緩和~愛する家族を全て失った男~ 8
そして同じ頃……ツルギの愛しい妹達であるサクラとフブキは、王都の城にある一室にいた。
それもソフィアを女王の元へ連れてきた昨日から…ずっと。
サクラとフブキは女王が来るまで決して部屋を出るなと命令され、この部屋に隔離状態にされた二人には段々と自分達の意識が戻る。
冷静になると、何故自分達があんなスパイのような行動が出来たのか?
何故女王があんな命令をしたのか?
自我が戻った二人…特に姉のサクラは女王の意図が分からず困惑している。
妹のフブキは困惑というより、ただ今の状況に不安を抱いていた。
「ねぇ…お姉ちゃん。陛下はなんで私達に…あんな事を頼んだのかな?」
「それは………きっと陛下には深いお考えがあるのよ。それに侯爵家のソフィア様と弐の姫様は仲が良かったらしいし。陛下は弐の姫様が罰を受ける前に、お二人を会わせてあげようとしたんじゃない?お優しい陛下の事だもの。きっとそうよ」
妹に説明するというよりは、自分に言い聞かせるように話すサクラ。
そんな姉の言葉に、フブキも不安げな表情のままだったが、なんとか自分を納得させようとする。
「そう…かな?そうだよね。だって陛下は……誰よりも…優しい人だもんね」
「そうよ。変な心配なんてしなくていいわ。もっと楽しい事を考えましょう。例えば………そう!明日の兄さんの誕生日についてとか!」
明日に迫った兄の誕生日の話題に、今度はフブキも笑顔を浮かべた。
「そうだね!お兄ちゃんの誕生日は明日だもんね!きっとお兄ちゃん、約束守って今日か明日には帰って来てくれるよね!あ、まだシチューとキッシュの材料買ってないよ!」
「大丈夫。買い物メモはちゃんとまだ持ってるから。きっと陛下はこれから、私達に労いの言葉を掛けて下さるわ。その後に、今日と明日はもう仕事をお休みさせてもらえるように頼みましょう。お優しい陛下なら理由を話せば許して下さるわ」
「そうだよね!じゃあ陛下のお話が終わったら、家に帰ってお兄ちゃんの誕生日パーティーの準備しよう!」
兄の話題になり、やっと心からの笑顔になるサクラとフブキ。
ついさっきまで不安ばかりが募っていた二人は、この後の事……兄の誕生日の事を考え、自然と笑顔になる。
明日は大好きな兄の誕生日。
それをまた今年も、家族三人で祝える幸せを噛み締めていた。
普段通り、何の変哲もない幸せな日常が来ると……兄ツルギと同様に、疑いもしなかったサクラとフブキ。
そんな二人の耳に……扉をノックする音が響く。
二人が返答する間もなく開かれた扉から入って来たのは、彼女達が命の恩人と、母と慕う……女王麗華。
急に現れた女王に、サクラとフブキは慌てて姿勢を正して頭を下げる。
女王麗華は畏まる二人を笑顔で見つめつつも、後ろ手で扉を閉めた。
普段から麗華は女王という立場もあり、必ず誰か…位の高い使用人や警護の者を同行させている。
しかしこの部屋に入って来たのは…何故か麗華ただ一人。
麗華は満足気な微笑みを浮かべたまま、いつもの優しい口調で話し出す。
「サフィから報告があっての。今朝、ソフィアは無事にレオナルド、蒼牙と共に王都を出たようじゃ。そなた達は妾の望み通り、しっかりと働いてくれたようじゃな。ご苦労さま」
「い、いえ!そ、そんな!勿体ないお言葉です!」
「へ、陛下のお役に立てましたこと…まことに光栄です」
普段よりも緊張気味に答えるフブキとサクラ。
それはつい昨日、自分達が操られた事で女王への僅かな不信感、不安が残っていたから。
彼女達は本能で、今まで母のように慕い続けていた女王麗華にほんの少しの…だが確実な恐怖を抱いている。
それでも女王から逃げ出さないのは『女王は自分達兄妹の命の恩人、人生の恩人だ』という想いが、無理矢理彼女達の恐怖心を抑え込んでいたから。
「ふふっ。そなた達ならばそう言うと思っておった。本当に……そなた達は可愛いのう」
「あ、あのっ!陛下!お願いがあるんです!」
「フブキッ!?」
女王から直ぐに逃げ出したい本能、今すぐ家に戻り兄の帰りを待ちたい本心が姉よりも大きかったフブキは、勢いよく頭を上げる。
焦る妹を止めようとしたサクラだったが、麗華はニコニコとした微笑みのままそれを制した。
「よいよい。して……そなたは妹の…フブキじゃったな?妾に願いがあると?」
「は、はい!あの……陛下からの…その…お役目も果たしましたし!私とおね…姉は、今日と明日お休みを頂きたいんです!」
「休み?おや?そなた達…そんなに働き詰めだったのか?家に帰って休みたいと?」
「い、いえ!そうじゃなくて…その……」
段々とまた頭が下がり言葉を濁すフブキに代わり、姉のサクラは女王へ頭を下げたまま答える。
「陛下。明日は…兄の誕生日なのです。なので…兄を祝う準備をしようと、妹と話しておりました」
「兄?そなた達の?」
「はい。兄は天馬将軍の副官。ツルギにございます」
「……………あぁ。アレのことか。……ふむ。それならば……ふふっ。やはりそなた達に目をつけたのは当たりじゃったな」
大切な兄を『アレ』呼ばわりされた事で、サクラとフブキは同時に頭を上げ……硬直する。
サクラとフブキを見つめる女王の笑顔が……何処か歪で…恐ろしかったから。
恐怖を感じたまま顔を青ざめる二人だったが、女王はそんな二人を一瞬冷めた目で見つめると、再び笑顔を浮かべる。
それは今見た歪な笑みが嘘のように…楽しげな微笑み。
「ふふっ。そなた達の望みは分かった。そなた達には十分働いてもらったゆえな。もう帰っても良いぞ」
「ほ、本当ですか!?」
「か、感謝致します!陛下!」
女王から『帰っていい』と言われ、この場から開放される…兄と暮らす家へと帰れると安心する二人。
「で、では、私達はこれで」
「お待ち。そなた達には…もう一つ頼みがある」
女王麗華は帰ろうとする二人を引き止め……笑顔のままサクラとフブキに話し始めた。
「此度の件。妾が裏で仕組んだ…いや、関わっていたとバレるのは…後々面倒な事になるかもしれん。ソフィアは偶然、自分の邸のメイドから話を聞き、自分の意思でレオナルドに同行した。良いな?」
フブキは女王の言葉の意味が分からなかった。
しかし妹より聡いサクラは瞬時に女王の言いたい意味を理解する。
「心得ております。今回の事、私達や陛下が関わった事。私達は何一つ他言致しません」
ソフィアの父は侯爵であり、また彼女の伯父は貴族の中でも特に力のある公爵。
女王が今回、侯爵家令嬢に自ら悪質な魔術を掛けた事が公爵に伝わるのは避けたい。
ソフィアを大切にしているレオナルドにはバレるだろうが、彼はまだ若くいくらでも誤魔化せる。
麗華が慎重になる理由は、一部の貴族がコレを知り、壱の姫を早く王位に就かせるべきと騒ぐ可能性。
麗華は自分が退位する未来が迫っている事を十分理解しつつも、少しでも長くこの椅子に座っていたかった。
少しでも長く……誰もが媚びへつらう、世界の頂点の女王として暮らしたいのだ。
弐の姫である蓮姫を旅に出したのも、蓮姫の為というよりは、王位継承を遅らせるという個人的理由の為でもある。
サクラが自分の望み通りの答えを口にした事で、一層満足気に微笑む麗華。
「そうかそうか。可愛いだけでなく物分りの良い子じゃな。そんなそなた達には…妾からご褒美をやろう」
「ご褒美…ですか?」
「あの…陛下?」
麗華は困惑する二人の顔をよく眺めてから……とんでもない一言を放つ。
「可愛い妾の娘達よ。よくお聞き。【なんの憂いも残さぬよう、このまま家に帰り…妾の為に死んでおくれ】」
想造力を発動し、満面の笑みで告げる麗華。
サクラとフブキの体はあの時のように、ドクン!と心臓が強く脈打つと……次第に瞳から光が失われていく。
「畏まりました」
「陛下のお望みのままに」
それだけ告げると、サクラとフブキは誰にも見られぬよう兄と暮らす家へと戻って行った。
「ふふっ。サクラとフブキ、か。そなた達はほんに幸せ者じゃぞ。母のように愛しい妾の役に立て……死ねるのだからな」
妹達の身に起こった事など……何一つ知らないツルギ。
彼は妹達との約束を守る為にも馬を全速力で走らせ、予定よりも早い夕方には王都へ帰還した。
登城したツルギは上官である久遠に報告書を提出し簡単な説明を済ませると、久遠から『ご苦労だったな。君はもう帰るといい。明日は休め』という労いの言葉を貰い、帰路に着く。
執務室に残った久遠がツルギ直筆の報告書を眺めていると、書き損じ箇所を一つ見つけた。
「ん?コレは……珍しい。彼がこんな簡単なミスをするとは。明日は休めと伝えたし……仕方ない。執務が終わったら彼の家に寄るとしよう」
久遠への報告を済ませたツルギが、城から貴族街に着いた時には完全に陽は落ちて辺りは暗くなっていた。
貴族の邸も使用人の寮も個人宅も、全ての建物に明かりがついている。
だが、一つだけ明かりのついていない家があった。
それはツルギと…妹達が暮らす家。
「二人とも……まだ帰ってないのか?」
明かりが無い自宅を見て妹達が不在だと判断したツルギ。
珍しく二人揃って残業でもしてるのか?と軽く考えていた。
むしろ妹達がまだ帰っていないのなら、自分が食事の支度でもして二人を待っていようと。
「サクラもフブキも、帰って来て俺がいたら驚くかな?それと…コレにもきっと驚いて、喜ぶだろうな」
耳飾りの入った包みを服の上から撫でると、ツルギは笑顔を浮かべたまま家の扉を開く。
「ただい……………ま…」
誰もいないと思っていても律儀に『ただいま』を口にするツルギ。
しかし彼の視線の先には……暗がりに浮かぶ二組の足。
徐々にツルギが顔を上げると……そこには首を吊った妹達…サクラとフブキの姿があった。
「あ、あぁ………サクラ…………フブキ………………うああぁぁぁぁあああああぁぁぁ!!」
変わり果てた妹達の姿に泣き叫ぶツルギの声は、扉が全開だった事もあり貴族街中に響く。
ガヤガヤと野次馬達が集まる中、ツルギは妹達の縄を切り横たわる二つの遺体に縋りついて泣き続ける。
純粋で、美人で、周りからも慕われていた妹達。
たった二人残された家族であり、自慢の妹達。
誰よりも愛していた妹達……サクラとフブキ。
ツルギは妹達がいればそれだけで幸せだった。
どんなに自分が醜かろうと、他人に嫌われ見下されようと、妹達と暮らしていければそれだけで良かった。
そんなツルギのささやかな幸せは……いとも簡単に壊れた。
「うあぁああああ!!ああぁぁぁ!なんでだ!なんでだ!なんで!!」
泣き続けるツルギだったが、集まった野次馬達は死んだサクラとフブキを哀れんでも、醜いツルギを哀れんだりはしない。
「なんでって……お前の存在が恥ずかしかったからだろ。なぁ?」
「そうだよね。あんなのが家族にいるから、二人共結婚も出来なかったんだろ?」
「あぁ、その話は私も聞いたよ。サクラちゃんは見合い断られ続けて、フブキちゃんは彼氏に振られたって。全部あの兄貴のせいさ」
「可愛くていい子達だったのに……かわいそうにね。あんな化け物みたいな兄さんがいるから、心を病んだんじゃないかい?」
「そうだな。きっと醜い兄に耐えきれなくなったんだろうさ。自殺する程、追い詰められてたんだろ」
好き勝手に適当な憶測や言葉を並び立てる野次馬達。
当然、その声は全てツルギの耳にも届く。
(………俺の…せい?…化け物みたいな顔の…俺がいるから?…だから二人は…死んだ?…俺を……憎んで…恨んで?…自ら死を…選ぶほどに?)
自分を責めて絶望するツルギだったが、サクラのポケットから紙が飛び出しているのに気づくと、手を伸ばしてソレを取る。
(………『ミルク…卵…じゃがいも……人参…玉ねぎ…』………これ…買い物メモか?料理の………っ!!?)
メモに書かれていた内容で、それが何を意味しているのかを理解したツルギ。
メモに書かれている食材はシチューとキッシュに必要な材料。
彼が誕生日に食べたいと言っていた……毎年妹達が作ってくれるメニューの材料だと。
明日は妹達も楽しみにしていたツルギの誕生日だった。
兄を嫌い、恨み、恥ずかしいと思って自殺する人間が、わざわざ彼の誕生日を祝うメニューの材料を準備しようとするはずない。
(あいつらは…サクラとフブキは!またいつもみたいに俺の誕生日を祝おうとしてくれた!あいつらが俺を嫌うはずない!世界中の人間が俺を嫌っても!あいつらだけは俺を嫌ったりしない!俺を憎んで自殺なんてしない!)
妹達は自殺ではない。
自殺ではないのなら……残された可能性は一つ。
「なんでお前らが死ぬんだ!?なんでお前らが死ななきゃならないんだ!?っ、許さねぇ!俺の妹達を殺した奴!絶対に許すものか!殺してやる!俺が殺してやる!」
今度は狂ったように怒りの形相で叫ぶツルギ。
その表情はまさしく鬼のように恐ろしく、彼の体からビリビリとした凄まじい殺気が放たれる。
気配に敏感な者、軍に属している者はツルギの殺気に怯え、青い顔で咄嗟に彼から、この家から離れた。
何も感じない平凡な者達は『ついに狂ったか?』『妹達が死んだのは自分のせいなのに』『責任転嫁もいいとこだ』とヒソヒソと小声で話している。
そして見かねた一人の軍人が、哀れむようにツルギの肩に手を置き声をかけた。
「落ち着け。お前の妹達は首を吊っていたんだろ?これは自殺だ」
「違うっ!あいつらは!妹達は自殺なんてしない!自分から死んだりしない!殺されたんだ!」
「気持ちは分かるが……現実を受け入れろ」
「俺の気持ちが…分かるだとっ!?分かる訳無いだろう!ふざけるなっ!!」
所詮は他人であり、大して仲良くもない同僚の慰めなどツルギに響く訳もない。
むしろそれはツルギの中の怒りを増長させ、ツルギは軍人へと掴み掛かった。
その様子に、今まで見ていただけの野次馬達も慌ててツルギから軍人を引き離すという、ちょっとした騒ぎになる。
その喧騒を聞きつけ……ある人物がツルギ達の人だかりに近づいた。
それはいつものように貴族の晩餐に招待された……この世界の次期女王と噂される壱の姫、凛。
「なんの騒ぎかな?蘇芳、行ってみよう」
彼女は蘇芳を引き連れ、ツルギの家へと近づく。
壱の姫登場に、その場にいた者は瞬時に凛へと深く頭を下げた。
中にはその場にひれ伏す者までいる。
頭も下げず、膝も折らずに立っているのはツルギのみ。
凛はツルギを見ると気味悪そうに顔をしかめたが、直ぐに近くの者へと尋ねた。
「ねぇ。何があったの?喧嘩?」
「はっ。い、壱の姫様にお聞かせするような事では…」
「でも私は気になるし、聞きたいよ。だから教えて」
「か、畏まりました。…実は……」
小声で事の顛末を説明され、凛の顔は段々と青くなり歪んでいく。
口元に手を当て、哀れむようにツルギ…そして奥にある家を見つめた彼女は、ゆっくりと深呼吸をした後、ツルギに向けて口を開いた。
壱の姫である凛が、妹達を失ったツルギに掛けた言葉は…次期女王とは思えぬほど……無神経な言葉。




