閑話~愛する家族を全て失った男~ 9
「元気だしてね」
「………………………は?」
壱の姫…凛から告げられた言葉が理解出来ず、呆然とするツルギ。
やっと彼の口から出たのは……か細く…とても小さな声。
壱の姫相手に不敬だとか、今はそんな物どうでもいい。
今、この女はなんと言った?
言葉の意味が分からず、ただ固まるだけのツルギに凛は更なる追い討ちのような言葉を続ける。
「妹さん達が死んじゃって辛いよね。分かるよ。でも貴方まで落ち込んでたら、妹さん達も天国で泣いてるかもしれない。悲しいかもしれないでしょ。ね、だから元気だして」
優しい笑顔を浮かべツルギを励まそうとする凛。
それは凛の本心であり、彼女にとっては純粋な優しさから出た言葉だったのだろう。
嫌味でも何でもなく……ただツルギを、妹達が自殺してしまった兄を元気づけようと。
それでも何も答えない…答えられないツルギに苦笑いすると、凛はツルギの奥に横たわる妹達の遺体を見つめた。
「きっと妹さん達は自殺するほど辛い事があったんだろうね。でも今は色んな辛い事から解放されたんだよ。どうか……安らかに眠れますように」
そう言って目を閉じ、手を合わせる凛。
近くにいた貴族達は声を上げ、そんな凛を褒め称える。
「壱の姫様!なんとお優しい!」
「このような化け物!いえ!使用人や死んだ者にまで気遣われるとは!壱の姫様は慈悲深い方だ!これぞ未来の女王陛下ですな!」
「死んだ者も浮かばれることでしょう!おいお前!壱の姫様に深く感謝せよ!」
「今頃死んだ者は笑顔で壱の姫様に感謝している事でしょうな!壱の姫様!次期女王として御立派な振る舞い!見事でございます!」
「壱の姫様は本当に素晴らしい方だ!壱の姫様万歳!」
自分を持て囃す貴族達の言葉を聞き、凛もまた満足気に笑った。
だが野次馬達…サクラとフブキをよく知る者は苦い顔をしたり、眉を顰めている。
自殺した人間を、自殺した者の家族を前にして…なんという無神経な言葉を吐くのか、と。
先程まで自分達もツルギを責め立てていたクセに…第三者が、自殺した人間をよく知りもしない人間が紡ぐ適当な慰めの言葉に不快感を抱く貴族以外の者達。
それでも壱の姫に対して物申す事が出来る人間はいない。
壱の姫の言葉がどれだけ他人を、死者を冒涜する言葉だとしても、彼等とて黙っている事しか出来ない。
何故なら相手は壱の姫……この世界を統べる次の女王と言われている女だからだ。
目の前の貴族が壱の姫である凛を賞賛しているからこそ、身分の低い者は、何も言えない。
ただ壱の姫の信頼厚い蘇芳は、口元に手を当て必死に出そうになる笑い声を堪えていた。
これが次期女王と持て囃される女の言葉か?
これが女王に仕える者達、次期女王となる壱の姫に忠誠を誓った貴族達か、と。
これ程まで愚か者に成長した凛の姿は、蘇芳の目には滑稽にしか映らない。
それも全ては、蘇芳による教育や洗脳、嘘で塗り固めた紛い物の愛の賜物。
それでも……あまりに馬鹿馬鹿しく無神経な言葉と態度の凛に、呆れを通り越して笑ってしまう。
そんな蘇芳の姿が、凛には彼が微笑んでいるように見えたのだろう。
自分が最も信頼し、自分を最も信頼しているはずの人間の心情を知らない凛が……妹達を失ったツルギの心情を思いやる事など出来なかった。
出来るはずもなかったのだ。
「皆、ありがとう。そうだよね。きっとあの妹さん達は天国で笑ってるよね。蘇芳もそう思うでしょう?」
「……えぇ。本当に姫様は素晴らしい方です。姫様の他者を思いやる御心。次期女王として成長された御姿。この蘇芳……とても喜ばしく思います」
いつものように嘘と本心を織り交ぜて告げる蘇芳。
そして蘇芳の本心など微塵も知らない凛は、愛しい彼に褒められたと信じ、嬉しそうに頬を染めて笑う。
「えへへ。ありがとう。蘇芳にそう言って貰えるのが、私は何より嬉しいよ」
無神経な言葉だけでなく、この場でニコニコと呑気に笑う壱の姫に、ツルギは自分の内にフツフツと嫌悪感が湧き上がるのを感じた。
(……この方は……何を言っている?…何故……そんな事が言える?)
ツルギの中にある壱の姫への嫌悪感は、強烈な拒絶を生み出し、カタカタと体が震える。
それを見た壱の姫…凛はまた満面の笑みを浮かべた。
彼は壱の姫としての自分の言葉、振る舞い、優しさに感動しているのだ、と。
凛の勘違いなど知らない……いや、そんな事は関係ない。
勘違いだろうと、本心だろうと、嫌味だろうと……この女は…妹達の死を…妹達を侮辱している。
ツルギの中で湧き上がる凛への嫌悪感は徐々に殺意へと変わり……彼は投げ捨てていた剣へと手を伸ばした。
だが、ツルギの手が剣に触れる直前、ツルギも凛も…この場にいる誰もが知る男の声が響く。
「何事だ。何故こんなにも人が集まっている?」
その声の主は、ツルギの上官であり五将軍の一人、天馬将軍杠久遠。
この場に現れた上官に、ツルギは冷静をなんとか取り戻した。
「っ、………将…軍」
「あ、久遠!」
絶望した表情を浮かべる自分の副官、その後ろに横たわる二人のメイド。
そして何故か満面の笑みで自分を出迎える壱の姫に困惑する久遠。
「っ、これは……………蘇芳殿。何があったのですか?」
「天馬将軍。実は」
「あのね久遠!自殺した人がいたの!だから今、その人達のお兄さんを慰めてたんだよ」
久遠は蘇芳にこの状況を尋ねたが、蘇芳が答える前に凛は誇らしげに語る。
凛のその姿に久遠はいつものように眉を顰めた。
「自殺した者?慰めたとは……壱の姫様がですか?」
「うん。この人の妹さん達が自殺したんだって。だからお兄さんを慰めてたの。『妹さん達が死んで辛いだろうけど、元気だして』って」
凛は当然久遠も自分を褒めるだろうと思い、正直に答える。
だがその言葉を聞いた久遠の眉間の皺は更に深くなった。
それは彼の不快感、怒りが大きくなった証拠。
久遠は鋭い視線のまま、再度凛へと尋ねる。
「それは…本当ですか?本当にそのような事を…彼に言ったのですか?」
「え?う、うん。言ったよ。だって……お兄さんが悲しでたら…死んだ妹さん達も天国で笑えないでしょ?だから…慰めてあげようと思って…」
何処までも見当違いであり、何処までも上から目線で語る凛。
彼女の中には悪気など一切無い。
何故久遠が怒っているかなど、凛には皆目見当もつかない。
ただオロオロするだけで自分の非がまるで分かっていない凛に、いかな久遠とて我慢の限界が近づいていた。
「っ、壱の姫様!貴女は!本当にそれが!」
「しょ、将軍!壱の姫様はこれから我が邸の晩餐に参加されるのです!先を急ぎますのでこれにて失礼致します!ささっ!壱の姫様!参りましょう!」
久遠が臣下として壱の姫に物申そうとしたが、それを貴族の一人が遮り、そそくさと凛を連れてこの場から離れてしまう。
残された久遠は奥歯を噛み締め、拳をギリギリと握り締めた。
「………将軍…」
「っ!?……ツルギ…」
ツルギに声を掛けられ彼の方へ振り向く久遠だったが、ツルギの姿、自殺した妹達の遺体を再度目にしてしまうと…何も言えなくなった。
この兄妹達の仲の良さは自分も知っている。
兄であるツルギが、どれだけ妹達を溺愛していたかも知っている。
最愛の妹達を失ったツルギ。
上官として……何か言葉を掛けるべきと思いながら…久遠の口からは慰めの言葉など出てこない。
久遠が何を言おうと……ツルギの慰めになどならないと…分かっているからだ。
暫しの沈黙の後、久遠の口からやっと出たのは…将軍らしく、上官らしく、事務的な言葉だった。
「…………妹達を弔おう。誰か…手の空いている者は手伝ってくれ」
久遠の提案により、ツルギとその場にいる者達でサクラとフブキの亡骸を埋葬し、簡単な葬儀が執り行われた。
他の者が全員帰った後も、ツルギは一言も発さずに妹達の墓前で座り込む。
いつまで経っても動こうしない…生きる気力すら失われたような自分の副官を見かねた久遠は、半ば無理矢理ツルギを立たせると家へ送り届け、数日休むように命じた。
こんな状態で仕事など出来るはずもなく、何より……今のツルギは一人になった方がいいと判断したからだ。
他人が何を言ってもツルギの慰めにはならず、凛が発したように不要な言葉で更に傷つく事もある。
久遠の優しさを感じつつも、ツルギは礼も言えなかった。
ただ一言の礼も……声も出なかった。
久遠が帰った後も、その次の日も、更に次の日も………ツルギは一人、家で呆然としていた。
食事を摂る事も、眠る事もせず。
ただ妹達の死を嘆き悲しみ、傍にいなかった自分を……たった二人残された最愛の家族を守れなかった自分を責め続けた。
『ツルギ』
『ツルギ』
『キャハハッ』
ツルギの脳裏には、彼に優しく笑いかけてくれる両親と赤ん坊のアサヒ。
『兄さん』
『お兄ちゃん』
そして二人の妹達の姿が鮮明に浮かぶ。
ツルギの脳内で優しく自分に微笑み、自分を呼ぶ愛しい家族。
大好きな家族……大好きだった家族。
ツルギが愛し、ツルギを愛してくれた家族達。
今はもう………誰もいない。
「…守るって言ったのに……約束したのに………誰も…守れなかった」
愛する家族を全て失ったツルギは、久遠が感じたようにもう生きる気力すら無い。
ただ呆然とその場に座り込み、死を待つだけの存在となっていた。
だがふとした時……彼は家の中に…ある気配を感じた。
気配の方を目で追うと…テーブルの上に見覚えの無い封筒。
ツルギの体はユラユラと動き、気づいた時にはその封筒を手に持っていた。
「………なんだ…コレ?」
差出人も何も書かれていない封筒。
ツルギはその封を空け、中に入っている手紙を取り出し読む。
書かれている文字を読んでいく度に……ツルギの右目は大きく開き、手紙を持つ手は…いや、全身がカタカタと震え出した。
手紙に書かれていたのは……それほど彼にとって衝撃的な内容だった。
「…………陛…下が?……陛下が…サクラとフブキを……殺した?…あの陛下が………っ、サクラとフブキが!母と慕っていた陛下が!俺達の恩人である陛下が!二人を殺した!?」
手紙には『女王麗華が自分の目的の為に妹達を利用した事』『口封じの為に殺した事』『自殺したのではなく女王によって死ぬよう操られた事』『全ては弐の姫の罰が関わっていた事』。
そして……『麗華本人は二人の死を何とも思っていない事』が詳細に書かれていた。
手紙に書かれていたのは、ツルギが信じられないような内容だった。
信じたくない内容だった。
それでも……妹達には自殺する理由が何一つ無く、それどころか自分の誕生日を祝おうとしてくれたのは、ツルギが誰よりも知っている。
この手紙は誰かのイタズラかとも思ったが……それにしては状況が事細かに書かれていた。
もし………本当に女王が妹達を殺したのなら?
そんな考えが脳裏を過ぎった瞬間……ツルギは手紙を握り締め、天井を仰いで泣き叫んだ。
「うあああぁぁぁぁぁぁ!!なんでだ!なんでだぁああ!!」
それは死んだ妹達に向けた叫びと全く同じもの。
何故、と彼は泣きながら答えの出ない問いを叫び続けた。
彼の美しい右目と、もうろくに機能していない左目からとめどなく溢れ流れるのは……血の涙。
「俺達は!俺達はずっと!ずっと貴女の為に生きてきたのに!ずっと貴女を慕っていたのに!サクラとフブキは!貴女を母のように慕っていたのに!なんでだ!なんで!!ああぁぁぁあ!!」
命の恩人だと感謝し、自分達の人生全てを捧げた……母のように想っていた女王。
自分以上に妹達が慕っていた…慈悲深いこの世界の女王陛下。
それは全て自分達の勝手な幻想であり、本当の女王は……誰よりも残酷な仕打ちを…裏切りを、ツルギの愛する妹達に行った。
「なんでだ!なんでサクラとフブキを殺した!二人が何をした!サクラとフブキが!なんで貴女に!あんたなんかに殺されなきゃいけないんだぁああああ!」
絶望の中、ツルギは泣き続け、叫び続けた。
そして翌日の夜明け前。
ツルギの姿は……昨日とは変わり果てていた。
ほぼ丸一日泣き続けた事で、白目は充血し真っ赤に染まっている。
彼の美しい水色の瞳は…女王への恨み、怒り、悲しみ、絶望という負の感情で満たされ……闇のように真っ黒に変化していた。
眼光は鋭く、般若の如く怒りに歪んだ顔。
そこにはもう……妹達を可愛がっていた優しい兄の姿は無い。
今のツルギの姿は…まるで本物の醜い化け物。
ツルギはまだ夜が明ける前に家を…そして王都を出て、握り締めたままだった手紙をもう一度読んだ。
手紙に書かれていたのは、女王の悪行だけでは無かった。
最後の一文……そこには、彼の両親や弟を殺した反乱軍…そのアジトの一つが書かれていた。
ツルギがそれを読み返し、アジトの場所を覚えると手紙は塵となり、彼の手から消えていく。
何故この手紙が自分の元に届いたのか?
この手紙を書いたのは誰なのか?
手紙が塵となり消えた理由……そんなもの、今のツルギにはどうでもいいこと。
今のツルギには…守るべき家族はいない。
全て奪われたのだから。
「……殺してやる。…女王を…弐の姫と壱の姫を…反乱軍を……全員殺してやる。……それだけが…俺の生きる意味だ。……奴等に復讐する為に…俺だけ生き残ったんだ…」
愛する家族を全て失った男に残されたのは……『復讐』という強い恨みだけになった。
数日後。
久遠から報告を受けたサフィールは、女王の元…彼女が現在ティータイムを楽しんでいるお気に入りの薔薇園へと向かう。
サフィールは女王に一礼すると、人払いをして久遠からの報告をそのまま彼女に告げた。
「陛下。天馬将軍の副官が失踪したそうです」
「久遠の副官?失踪じゃと?なんでまた……任務から逃げたのか?」
「……いえ。その者はあの姉妹の…陛下が死ぬよう命じたサクラとフブキというメイド達の兄です。妹達同様、以前陛下が彼の命を救ったとか。覚えておりませんか?」
「あの子達の…兄?………………あぁ。思い出したぞ。そんな醜い男もいたな。あの可愛い子達の兄だというのに……あの子達はあんな醜い男を兄を持って哀れだったな」
「陛下。再度申し上げます。その男は天馬将軍の副官でありながら、全ての任を投げ出し王都から消えたと。……いかがなさいますか?」
真剣な表情で尋ねるサフィールに、麗華はカップを置いて笑う。
「いかがとは?面白い事を言うのう、サフィ。妾が好むのは妾に相応しい美しい者、可愛い者のみ。醜い化け物なぞいらん。消えたのなら清々した。探す必要もない。そのまま野垂れ死ねばいい。醜い化け物など妾の世界にいる価値は無い。消えればいいのだ」
「かしこまりました」
サクラとフブキを殺した事、愛する妹達を失った兄が失踪した事になんの興味も抱かず、一切の罪悪感を持っていない女王麗華。
彼女はサフィールの報告を受けた後も、普段のようにティータイムを楽しむだけだった。