閑話~愛する家族を全て失った男~ 1
15年前。
ユラシアーノ大陸の端。
燃え盛る森の中で、一人の少年は生きる為、守る為、必死に…そして全力で走る。
その少年は赤ん坊を太い紐で自分の胸に縛りつけ、落とさないよう細心の注意を払いつつも走る足は止めない。
まだ10歳前後に見えるまだまだ子供の彼は、赤ん坊以外にも二人の子供を連れている。
背負っている少女も赤ん坊同様に落とさないよう注意しながら片手で支え、またもう片方の手で別の少女の手を引いている少年。
大人でも疲弊し休みたい衝動に駆られるこの状況で、少年は一切スピードを落とす事なく走り続けた。
「ハァッ!ハァッ!!っ、サクラ!大丈夫か!」
「ハッ…ハッ!お、おに…お兄ちゃ!」
「もう少しだ!頑張れ!頑張るんだ!せめて森を抜けるまで!」
少年がサクラという少女に声を掛けると、その大声に反応したのか、胸に抱いていた赤ん坊が泣き出す。
「アサヒ!ごめんな!オムツもミルクも!後でちゃんとしてやるから!」
「うっ、…おかあさん…おとうさん……うぅ、うわぁぁあん!」
「っ、泣くなフブキ!大丈夫だ!兄ちゃんが守ってやる!サクラも!フブキも!アサヒも!お前らは!お前らだけは!兄ちゃんが守ってやるから!!」
少年はバチバチと燃える木々にかき消されぬよう、力の限り叫んだ。
少年の叫びはこの小さな者達を安心させる為の言葉か。
あるいは…自分自身に言い聞かせる為の言葉か…。
(父さん…母さん!!クソっ!クソォ!!)
数日前
ガチャ
「母さん。薪割り終わったよ」
「ありがとう、ツルギ」
「他に何かある?あ、風呂掃除は終わった?まだなら俺がやるよ」
「あら。朝から働いてもらってばっかりじゃない。少し休みなさい」
ツルギと呼ばれた少年は、出迎えた母に次の仕事を尋ねるが、母親はやんわりと断りつつ少年の…息子を気遣う。
そんな母にツルギは呆れたように口を開いた。
「何言ってんだよ。母さんの方が毎日働いてるじゃないか。俺はまだまだ大丈夫」
「でもツルギ」
「うわぁぁああん!おねえちゃんがぶったぁあああ!」
ツルギと母の会話を妨げるように、幼い子供の泣き叫ぶ声が部屋に響く。
二人が声の方を見ると、小さな女の子が頭をおさえて泣いていた。
傍にはもう少し大きい女の子が、険しい表情で拳を握りしめている。
姉が妹をぶったというのは妹の証言も合わせて一目瞭然。
ツルギは母親より先に二人に駆け寄ると、姉の方を叱りつけた。
「こらサクラ!フブキをぶっちゃダメだろ!」
「っ!?だ、だってお兄ちゃん!フブキが!フブキが私の絵本ぐちゃぐちゃにした!」
「それでもダメだ!サクラは姉ちゃんだろ!妹や弟を守ってやんないと!」
「で、でも!」
「ひひっ。やーい!おねえちゃんのばーか!」
「こら!フブキ!姉ちゃんになんてこと言うんだ!」
「ひっ!お、おにいちゃんがおこったぁ!あぁぁああん!」
ツルギの下の妹は兄に怒られたと再度泣き出す。
上の妹であるサクラもまた、兄に叱られたとスカートの裾を握りしめグズグズと泣いていた。
そんな二人の頭にツルギはポンと優しく手を置く。
そして優しく諭すように言葉を掛けた。
「サクラ。フブキがどんなに悪い事しても、姉ちゃんが妹や弟をぶっちゃダメだ。兄ちゃんがお前達をぶった事あるか?」
「ふっ…うぅ………ぐすっ………ううん。…ない」
「だろ?怒るのはいい。父さんがくれた大事な絵本をぐちゃぐちゃにされたんだ。怒って当然だ。でもぶったらサクラが悪者になる。兄ちゃんはサクラが悪者になるのは嫌だ。だから妹をぶったりするな」
「………うん。…ごめんなさい」
「よし。サクラは優しい姉ちゃんだな。それと……フブキ。これは父さんがサクラの誕生日にくれた絵本で、サクラの宝物だ。だからぐちゃぐちゃにしちゃダメだ。分かるな?」
「……うん」
「良い子だな、フブキ。それともう一つ。姉ちゃんに『バカ』なんて言っちゃダメだ。フブキはサクラが、姉ちゃんが大好きだろ?姉ちゃんだってフブキが大好きなんだぞ?だからもう言っちゃダメだ」
「………うん。ごめんなさい」
兄に諭され、まだ幼い妹達は泣きながらも兄の言葉に頷く。
そんな二人の頭を優しく撫でながら、ツルギは笑顔を浮かべた。
「じゃあ二人とも……兄ちゃんの言葉が分かったなら、ちゃんとごめんなさい出来るな?」
ツルギが背を押してやると、妹達は向き合い、二人揃って頭を下げた。
「フブキ。ぶったりしてごめんなさい」
「おねえちゃん。ごめんなさい」
きちんとお互い謝るサクラとフブキ。
ツルギはそれを見届けると、妹二人の頭を同時に撫でてやる。
「よし!ちゃんと『ごめんなさい』出来たな!偉いぞ。二人とも」
「おぎゃああ!!おぎゃぁぁああ!」
「ん?今度はアサヒか?母さん!アサヒのミルクとオムツは?」
「どっちもさっき終わらせたわよ。あらあらまぁまぁ。アサヒったらこんなに泣いて」
母親がベビーベッドに向かうと、ツルギもまた同じように赤ん坊の…弟の元へ向かう。
「怖い夢でも見たのかな?よし!アサヒ!兄ちゃんが抱っこしてやるぞ!ほら!べろべろ……ばぁ~!」
「おぎゃあ!おぎゃあ!………ふっ…ふへへ」
「よし!笑ったな!」
あんなにも泣き叫んでいた弟が、兄であるツルギが抱き上げると嘘のように笑い出す。
ツルギもまた『偉い偉い』『アサヒもいい子だな~』と弟に話しかけながら笑っていた。
笑い合う息子達を見て母親の顔は自然とほころぶ。
「ふふっ。アサヒは本当にお兄ちゃんが大好きなのね。母さんが抱っこするより嬉しそうだもの」
「そうかな?へへっ…そうだといいな。俺もアサヒ大好きだもん。……もう…あんな酷いことしない」
ツルギは弟の足にある大きな三日月形の傷跡を見て、悲しげな表情を浮かべる。
この傷はツルギの不注意で出来たもので、故意で痛めつけた痕などでは決してない。
それでもツルギは、弟を傷つけた…とずっと後悔している。
既に仲直りしてキャッキャと遊ぶ娘達の声を聞きながら、優しくベッドに弟を寝かせる息子の肩に、母親は何も言わずそっと手を置く。
母の手に自分の手を重ねながらも、ツルギは弟アサヒを見つめながら、真剣に言葉を紡いだ。
「絶対に…もう傷つけたりしない。父さんがいない間は、俺が母さんと、サクラとフブキとアサヒを守るんだ。父さんとも約束したんだ。俺がしっかりして、父さんの留守を守る。家族を守るって」
「………ツルギ」
「だから母さんも!もっと俺を頼ってよ!俺はホントに大丈夫だよ!無理なんてしてない!家族が大好きだから頑張れるんだ!だって俺!兄ちゃんだからっ!」
二カッ!と満面の笑みを浮かべる息子につられ、母親もまた優しく微笑んだ。
「…ツルギ。ふふっ……ツルギは本当に…いいお兄ちゃんね。よ~し、よし。いい子いい子~」
母親はツルギを抱きしめると、ヨシヨシと頭を撫でてやる。
母親の突然の行動にツルギは顔を真っ赤ににさせ、母の腕の中でジダバタと騒いだ。
「わっ!?ちょ、ちょっと!母さん!俺もう11になるんだよ!子供扱いしないでよ!」
「まぁ!何言ってるの!もうすぐ11歳でも12歳でも!大人でも関係ありません!いつまでたっても!ツルギは母さんの!大事な大っ事な!大好きな子供ですからね!」
しっかりと、そして優しく自分を抱きしめる母親。
母親の温もりが心地よく、段々と笑顔になるツルギ。
照れて赤くなる事はあっても、ツルギは母親の手を払ったりはしない。
すると、向こうで遊んでいたはずの妹達まで二人に駆け寄ってきた。
「あー!!おかあさんだけずるいー!フブキもおにいちゃんぎゅーするー!」
「私も!お兄ちゃん大好きなのはお母さんだけじゃないもん!私もお兄ちゃん!大大大好きだもん!」
そう言うとサクラは母の腕の上から、フブキは兄の足にしがみつくように抱きつく。
あの赤ん坊のアサヒもベビーベッドの上で『キャッキャッ』と笑っていた。
「ふふっ。家族皆ツルギが大好きね!あ、そうだわツルギ。来週の誕生日。何か欲しい物ある?街まで行って一緒に買い物に行こうか」
母親はそう言うと、ツルギを抱きしめていた手を弛めた。
母親から少し体を離すと、ツルギは妹二人に声を掛ける。
「サクラ、フブキ。向こうのおもちゃと本、二人でお片付けしてこい。ご飯の前に手もちゃんと洗ってくるんだぞ」
「はーい!行こうフブキ」
「うん!おねえちゃん!」
妹二人が手を繋いで離れていくのを見届けると、ツルギは真っ直ぐな水色の瞳を母に向ける。
「俺は何もいらないよ、母さん。それよりフブキの靴がもう大分古くなってるんだ。サクラも新しい服が欲しいって言ってたし。だから二人に新しい靴と服…それか布を買ってあげて。アサヒのオムツもまだまだ必要だし」
そう告げる息子の言葉に、母親は悲しげな表情を浮かべる。
ツルギの家は街から外れた森の近くにある、村とすら呼べない集落の一つ。
点々と家が立ってはいるが、隣の家までは10分程歩かなくてはならない。
田舎の中の田舎。
そこでツルギの家族は基本、自給自足の生活をしていた。
食べ物は庭の畑で育てた野菜や、森の罠にかかった鳥や兎、ごくたまに鹿や猪の肉。
服も街で布を買ってきて母親が手作りした物がほとんど。
作れない靴やフォークやナイフ等の金物、本等の教材は、たまに街に出て買いに行く。
その資金は腕に自信のある父親が、用心棒や傭兵として出稼ぎに行って稼いだ僅かな賃金。
妹達が身につけている物も、遊んでいる玩具も、ほとんどは長男であるツルギのお下がり。
ツルギの家庭は……お世辞にも裕福とはいえなかった。
それが分かっているからこそ、ツルギは欲しい物を親に強請ったりしない。
もし本当に欲しい物があったら、街に出て靴磨きをして稼いだお金を貯めて自分で買う。
そのお金も自分の為に使う機会はほぼなく、生活の足しにしてほしいと母親に渡していた。
ツルギは幼い頃から自分の家の状況を理解し、ワガママも言った事が無い。
母親はそんな息子の気持ちが…嬉しくもり、寂しくもある。
誰よりも家族思いに育った長男が親として誇らしく……まだ幼い息子にそこまで背負わせてしまい親として心苦しい。
そんな母親の心境に気づきつつも、ツルギは更に言葉を重ねた。
「アサヒも来月には一歳だろ?離乳食もかなり食べれる様になったし、一歳になったらミルクよりご飯中心になる。だから今後の事も考えて無駄な出費は」
「ツルギ。母さんも父さんも、ツルギの誕生日プレゼントを無駄な出費なんて思わないわ。妹達にもアサヒにもそう。だから…お兄ちゃんだからってツルギだけ我慢しないで。もっとワガママを言っていいのよ」
息子の言葉を遮り、母親は切ない表情を浮かべたまま息子に告げる。
そんな母親に…ツルギは心からの笑顔を向けて、自分の嘘偽り無い正直な気持ちを話した。
「母さん……ありがとう。でもさ…俺、別に我慢してる訳じゃないんだ。さっきも言ったけど…俺は父さんが、母さんが、サクラとフブキとアサヒが…家族が大好きなんだ。来週…父さんは間に合わないかもしれないけど…大好きな家族が俺の誕生日を祝ってくれる。それって凄く嬉しいよ。だから俺、凄く幸せなんだよ」
「……ツルギ」
「あ、でも……そうだな。一個だけワガママ言っていい?誕生日に作って欲しいのがあるんだ」
「っ、なんでも言ってちょうだいツルギ!母さんなんでも作るわ!」
やっと出た息子のワガママに母親は笑顔で目を光らせる。
それがどんなに無理難題だろうと、必ず叶えてやろうと。
「あの、さ…誕生日は……俺の好きな母さん特性シチューとキッシュ作って。……でも…妹達や父さんにバレないように…俺の分はニンジン抜いて?」
それはなんとも意外で小さく、そして子供らしい可愛いワガママ。
しかもツルギは恥ずかしいのか、モジモジとしている。
そんな息子に、母親は母性が爆発したように力の限りツルギをまた抱きしめた。
「ちょっ!?母さんっ!!」
「んもうっ!なんでそんなにいい子なの!ツルギは!もう~!!だから母さん!ツルギ大好き!シチューとキッシュね!分かったわ!母さん約束するからね!腕によりをかけて!今までで一番美味しいシチューとキッシュ作るわ!!」
「あ、ありが」
「あー!!お母さんまたお兄ちゃんの事ギュッてしてる!!」
「ずるいー!フブキもー!」
「うわっ!お前ら!?」
先程のように母親と妹達にぎゅうぎゅうと抱きしめられるツルギ。
それは長男としてとても恥ずかしく……とても幸せで、ツルギはまた照れたように満面の笑みを浮かべていた。
ツルギは幸せだった。
確かに家は貧しく、父親も家族を養う為にほとんど家にはいない。
母親を助ける為に家事を手伝い、妹二人やまだ赤ん坊の弟の世話をする毎日。
そんな毎日が、ツルギにとって幸せな…とても幸せな日々だった。
今日も明日も明後日も、きっと家族と自分は笑顔で過ごすだろう。
もう少ししたら父親も帰って来る。
そうしたらもっと賑やかになって、もっともっと笑顔が溢れる。
両親と妹達、弟と暮らすこの日々が、ツルギにとって幸せ以外の何物でもなかった。
ずっとずっと……家族と幸せに暮らしていけると思っていた。
変わらぬ幸せな日々がずっと続くと思っていた。
この幸せな日々が……ある日突然無くなるなど、ツルギは考えた事も無かった。
ツルギは、そしてツルギの家族の何の変哲もない普通で幸せな日常は……ある日突然…奪われる。




