った場所に限られる。
アンドリューは数ヶ月前からこの王都に滞在しており、そして祖国でも皇太子としての激務に励んでいた。
その側近達も余程の命令が無い限り、皇太子の傍を離れて他国には行かない。
「そいつを連れて来たのはレムスノアで何かあった時、皇太子である俺が直ぐに戻れるように、だ。レムスノアに帰るならともかく、ブラウナードには行けない」
「ではその者の力でレムスノアに戻り、他の魔道士に頼みます!」
「それも無理だ。俺の配下以外の魔道士の全権は現皇帝である父上のもの。父上はお前を一番溺愛しているからこそ、詳しい説明もないまま他国に行く許可は下さらない。それが婚約者の国でもだ」
「そんな……」
空間転移を使えるレムスノアの魔道士は、今の王都には他にいない。
今からレムスノアに戻っても、皇帝である父が頷かなければ、明日までにブラウナードへ行く事は出来ない。
詳しい説明が必要と言われても、全てを話せば……むしろ絶対に許可は下りなくなる。
自分の望みが叶わぬ現実を悟り、ショックを受けるジュリアンヌだったが、そんな彼女に救いの手を差し伸べる者がいた。
「ジュリアンヌ姫。私が軍の魔道士達に声を掛けてみます。ブラウナードは中立国ですが、七つの王国の一つ。陛下の命で一人くらいは一年以内にブラウナードへ行っている魔道士がいるはずですから」
「本当ですか!?感謝します!天馬将軍!」
久遠からのありがたい提案に、パァッと明るい表情になるジュリアンヌ。
久遠としてはただの善意だったが、アンドリューは今の言葉を聞いてニヤリ…と悪戯な笑みを浮かべた。
「天馬将軍、かたじけない。恩に着る。しかし将軍とはいえ陛下の軍人に恩を作ったままでは、レムスノア王家として面目が立たない。そうは思わぬか?ジュリア」
「そうですわね。この御礼は後日正式に」
ジュリアンヌは兄の企みに気づかず、王族として金銀財宝でも与えるべだと賛同する。
甘い考えしか出来ないあたり、やはりまだジュリアは兄に遠く及ばず敵わない。
「そうだろう?なら礼として…サリヴァン先生の件、快く受けようじゃないか」
「っ!?お兄様!?」
「嫌だ…とは言わないよな?ジュリア」
顔は笑っているが、否とは言わせない圧を妹にかけるアンドリュー。
ジュリアンヌは悔しそうに歯を食いしばるが、今の彼女に選択肢などない。
今は久遠に頼るしか…ブラウナードに行ける方法は無いのだから。
しかし勝手に話を進めるアンドリューに対して、眉をひそめるのはジュリアンヌだけではない。
それは魔道士の提案をした久遠も同じだった。
「殿下。私はそのようなつもりで言ったのではありません」
「あぁ。貴殿はそういう男だろうな。しかしさっきも言ったが、このままでは我々レムスノア王家の面目が立たん。……勿論、それだけではないがな」
未だ抵抗を見せる妹に、アンドリューは更なる念押しを語る。
「ジュリア。よく考えてみろ。サリヴァン先生が壱の姫の教師となれば、どちらに転んでもレムスノアにとって得になる」
「………どういう…意味ですか?」
自分を睨みつつも、その真意を聞こうとする妹に、アンドリューは笑顔のまま語り始めた。
「壱の姫がかつてのお前のように更生し、次期女王と相応しい姫となれば、婚姻を結ぶレムスノアにとっては願ったりだ。この世界にも明るい兆しが見える。我等レムスノア王家には、サリヴァン先生の功績を通じて恩恵も与えられるしな」
「私はお兄様のように、そんな楽観的な考えなど出来ませんわ。私は壱の姫に、なんの期待も持てません」
「本音を言えば俺もそうだ。アレにはサリヴァン先生ですら手を焼くだろうし、無理かもしれん…とな。だが壱の姫とはサリヴァン先生ですら匙を投げた人物だ…と説明すれば、レムスノア国内で俺と壱の姫の婚約破棄を反対する者の方が圧倒的に少なくなるだろ?」
次期女王になるのは壱の姫…壱の姫様こそ次期女王に相応しい。
殆どの国や王侯貴族はそう考えている。
レムスノア皇太子であるアンドリューが女王麗華から壱の姫の婚約者に命じられた際、レムスノア王家も国民も喜びに沸いた。
しかし壱の姫である凛の本質を見抜いているアンドリューは、早々に彼女との婚約を破棄したい。
その為には、誰もが…特にレムスノアの国民や王族が納得する理由が必要。
「サリヴァン先生はお前のおかげで、レムスノアでは知らん者はいない。そうすれば…俺が皇帝になった際に女王派から中立へとレムスノアも動きやすくなる。もう一度言うぞ。どちらに転んでもレムスノアには得だ」
アンドリューの真意を知り、ジュリアンヌは更に眉間の皺を深くさせる。
理屈は分かるが、恩師を利用する事には納得がいかない。
それでも……今の話は王族の姫として、壱の姫の本質を知る者としては納得のいく理由。
考えた末、結論を出したジュリアンヌは渋々……苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「…………分かりました。私ももう反対致しません。しかし先生が壱の姫を見限られたら、直ぐレムスノアに帰して下さいね」
「安心しろ。そのつもりだ。先生にも姉上を通じてそう伝える。……さて、待たせたな天馬将軍。今回の件、レムスノア皇太子である俺が正式に受けた。後は任せろ。貴殿はジュリアの為に直ぐ魔道士を探し出し、ここへ呼んでくれ」
「かしこまりました。……感謝致します。アンドリュー殿下、ジュリアンヌ姫」
久遠は二人に深々と頭を下げると、アンドリューに言われたよう直ぐに部屋を出て行った。
久遠を見送るとアンドリューは、部屋にある机に向かい紙とペンを取り出す。
「俺は姉上に向けて手紙を書く。お前は直ぐにブラウナードへ行けるよう、部屋に戻り準備しておけ」
「かしこまりました」
ジュリアンヌもまたの兄に深く頭を下げると、兄の部屋から退室し自分に用意された部屋へ足早に向かう。
部屋でメイド達が準備をしている間……ジュリアンヌはソファに腰掛け、クリストフェルとの鏡を通じた会話を思い出していた。
『クリス様。お待たせ致しました』
『ジュリア!海賊王達の拠点が判明したらしい!』
『っ!?それは本当ですか!?』
『本当だ!父上も城の者も騒いでいるから間違いないよ。奴隷に兵を紛れ込ませる兄上達の作戦が成功したんだ。しかも海賊王の拠点には、今まで彼が貴族達から奪った奴隷達もいるらしい。彼等は今…奴隷ではなく普通の人間として暮らしていると』
『…そんな。……では、海賊王は捕まるのですか?彼が逃がしたという奴隷達も?』
『いいや。父上達は海賊王を処刑し、奴隷達を連れ戻すつもりだろうけど……そうはさせない。僕がそんな事させない。幸いな事に、今回の討伐にはギルディストの女帝が関わってるんだ』
『ギルディストの女帝が?何年も協力を断っていたのにですか?しかし……今回なら好都合ですわね』
『うん。女帝にはもう書状を送ったよ。明日にはギルディストに届く。海賊王達を証人にして、僕が集めた証拠を出せば……きっと民を愛する女帝は、父上と兄上達を許さない』
『本当に愚かですわ。他国の民を誘拐して人買いに売ったり、自分達の奴隷にするなど。いいえ。そもそも奴隷制度が間違っているのです。民を虐げる制度など…国には必要ありません』
『そうだね。僕もジュリアがいなくちゃ、そんな簡単な事に気づけなかった。でも気づいただけじゃ……悪いと思うだけじゃダメなんだ。誰かが行動しないと……ブラウナードは何も変わらない。王子の僕しか…ブラウナードを変えられない』
『その通りですわ、クリス様。では……遂に実行されるのですね』
『うん。僕は……ブラウナードに反乱を…革命を起こす。今まで集めてきた証拠や文献を元に…民を虐げ続けてきた父上と、裏で反乱軍と手を結んだ兄上達を失脚させて……僕がブラウナードの王になる。今度こそブラウナードから……完全に奴隷制度をなくすんだ』
『ご立派です、クリス様。では私もブラウナードへ…クリス様のお傍へ参ります』
『っ!?ダメだ!!危険すぎる!』
『危険なのは百も承知ですわ。しかし成功すれば…クリス様はブラウナードの王となり、私は王妃となるのです。夫が革命を起こすのなら、お傍で支えるのが妻の務め。反対されても絶対に行きますので』
『……分かった。僕だって…僕が王座に着く時は…ジュリアに傍にいてほしい。でも約束して。絶対に僕の傍を離れないで。…絶対に』
『分かりましたわ。……それで?あの馬鹿王子達が海賊王の拠点を攻めるのは……いつですの?』
『作戦決行は明日だ。海賊王が拠点を離れるから……その間に乗り込んで総攻撃を仕掛けるって』
『では必ず今日中……遅くとも明日にはブラウナードに参ります』
ジュリアが回想を終えたその時、久遠とアンドリューが魔道士を連れて彼女の部屋を訪れた。
ジュリアは二人と軽く挨拶を交わすと、ジュリア付きのメイド達と共に魔道士の空間転移でブラウナードへと向かう。
海底神殿での宝探しも、海賊王拠点襲撃も、ブラウナードの革命も……全てが明日、決行される。
そして数日後……あのロゼリアの王子とアクアリアの人魚姫の結婚よりも、更に驚きのニュースが世界中に流れることとなる。
それも一つではなく……いくつものニュースが。
それら全てのきっかけであり…始まりとなるのが……明日。