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レムスノアの末姫とブラウナードの第三王子 2


頭に血が上り、フーッ、フーッ、と荒い呼吸を繰り返しているだけの(りん)は気づいていない。


凛だけが気づいていない。


凛の発言のせいで、確実にこの場の空気が冷えきった事に。


あの蘇芳(すおう)ですら、今の発言には驚いて口元を手で抑えている。


蘇芳はジュリアンヌ以上に、凛を『(おろ)かなだけのバカ女』と思っていた。


そんなバカ女を更に助長させた蘇芳が驚く程に……今の凛の発言は…失言だった。


いくら無知だからと、次期女王たる壱の姫だろうと、今のは決して言ってはならない言葉だ。


凛が話した内容は紛れもない事実であり、世界中が知っている事だが………だからこそ、レムスノア王家の人間に直接言っていい言葉ではない。


建国にどのような歴史や経緯があろうと、今の女王、そしてかつての女王との姻戚関係という深い繋がりがあり、今では強い勢力を持つ国……それがレムスノアだ。


更に婚約破棄された女性に対し、その話をわざわざ蒸し返して侮辱(ぶじょく)するなど(もっ)ての(ほか)


次期女王である壱の姫は……たった今、そのレムスノア王家の者を(ひど)侮辱(ぶじょく)した。


凛の失言に呆然(ぼうぜん)としていた蘇芳だったが、彼は直ぐに(うれ)いを()びた表情を浮かべ、凛へ声をかける。


「壱の姫様。そのような事をおっしゃってはなりません」


「っ、蘇芳?」


凛は愛しい男の声に我に返り、蘇芳へ振り向いた。


この女がどう思われようが、どう罰せられようが蘇芳には関係ない。


しかし今回ばかりはそうもいかない。


凛が侮辱した相手は力ある隣国の王族であり、蘇芳は表向き凛の側近という立場。


凛の暴言は傍にいる蘇芳が至らぬせいだと責められれば、蘇芳は王都を追放されるかもしれない。


もしそうなれば……蘇芳が本当に愛している蓮姫との再会も…難しくなる。


「姫様。アンドリュー殿下とジュリアンヌ姫に、どうか謝罪を」


「その必要は無い」


アンドリューは蘇芳の提案を途中で(さえぎ)り、キッパリと拒否した。


アンドリューもジュリアンヌも、先程までの険しい表情は消え……今では全くと言っていいほどの無表情。


蘇芳はその表情から、もう何を言っても手遅れだと悟った。


「で、殿下…」


「蘇芳殿。気遣(きづか)い痛み入る。しかし……不思議な事だ。貴殿のように場の空気を読めて、気遣いの出来る者が傍にいるのに………壱の姫様があのような発言をなさるとは」


クスクスと笑いながら、蘇芳に丁寧(ていねい)な口調で返すアンドリュー。


顔は笑っているのに、口調は(おだ)やかで丁寧(ていねい)なのに……彼が怒っているのは、誰もが感じ取れる。


「あぁ、なるほど。今のは壱の姫様の本心でしたか。婚約者だというのに、今の今まで自分がどう思われていたかを知らなかったとは……私も皇太子として、壱の姫様の婚約者としてまだまだ未熟でした」


「あ、アンドリュー?どうしたの?なんでそんな喋り方してるの?怒ってるの?」


今までアンドリューは、凛を『壱の姫様』と呼ぶ事も(うやま)う事も無かった。


レムスノアの皇太子や壱の姫の婚約者という立場から、女王である麗華(れいか)以外に敬語を使う事もなかった。


だからこそ……鈍感(どんかん)な凛にも彼の怒りが伝わったのだろう。


そしてアンドリューもそれを分かった上で、笑顔も態度も崩さない。


「いえいえ。怒ってなどおりませんよ。壱の姫様のおっしゃった事は(まぎ)れもない事実ですから。偽物(にせもの)である我々レムスノア王家は壱の姫様と晩餐(ばんさん)を共にするのも分不相応(ぶんふそうおう)でしょう。私と妹は退室させて頂きます」


「ま、待ってよ!私も言い過ぎたから!謝るから怒らないで!」


「何をおっしゃいます?壱の姫様が我々のような偽物の王族に謝る事など何もごさまいませんでしょう」


「その言い方やめてよ!ごめんなさい!私も失礼な事を言ってごめんなさい!」


必死にアンドリューへと話し続ける凛だったが、その言葉の中にまた失言が混ざっている事に彼女は気づいていない。


「失礼ですが壱の姫様。先程からおっしゃられている……『私も』…とは?」


「え?だ、だって最初に嫌な事言ったのは……ジュリーちゃんの方でしょ?だからさ…お互い謝ろう。ね、ジュリーちゃんも私に謝って。そうしたら私も許すし、仲直りしよう。そうだ!まだデザートもあるんだよ。美味しいケーキいっぱい持ってきてもらうからさ。皆で仲良く一緒に食べようよ!」


この()(およ)んで、凛はまだジュリアンヌが悪かったと言い切る。


凛は謝罪し、仲直りしたいようだが……今の言葉を聞いてアンドリューとジュリアンヌの気持ちは決した。


仲直りしよう?


謝れ?


したくなどないし、出来るはずもない。


アンドリューは愛想笑いを消すと、冷たい眼差(まなざ)しを凛へ向け、普段のように………しかし視線と同じく冷たい口調で凛へと告げる。


「その必要はない。俺とジュリアはもう失礼すると言っただろう。行くぞ、ジュリア」


「はい。お兄様」


「ま、待ってよ!ねぇ!仲直りしようってば!!アンドリュー!ジュリーちゃん!!」


(すが)るように叫ぶ凛だったが、レムスノア王家の二人は颯爽(さっそう)と椅子から立ち扉へと向かう。


そして扉の前で、ジュリアンヌはドレスの(すそ)(つか)み凛へと深く頭を下げた。


今宵(こよい)晩餐(ばんさん)に招待して頂き、身に余る光栄でございました。しかし壱の姫様にとって私達は偽物の王族。壱の姫様とお食事を共にするなど、許されぬ行為でした。私と兄はこれで失礼させて頂きます。無礼をお許し下さいませ」


「そんなっ!?ジュリーちゃん!なんでそんな事ばっかり言うの!?待ってって言ってるじゃん!もうっ!コレは命令だよ!だから言うこと聞いてよ!?ねぇってば!」


「姫様。この場はお二人の意思を尊重するべきかと」


去ろうとする二人を、権力まで乱用して無理矢理引き止めようとした凛だったが、蘇芳がそれを止める。


「っ!?蘇芳?………なんで?」


「今はそれが最善にございます。姫様にも、アンドリュー殿下とジュリアンヌ姫にも」


「感謝する蘇芳殿。それと…今回の件は勿論、女王陛下にご報告させて頂く。祖国を侮辱された事は皇太子として、愛する妹を侮辱された事は兄として……到底看過(とうていかんか)できんのでな」


「………殿下のお怒りはご(もっと)もかと。では私も……殿下や陛下から…」


「そこは安心しろ。今回の件で貴殿を(とが)めるつもりは無い。私にも妹にもな。だが……二度目は無い。それを(きも)(めい)じ、今後も壱の姫様にお仕えする事だ。再びこのような事態が起こらぬように、な」


「っ、感謝致します、殿下。そのお言葉、しかとこの胸に刻みました」


「ではな」


蘇芳が自分へと深く頭を下げたのを確認すると、アンドリューとジュリアンヌは今度こそ扉を開けて部屋を出て行った。


二人が歩いていると、後方から凛の叫び声や泣き声が聞こえてきたが……二人は足を止める事無く、アンドリューに用意された部屋へと向かう。


「………考え無しに(わめ)くだけの(うるさ)い小娘。あれが次期女王だと?予定通りあの女が女王となれば…この王都も直ぐに滅ぶだろうな」


「お兄様。誰が聞いているとも限りませんわ。言葉を謹んで下さいませ」


「誰が聞いても構わん。むしろ聞かれて『壱の姫様との婚約を破棄するべきだ』と騒ぎ立ててくれれば願ったりだ。そもそも先に無礼を働いたのは、あの小娘だろう。俺達はご立派な壱の姫様の言葉通り、身分と礼儀を(わきま)えて退室させて頂いただけだ」


「……そうですわね。私もあの方への謝罪など持ち合わせておりませんし、今後関わる気もありません。しかし……壱の姫様のあのお言葉。壱の姫様に、あのような言葉で我がレムスノアの事を伝えた者がいる…という事でしょうか?」


「恐らくこの王都の貴族達だろ。『元々平民の王家』『七つの王族ではない偽物』と嘲笑(あざわら)う貴族連中は(いま)だにいるからな」


「腹立たしい事ですわ。先祖を(さかのぼ)れば誰しも平民。それはレムスノア王家だけでなく全ての王侯貴族(おうこうきぞく)が同じこと。何故そのような事が分からないのでしょうか」


ジュリアンヌの言葉は真理だが、それがレムスノア王家の言葉だと聞けば、レムスノア王家を影で見下す王侯貴族は聞く耳を持たないだろう。


凛や一部の貴族達はレムスノア王家を『偽物』と言うが、レムスノアの皇帝とその一族は建国時からレムスノアの王として君臨(くんりん)してきた。


紛れもなく彼等はレムスノアを治める本物の王族。


だが彼等が偽物と言われるのには、当然理由がある。


それは『レムスノア』がこの世界の古い言葉で『月の輝く夜』という意味である事と、国名に『月』が入っている事が大きく関係している。


この世界には『七つの王国』と呼ばれる歴史の深い国が存在する。


かつて『七つの王国』は、それぞれが巨大な戦力、不思議な力を持っていた為、この世界の頂点となるべく争いを繰り返していた国々だ。


しかし『(いにしえ)の王』が世界を一つにまとめた際、当時の王達は全て『古の王』に忠誠を誓い、争いは無くなった。


『古の王』の一族が滅び、初代女王が現れてからも、『七つの王国』は一部の例外を除いて『古の王』との盟約を守り、平和な世を(たも)ち続けてき。


『七つの王国』はそれぞれが月、火、水、木、金、地(土)、天(日)と種族特有の特性や特徴があり、王家の者は一定条件の元、瞳に紋章が浮かび上がる。


ロゼリアとアクアリア、そしてリスクは『七つの王国』であり、彼等はその王族達。


ロゼリアは火、アクアリアは水、リスクは木を象徴していた。


だが月の名を関していても、レムスノアは七つの王国の一つではない。


かつて月の名がついた本物の七つの王国の一つ『ツクヨミ王国』は……四代女王が即位した時、既に滅んでしまっていたのだから。


この世界の()むべき歴史……『傾城(けいせい)の時代』で悪政(あくせい)を行った王とそれに与した『リスク小国(しょうこく)』。


たった数年の『傾城の時代』では、当時の王と『リスク小国』によって三つの国が滅ぼされた。


その一つが王都の隣国であり、『七つの王国』の中でも特に『古の王』や女王への忠誠が厚かった『ツクヨミ王国』。


また『ツクヨミ王国』と同じ『七つの王国』の一つであり、『ツクヨミ王国』を滅ぼした『リスク小国』も次代の女王が現れた時に滅ぶ事となった。


『傾城の時代』の(のち)に、この世界を真に治めた四代目の女王は、『ツクヨミ王国』が滅んだ後、生き残った数十人の国民達を集めた。


彼等を中心に『ツクヨミ王国』に代わる新たな国『レムスノア』を作ったのだ。


その中で四代女王は、王族でも貴族でもない…『ツクヨミ王国』ではただの平民として生まれ、育った男を新たな国の王とした。


彼は四代女王がまだ即位する前、彼女が姫だった頃から行動を共にしていた男だった。


四代女王は彼を深く信頼し、また婚姻する事で新たな国を自分の保護下においた。


ちなみに四代女王と『レムスノア初代皇帝』は、結婚し夫婦となっても共に暮らす事はせず、子も残していない。


四代女王が結婚したのは、この時と晩年の二回だけだった。


「俺達の祖先は確かに平民だった。だからこそ、民の事を常に考え、民の暮らしを豊かにする為に力を尽くし続けたんだ。レムスノアが世界にとって大きい存在となれたのは、間違いなく王家の力だ。それこそ我等レムスノア王家の誇り」


「そして民の尽力あってこそ、ですわね。レムスノアが現在まで続いてこれたのは、王や国を思う民達がいたからです」


「そうだな。それにしても……ふっ。お前の担架(たんか)には驚いた。アレ、『サリヴァン先生』の言葉だろ?」


「お気づきでした?」


楽しげに話す兄に、ジュリアンヌは聞き返す。


アンドリューは笑みをニッコリと深くし、妹へと肯定を告げた。


「気づいたさ。あの時の事は……今でも鮮明に覚えている」


「………そうでしたわね。あの時は……お兄様達もお姉様も御一緒でしたもの」


それは10年前……まだジュリアンヌが7歳だった頃、兄達と姉……そして彼女の家庭教師に任命された女性と昼食を共にしていた時のこと。


当時のジュリアンヌは、今では想像もつかないほど傲慢(ごうまん)な姫だった。


常日頃からワガママばかりを言って周囲を困らせていたジュリアンヌ。


それでも、ジュリアンヌの『一番下の妹』『末の姫』という立場から、彼女を強く(とが)める者は誰もいなかった。


両親や兄姉達、二人の妃までもがジュリアンヌのワガママに困り顔を浮かべても、強く叱る事は無かったのだ。


その日も、ジュリアンヌはいつものようにワガママを口にした。




『サラダなんていらない!野菜なんて美味しくない!嫌い!捨ててきて!』


『なりません。ジュリアンヌ姫様。残さずお食べ下さい』


『っ、先生?』


『その野菜も、この肉も魚も。全て民が愛情を込めて育て、コックが心を込めて作ったのです。姫様や王家の皆様に食べて頂くために。それらを捨てるという事は、民の心を捨て、踏みにじるという事。例え王家の方でも………いいえ。王族だからこそ、そのような事をしてはなりません』


ジュリアンヌの家庭教師は、今まで誰も(とが)めなかったジュリアンヌに説教をした。


だから幼いジュリアンヌは、家庭教師の言葉に衝撃を受けた。


困惑(こんわく)するジュリアンヌに、家庭教師は厳しい表情のまま彼女を(さと)すように言葉を続けた。


『王とは人の上に立つ者。人の上に立つ者に一番必要なものは、賢さでも強さでも、ましてや血筋でもありません。王に最も必要なのもの……それは他者を思いやる心なのです。それは王だけでなく王の家族……すなわち王族とて同じ事。だからこそ、民は王を慕い、国の豊かさに繋がるのです』


『人を………思いやる心…』


『そうです。姫様、どうか他者を思いやる……優しい心をお持ち下さいませ』


それを聞いた幼いジュリアンヌは、まだドレッシングもかかっていないサラダを恐る恐る口に運んだ。


嫌いな野菜を苦い顔で咀嚼(そしゃく)するジュリアンヌを見て、兄姉達は驚愕(きょうがく)の表情を浮かべていたが、家庭教師は少しだけ微笑んだ。


そして給仕役として傍に控えていたメイドの一人に、ある事を命じた。


『そこの貴女。姫様にハニードレッシングをお持ちして。甘いドレッシングなら、姫様も食べやすいでしょうから』


その言葉は、(まぎ)れもなく彼女からジュリアンヌへの思いやりだった。


この時から、ジュリアンヌは変わっていった。


家庭教師は高潔な女性でジュリアンヌにも厳しい人だったが、ジュリアンヌは彼女からの指導、教育を全て素直に受け入れた。


ジュリアンヌは教育の中で様々なものに興味を持ち、今まで近づくことすらしなかった城の調理場や兵士の訓練所、街への視察も行った。


民の暮らしや心を知り、姫として淑女としての教養を受け、国や世界の歴史を学んでいった


そしてジュリアンヌは、ワガママな末姫から…民を思いやる王族の姫として成長していった。


この家庭教師…『サリヴァン先生』との出会いが、ジュリアンヌの人生を大きく変えたのだ。

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