未来へと 1
その日は満月だった。
月明かりが蓮姫と部屋の中を照らす。
深夜だというのに、蓮姫は目も閉じずに、ただ何も映していないような瞳で天井を見つめていた。
ふいに月が雲に覆われ、室内は闇に包まれる。
ソレは本当に僅かな時間だった。
再び月明かりが蓮姫の部屋を照らし出すと、そこには二人の男女の姿があった。
まるで闇から現れたかのように佇んでいたかと思うと、女の方が動く。
女は蓮姫へ近付くと、忌々しげにため息を吐いた。
「……姫様。そんなにイライラしないで下さいよ」
「うるさい。そんなこと、無理に決まってるでしょ」
「それは…申し訳ありませんでした」
女の苛ついた口調に男は謝罪を口にするが、口元も声色も笑みを含んでいる。
「ですがここに来る事…そしてこの光景は、他の誰でもない姫様自身が、一番理解していたでしょう」
「……それでも……直接見るとムカつく…」
すぐ側で交わされている会話にも、蓮姫は無反応だ。
この二人などまるで目に入ってはいない。
そんな蓮姫の態度が余計に苛ついたのか、女は蓮姫の頬を叩く。
バシッ!!
「………やっぱり反応は無いですね。仕方無い事でしょうけど」
「正直、もう10発ぐらい殴りたい。グーで」
「そんなことしても無駄ですよ。…って、これも姫様の方がよくご存知でしたね。まぁ、時間もありませんし…早々に終わらせましょう、姫様」
「分かってる。想造力で直ぐに起こすから、下がってて」
「はい、姫様」
姫と呼ばれた女に頭を下げると、男は満足げに影の中へと戻り、その姿は一瞬で消えた。
女は男が闇へと消えたのを見届けた後、蓮姫に向かい手を伸ばし、彼女の顔の上で、パチン、と指を鳴らす。
「っ!!?………はぁっ…」
途端に蓮姫の瞳には光が戻り、大きく息を吸い込んだ。
今までまともに息すらしていなかったのか、何度も何度も空気を肺に入れ込んでは吐き出す。
「起きなさい」
「っ!」
声を掛けられ、蓮姫が声の方を視線だけ向ける。
「っ!!?………!……!!」
その女の姿を捉えると、蓮姫はガバッ!!と勢い良く身体を起こした。
声を出し叫びたかったが、ここ数日誰とも会話をしていなかった蓮姫の声は音を発しない。
「どうしたの?口を金魚みたいに………あぁ。忘れてた」
再度、パチン、と女が指を鳴らす。
「コレで話せるでしょう?」
「…………ぁ……ぁあ……あ…」
蓮姫は試しに声を出してみると、先程とは違いすんなりと声が出せる。
その状態でゆっくりと深呼吸して、再度女へと身体を向けた。
そこに居た女は
「………わ………たし…?」
そこに居た女は、蓮姫と全く同じ容姿をしていた。
「そう。私は未来のあ…お前だ」
未来から来たという蓮姫は、今の蓮姫とは違い淡々とした口調で話す。
それも『あなた』ではなく『お前』と、冷たい目で自分を呼んだ。
二人は全く同じ容姿、同じ声。
しかし、その身に纏う空気は全く違う物。
「……な…んで………なにが…」
ただただ混乱する今の蓮姫に、未来の蓮姫は大きなため息をつくと彼女のベッドに腰掛けた。
「落ち着いて。私はお前……いや、無様な私をせっつきに来ただけ。……まったく……わかっていた事だけど、この頃の私は一番ムカつく」
「は?え、えと」
「悲劇のヒロインぶって馬鹿なの?ウザイ」
吐き捨てるように呟いたかと思うと、蓮姫(未来)は蓮姫(現在)の髪を掴みグイッ!!と強引に顔を自分の方へと引っ張る。
「い、痛いっ!!」
「は?人に散々心配ばっかかけて『痛い』?ふざけないで。この自己中女」
「じ、じこっ!?私…ってか!アンタでしょ!離してっ!」
「離して?……偉そうに。リックが死んだ現実から逃げてるくせにっ!ふざけるなっ!」
未来の自分に怒鳴られ、蓮姫の身体はビクッ!と震える。
その後はダランと身体の力が抜け、瞳からはポロポロと涙が溢れた。
「今度は泣くの?泣けば許してもらえるとでも?自惚れないで」
「……リッ……クは……私の……せいで……私が…」
「そう。リックは…私が殺したも同然」
顔を歪め泣き出す過去の自分に、非情な言葉を突き付ける未来の蓮姫。
過去の自分を見つめるその目は、自己嫌悪、憎悪、呆れといった感情が滲む。
「私が……お前が無力だったから。反乱軍の存在を知っても、危機感なんて感じなかった。壱の姫が討伐に向かわせたと聞いても、自分は何も動かず、調べもしなかった。弐の姫として他人に認められたいと願いながら、心の中では誰も認めてくれないと諦めていた。何一つ…行動を起こさなかった。そんなお前の馬鹿さと無知、怠慢が!リックを殺したんだっ!!」
そう叫ぶと、未来の蓮姫は乱暴に現在の蓮姫から手を離す。
その際に髪の毛が、ブチッと何本か抜けたが、お互いそんな事は気にもとめない。
その反動で蓮姫(現在)の身体は、大きく揺れベッドへと倒れ込んだ。
「っふ………うぅ…」
「泣くな……無理だろうけど…。……ねぇ、リックは最後まで私を信じてくれた。……リックの為に生きろ、とかそんな月並な事は言わない。償う気があるなら……力も味方もつけて、壱の姫と対等にならなきゃいけない」
「なんで……そんな事が…償いなの?」
「考えてみて。反乱軍襲撃の時に、壱の姫と陛下はどこに居た?貴族は?……お前がそのまま呆けて、壱の姫が女王になっても同じ事が起こる。再優先は女王と姫。次に貴族。最後の最後に庶民。同じ命なのに優劣が決められている。それも当然のように」
女王絶対のこの世界。
女王と時期女王である姫は、何者からも守らなければならない。
貴族達は女王を、その財力で支える存在。
庶民の税で至福を肥やしている者達にとって、彼等の命は必要と認識すらされていないだろう。
税を得るのは必要でも、死んだら代わりなどいくらでも居る、と。
「陛下も壱の姫も守られるだけの存在。ただの象徴。だからこそ、ソレを変えなきゃいけない」
「その為に力と味方を?………でも…」
「今のお前にも味方はいる。ユリウスにチェーザレ、飛龍大将軍。………それにレ……ともかく味方はいる」
「でも……彼等は…」
「そう。これ以上彼等の評価を下げる事も好ましくない。彼等を巻き込む事も。……私が何を言いたいか…わかるよね?」
未来の自分に見つめられ、蓮姫も彼女の意図を悟る。
「…私の……ヴァルを探せってこと?」
「そういうこと。強くて従順で、お前の為に平気で死ねる…そんな奴を得なきゃいけない」
「私の為に死ぬ!?でもっ!」
「女王になってこの世界を変える為には、今の甘い考えを捨てて、非情になれ。自分も変えれない奴に、世界なんか変えられない」
射るような目つきで言い放つ未来の自分に、蓮姫は一瞬怯みながらも、本当に彼女は自分なのだろうかと疑問を抱く。
自分は誰かに犠牲になってほしいとも、この世界を変えたいという大きな野望を持っているわけではない。
姿は同じでも、彼女と自分は違うもののように感じる。
「疑ってるみたいだね。……私もそうだった。だけどね、私はお前なんだよ。お前が私なように」
「でも……だとしたら……何があったの?私が貴女だなんて…何か…信じられない」
「大したことはない。ただ……今のお前よりは……色んな事を経験しただけ」
自分の身に何が起こったのか?
ソレは今の蓮姫には想像も出来ない。
「この世界を変えるって……どうして?私は……今の私は弐の姫だけど……そこまで女王になりたい訳じゃない」
「……本気で言ってたら、お前は本当の大馬鹿者だね。リックだって無駄死にになる」
「な!なんでそんなっ!!」
「そうでしょ?9歳の子供が必死に、それこそ死ぬまで信じた存在。ソレをお前は無駄にしようとしてた。ついさっきまで」
図星を刺されて蓮姫(現在)は、グッと押し黙る。
「私はお前だ。お前の考えはわかる」