レムスノアの末姫とブラウナードの第三王子 1
弐の姫である蓮姫が、仲間や海賊達とシャングリラで過ごしている頃。
壱の姫である凛は王都の城で……ある人物達と夕食を楽しんでいた。
その場にいるのは、この世界の次期女王と名高い壱の姫、凛。
壱の姫のヴァル候補と言われている蘇芳。
壱の姫の婚約者であり、王都の隣国レムスノアの皇太子アンドリュー。
そして将来……凛の義理の妹となる、レムスノア皇国の末姫。
この世界の次期女王と、将来その女王と姻戚関係となる王族の晩餐。
本来なら厳かなものであるはずだが、そんな雰囲気は全くない。
何故ならこの場で…いや、この世界で女王の次に尊い身分である壱の姫が、ひたすらペチャクチャと話し続けているからだった。
「それでね!久遠ったら酷いの!私がお茶に誘ってもね!いつもいつも『仕事があります』って断るの!酷いでしょ!」
「………そうですか」
「私と過ごすより大事な仕事なんて無いはずなのに!他の人なら仕事なんてほっぽって私とお茶してくれるのに!久遠の女嫌いってどうしてあんなに酷いのかな!ジュリーちゃんも久遠に会ったら気をつけてね!」
「………御忠告ありがとうございます。壱の姫様」
凛に『ジュリー』と呼ばれた少女は、視線を目の前の皿から移す事なく、手短に答える。
シンプルな水色のドレスを身にまとい、長いオレンジの髪を巻いた、髪と同じでオレンジの瞳の美しい少女。
彼女こそがレムスノアの末姫であり、アンドリューの一番下の妹、ジュリアンヌ=ラント=レムスノア。
ちなみにアンドリューとジュリアンヌのミドルネーム『ラント』とは、二人の母方の姓だ。
ジュリアンヌは数日前より、レムスノアからこの王都へと招かれていた。
それも世界の女王麗華と父であるレムスノア皇帝の命令で。
凛とアンドリューが結婚し、将来義理の姉と妹となるならばジュリアンヌが嫁ぐ前に一度会って親睦を深めた方がいいだろう、という二人の思いやり………という建て前の政治的な思惑。
勿論、そんな建て前も思惑も全て知った上でジュリアンヌは了承した。
むしろ次期女王と噂される壱の姫と会える、という期待を込めて王都へやって来たのだ。
(……壱の姫様。この世界の次期女王であり、アンドリューお兄様の妻となられるお方。どれほど立派な方なのかしら?)
(きっと壱の姫様は、この世のどんな姫よりも優れた淑女でしょうね)
(王都の、世界の、そしてレムスノアの未来についてどのようなお考えをお持ちなのかしら?)
(あぁ……早くお会いしたいわ。たくさん、民や王、政治について語り合いたい)
ジュリアンヌは壱の姫への期待に胸を躍らせながら、レムスノアから王都へとやって来た。
そしてその期待は直ぐに………落胆へと変わった。
そして現在……ジュリアンヌの中での壱の姫の評価は、かなり最低なモノへとなっていた。
「でもね!久遠の女嫌いはいつか私が治してあげるって約束したの!だから私は!どんなに冷たくても久遠を嫌いにならないんだよ!」
「…………壱の姫様はとてもお優しいのですね」
「えへへっ。そうでしょ、そうでしょ!ジュリーちゃんもそう思うよね!嬉しいなぁ!こんなにいい子が未来の妹なんて!あ、壱の姫様なんてよそよそしいからさ!『お姉ちゃん』でいいよ!ね、アンドリューもそう思うよね」
「それはジュリアが決めることだろう」
兄であるアンドリューもまた、素っ気なく答えると、凛は表情を曇らせた。
凛はこの兄と妹が自分に対して冷ややかな態度をとっている事に、ちゃんと気づいている。
気づいているからこそ、仲良くしたいのだ。
久遠だけでなくアンドリューまで自分に冷たいと以前から感じていた凛は、ジュリアンヌの訪問をとても喜んだ。
アンドリューに優しくしてもらう為に、妹のジュリアンヌと仲良くすればいい。
そうすればアンドリューは優しくなるし、可愛い妹兼友達も出来る…と打算的な事を考えていた凛。
しかし初めは好意的に接してくれたジュリアンヌも、次第に兄と同じような態度になり凛は焦っていた。
「ね、ねぇジュリーちゃん。ジュリーちゃんは私をお姉ちゃんって呼びたいよね?そうだよね?」
必死に、そして確定事項のように問いかける凛に、ジュリアンヌはやっとナイフとフォークをテーブルに置いて凛へと向き直り口を開く。
「恐れながら申し上げます。まだ壱の姫様とお兄様……いえ、兄の婚姻は成されておりません。なので、壱の姫様を軽々しく『お義姉様』と呼ぶ事は…私には出来かねます」
「で、でも将来は結婚するんだよ!それはもう決まってるし!皆がそれを望んでるんだよ!結婚したらアンドリューもこの城で王様になる訳だしさ!」
凛が慌てて話す内容に、アンドリューもジュリアンヌも深いため息をついた。
確かに凛とアンドリューは婚約者なので、将来結婚するというのは間違っていない。
二人がため息を吐いたのは………凛が語った結婚後のアンドリューの立場だ。
それについては以前にアンドリューから、そしてつい先日ジュリアンヌからも話したばかりだというのに……凛はまるで覚えていない。
「…………壱の姫様。以前にも説明させて頂きましたが、兄はレムスノアの皇太子です。壱の姫様と婚姻を果たし、壱の姫様が女王となられてもソレは変わりません。兄はこの王都ではなくレムスノアで皇帝となり、レムスノアを治める義務がございます」
「え!?お、王都に住まないの!?なんで!!?」
「だから俺がレムスノアの皇太子だからと言っているだろう。最初にこの婚約の話が出た時、陛下からも説明があったはずだぞ」
「だ、だって結婚するのに…直ぐ別居するって事なの!?私は女王なのに!?なんで!?そんなのおかしいよ!前代未聞だよ!」
妹と兄が揃って否定した事に納得がいかない凛。
そんな凛の発言こそ二人には納得がいかないものだったが。
「はぁ……前例はある。初代レムスノア皇帝は四代女王陛下と婚姻した後、直ぐに王都を出てツクヨミ王国の跡地にレムスノアを建国し国を治めた。世界歴学で習ってるはずだぞ。この話はレムスノア建国にも関わる話だから庶民達の教科書にすら載ってる」
何故この世界の誰でも知ってる歴史を壱の姫が知らないんだ?
なんで何度も聞いているはずの話を全く覚えていないんだ?
と、嫌味を込めて話したアンドリューだったが、凛は顔を下に向けてしばらく黙り込む。
「………そ、そっか。…結婚しても王都には………いないんだ…」
そう言うと凛は、チラ…と後ろの蘇芳へと視線を向ける。
蘇芳は凛を見てニコニコといつもの笑みを浮かべていた。
そんな凛の様子を見て、ジュリアンヌの中にある凛への軽蔑は更に増し、怒りへと変わっていく。
蘇芳を見つめる凛の目は………間違いなく蘇芳への愛に満ちていたからだ。
凛が蘇芳を片時も離したがらない、という噂はジュリアンヌも聞いている。
本当は信じたくなかったが………今の様子で確信した。
壱の姫は未来の夫である兄が結婚しても傍にいない事を知り、内心かなり喜んでいる。
きっと兄のいない間にこの男を寵愛するだろう、と。
この世界の王は…想造世界の歴史の中に出てくる王のように、妻を何人も持つ者が大勢いる。
それこそ大和の帝や、ブラウナード国王の妻の数は二桁だ。
女王麗華だって今まで何人もの男と結婚した。
結婚していなくても、藍玉のように子供を作った事だってある。
そしてアンドリューとジュリアンヌの父、レムスノア皇帝の妃は三人。
しかし三人の妃は大変仲が良く、皇后であるアンドリューとジュリアンヌの母は二人の皇妃…二妃と三妃を気遣い、逆に二妃と三妃は皇后に敬意を払っている。
レムスノアの妃関係が良好だからこそ、それを他国の王にも求め、自分もそうでありたいと考えているジュリアンヌ。
それは壱の姫である凛に対しても例外では無かったが………ジュリアンヌには凛が兄を大切に、それこそ蘇芳と平等に扱うなど到底思えなかった。
特に今の凛からは…『結婚しても邪魔者はいない』…という考えが見て取れるようだったから。
初日は『可愛らしくも天真爛漫でちょっと破天荒な方』という印象を、壱の姫である凛に抱いたジュリアンヌだったが……次の日になってその印象は『世間知らずの甘やかされた姫』へ変わった。
王位継承者とは思えない、そんな器などこれっぽっちもない。
ジュリアンヌも末の姫という立場から両親や兄姉達に他の妃達、重鎮達に使用人達と周りから甘やかされた自覚はある。
それでも……そんな自分以上に、壱の姫である凛は現在進行形で徹底的に周りから甘やかされている、とジュリアンヌは見抜いた。
だからこそ落胆したのだ。
異世界から来たとはいえ……ここまで王としての自覚が無いとは。
目の前にいる女は、女王としての資質も、責任も、教養も、品位も、女としての貞淑さすら………欠けらも無い。
女王にも兄の婚約者にも相応しくない、敬う点など微塵もない女の相手など、したくもない。
そんな本心を王族の姫というプライドで、無理矢理押し込めるジュリアンヌ。
自分はこんなバカ女とは違う。
考え無しに騒ぎ立てる女と同じレベルに成り下がってはいけない、と。
「壱の姫様。せっかくの晩餐ですし、料理を味わいましょう。見た目も味も素晴らしいものばかりですわ。流石は王都。城のシェフは一流揃いですわね」
『せめてこれ以上腹立たしい事を言わずに黙って食え』という気持ちを隠しつつ、笑顔で話すジュリアンヌに凛もまた大きく頷いた。
「そうだよね!あ、でもスープ冷めちゃった。ねぇ!コレ捨てて新しいのに取り替えて!」
「畏まりました」
傍で控えていた給仕のメイドに、スープを変えるよう命じた凛。
だがこんななんともない……凛にとっては日常的な一言が、ジュリアンヌが今まで我慢して我慢して…必死に押さえ付けてきた理性を切らせる事となった。
「壱の姫様」
「なに?ジュリーちゃん。あ、ジュリーちゃんもスープ取り替える?」
「いえ。その必要はございません」
「そう?あ、この魚はそんなに好きじゃないからさ、コレも捨ててお肉か海老に変えてきてよ」
凛はジュリアンヌから視線をメイドへ移すと、メインディッシュである真鯛のポアレがのった皿を指さして告げた。
一口食べた形跡の残る魚料理と、自分のお喋りのせいで冷めたスープを『捨てろ』と簡単に口にする凛。
凛のこの言葉でジュリアンヌの怒りは頂点に達したが、それを知らないメイドは笑顔で凛の皿へと手を伸ばす。
「畏まりました。ではシェフに命じて」
「その必要はありません。そこのメイド。皿ではなく、お前が下がりなさい」
不意に部屋に響いた怒気を含む静かな声に、メイドと凛は顔を青くして、その声を発したジュリアンヌを見つめる。
メイドはオロオロとしながらも、目の前の隣国の姫へと口を開いた。
「し、しかし………壱の姫様が」
「下がりなさい、と言っているでしょう」
「じゅ、ジュリーちゃん?どうしたの?なんか顔怖いよ?私みたいに嫌なご飯あった?なら取り替えてもらうから怒らないで」
見当違いな憶測で喋る凛に、今度はアンドリューが眉間に皺を寄せ深くため息をついた。
蘇芳の方は驚いたような、悲しげな表情を浮かべているが……あくまでそれはいつものように表面上だけ。
蘇芳は内心、この展開を楽しんでいたのだから。
「壱の姫様。このスープ………コンソメスープがどのように作られているか……壱の姫様はご存知ですか?」
「え?し、知らないけど。なんでそんな事聞くの?」
何故ジュリアンヌがそんな事を聞くのか、凛には意味が分からない。
ジュリアンヌの方も凛の返答は予想がついていたが、静かに語り始める。
「コンソメスープとは、多くの野菜と肉を長時間じっくり煮込んで完成するスープです。火加減は強過ぎても弱過ぎてもいけない。野菜や肉からは次々とアクが出てくるので、シェフは作っている間、目を逸らすことなく、細心の注意を払い鍋を混ぜ続けます。それが出来るのは高い技術を持った一流のシェフのみ。この透明感のある美しい琥珀色は、シェフが長年の努力を積み重ねたからこそ完成するのです」
「そ、そうなんだ?めんどくさいんだね~。知ってるってことはジュリーちゃんは料理が好きなの?私もね、お菓子が大好きで」
「シェフだけではありません。野菜や肉は農家が…民が毎日毎日、汗水流して一生懸命働き、愛情を込めて育てたのです。魚は漁師が、命の危険と隣り合わせの海に出てこそ、手に入るのです」
壱の姫である凛の言葉を遮り、言葉を続けるジュリアンヌ。
本来であれば、とても不敬な行為だがそれを止める人間は今ここに誰もいない。
「民が食材を育て、商人がこの城に運び、シェフ達が腕を奮ってこの料理が出来ました。分かりますか?このテーブルに並んでいる料理は全て、民達の労力と愛情の結晶なのです。勿論、この食事だけではありません。普段私達が口にしている食事は全て……民達が私達に与えてくれたものなのです。残したり……ましてや捨てるなど以ての外ですわ」
「で、でもさ!私は姫だよ!だからそんなの知らないよ。好きな物だけ食べて、好きな事していいんだって、皆言うよ。嫌いな物なんて食べなくていいって」
「本当に子供の頃から嫌いで味を受け付けない…もしくはアレルギーがあるのなら、無理に食べる必要などありません。しかし、もしそうなら、事前にシェフや使用人達に伝えておくべきです。無駄に食材を捨てないように」
「む、無駄って!私は次の女王様だよ!もうすぐ女王様になるんだよ!だからさ……何を食べても、何を捨ててもいいでしょ?」
「次期女王たる姫だからこそ、捨ててはなりません。料理を捨てるということは、民の努力と民からの愛情を捨てるということ。民の心を知らないということは、民を蔑ろにしている…ということです」
ジュリアンヌの講釈に、凛は段々と表情を歪ませていく。
凛が何を言おうと、それこそ相手が次期女王だろうと、ジュリアンヌは一切引く気がないのだ。
ジュリアンヌのこの言葉、態度に凛は酷くショックを受ける。
まさか周りに持て囃される自分が……何をしても、何を言っても、誰もが褒め称え、受け入れてくれる次期女王である自分が…友達になりたいと思った少女にこんな事を言われるなんて。
今まで凛に辛辣な言葉を掛けてきたのは……久遠とアンドリューくらいのもの。
二人が自分に冷たいのは、自分を嫌っているからだと思っている凛。
そんな彼女は、また勝手な解釈で…被疑者のように振る舞う。
「……酷い。…酷いよ。…どうして……そんな意地悪言うの?ジュリーちゃんは……私が嫌いなの?」
「意地悪ではありません。民を治める王族として、王たる者の心構えを言っているのです。コレは好きとか嫌いといった感情論ではありません」
ジュリアンヌはあくまで冷静に、淡々と答える。
確かにジュリアンヌはこの数日で、凛を『今のままでは女王に相応しくない馬鹿姫』と結論付けたが……今の言葉には、凛への期待が込められていた。
かつて甘やかされていた自分が、厳しくも優しい…誰よりも立派な教師に諭され変われたように。
目の前の甘やかされた姫にも……女王に相応しい存在へと変わってほしい、と。
そんなジュリアンヌの淡い期待は………凛には届かなかった。
バンッ!!
「何よ!偉そうに!レムスノア王家なんて元々王族でもなんでもないじゃない!ジュリーちゃんだって本物の姫じゃないくせに!私が嫌いならそう言えばいいでしょ!こんなに偉そうで嫌な子で偽物だから!ジュリーちゃんはロゼリアの王子にフラれたんだ!」
テーブルを強く叩いて勢いよく立ち上がった凛。
憤慨するままにジュリアンヌへと怒鳴る凛だったが………それはただの暴言でも、罵倒でもなかった。
言葉を放った凛にとってはそうでも……放たれたジュリアンヌとアンドリューにとっては違う。
今の言葉は……ジュリアンヌにとって…そしてレムスノアにとって……最大の禁句だった。