レムスノアの末姫とブラウナードの第三王子 5
扉の向こうから聞こえた自分付きのメイドの言葉に、ジュリアンヌはスッと椅子から立ち上がる。
「お兄様、天馬将軍。急用が出来ましたので席を外させて頂きます」
「あぁ。クリストフェル殿によろしく伝えてくれ」
「かしこまりました。それとサリヴァン先生の件、何を言われようとも、私は断固反対ですので」
「分かった、分かった。ほら、いつまでもクリストフェル殿を待たせる訳にもいかないだろ」
「………失礼致します」
ジュリアンヌは不機嫌な表情のまま兄と久遠を見つめると、一礼し急ぎ足で扉を出て行った。
パタン…と扉が閉まり、足音が遠のくと久遠はアンドリューへと視線を戻した。
「クリストフェル王子。確かジュリアンヌ姫と御婚約をしている、ブラウナードの第三王子でしたね」
「あぁ。将来、我が義弟となる、現在ブラウナードの第三王位継承者だ」
「………恐れながら……クリストフェル王子の第三王位継承権は形だけと聞いております」
「噂では、な。しかしこれもまた意外だな。貴殿がそこまで噂を信じているとは」
「王族……それも七つの王族の噂となれば、民が話を広めるのも当然でしょう。自然と私の耳にも入ります」
「ゴシップ好きはどの国にもいるからな。コレもある意味、民の娯楽の一つか」
二人が語らうようにブラウナードもまた『七つの王国』の一つ。
今回蓮姫達に……正確にはギルディスト皇帝エメラインに海賊王討伐を依頼した、この世界で唯一奴隷制度が許されている国だ。
奴隷制度だけでなく、徹底した身分制度が敷かれている…古い歴史のある国。
かつてロゼリアの王位継承者ルードヴィッヒに婚約を破棄されたジュリアンヌは、現在このブラウナードの第三王子と婚約していた。
しかしこの第三王子……貴族や民の評判がよろしくない。
というよりも、いつも人々の噂や話題に上がるのは第一王子と第二王子の事ばかりで、第三王子の話題はほぼ出ない。
たまに出る第三王子の話題は『二人の王子に比べて第三王子は…』とか『第三王子は変わらずあの調子らしい』といったもの。
久遠の耳にも届いているその噂は、当然アンドリューの耳にも届いている。
「貴殿の聞いた噂はどうせアレだろ?『ブラウナードの第一王子と第二王子は優秀だが、第三王子は腑抜け腰抜けの引きこもり』という」
「はい。第一王位継承者のアーノルド王子は武に長けた方で、ブラウナードの軍の最高権力者。自国の近隣に現れた反乱軍をこれまで何度も退けている。一方第二王位継承者のバイロン王子は文に長けた方で、幼い頃から積極的に政治に干渉されている。既に税徴収などのいくつかの制度や法律を見直されたとか」
「あぁ。どちらも『自分こそが次の王に相応しい』と慢心し、今から次期国王として振る舞っている。その結果ブラウナード国内の貴族や有力者は、アーノルド王子派とバイロン王子派に分かれているそうだ」
丁寧に他国の情勢を説明するアンドリューだったが、今の話で気になる点があったのか久遠は眉をひそめた。
「次の王は第一王位継承者のアーノルド王子では?」
「貴殿も先程言っていただろう?王位継承者の順番なんて形だけだ。バイロン王子は虎視眈々と第一王位継承者の座を……玉座を狙っている。アーノルド王子も自分と同じ野心を持つ弟を常に警戒しているようだ」
「第一王子と第二王子……どちらが王になっても不思議ではない、と?」
「あぁ。二人の王子はどちらも野心家であり、どちらも傲慢な王族そのものだ。そう簡単に次の王の座を譲らんだろう」
「ならば………」
久遠は自分の中の疑問を口にしようとしたが、簡単に話すべき内容ではないと口を閉ざす。
それに気づいたアンドリューは笑みを浮かべたまま久遠の言葉を促した。
「気になるなら聞いていいぞ。『ならば何故、大事な妹の婚約者を次期国王有力候補である第一王子でも第二王子でもなく……腑抜け腰抜け引きこもりと噂の第三王子にしたのか?』とな」
「………はい。殿下は勿論のこと、ジュリアンヌ姫も王族として素晴らしい思想と素質をお持ちです。ジュリアンヌ姫が嫁がれる相手はそれ相応の人物……王族の中でも優秀な者が、レムスノアにとっても望ましいのでは?」
ジュリアンヌはレムスノア王家が溺愛している末の姫。
嫁がせるのなら当然王族…それも次期国王か、その王の補佐となれる程の有能な人物を相応しいと思い選ぶはず。
しかしジュリアンヌが婚約しているブラウナードの王子は、王位継承権は三番目であり、その権利も形だけと言われる腑抜け者の王子。
「確かにクリストフェル殿は部屋や図書室に引きこもり、読書や書き物ばかりしている変わり者だ。戦にも政治の場にも参加した事は無い」
「ならば何故、そのような方を?」
自分の疑問を真っ直ぐに向ける久遠に、アンドリューは笑みを深くした。
「貴殿も身に染みて知っているだろう?噂が全てではない。人々が話し、広める噂とは真逆の人物がこの世界には確かにいる、と」
「っ、それは……」
アンドリューに問われ、久遠の脳裏には二人の女の姿が浮かぶ。
この世界の次の女王に相応しい姫、素晴らしい姫と噂されながら、実際には世界の事も王都の事もまるで考えず、自分に甘い者の言葉しか聞かない凛。
そして……王位争いから逃げ世間を遊び歩く愚かな弐の姫と噂されながらも、女王となるべく強い意志を秘め、他者を思いやる心を持った蓮姫。
アンドリューが言う通り、久遠はこの二人が噂とは真逆の人物であると身をもって知っている。
「天馬将軍。今……壱の姫と弐の姫を思い浮かべただろ?」
「………殿下。先程、壱の姫様を見限ったと仰いましたね?では……弐の姫の事はどう思われているのですか?」
「弐の姫か?壱の姫よりも女王に相応しい姫と俺は思っている。次期女王にはあいつがなるべきだ、とな」
そう語るアンドリューの言葉は、久遠にとって意外なものだった。
正直、久遠の中に期待めいたものがあったのは事実だが……まさかここまでアンドリューが蓮姫を認めているとは。
だが隣国の王族であり、壱の姫である凛と婚約しているアンドリューが………何故?
「将軍。何故俺が壱の姫ではなく、弐の姫を次期女王として推すか……そちらも気になるようだな。なら、先にその理由を教えようか?」
「…………はい。殿下のお考え…殿下は何をもって弐の姫を次期女王に相応しいと判断されたのか……是非ともお聞かせ頂きたく」
久遠は大和で蓮姫に再会した際、彼女の中に女王としての資質を感じた。
ではアンドリューは……どうやって…何が原因で弐の姫である蓮姫を認めたのか?
久遠の真剣な眼差しに、アンドリューはフッ…と微笑む。
「いいだろう。初めはただ興味が………いや、あいつに近づいたのはただの暇つぶしだったな。あぁ、見た目がタイプというのも本当だ。アレは見た目も中身も……まぁ少々気は強いが…いい女だ。弐の姫が次期女王なら、皇帝となる俺の妻に迎えてもいいな。彼女となら子供を作ってもいい。娘なら間違いなく可愛いだろうし、将来ジュリア以上の姫になるだろう」
「殿下?まさか……それだけの理由ですか?壱の姫様よりも弐の姫の方が好みの女性だから?妻にしたい程に入れ込んでいるから認めたと?」
「おい。そんな訳ないだろう。確かにいい女だが……弐の姫ならば、そんなもの全く意味が無い。仮にあいつが、あの傾城の時代の妃…後世に語り継がれるリスクの姫のように絶世の美女だったとしても……弐の姫を妻にしたいと望む王族はいないだろうさ」
この世界で弐の姫とは王位争いの元であり、争いの火種となる厄介者。
弐の姫とは王位継承権があっても、決して女王にはなれぬ存在。
かつての弐の姫達は全員、王位につけておらず、女王となったのは壱の姫か姫が一人だった場合。
王位争いに敗れた弐の姫は想造世界…元の世界へと強制帰還させられる。
仮に…万が一、この世界に留まる事が出来たとしても、敗者の烙印を押された弐の姫を妻にすれば、夫の価値や世間の評判も低くなる。
恐らく蓮姫にこの世界に残ってほしいと願うレオナルドは、それを全て分かった上で彼女を欲しているが…。
しかし、ただでさえ一部の王侯貴族に低く見られるレムスノア、その皇太子であるアンドリューはそうはいかない。
「ならば何故、殿下は弐の姫を認められているのですか?」
「あいつが王として一番必要な素質……思想を持っているからだ」
「王として一番必要な素質と思想を?」
「あぁ。俺があいつを王に相応しいと認めたのは……数ヶ月前の反乱軍による王都襲撃の報告。ソレを聞いた時だ」
あの時……アンドリューは隣国の皇太子や女王の賓客という立場から、女王麗華や壱の姫の凛と共にすぐさま兵士達に城の奥…それも結界が何重にも張られた部屋へと避難させられた。
だから庶民街で何があったのか?
蓮姫の身に何が起こったのか?
反乱軍の襲撃があったその時、城の奥にいたアンドリューは何も見ていないし、何も知らなかった。
全てを聞いたのは翌日。
自分達と同じ場に避難しなかった蓮姫の安否を一人の兵士に聞いた際…アンドリューは彼女の身に何があったのか…全てを知った。
初めは信じられなかった。
弐の姫と軽んじられ、愚か者と罵られ、世界に拒絶されていた弐の姫が……立場から逃げ、庶民街へと赴き遊び呆けていたあの弐の姫が、反乱軍による襲撃の報告を聞いて真っ先に庶民街に向かったなど。
それも自分の正体を知って、自分を拒絶した者達を助けに。
彼女は自分の命を狙う者達が襲って来たと聞いたのに、逃げる事も隠れる事もせず、己の身も顧みず民を助ける為に動いた。
最初は信じられなかった。
しかし直ぐ公爵邸に足を運び、抜け殻のような蓮姫を見て……全てが真実だったと悟った。
彼女がこうなったのは、庶民街の子供を…民を助けられなかったからだ、と。
「あいつは…弐の姫は自分の保身より、民を救う行動に出た。同じ状況に陥った時…弐の姫と同じ行動をとる王侯貴族が、この世界にどれだけいると思う?」
アンドリューの問い掛けに、久遠は何も答えられず顔を歪めるだけ。
そんな王侯貴族は、ほぼいないと知っているからだ。
無言こそ久遠の答え…自分と同じ考えだと判断したアンドリューは、更に言葉を続ける。
「不敬な発言をするが、現に女王陛下も次期女王と言われる壱の姫も、真っ先に城の奥に逃げ込んだ。あの反乱軍による襲撃時。この王都で民の事を考え動いた人物は……将軍や兵士以外では弐の姫だけだ」
アンドリューが弐の姫である蓮姫を認め、次期女王として推す理由。
それは彼女の肩書きなど関係ない…彼女自身がとった行動にあった。
「あいつは自分より…自分の命より、民の命を最優先に考えた。それはあいつが……弐の姫がどれだけ民に蔑まされても、その民を思いやっている証拠だ」
「……自分の命より…民を思いやる心…」
「あぁ。何よりも民を想いやり行動する者こそ、王に相応しい。あいつは確かに弐の姫だが……噂とは全く違う。そしてそういう噂とは真逆の人物は……この世界にまだいるんだ」
最後のアンドリューの言葉に、久遠はアンドリューが誰について話しているのか気づいた。
ここで話は戻るのだ、と。
「それが……ブラウナードの第三王子、クリストフェル様だと?」
「あぁ。俺の口から詳しく説明する事は出来んが……クリストフェル殿もまた、民を思いやる心を持つ者。王に相応しい素質を持つ者だ。それは間違いない」
「……失礼を承知で申し上げますが、民を思いやる優しさだけでは国を統治する事は出来ません。その思想を実現出来る何かが……クリストフェル王子にあるのですか?」
「それはこれから分かるだろうさ。俺も両親も他の兄弟も、何も出来ない優男という馬鹿に…可愛い可愛い末の妹を嫁がせる気は無い」
嫁がせる気は無い…とは言っているが、アンドリューの口元には笑みが浮かんだまま。
そして皇太子である彼が認めているのなら、父である皇帝や、他の兄弟も同じ意見だろう。
「殿下やレムスノア王家は、クリストフェル殿を王として相応しい人物だと判断し、また期待もされているのですね。だから彼をジュリアンヌ姫の婚約者とした」
「惜しい。最後だけハズレだ。クリストフェル殿がジュリアの婚約者となった理由は……別にある」
「別?」
ブラウナード第三王子のクリストフェルと、レムスノアの末姫ジュリアンヌ。
王族同士の婚約とは、政略的なものが多い。
しかしこの二人の婚約は……実にシンプルな理由で結ばれたものだった
「クリストフェル殿とジュリアの婚約が結ばれたのは………本人達がそれを強く望んだからだ」