閑話~愛する家族を全て失った男~ 2
ツルギの誕生日から数日後。
ツルギはいつものように家の外で薪割りをしていた。
母親は食事の片付け、妹達は家の中で遊び、アサヒはスヤスヤと寝ている。
いつもと何も変わらない日常。
汗をかいた額を服の袖でゴシゴシと拭いながら、ツルギは空を見上げ…いつもと違う変化に気づいた。
「………ん?…街の方…煙が上がってる。火事かな?………あ!」
ツルギはそう呟いた直後、街に続く小道へ視線を移す。
こちらへ向かってくるその人物は、遠目でも分かる……彼の大好きなもう一人の家族だった。
「父さんっ!帰って来た!」
彼は父親の姿を見つけると、斧を放り投げて一直線に父親へと駆け出す。
いつものように『おかえり!』とツルギが言えば、父親は『ただいま!ツルギ!』と言って自分の頭を撫でてくれるだろうと。
父親の今回の土産を持って、一緒に家に帰ろうと。
そう思い、満面の笑みで駆け出したツルギだったが……父親に近づく度、父親の姿がハッキリと見える度に、ツルギの顔からは笑顔が消える。
笑顔の代わりに彼が浮かべているのは、驚愕の表情。
ツルギの父親は全身に傷を負い、血まみれだったからだ。
「っ!?父さんっ!!どうしたの!?」
「ぐっ、つ…ツルギ……母さんと…妹達を連れて…逃げろ」
「な、なんでこんな血だらけなんだよ!父さん!しっかりしてよ!父さんっ!!」
「は、早く……逃げるんだ…」
『逃げろ』としか言わない父親だったが、ツルギは父親を置いて一人家へ帰る事はせず、父親に肩を貸し二人で一緒に家へと戻る。
バンッ!!
「母さんっ!!父さんが!!」
「っ!?あなた!?どうしたの!?」
ツルギと血だらけの夫が家へ入った瞬間、母親は二人に駆け寄る。
父親を椅子へと座らせ救急箱を取りに行こうとしたツルギと母親だったが、父親は二人の手を握りしめ引き止めた。
そして振り返る二人を必死の形相で見つめ、力の限り叫ぶ。
「今すぐ…逃げるんだ!反乱軍が攻めてきた!」
「「っ!?」」
「街は既に火の海だ!直ぐに奴等はここにも来る!だから…お前達だけでも逃げろ!」
父から放たれた『反乱軍』という言葉で、ツルギと母の顔は恐怖に染まる。
ここは何処の派閥にも属していない田舎。
だがそんなこと、反乱軍には関係ない。
奴等はただ女王への牽制で、いくつもの街や村を滅ぼしているのだから。
数え切れない程の人間を殺し、自分達の恐ろしさを、存在を世界に知らしめるために。
逃げなければ殺される。
それはツルギとて理解している。
彼が理解出来なかったのは……父親の言葉の後半。
「俺達だけって!父さんは!?父さんはどうするんだよ!!」
「父さんはここで時間を稼ぐ!この傷だ!一緒に逃げてもお前達の足でまといになるだけだ!」
「そんな!父さんも一緒に!」
「ツルギ!!」
ツルギの言葉をさえぎったのは、彼の目の前にいる父ではなく……母だった。
今にも泣き出しそうなツルギの水色の瞳をしっかりと見据え、母は息子へ言葉を紡ぐ。
「母さん!」
「ツルギ。急いで妹達を連れて来て。アサヒは抱っこ紐で胸の前に縛りつけて。そうすれば、もし紐が緩んでも直ぐに気づける」
「で、でも!」
「いいから!今は母さんの言う通りにして!」
「っ、わ、分かったよ!」
ツルギは母の言葉に頷くと、別の部屋にいる妹達、そして弟のアサヒの元へ向かう。
残された両親は…しばらくお互いを見つめていた。
「……あなた」
「…すまない。街で反乱軍と戦い…血を流しすぎた。俺はもう無理だ。ろくに走れもしない。お前達だけでも…生きてくれ。子供達を頼む」
「っ、………分かったわ」
「そんな顔するな。惚れたお前と所帯をもてて…あんなに可愛い四人の子供達にも恵まれた。俺は…この世界で一番幸せな男で、一番幸せな父親だ。俺は間違いなく…お前達のおかげで…幸せだった」
「……あなた。それは…私も同じよ」
本当は愛する夫と一緒に逃げたい。
家族六人…全員で生き延びたい。
しかし夫の傷が、生気を失いかけている顔が……それは無理だと、現実を妻に突きつける。
夫との永遠の別れが…直ぐそこまで迫っているのだ、と。
妻はただ、自分へ悲しく微笑む夫を見て、静かに涙を流す事しか出来なかった。
「母さん!皆連れて来たよ!」
「お父さん!?」
「おとうさん?どうしたの?」
「っ、ツルギ」
妹達を連れて来たツルギの声に、母は直ぐ涙を拭うと子供達に振り返った。
ツルギは両手もで妹達の手を取り、赤ん坊のアサヒも、しっかりと胸の前に抱っこ紐で縛り付けてある。
「準備出来たわね。…あなた」
「あぁ。これでいい。ありがとう。ツルギ…こっちに来い」
「父さん?」
父に呼ばれて前へ出るツルギ。
そんなツルギを…父親は胸にいるアサヒごと優しく抱きしめた。
「ツルギ。今までもそうだったように、これからも…お前に頼む。母さんと妹達、アサヒを…家族を守ってくれ。父さんと約束してくれ」
「父さん!?うん!約束するよ!だから父さんも!」
「ツルギ。誕生日祝えなくて…ごめんな。お前の喜ぶプレゼント…一緒に選ぼうと思って…結局何も買わなかったんだ。こんな事になるなら……何か買っておけば良かったなぁ」
「っ!?何もいらない!俺は家族が一緒にいてくれればいいよ!それだけでいいんだよ!だから父さん!そんな事言わないで!一緒に逃げようよ!ねぇ!お願いだよ!父さん!!」
ドンドンドンドンドン!!
ツルギの必死の叫びは、不意に響いた激しい音に妨げられる。
父はツルギを離すと、折れた剣を抜き立ち上がった。
「父さん!」
「行け!!お前達は生きろ!」
「っ!!ツルギ!早くこっちに!」
「父さん!父さーーーん!!」
娘二人を奥の部屋に押し込むと、母は未だに父の服を掴むツルギの腕を引き、無理矢理父から引き離した。
ツルギは『どうして!』と抵抗し、母へ絶望の眼差しを向けるが…直ぐに母を見て抵抗もせず、何も言えなくなった。
母がとめどなく…涙を流していたから。
母に引かれるまま、奥の部屋へと逃げ込むツルギ。
そこには既に怯えている妹達。
だが子供達以上に母は今の状況に怯え、焦っていた。
(逃げろと言われても…私と子供達だけじゃ直ぐに追いつかれるかもしれない!ここは…とりあえず結界を張って隠れて………っ!?)
その時、奥にあるカーテンに人影が映る。
それは確実にこちらを見ており、中に人がいる事、母の姿はバレているだろう。
幸い窓は高い位置にありカーテンも引いてあるので、向こう側からは子供達までは確認出来ていないはず。
そう思った母の決断は早かった。
母は勢いよく、子供達を全員押し入れに押し込む。
「か、母さんっ!?」
「いい!?結界を張るから皆ここに隠れててて!母さんがいいって言うか!結界が解けるまで出ちゃダメ!」
「何言って!」
「ツルギ!」
一番最後に押し込んだ長男を母は抱きしめる。
それは父親と全く同じ行動だった。
「母さん?」
「ツルギ。全部全部、ツルギに押し付けてごめんね。でも…ツルギにしか頼めない。託せない。どうか生きて。……サクラとフブキ…アサヒを守ってあげて」
「母さん、何言って」
「立派なお兄ちゃん。誰よりも頼もしい私達の息子。大好きよツルギ。サクラもフブキもアサヒも……皆、みんな…父さんと母さんは愛してるわ。いつまでも…愛してるからね」
母はそう言って子供達…ツルギに微笑むと、ツルギから体を離し押し入れの扉を閉める。
自分は中に入らず。
既に押し入れは子供達と服でいっぱい。
母が入れる隙間など無かったから。
「母さん!?母さんっ!!」
ドンドン!と押し入れの扉を中から叩き、開けようとするツルギだが扉はビクともしない。
押し入れからどんなに声を上げても、外の声も音も何も聞こえない。
それは魔法を使える母による結界の為。
それは子供達を守る為に、母親が最後に使った魔法だった。
母は押し入れの前に立つと、正面の扉を見据える。
その奥からは父親……夫の唸り声が聞こえてきた。
咄嗟に扉に向かう母だったが、彼女が辿り着く前に扉は向こう側から開かれる。
そこには武装した二人の男と……床に転がる夫の姿。
「っ!?あなたっ!!」
「なんだ?こいつの女房か?」
「残念だったな。旦那はもう死んだ。お前も直ぐに旦那の元に送ってやる」
「っ、よく……も!よくも夫をっ!」
母親は涙を流しながら、憤怒の形相で男達に向かう。
そんな母親を……男達は容赦なく斬り捨てた。
血を流し倒れた女を見て、男の一人は剣を収める。
「ふん。ここにはこいつらだけのようだな」
「………見るからに貧乏暮らし。奪える物も無い、か」
「街も仲間が燃やしたし、金目の物や武器も手に入れただろうさ。今回の殲滅作戦は終了だ。俺達も早く戻るぞ」
「…………あぁ。そうだな」
それだけ言うと、男達はさっさとこの家を出て行く。
男の一人は何故か家の中を見回していたが……特に何も言わず、何もせず、仲間と共に去っていった。
残された母親は虫の息で押し入れの方を見つめる。
「………ツル…ギ……ごめ…ね。……み…な………いき……てね…」
母親は最後の力を振り絞り、息が絶えるその瞬間まで…子供達が隠れる押し入れに結界を張り続けていた。
そして数分後。
結界が解けて押し入れから出た子供達が見たのは……既に事切れた両親の姿だった。
妹達は両親の亡骸に抱きつき、泣き叫ぶ。
赤ん坊のアサヒもまた、何かを感じとったのか大声で泣いていた。
ただツルギは……涙を流しても両親の亡骸に縋り付く事をしなかった。
歯を食いしばり、決意を固めると……ツルギは妹達の手を引き家から飛び出す。
それは父と母の最後の願いを叶える為。
父と母に託された……最後の約束を守る為だった。
「逃げるぞ!必ず生き残るんだ!父さんと母さんの分まで!大丈夫だ!お前達は兄ちゃんが守る!絶対に兄ちゃんが守ってやる!!」
また同じ頃…あの男達……ツルギの両親を殺した反乱軍の男も、足を止めてツルギの家の方を見つめる。
いつまでも立ち止まっている仲間に、もう一人の男は不思議そうに声をかけた。
「おい。どうした?」
「さっきの家。……子供の玩具がいくつもあった。赤ん坊のおしめもな」
「そうだったか?それがどうした?」
「親だけいて……子供や赤ん坊が家にいないなんて…有り得るか?」
「………つまり…ガキだけ逃げた、って事か?」
「可能性はある。戻るぞ。もし本当に赤ん坊や幼い子供がいるなら……連れ帰り、孤児の施設に入れて、他の子供と同じく育てさせる。数年後の試練の為にな」
「無駄な事を。どうせ試練で生き残るのは俺の息子だ。息子は天才だからな。もう中級者魔法だって使える」
「そう言うな。試練にはより多くの子供が必要だ。強く共に育った仲間を殺してこそ、本当に一族に役立つ戦士が生まれる。全ては一族の為、若様の為。そしてお前の息子の為でもあるぞ。何より……丁度、赤ん坊が欲しかったんだ。急ぐぞ。恐らく逃げた先は…裏手にあった森だ」
「仕方ねぇな。ついでにそこの森も燃やすか」
男達はそう判断すると歩いて来た道を振り返り、全速力で駆け出し戻る。
向かった先は……ツルギ達兄弟が逃げた森。
森に入ると、男達は容赦なく炎の魔法を森に放つ。
そして現在。
ツルギ達は必死に走り、燃え盛る森の中を逃げ続けた。
それでも……子供の足と、幼い頃から訓練された大人の男達では脚力が違いすぎる。
ましてやまだ11歳のツルギは、赤ん坊を抱き、下の妹を背負い、上の妹の手を引き逃げている。
反乱軍の男達から……逃げ切れるはずなかった。
「いたぞ!やっぱ逃げてやがった!」
「っ!!?クソッ!!」
「きゃあっ!!」
ツルギが男の声に振り返った瞬間、後ろにいたサクラはバランスを崩し転んでしまう。
ツルギも立ち止まりサクラを立たせるが、その数秒で……ツルギ達は完全に男達に追いつかれた。