海へと 2
謁見の間を出た蓮姫一行は、蓮姫とユージーンに用意された部屋に集まっていた。
「『海賊王討伐』……か」
蓮姫がポツリと呟くと、あからさまにユージーンがため息を吐き、いつもの嫌味を言ってきた。
「はぁ~~~…どうしてこう次から次へと厄介事が…」
「うぅ……すみませんでした。私のせいです。私が首突っ込んだせいで、皆に迷惑かけてます」
ユージーンの嫌味に肩を落とす蓮姫だったが、そんな主にユージーンは満面の笑みを向ける。
勿論、これも彼の嫌味だが。
「いえいえ。別に姫様を責めてる訳ではありませんので。我々の旅は望んでもいないのに波乱万丈だなぁ、と思っただけですので。姫様はお気になさらず」
「無理。だってそれ絶対嘘じゃない。怒ってるし、ため息までついて」
「心外ですね。俺をどこぞの犬みたいに嘘つき呼ばわりとは」
「そこに俺出さんでくれる?」
ユージーンの矛先が自分に変わり、火狼はすかさず突っ込んだ。
蓮姫とてこうなってしまった責任は感じている。
感じているが……闘技場はともかく、今回の件は蓮姫だけの責任とも言えないので、ユージーンも蓮姫を強く責めたりはしない。
蓮姫が最終決定したとはいえ、ほぼエメラインに押し付けられた感も否めないからだ。
それがわかっているのに、しっかりと嫌味を言うユージーンの方が問題だ……と火狼も残火も思っているが、ユージーンが怖いので何も言えない。
「……にしても…まさか海賊王の討伐を頼まれるなんて」
天井を仰ぎ見ながらポツリと呟く蓮姫。
海賊王の話は聞いていたが……まさかそんな者を自分が討伐する…戦う事になるなど、夢にも思っていなかったからだ。
「あの女帝は、姫様を都合よく利用しているだけでしょう。本当に食えない女です」
「しっかし海賊王の討伐依頼なんてさ、普通は姫さん…弐の姫様に頼む事じゃないっしょ」
「何言ってんのよ。あの女帝は全然普通じゃないじゃない。ほら、未月もそう思うでしょ?」
「…俺?……普通…わからない」
「そこは『うん!』って頷けばいいの!」
蓮姫の言葉に従者達はそれぞれの反応を見せる。
未月の反応など考えなくても分かりそうなものだが、残火はまた望んだ返答を貰えずにプリプリと怒る。
そんな従者達を苦笑して眺めながらも、蓮姫は彼等に確認するように話し掛けた。
「あの閉鎖されたアビリタにも海賊王の話は届いていた。つまり海賊王の存在は世界中が知ってる。彼はそれほどまでの要注意人物……ううん。危険人物ってことだね」
「おい、犬。海賊王について何か知ってる事は無いのか」
「ん~と……そうね。だいたいは大和で聞いた話と同じだわ。『めっちゃ強い』『貴族所有船や豪華な商船とかのでかい船ばかり狙う』『海賊王は化け物級に強くて手下達も強い』とか」
「化け物級に強い……海の男…」
火狼の説明を聞き、何故か蓮姫の脳裏には筋肉隆々で日に焼けた肌をした上半身裸の男が浮かぶ。
もっと他にも海賊のイメージはあっただろうに、何故か日焼けしたゴリゴリマッチョを想像した自分に、蓮姫は軽く落ち込んだ。
「うぅ………勝てるかなぁ?勝たなきゃダメなんだけど。せめて話し合い出来る相手なら…」
「話し合いしないで略奪するから『海賊』なんですよ。そもそも自分達を討伐するって相手と、にこやかに談笑なんて誰も出来ないでしょうに」
「正論ばっかり言わないでよ、ジーン」
ユージーンに対してブスリと頬を膨らませる蓮姫だったが、そんな蓮姫を火狼が宥める。
「まぁまぁ。姫さんもそんな心配すんなって。女帝様も言ってたじゃん?姫さんには俺達従者がついてる。オリハルコンの短剣も持ってる。想造力も使える。ね、ダイジョブ、ダイジョブよ」
「そういえば……この短剣って」
コンコン
蓮姫が火狼の言葉で何かを思い出したその時、扉を叩く音が響く。
蓮姫が入るよう促すと、使用人が部屋へと入ってきた。
「失礼致します。夕食の準備が整いました」
「え?もうですか?まだ夕方ですよ?」
「明日は早朝の出発となりますので『早めに食事と湯浴みを済ませ、休めまれるように』と、陛下からのご命令です」
「勝手に色々決めてくれますね。まぁ、タダ飯なんで文句は言いませんよ。あ、食事は昨日の倍出してもらえますか。海に出る前にしっかり食べたいので」
「ば、倍ですか?わ、分かりました。少々お時間を頂ければ順々にお出ししますので」
ちゃっかりと食事をたくさん要求するユージーンに、今度は蓮姫がため息をつく。
使用人達が食事を運んでいる間、蓮姫は今度こそ、気になっていた事を火狼に尋ねることにした。
「ねぇ、狼。この短剣…朱雀の刺客が持ってたんだけど。これってそんなに凄い短剣だったの?もしかして…星牙の剣みたいに、朱雀の家宝とか?」
蓮姫は腰のベルトに差していた短剣を抜き取ると、火狼へ見せる。
蓮姫の持つこのオリハルコン製の短剣。
元々は彼女を襲った朱雀の者が持っていた。
オリハルコンなのは知っていたが、それほどまでに貴重な物ならば、朱雀にとっても大事な物だったのではないか?
そう考え尋ねた蓮姫だが、火狼は首を横に振る。
「うんにゃ。違うよ。もしそうなら、俺はともかく残火が姫さんに言うっしょ。あいつ俺より朱雀に拘ってるしね」
「それもそうか。じゃあ……持ってた人にとって大事な物だったのかな?」
「それも違うんだな~。ソレを手に入れた奴は、依頼の途中でそれ見つけたのよ。どこぞの露店……あれ?報酬の中の金銀に混ざってて?いや、退治した魔物が飲み込んでたんだっけ?とにかく、そいつは偶然ソレを見つけて手に入れただけだわ」
なんとも軽く話す火狼。
しかもこの短剣に関する話を大して覚えていないらしい。
「そうなの?……特注品とか特別な物じゃなくて?たまたま手に入れただけ?」
「うん。そうそうお目にかかれるもんじゃないし、作ろうと思って作れるもんでもないしね。材料もだけど、相当な魔力も必要なんさ。人間にはほぼ無理じゃねぇかな?旦那でも作れるかどうか…」
「今更だけど…そんな凄い物、私が持ってていいのかな?元々朱雀の人が持ってたなら、朱雀に…頭領の狼に返した方がいい?」
「うん?確かにオリハルコン純度100パーってのは、めっちゃ珍しいし、めっちゃ凄いよ。前の持ち主が手に入れて自慢してた時も『頭領に差し出すべきだ』とか言う奴もいた。でも俺いらないしね」
蓮姫の言葉にキョトンとしながらも、火狼はしっかりと蓮姫からの申し出を断った。
その言葉に今度は蓮姫がキョトンとする。
「いらないの?」
「うん。別にいらないし興味無いよ。だからこのまま姫さんが持ってていんじゃね?」
「…いいの……かな?それも今更だけど…」
「いいって。あのさ姫さん。ソレがどんな風に作られたのか?どんな奴が作ったのか?そんなん知らんけど、巡り巡って今は姫さんの所に来た。弐の姫である姫さんの元にね。だから姫さんが持ってていいんだよ。今の持ち主は姫さんなんだからさ」
蓮姫が気にしないように、遠慮などしないように、明るく軽く話す火狼。
彼にとってこの短剣はどうでもいい物だし、蓮姫が持つならそれはそれでいいと思っていたからだ。
何故、この短剣が蓮姫の元に巡って来たのか?
それはただの偶然だったのかもしれない。
必然だったのかも……運命だったのかもしれない。
それでも、火狼が言う通りこの短剣は巡り巡って今はここにある。
本来の持ち主と同じ存在でもある……蓮姫の元に。
だがそんなこと、今の蓮姫は何一つ知らないし、知る術もない。
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えてこのまま貰います」
「別に俺に断らんでもいいのに。ホント姫さんて律儀よね。うん。そゆとこも大好きよ」
「はいはい、ありがとう。じゃあ後は食べよっか」
「あいよ」
話がまとまったので、蓮姫と火狼は仲間達と共に既に食事の並ぶテーブルを囲んだ。
彼女は明日から始まる『海賊王討伐』に向けて、今はただ仲間達と共に英気を養う。
蓮姫達がエメラインから『海賊王討伐』を依頼されたその日。
天馬将軍久遠は、帝に呼ばれ王都から大和へと来ていた。
帝からの手紙には『至急』、そして『今の大和にとって何よりも優先すべき重大任務を頼みたい』と手紙に書いてあった為、久遠は天馬に乗り最速で大和へと向かった。
自分のもう一つの故郷とも言える大和で何かあったのか?という不安や心配を抱きながら。
しかしそんな久遠に対して放った帝の一言は、以前と同じ……いやそれ以上に久遠を落胆させるものだった。
「……帝?今なんとおっしゃいました?」
「光の君を探して連れ戻すのだ!この大和に!朕の元に!」
相変わらず訳の分からない事、そして自分勝手な要求を突きつける帝の言葉に、久遠の眉間には普段の三倍は皺が寄る。
「光の君様は12年前に流刑となられました。先の帝の命で流刑となった方をなんの理由もなく連れ戻すなど、今上帝でも許されぬ事です。そもそも生きているかどうか」
「生きておる!朕の弟!光の君は生きておるのだ!」
「……その根拠は?」
「先日!陰陽師が朕に申したのだ!光の君の放つ命の輝きは失われていないとな!その光は近々大きな光と邂逅し、更に光り輝くだろうと!」
(陰陽師……ただの占い師とも言える者の言葉を信じるとは。しかし光の君様が流刑となったのも、ある陰陽師の言葉がきっかけ。大和にとって陰陽師の存在は大きい。……それにしても、今度は一体何を考えているのやら)
久遠は帝への不信感、嫌悪感を募らせる。
ただでさえこの帝は、久遠が良く思っていない相手の一人だ。
将軍である職務を、一時的だが放棄してまで駆け付けたというのに……その内容があまりにも幼稚であり、自分勝手なもの。
「久遠よ!そなたは優秀だ!この大和においても!女王陛下のおわす王都においてもだ!そんなそなただからこそ安心して任せられる!託せるのだ!そなたなら必ずや!光の君を連れ戻せると!朕は信じておるぞ!」
「謹んでお断り致します。弟君が大和に戻られれば、再び弟君を支持する者が現れ、大和は乱れるでしょう。それに私は五将軍の一人、天馬将軍。女王陛下の許しなく勝手な事は出来ません。それもただの人探しなど」
「ならば朕が直々に女王陛下に頼もう!恋愛に関しては寛容な方だ!朕の想いを聞けば久遠を大和に貸してくれるだろう!いやきっと久遠を返してくれる!弟を愛する朕の為に!」
また突拍子のない事を言い出す帝だったが、久遠は怒りを抑えて冷静に聞き返す。
「どういう意味でしょう?」
「朕は光の君を弟ではなく、一人の人間として愛しているのだ!だからこそ連れ戻す!朕の弟ではなく!妃として!!」
「…………………は?」
帝のとんでもない告白と宣言に、久遠は間抜けな声を出して固まる。
それもそうだろう。
あの久遠ですら固まるのだ。
誰であれ、こんな馬鹿げた事を吐かす帝に驚きを隠せない。
しかし久遠の様子などまるで気づいていない帝は、興奮したまま更に叫び続けた。
自分の熱い想いを。
「あやつの美しい顔!清らかな心!白磁のような肌!目元のホクロですら愛おしい!あのかぐや姫との出会いで朕は思い知ったのだ!愛に性別も!血の繋がりも関係ないのだと!」
「性別はともかく、血の繋がりは関係ございます。そもそも弟君を妃の一人にするなど、帝が大和の天子だろうと許されません」
「何を言う!かつて大和の帝は!妹であれ!叔母であれ!娘であれ自分の妃としていた!歴史が証明しているのだ!愛があれば何も問題は無いのだと!」
「それは愛が理由ではなく、権力の分散を防ぐ為の処置に過ぎません。それも何代も前の帝……いえ、女王陛下ですら何代も前になる大昔の話です。現代では臣下の反対も民の反対も目に見えております。当然、私も帝の民として断固反対致します」
「ぐ、ぐぬぬ。しかし久遠!」
唸る帝に対して、久遠は務めて冷静に、そして淡々と正論を突きつける。
この帝は自分本位の考えしかせず、反対意見など聞こうともしない男だが、久遠は彼のお気に入りでもある為、久遠の言葉だけは昔から素直に聞いていた。
それを久遠も知っているので、更に言葉を続ける。
「それに光の君様はブラウナード領の港町へ流刑となり、そこで桐壺の更衣様と共に海賊に襲われたという話。仮にその陰陽師の言葉通り生きていたとしても……奴隷として売られた後でしょう。手がかりなど皆無では?」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ!!」
帝は怒りで顔を真っ赤に染めるが、その怒りの矛先は目の前の久遠ではなく……別の者へと向かった。
「ええい!!こうなったのは全てあやつのせいだ!あの陰陽師!あやつが全て悪いのだ!あやつが『光の君に帝の座など相応しくない。海で平凡に暮らすが似合う者だ』などとふざけた事をぬかしたから!」
帝が言う『あの陰陽師』とは、光の君が生きていたと告げた陰陽師とは、別の者。
何故なら光の君を流刑へと追いやったその陰陽師は、この帝によって陰陽師の職も位も剥奪され、今は大和の隅で隠居しているから。
その陰陽師は大和の歴史上、誰よりも優秀であり、誰よりも力のある陰陽師。
大和の民なら誰でも知っている。
勿論、この久遠も。
「何が稀代の陰陽師か!?朕から光の君を!愛する弟を奪ったくせに!今すぐにでも殺したい!何度でも殺そうとしたというに!何故あやつは今も生きておるのか!?」
(その陰陽師……確か)
久遠は立ち上がると、怒り狂って何も見えず、何も聞こえなくなった帝に形だけの挨拶を済ませ、足早に内裏から去った。
そして外に出ると、待機させていた副官や数名の部下へと声を掛ける。
「帝との話は終わった。もう大和に用はない」
「はっ!では王都へと戻られますか?」
「いや。少し寄る所が出来た」
「さようにございますか。では我々は先に宿へ戻って休ませて頂きます。行くぞお前達。」
「はい!」
「…………何?」
副官の言葉に久遠はまた眉間に皺を寄せた。
彼等を連れて来たのは、帝から火急の用とあった為、何かあっても即対処出来るようにという理由から。
なのに彼等ときたら、久遠に話を聞こうともせず、ついて行こうともしない。
付いてこられても邪魔なだけだが…。
そもそも将軍がもう大和に用が無いと言っているのだから、自分達だけでも戻るべきか?共に行動すべきか?
何かしらの伺いを立てたり、指示を仰ぐべきだろう。
なのに彼等はそれすらせず『さっさと宿に戻って休みたい』と言う。
久遠が束ねる隊は、将軍である彼と同じくらい厳しい規律があり、訓練も相当なものだ。
しかし最近は壱の姫から逃れる為、久遠は何でもかんでも自分だけで任務をこなしてきた。
討伐も街の護衛も、末席の隊員達の指導まで一人で行っている。
それ故に、久遠の次に偉い立場の彼等はやる事が無くなり、今ではだらけきっていた。
(これが彼なら………こうではなかっただろうに)
久遠は脳裏に一人の部下を思い浮かべる。
その部下は、軍人としての実力は勿論、女王陛下に仕える事に誇りと生きがいを持っていた。
そして家族を……二人の妹を深く愛し、彼女達にとっても良き兄だった。
自分にとっても、良き部下であり、今までのどの部下より、どの副官より優秀だった。
彼はカインと同じくらいに久遠が認め、信頼している………いや、信頼していた男だった。
「将軍?いかがされました?」
「………いや。ただ………そうだな。彼は今頃どうしているか、と思っていた」
「彼とは……っ、まさか!前の副官ですか!?」
副官…いや、正確には今の副官の男がそう口にすると、周りの部下達まで騒ぎ出した。
「あんな醜い!顔の抉れた化け物のような男!いなくなって良かったではありませんか!」
「そうです!それにアイツは妹達が自殺して頭がおかしくなったんですよ!?あんなイカれた男の事など!将軍が気にされる必要はありません!」
「そもそもあいつはどこの生まれかも分からぬ孤児!貴族どころか王都の人間ですらありませんでした!将軍は奴の剣の腕前を認め副官とされましたが!元々奴ごときには分不相応だったんです!将軍に相応しい副官は私!子爵家の息子であるこの私です!」
前の副官の悪口をこれでもかと告げる部下達に、久遠は帝に感じた以上の嫌悪感を抱く。
彼の見た目や生い立ちで勝手に偏見を抱く彼等が……かつて弐の姫というだけで蓮姫を拒絶していた自分にも重なって見えたから……余計に。
「………お前達…やはり王都へ戻れ。全員。今すぐに」
「将軍っ!?」
冷たく言い放つ久遠に、部下達はビクリと体を震わせた。
唯一、副官である彼は納得いかないようだったが、そんな彼にも淡々と久遠は言葉を告げる。
「お前もだ。そこまで自分こそ将軍の副官に相応しいと言うのなら、王都に戻り軍の者として相応しい振る舞いをしろ。女王陛下直属の軍人に恥じぬ振る舞いをな」
「か、かしこまりました」
副官の返事を聞くと、久遠は彼等に背を向けて歩き出した。
部下達に背は向けているが、彼等に向けてある一言を放ちながら。
「お前達は……彼に遠く及ばない。軍人としても、一人の人間としてもな」