海賊王 10
奴隷にされた時から、キラも母親も他人から酷い扱いを受けてきた。
ブラウナードに来るまでは、故郷の大和で裕福な生活をしていた二人。
幼い光は何故自分がこんな目に合うのか、何故こうなったのか、何一つ分からなかった。
そして貴族の姫、帝の妃として生きてきた母親には、奴隷として扱われる生活はきっと自分以上に衝撃で、苦痛の日々だっただろう。
それでも母親は我が子を守り続けてきた。
あの時もそうだった。
母はキラの上に覆いかぶさり、我が子の代わりに男達から殴る蹴るという暴行を受けた。
『うっ!!うぐっ!!』
『母上っ!!母上ぇえええ!』
『おい!顔はやめとけよ!せっかくの綺麗な顔が傷物になっちゃ値が下がっちまう!』
『おっとそうだった。まぁ俺達がしなくても、痛めつけるのが好きなご主人様も世の中には大勢いるしな!期待なんてすんなよ!』
毎日毎日、キラと母親は暴行を受け続けた。
キラが何か話すだけで『うるさい!』と殴られ、空腹で腹が鳴っただけで『奴隷が一丁前に腹空かせてんな!』と理不尽な理由で蹴られた。
時には棒で殴られたり鞭で打たれた事もある。
暴行されない時も理不尽な暴言を言われ続けた。
まるで体を痛めつけない代わりに、心を傷つけるように。
『流刑になった罪人が!ブラウナードの人間でもない貴様らには奴隷がお似合いだろ!』
『美人の母親と綺麗な顔したガキの奴隷なんざ高値が付く!てめぇらは絶対に逃がさねぇ!』
『お前ら奴隷に人権なんざ無ぇんだよ!死ぬまでご主人様にこき使ってもらえ!』
『てめぇらはもう奴隷になったんだ!人間様とは違うんだよ!』
男達は徹底して、それも必要以上に『奴隷』という言葉を吐き、キラと母親を人間として扱わなかった。
食事だってろくな物を与えて貰えなかった。
『ひっ!?このパン……カビだらけだ…。水も……泥水…』
『……光……ほら…こうすれば食べられます。はい。貴方はこれを食べなさい。お水は上澄みだけを舐めるの』
そう言って母はカビの部分を丁寧に取り、残った綺麗な部分だけを我が子へ渡した。
『は、母上は?』
『母上はこっちを食べるから大丈夫です。大人ですからね』
そう言って母はカビだらけのパンくずを口に運んだ。
そんな物、とても食べられるはずもなく、母親は顔をしかめ何度も吐きそうになったが、決まって我が子には笑顔を向けてくれた。
『う゛っ!?ぐ…………ん、んぅ。……んむぐ……………ほ、ほら。大丈夫です』
『母上……うっ、うぅ……』
『………泣いてはいけません。いいですか、光……希望を捨ててはいけません。貴方の名でもある光は……希望という美しい光は、必ずあるのです』
そう言って何度も自分を励ましてくれた母。
頭や体を優しく撫でて、抱きしめてくれた母。
いつだって自分を守ってくれた母。
何処までも優しく、何処までも子供を慈しみ……何処までも美しい心を持った人。
それがキラの………いや、光の君の母であり、桐壺の更衣と呼ばれた女性だった。
この母がいなくてはきっと、幼い光の心はとっくに壊れていただろう。
それでも……いくら優しい母親がそばに居てくれても、その母から何度『希望を捨てるな』と言われても、光の心には日に日に絶望が満ちていった。
いつもいつも『殴られたくない』『死にたくない』…そればかりを考えていた。
この絶望の日々が、いつまでも続くと思っていた。
死ぬまで続くと思っていた。
こんな生活は大人になるまで続くだろう。
もしかしたら、大人になる前に自分は死ぬかもしれない。
いっそ死んだ方が楽かもしれない。
ずっとそんな事ばかり考えていた。
母の言う希望の光など……見えなかった。
だがそんな絶望的な日々も、奴隷として生きていく未来も、ある日突然終わりを迎えた。
ある人物が……奴隷となった光と母親を救ってくれたから。
光にとってそれは……母の言う『希望の光』に他ならなかった。
『奴隷だぁ!?ふざけんな!このガキと女は俺が貰う!海賊だからな!欲しいもんは力ずくで奪ってやる!』
『ブラウナードの王様だろうと大和の王様だろうと関係ねぇ!それがなんだってんだ!だったら俺が海の王になって海に出た奴隷全部奪ってやる!』
光にとって希望の光となった人物は、何処までも粗野で乱暴な…あのガイよりも大男の海賊だった。
体だけでなく、声も馬鹿デカくてうるさかったし、喋るというよりも怒鳴っているようでよく唾も飛んでいた。
宴だなんだと騒いで酒をあおり、酒で髭をビチャビチャに濡らし、酒臭いゲップを何度も吐き、夜になるとイビキが壮絶にうるさい……気品の欠片もない海賊。
だがその海賊は……光にとって…いや、海賊王キラにとって、世界一カッコイイ男だった。
『光か!いい名前だなぁ!キラキラしたお前にピッタリじゃねぇか!』
『なにぃ?海賊になるぅ!?ガッハッハッ!これはおもしれぇ!おぉ!なってみろ!お前は歴史に名を残す世界一美人な海賊になるだろぉよ!』
『光!お前は大和の偉ぇ父ちゃんの息子でもブラウナードの奴隷でもねぇ!いいか?命ってのはな、ぜーんぶ海から産まれてんだ!つまり!船乗りってのはなぁ、母なる海と死ぬまで一緒に暮らす親孝行息子ってもんよ!だからな光!お前も母ちゃんも俺達と一緒だ!世界最強最大かーちゃんの子供なんだぜぇ!!ゲーーーップ!』
『お前は本当にキラキラしてて光みてぇな奴だよ!!お前は俺達海賊団の誇りだ!いや!光そのものだな!ガーーーッハッハッ!』
その言葉が……その存在が……どれだけ光に希望を……光を与えてくれた事か。
今は亡き恩人を思い出し、キラは拳を強く握りしめた。
(船長!俺にとって……アンタこそ本当の…かけがえのない美しい光そのものだった!アンタの意思は……俺が必ず受け継いでいく!)
キラは怒りの形相のまま、目の前の樽に隠れていたブラウナード貴族へ銃を向ける。
「ひ、ヒイッ!き、きしゃま!こにょお!薄汚い海賊めぇ!毎度毎度王家や貴族の商品を強奪しおってからに!」
「商品だ!?ふざけんな!その人達は人間だ!物じゃない!」
「ど、奴隷は人間ではない!家畜と同じだ!何を言っておるのだ!この馬鹿たれめ!ブラウナードの全貴族と国王陛下を敵に回した愚か者!女王陛下も黙ってはおらんぞ!」
貴族のその発言にキラはカッと目を見開くと、容赦なく引き金を引いて何発も弾丸を樽へと撃ち込む。
「ヒィぃぃぃぃイイ!?」
「貴族も国王も女王も関係ない!俺は海を総べる海賊王だ!俺こそがこの海の王だ!誰にも文句は言わせない!海に出た奴隷は……全員俺が奪う!」
それはかつて、キラの恩人が口にしていた言葉。
そして海賊王としてキラが、亡き母や亡き恩人……仲間達に誓った言葉でもあった。
「………キラ」
海賊王キラによる宣誓に、蓮姫は胸を打たれる。
それはキラが悪人ではないと再確認しただけではない。
海の荒くれ者である海賊達、その王として君臨するキラ。
そんなキラの威風堂々たる姿に、蓮姫はキラの中にある王の素質を垣間見た気がしたからだ。
誰もが賛同したくなる、従いたくなる…絶対的なカリスマを。
そしてそれは蓮姫の従者達も同じだった。
「うっわ。海賊王めちゃくちゃ正義のヒーローみたいじゃん。これじゃどっちが悪モンか……子供が見ても分かるぜ。なぁ、残火ちゃん」
「誰が子供だ!……でも、あんたの言う通り…悪い人じゃないわよね。未月……は、どうせ『分からない』か」
「…うん。俺…悪い人かわからない。…でも…母さんが戦わないなら…俺も海賊王と…戦わない」
火狼も残火も未月も、海賊王と戦う意思はとうに無かった。
だからこそ余計に、今のキラの言葉が蓮姫同様に彼等の胸に響く。
蓮姫は未月に笑顔を向けると、感謝の言葉を告げる。
「それで十分だよ。ありがとう、未月。ジーンもいい?」
「姫様がそう判断されたのなら、必要最低限の警戒に留めておきます。あの海賊王が悪人ではない……という点だけは、俺も賛同しますからね」
蓮姫達が改めて海賊王キラを善人として認識している中、あのブラウナード貴族は声を荒らげる。
その目と声にはハッキリとした敵意…そしてそれ以上の怯えが含まれていた。
「え、偉そうに!何が海賊王だ!貴様など!ただの海にいるゴロツキではないか!薄汚い奴隷と同じ!人間以下の存在め!」
「人間以下は同じ人間を蔑ろにするお前らだろ。俺にとって奴隷は人間。奴隷を使うお前みたいな奴等は全員ゴミ屑だ!」
「こ、このぉおおおお!!言わせておけば!誰か!早くこの海賊共を殺せ!後ろにいる女達もだ!」
貴族は必死に叫ぶが、彼に従う者、護衛の兵士はキラの仲間の海賊達と交戦中でそれどころではない。
「お、おい!聞こえているのか!早く!誰でもいい!早くこいつらを殺せ!私を守れぇ!!」
叫び続ける貴族に答える者…いや、応えられる者など誰もいない。
しかもこの貴族は、自分では気づいていないようだが、キラにとっての禁句を口にしていた。
キラは冷たい眼差しで目の前の貴族を見つめる。
「女の子を傷つける奴はゴミ屑以下だ。そんな事も分からないとは哀れな男め。いや…女を傷つける事しか出来ない奴は男じゃない。決めた。お前の股間に付いてるモノ…俺が潰す。男じゃないお前には不要だろうからな」
「ヒッ!?ヒィイイイイ!た、助けてくれ!誰か!誰か私を助けろぉ!」
「命乞いは結構だが、誰もお前を助けはしない。俺もお前を…女の子を傷つける糞野郎を助けるつもりは無い」
「き、貴様も女を侍らせているクセに!何を言うか!そ、それにな!我等が王はギルディストの女帝と盟約を交わしたのだ!貴様等を討伐するという盟約をな!それに女帝だけではない!愚か者と名高いが!弐の姫も貴様を殺しに来るぞ!」
「っ!?」
急に出てきた自分の話題に蓮姫は目を丸くし、貴族の言葉に耳を傾ける。
「弐の姫は世界を遊び歩いている愚か者だがな!ギルディストの女帝が認める程の想造力と!強い従者を使っているという!そんな小娘を貴様は殺せるか!黒目黒髪をした美しい小娘…そこの小娘と同じだ!」
「………ほう?彼女のように美しい弐の姫…ね」
貴族の言葉を聞き、何故かキラは口元に笑みを浮かべると、蓮姫達へと振り返った。
「そうだ!その娘のように………」
貴族は何かを言いかけると蓮姫をジロジロと凝視する。
それはもう頭から爪先まで念入りにジロジロと…ねっとりとした視線で。
そして何かを思いついたのか、下卑た笑みを浮かべ、とんでもない言葉を放つ。
「おい!薄汚い海賊!その小娘を私に差し出せ!」
「……何?」
貴族の訳の分からない提案に、再び貴族を睨みつけるキラ。
貴族の方は何処までも、それはもう貴族本人が言うような薄汚い笑みを浮かべている。
「その小娘!海賊の手下にしておくのは勿体ない!私が奴隷として使ってやる!そうだ!奥の小娘も貰ってやろう!二人共奴隷として使えば…いや!若い女の奴隷は高く売れる!私が貴様等を有効に使ってやる!感謝して早く私の元に来い!」
この期に及んでまだ奴隷を使う考えを改めず、しかも奴隷を使っての金儲けまで考えている貴族の男は、一切の反省が無いようだ。
どこまでも腐った発言しか出来ない貴族に、蓮姫はため息をつきたくなる。
どうしてここまで腐った考えが出来るのか?
どうしてここまで身分の低い人間を見下し、物として扱えるのか、と。
そんな中、キラはまた蓮姫に微笑みかけると、優しく声をかける。
だがその微笑みは何処か妖しく、何かを企んでいるかのよう。
「俺の可愛い君。この男は君を奴隷として使いたいらしい。この男にとって君は人間以下の存在だ。その君が決めていい。この男をどうするか。殺すか……許すかを」
「え?私?」
「あぁ。俺を殺しに来る弐の姫に似てる君が決めていい。こいつを殺すか…許すかを」
キラはゆっくりと、そして優しく蓮姫の肩を引き寄せ、貴族を見下しながら蓮姫へと告げる。
それはつまり…弐の姫としてこの男の命運を決めろ…という意味だ。
蓮姫もまた貴族へと視線を向けるが、そんな彼女に貴族はまた叫び出した。
「私を助けろ!私はブラウナードの伯爵だ!貴様のように薄汚い女とは生きている価値が違うのだ!早く私の命乞いをその汚い海賊にしろ!早く!」
自分の命運が一人の女にかかっていると知りながらも、尚も偉そうに命令するブラウナードの貴族。
そんな貴族をキラは許すつもりは無い。
蓮姫の従者達だってそうだ。
キラの行動は面白くないが、蓮姫が貴族を許さないと告げれば、彼等とて蓮姫の望みを叶えようとキラの代わりに動くだろう。
蓮姫もまた、奴隷制度がブラウナードでのみ復活している事、そして奴隷が酷い扱いを受けている現状を知った。
奴隷を『人間ではない』と言い切るこの貴族も、奴隷制度も許せないと思っている。
「貴様!何を黙っている!貴様のような弱いだけの女には!私を助ける事しか出来んだろうが!」
(弱いだけの女…ね。なら、その弱いだけの女が、貴方の命運を本当に決めちゃうから。自業自得だし悪く思わないでね)
蓮姫という弐の姫は、一時の感情で人を断罪するような女ではない。
しかしこの貴族はやはり嫌いなので、意趣返しをしつつも答えてやる事にした。
彼にとって何よりも応えるだろう判決を。
「まぁ……怖い。海賊王…この人は私を奴隷にすると言いましたわ」
「ん?……あぁ、そう言ってたな。こいつは奴隷をなんとも思ってないようだ。つくづく救えない奴だよ」
蓮姫の口調に一瞬戸惑うキラだったが、直ぐに蓮姫の演技だと知ると、彼女のそれに合わせる。
そして蓮姫の肩を抱き、仲睦まじい様子を貴族に見せつけた。
「俺は可愛い君を奴隷になどしたくない。だがこの男は君を奴隷にしたいらしい。とんでもない奴だな」
「そんな…。酷い。この人はきっと……奴隷というモノが分かっていないのですね」
「な、何を言っている!私を馬鹿にしているのか!そんな事分かっておるわ!我が邸にどれだけの奴隷がいると思っているのだ!私が今までどれだけの奴隷を売って富を成して来たと思っているのだ!」
怒り狂う貴族。
蓮姫の突然の変わりように、若干戸惑う従者達。
そして交戦しつつも遠目にそのやり取りを眺める他の海賊と、貴族の手下達。
「海賊王…本当に私が決めてよろしいのですね?」
「あぁ。君が決めていい。君の望みがなんだろうと、俺が叶えてやろう」