海賊王 9
蓮姫が手紙を書き終えた丁度その時、この部屋の主キラが戻って来た。
「待たせたな。そろそろブラウナード領の手前につく。弐の姫、手紙は書けたか?」
「うん。ありがとう、キラ」
「どういたしまして。じゃあ甲板に戻ろう。親衛隊の奴等も揃ってるはずだ」
キラに促され蓮姫達が甲板に出ると、小舟の前に親衛隊達が並んでいた。
彼等の奥に目をやると、そこは先程のようにどこまでも広がる水平線ではなく、大陸が見える。
距離がある為ハッキリとは見えないが、真正面には多くの船が停まっている為、恐らくはそこがブラウナードの港だろう。
「よし。じゃあ全員コレに乗れ。この距離ならオールで漕げるだろ」
「………弐の姫様。本当に……これでよろしいのですか?陛下だけでなく、ギルディストの一部の者から更に反感を買うかもしれませんよ」
あの親衛隊の男はキラには目もくれず、蓮姫へと再度確認をした。
確認というよりは忠告もあったようだが、蓮姫は毅然とした態度で男に返答する。
「はい。私の選択は変わりません。それと……コレをエメル様に」
「陛下に?……手紙ですか?」
「はい。エメル様への謝罪と、私の気持ちを全て書きました」
「謝罪する気持ちがおありなら、直接陛下に申し上げるべきでは?」
「本来ならそうするべきでしょうが……私はこのままキラと…海賊の皆さんと一緒に行きます」
「……………かしこまりました」
親衛隊の男は蓮姫から受け取った手紙を懐に仕舞うと、仲間と共に小舟に乗りこんだ。
全員が乗ったのを確認すると、小舟は海賊達により海へと降ろされる。
チラチラと蓮姫達や船へ視線を向ける者もいたが、小舟は真っ直ぐブラウナードに向けて進んでいった。
指示を出した船長キラは小舟が離れていくのを満足気に眺める。
「これでよし。あとは」
「おいキラ。あそこ見てみろ」
「なんだガイ。………あれは…」
ガイはキラに声を掛けつつも、親指だけをクイッとある方向に指す。
その親指の示す方へ視線を向けると、キラの表情はあからさまに歪んだ。
キラの顔が気になり蓮姫もまた同じ方角を見つめる。
二人の視線の先には……蓮姫達が乗っていたのと同じ旗を掲げる豪華な船。
「あれは…」
「ブラウナード貴族の船……のようですね」
誰に尋ねた訳でもない蓮姫の呟きに答えるユージーン。
そんなユージーンの言葉にも、ガイは丁寧に説明する。
「正確にはブラウナード貴族が手配した商船だ。キラ……いや、船長。どうします?」
船長のキラに指示を仰ぐような口調のガイだが、彼にはキラがどう答えるかなど分かりきっていた。
キラは遠くに浮かぶ……いや、真っ直ぐに進んでいく豪華な船を睨みつけている。
そして見張り台にいた部下の海賊に声を掛けた。
「おい!あの船の様子はどうだ!」
「いつも通りだぜ船長!間違いねぇ!奴等、性懲りも無くまた売りに出す気だ!商品じゃなくても他に大勢いる!」
見張り台にいた海賊は望遠鏡を覗きながら、キラに聞こえるように大声で叫ぶ。
その言葉にキラは拳を強く握り締めた。
「………チッ。貴族って奴は本当に腐った大バカ野郎共だ。あれだけ思い知らせてやったのに、まだ分からないのか?なら…また思い知らせてやる。いくらでもな。お前ら船を出せ!目標は2時の方角に進むあの商船!全速前進!全員戦闘準備をしろ!」
「「「アイアイサー!!」」」
キラの言葉で海賊達は持ち場に付くと、あっという間に船は出発した。
あまりの速さに蓮姫達の髪や服が靡く。
いきなり何故キラがこんな行動に出たのか分からず困惑する蓮姫に、キラは優しく声を掛けた。
「弐の姫。……丁度いい。俺達が何故、貴族の船や商船を襲うのか……見届けてくれ」
「丁度いいって…」
「本来なら君のような女の子は危険の無いよう、中に入ってもらって護衛も付けることろだが……幸い君は結界を張れる。強い部下もいる。だから見ててくれ。知ってくれ。俺達が海賊として奴等を襲う意味を」
真っ直ぐ蓮姫を見つめるキラの青緑の瞳は、何処までも澄んでいる。
まるでこの大海原のように。
そのあまりの美しさ、瞳から伝わる真摯さに、蓮姫は頷いた。
「分かった。キラ達は殺しをしない、って言ってたし…それが本当なら私達は手を出さない。最後までキラ達のやる事を見届けるよ。約束する」
「ありがとう、弐の姫」
蓮姫の返答にキラは笑顔を浮かべると、彼女達から離れて部下達に指示を出し始めた。
キラが離れた事で、ユージーン達従者は蓮姫に再度確認をする。
「よろしいのですか、姫様。奴等はブラウナードの貴族を襲うつもりですよ」
「元々今回の依頼主。ギルディストの女帝様は、ブラウナードの国王から海賊王討伐の要請を受けた。んで、女帝様の代わりに来た姫さんは、今ブラウナード貴族を襲う気満々の海賊と一緒にいる。なんつーか……この現状、凄ぇややこしいな」
「二人の心配は分かってるよ。でも……ずっと気になってた。なんでキラ達は船を襲うのか?って」
蓮姫はずっと疑問を抱いていた。
何故キラ達のように紳士の対応をする者達が、他の船を襲っているのか?と。
だが蓮姫のその疑問に、火狼はあっけらかんと答える。
極々普通で、当たり前の事だと言いたげに。
「そりゃ海賊だからでしょ?貴族の船や商船を襲うのは、奴等が金目の物持ってるから。それ以外ある?」
「うん。それ以外が……ある気がする。キラ達のあの会話…あの顔……どうにも気になるしね」
蓮姫が今、一番気になっているのは、目の前にあるあの商船を見た時のキラの表情。
美しい顔を歪めていたキラは、部下のよく分からない報告で更に怒りを増していた。
恐らく……目当ては金銀財宝でも、海賊王としての名声でもない。
キラ達が貴族の船や商船を襲うのは……何か他の理由がある。
そう考えた蓮姫だが、それが何なのかは当然分かってはいない。
ただ……今までのキラの行動、言葉、表情から、蓮姫はどうしても海賊王キラを嫌いになれなかった。
既にキラに心を許しかけている蓮姫だったが、そんな彼女にユージーンは苦言を呈す。
「姫様。奴が海賊である事は変わりません。あまり信頼し過ぎるのも危険かと」
「うん。分かってる。でも……だからこそ見届けたい。キラが本当に…信頼出来る人かどうかを」
そんな会話を蓮姫達が交わしている間にも、既にこの海賊船はあの豪華な船へと追いついていた。
キラ達海賊は全員、武器を構える。
そしてキラの指示で威嚇の大砲が放たれると、戦闘は開始された。
「お前ら!あっちに乗り込め!襲うのは武装した奴と貴族だけだ!他は絶対に傷つけるな!」
「分かってるぜ!船長!!」
「いつも通りだな!」
キラの号令の元、海賊達はロープを使い、または商船に板をかけて向こうの商船に乗り込んでいく。
最後に船長であるキラが乗り込む際、キラは蓮姫に視線を向けると小さく頷いた。
恐らく『ついて来い』という意味だろう。
蓮姫もまたキラへ頷くと、従者達に振り返った。
「私達も行こう!結界を張るから、皆は私から離れないで」
「分かりました。ですが姫様も、我々から離れないで下さいね」
蓮姫達もまたキラに続き、商船へと乗り込んで行った。
そして商船へ移った蓮姫達が目にしたのは、激しく交戦する海賊達と貴族の護衛達。
そして………甲板の隅に蹲る、鎖で繋がれた人間達だった。
10人程いるその者達は、男もいるが比較的に女子供が多い。
彼等は全員がみすぼらしいボロ布のような服を着せられ、手足は痩せ細り、顔も頬が痩けている。
子供も大人も関係なく、細い手足や顔にはいくつもの青い痣や赤く腫れ上がった痕。
鉄製の首輪と手錠を着けられ、同じく片足に付けられた鉄製の足枷から長い鎖が伸び、全員が繋がれていた。
怯えてガタガタと体を震わせる者、目を閉じて手を合わせ『…神様……神様…』とひたすら祈りを捧げる者…泣いている子供達。
あまりにも異様で、痛々しい姿の彼等を見て、蓮姫は咄嗟に口に手を当てて息を呑んだ。
「っ!?あの人達は……」
「なるほど。これはただの商船ではなく…奴隷船だったようですね」
「……奴隷…」
ユージーンの言葉に顔を真っ青にする蓮姫。
蓮姫も奴隷の存在は知っている。
想造世界の歴史でも、そして現在でも、奴隷は確かに存在し、また売買されているのだから。
とはいえ、基本は安全で平和な国の日本で育ち、普通の高校生だった蓮姫。
歴史の授業やニュースで知る事はあっても、その存在を間近で見た事はない。
しかしその乏しい知識からも、今目の前で怯える彼等を見るだけでも、奴隷という存在がどのような扱いを受けているのかは嫌でも分かる。
「なんで…奴隷なんて!奴隷制度は撤廃されたんじゃ!?」
蓮姫は震える唇から必死に言葉を吐く。
蓮姫がこう語るのは、王都にいた頃に勉強した内容を覚えていたからだった。
(確かに…この世界にも奴隷制度はあった。でもそれは撤廃されたはず。そう命令した女王がいたって…ユリウスとチェーザレに聞いた。…公爵邸の家庭教師から貰った歴史書にも書いてあった)
この世界にも昔から奴隷や人身売買はあったが、かつて『人身売買の禁止』『奴隷制度の撤廃』の勅命を四代目の女王が世界中に出している。
だから王都でも、今まで蓮姫達が滞在した国や土地にも、奴隷はいなかった。
そんな蓮姫の言葉に反応したのは、従者の中でも特に世界の情勢に詳しい火狼だった。
「そりゃ王都の話、クイン大陸の話さ。他の大陸や国じゃ未だに奴隷や人間の売買はあるよ。勿論、陛下にバレると面倒だから秘密裏に処理されるけどね。でもさ…ブラウナードだけは違うんよ。この国には何処よりも根強く奴隷文化があった。ほら、あそこの使用人達見てみ」
火狼に促された方向を見ると、怯えて立ちすくむ、奴隷とは違いちゃんとした衣服をまとうメイドや使用人達。
だがその使用人達にも、奴隷と同じ物が付いている。
「え?………同じ首輪?」
「そう。ブラウナードの王族や貴族は今でも普通に奴隷を使ってる。あの使用人達も元々は奴隷さ。四代女王陛下が在位中は確かに奴隷を解放したけど、その女王様がいなくなった後、ブラウナードの王侯貴族は奴隷制度再開の署名を集めた。で、それを五代女王…先代の女王陛下は許可したからね。結局ブラウナードは元通りになっちまったのよ」
(そういえば……牡丹姐さんは人買いに売られた、って言ってた。この世界には…まだ奴隷も人買いもある。でも……こんな扱いを同じ人間から受けるなんて!それも裏の人間だけじゃない!王族や貴族が正当化してるなんて!)
蓮姫の中にはどうしようもない強い悲しみと怒りが湧き上がる。
一度は撤廃された悪しき制度を、何故また復活させたのか、と。
「どうして?奴隷制度は一度、撤廃されたのに。…どうしてまだ奴隷を使いたいなんて思うの?」
「どうしてってそれは……便利だからだよ。奴隷には給料もいらない。飯と寝る場所と最低限の服だけ与えて、後は死ぬまで働かせる。それが奴隷」
「そんな非人道的な事が……許されてるの?どうして?……なんで?」
蓮姫には理解出来なかった。
理解したいとも思わない。
そんな蓮姫に今度はユージーンが冷静に、そして淡々と答える。
「姫様もご存知でしょう?王侯貴族などの上流階級の人間は、自分より格下の人間を徹底的に蔑み、見下し、差別すると。奴等は奴隷を人間だと思ってません。奴隷は便利な使い捨ての道具。一度便利な道具を使ってしまえば、人間は簡単に手放せない。手放しても、また欲しくなるんです。そして王侯貴族なら、それが許されている」
それはあまりにも身勝手な理由であり、真理でもあった。
ユージーンの言葉に、蓮姫の頭にはカッ!と血が上る。
ユージーンは蓮姫の問いに答えただけで何一つ悪い事などない。
しかしその言葉に、蓮姫が納得など出来るはずもなかった。
だが蓮姫が怒るより先に、ある者がユージーンへ怒鳴る。
「許されてたまるかっ!!」
「キラっ!?」
貴族の護衛達と戦っていたキラは、いつの間にか蓮姫達のすぐ近くに移動していた。
なので蓮姫達の会話が聞こえていたのだろう。
キラはあの美しい顔を怒りで歪めている。
「奴隷なんて制度!あっていいはずない!誰だろうと!同じ人間の尊厳を奪う事なんて許されるはずない!」
それはキラの心からの叫び。
自分の中の感情を抑えず怒鳴るキラだったが、その顔はまるで泣いているようだと蓮姫は思った。
「奴隷だって人間なのに!同じ人間から人間として扱われない!そんなの……そんなのって!どう考えてもおかしいだろっ!!」
そう怒鳴るキラは、目の前の貴族を睨みつける。
だがキラの脳内には目の前の貴族や護衛達ではなく、別の光景が映っていた。
『母上っ……怖い。怖いよ…母上ぇ…』
『お願いします!私はどうなっても構いません!ですからこの子は!この子だけは!』
『チッ。うるせぇんだよ!奴隷の分際で!!』
『奴隷が人間様に意見してんじゃねぇっ!こいつっ!』
『キャアッ!!』
『母上っ!!やめて!母上に酷いことしないで!』
『あぁ!?うるせぇガキだ!てめぇも殴られてぇのかっ!』
『光っ!!』
それはキラが……まだ子供で『光』という名前だった頃の記憶。
キラの脳裏には、かつて母と共に受けた痛みや苦しみ……辛く悲しい過去が蘇る。