レムスノアの末姫とブラウナードの第三王子 4
「ジュリア、茶を頼む。そういえば天馬将軍。貴殿は大和の王である帝からの急な招集で、数日前から王都を出ていたな?大和で何かあったのか?」
「いえ。帝の用は全くもって大したものではなく、大和は関係ございません」
「そうなのか?その割に急いで帰ってきたな。天馬で行ったのなら帰りはまだ先のはずだろ」
「あのまま大和に滞在していれば、帝から無理難題ならぬ無意味難題を押し付けられる可能性がありましたので。大和の陰陽師に頼み、大和式の空間転移で昨日帰還致しました」
「どうぞ。天馬将軍」
「ありがとうございます。ジュリアンヌ姫」
ジュリアンヌはカップを久遠とアンドリューの前に出すと、自分もまた兄の隣に腰掛けた。
久遠が紅茶に口をつけた際、アンドリューは苦笑しながら呆れたように呟く。
「なるほど。大和の帝は壱の姫同様、天馬将軍が匙を投げたくなるような御仁ということか」
「ぐっ!?……で、殿下。私が匙を投げたとは」
変な所に紅茶が入り咳き込みそうになった久遠だったが、なんとか堪えてアンドリューへ聞き返す。
アンドリューの方は妹の淹れた紅茶を優雅な仕草で飲んでから言葉を返した。
「壱の姫が嘆いていたぞ。最近、天馬将軍が全く会いに来ないとな。あぁ、『匙を投げた』ではなく『見切りをつけた』か?その気持ちは十分に分かる。俺でもそうしただろうからな」
「…殿下?………殿下は壱の姫様と婚約されているのでは?」
「女王陛下に命じられてはいるが、そのうち国を通して正式に断ろうと思案中だ。アレが妻など御免こうむる。貴殿が否定するならこれ以上の追求はしないが……俺とジュリアは今日で完全に、壱の姫に見切りをつけた」
そう話すアンドリュー、そして隣のジュリアンヌからは嫌忌ともいえる空気が漂っており、久遠もそれを感じている。
アンドリューは凛を思い出したのか、バカにしたように鼻で笑うと言葉を続けた。
「ハッ。壱の姫だ、次期女王だと持て囃されているが……アレには王どころか、メイド長すら務まらんだろう」
「お兄様。あの方と比べたり例えに出すなど世界中のメイド長に失礼です。壱の姫も弐の姫もこの世界の女王には相応しくない。レムスノアは次の世代、女王派ではなく中立となる事も視野に入れるべきですわ」
「……弐の姫…」
不意に出た『弐の姫』という言葉に、久遠は蓮姫の姿を思い出す。
自分は必ず女王となる、と強い決意を秘めた弐の姫…蓮姫を。
今のジュリアンヌの話し方や表情から、彼女は蓮姫を噂通りの愚か者の弐の姫と認識しているようだ。
それはかつての自分……久遠と同じ。
蓮姫の事を、彼女の人となりも思想も知らず……噂や人伝に聞いた話で簡単に愚か者と決めつけている。
それが今の久遠には……とても歯がゆく感じた。
「あのような方々の話は止めましょう。私は天馬将軍の要件をお聞きしたいです」
「そうだったな。天馬将軍、始めてくれ」
「かしこまりました。……実は最近、反乱軍の動きが妙なのです」
「妙とは?反乱軍に、何か大きな動きがあったということか?」
アンドリューの問い掛けに久遠はゆっくりと首を横に振る。
「いえ。逆です。日に日に反乱軍による被害報告や、反乱軍の目撃情報が減っております。王都だけでなく女王派、中立国に至るまで。実は大和近郊にも反乱軍目撃情報があったのですが、私が行く前に反乱軍は姿を消していたようで」
「それは……喜ばしい事態では無いのか?反乱軍による被害が未然に防げたのだろう?」
アンドリューの言う通り、反乱軍による被害が減っているのなら喜ばしい事だ。
そのはずなのに…語る久遠の表情からは安心や喜びといった嬉々とした物が何も感じられない。
「本来であれば喜ばしいのでしょうが……今までの反乱軍らしからぬ行動です。どうにも腑に落ちず、考えた末………私は二つの可能性へ行き着きました」
自分の言葉を興味深けに聞く隣国の王族二人に、久遠は正直に自分の予想……現段階ではただの憶測を語り出す。
「一つは反乱軍がこの世界への攻撃を完全に止めようとしている可能性です。今まで何百年と繰り返しているのに何も成果が得られていない為、反乱を諦めて女王陛下に与する」
「その可能性はかなり低い。今、反乱軍が攻撃を止める理由が無いからな。今の時期に王位継承者となる姫が現れた事は陛下の力の衰退を表している。そして姫が二人いるからこそ、あの王都襲撃は起こった。更に言えば壱の姫は次代の女王としては無能。女王陛下を廃する事を思想として掲げる反乱軍にとって、今は好機でしかない」
アンドリューの言葉に、ジュリアンヌもカップを持ちながら頷いた。
その可能性は極めて低く、ほぼ有り得ないだろうと。
「私もそう思います。なので天馬将軍。もう一つの可能性をお聞かせ下さい」
「はい。…あまり考えたくはありませんが……もう一つは、反乱軍による全面戦争。その準備の為に今は息を潜め、水面下で着実に計画を進めている可能性です」
久遠の発言にアンドリューとジュリアンヌは、目を大きく見開き驚愕の表情を浮かべる。
しかし驚いていても、即座に『有り得ない』という否定の言葉はどちらからも出てこない。
それは二人が久遠によるただの憶測を、真剣に受け止めていたから。
王族として、その可能性の危険を十分理解しているからこそだった。
「私の思い過ごしなら良いのですが……お二人の御意見を伺いたく」
「それで俺を訪ねたという訳か。王都を相手にした全面戦争なら、クイン大陸は当然、王都隣国のレムスノアもただでは済まん。皇太子として看過できん問題だ」
「思い過ごしなら確かに良いでしょうね。しかし用心に越したことはありません。天馬将軍の今の発言……王族は勿論、全ての貴族も兵も真剣に向き合うべきでしょう」
アンドリューとジュリアンヌが真剣に自分の話を受け止めているのを感じ、久遠はこの二人に話して正解だったと改めて感じる。
自分の部下や他の将軍、貴族の誰かに話せば、真剣に取り合わない者、混乱で取り乱す者が多く出ただろう。
そうしないのは……この世界の行く末を、国の安寧を、民が健やかに暮らせる未来を真剣に想う王族だけだと。
そしてこの場にいるレムスノア皇国の皇太子と末姫は、確かに民や国を思いやる心を持った王族だった。
「今お話したのは、あくまで私の考える可能性……ただの予想です。なので確かな証拠も無い今の段階では、簡単に軍を動かす事も出来ません。国や王族の協力があれば…話は別ですが」
そう語る久遠にアンドリューはまた大きく頷いた。
「そうだな。あくまで貴殿の考える予想であり可能性の一つにすぎない。だが俺達はその最悪な可能性を警戒し、備えるべきだと考える」
「最悪の可能性を無視した結果失う物は多くても、警戒し準備をしていれば失う物は少なく済みますわ。何より……いつの世も、戦争で傷つくのは民達です」
ジュリアンヌはカップを強く握りしめると、悲しげに眉をひそめた。
「国を支えているのは民。そして王族はその民を守る為の者。私達は王族として、今の天馬将軍のお話……無視する事は出来ません」
「よく言ったジュリア。それこそ俺達の妹であり、レムスノア王家の姫だ。しかし天馬将軍……俺達よりまずは飛龍元帥に話を通すべきだったのではないか?」
「本来の手順がそうである事は私も重々承知しております。元帥ならばお二人同様、私の言葉を真剣に取り合って下さるでしょう。ですが…未だに元帥をその立場から引きずり下ろそうと画策する貴族や軍人も少なくありません。元帥に話し、元帥が行動を起こす前に、元帥や私の後ろ盾となる方が必要なのです」
久遠の言葉に納得したのか、ふむ…とアンドリューは口元に手を当て考える。
「………そうだな。元帥は素晴らしい御仁だが、田舎貴族出身ということで未だ風当たりも強いと聞く。だからこその後ろ盾か。一番ソレとして強く効果を発揮するのは……陛下や壱の姫なのだがな」
「陛下は元帥に甘いですから、もし陛下が後ろ盾となれば、更に元帥への反感が強まるやもしれませんわね。そして壱の姫は選択肢に入れるまでもありません。『反乱軍』と聞くだけで、怯えて部屋に引きこもるそうですから」
ジュリアンヌの今の言葉に、アンドリューは苦笑を浮かべ、久遠は苦虫を噛み締めたように顔を歪める。
ジュリアンヌが今言った話は、この城に出入りしている者なら誰でも知っている周知の事実。
もし凛が今の久遠の話を聞いたら、泣き叫び部屋に引きこもるだろう。
最悪、王都も民も捨てて逃げ出すかもしれない。
万が一、凛が本気でこの話を聞き入れ重視しても、彼女の取り巻きで保身しか考えていない貴族達に丸め込まれるだけ。
そうなれば結果、民は見捨てられ多くの犠牲が出る。
この場に集った三人は、凛という壱の姫が……この世界の次の頂点となる資格を持った娘がどういう人物か……既に見極めている。
その上で切り捨てようと、期待を持てない存在だと判断している。
それでも凛が第一王位継承者の事実は変わらず、今のままでは全てが悪い方向に行くのは火を見るより明らか。
だからこそ……久遠はジュリアンヌを見た時から考えていた、ある提案を切り出そうと決意した。
「天馬将軍。貴殿の話は分かった。レムスノア王家とレムスノア皇国は、この件しかと受け止め、備える事を皇太子として約束しよう」
「ありがとうございます。殿下、ジュリアンヌ姫。それと……別件でもう一つ、お二人にお願いしたい事があるのですが」
「別件……ですか?」
久遠の言葉に首を傾げるジュリアンヌ。
そんな彼女を真っ直ぐ見つめ、久遠は口を開く。
「はい。レムスノアの先代サリヴァン公爵夫人。彼女をこの王都に呼び寄せて頂きたいのです」
「サリヴァン先生を?将軍が先生に、一体何の御用ですか?」
「はい。恐れながら……アンドリュー殿下が仰っていたようなジュリアンヌ姫の変貌の噂は、私も耳にした事があります。そしてそれが事実なら……是非とも御指導して頂きたい方が、この王都にはおりますので」
久遠のその言葉で、ジュリアンヌは大きく目を見開いて硬直し、アンドリューは腕を組んで悩ましげな表情を浮かべる。
久遠がジュリアンヌの恩師、サリヴァン先生に指導してほしい人物とは誰なのか……それが分かったからだ。
ジュリアンヌは硬直が解けると、徐々に身体を震わせ、キッ!と久遠を睨みつける。
「天馬将軍。まさかサリヴァン先生に……壱の姫様のお相手をさせるつもりですか?」
「はい。夫人には壱の姫様の家庭教師として教鞭を取って頂きたいのです」
「なりません。あのような方の相手をさせ、先生のお手を煩わせるなど……私は断固反対です。決して先生にそのお話を通しません」
「そう怒るなジュリア。俺は悪くない考えだと思うぞ」
「お兄様っ!!?」
サリヴァン先生を心から慕うジュリアンヌは断固反対のようだが、アンドリューの方は意見が違うらしい。
それに憤慨するジュリアンヌだったが、アンドリューは妹の方を見向きもせずに久遠へと問いかける。
「天馬将軍。サリヴァン先生を壱の姫の家庭教師と据える事は……貴殿が考える可能性の一つか?先程のように」
「…………正確には…可能性の一つというよりも……最後の可能性です」
最後…という言葉を口にする際、久遠はギュッと両手の拳を握りしめた。
凛にはもう何も期待はしていない。
期待するだけ無駄だとも思う。
だが今、久遠の目の前にいるジュリアンヌとて、幼い頃は誰もが匙を投げたワガママ姫だったと聞く。
そのジュリアンヌは……今は誰もが認める淑女であり、民を思いやる立派な王族の姫となった。
一人の素晴らしい教師との出会いによって、彼女は変わった。
前例があるなら………その教師の指導を受ければ……凛も次期女王壱の姫として成長するかも…変わるかもしれない。
この提案は久遠にとって、凛に対する最後のチャンスであり、僅かに残った希望だった。
「最後…な。分かった。直ぐサリヴァン公爵家の姉に向けて手紙を書こう」
「お兄様っ!?私は反対です!サリヴァン先生は現在お姉様の子供達…孫の教育を何より楽しみ、それを生きがいとなさっているのですよ!先生を可愛い孫達から引き離すだけでなく!よりによってあんな方の相手をさせるなんて!もう一度言います!私は断固」
コンコン
『反対』と続くはずだったジュリアンヌの言葉は、扉をノックする音で遮られる。
三人の視線と注意が扉に向かった直後、この部屋の主であるアンドリューは口を開いた。
「誰だ?」
「殿下。ジュリアンヌ姫様付きのニーナでございます」
自分付きのメイドの声をジュリアンヌが間違えるはずもなく、今度はアンドリューではなくジュリアンヌの方が扉へ声を掛ける。
「ニーナ?どうしたの?」
「姫様。ブラウナードのクリストフェル王子様が至急、姫様と鏡の面会をしたいと仰せです」