海へと 1
蓮姫達が優勝した、あの闘技場開催日の翌日。
更に言うと、エメラインが20年ぶりに愛しい男と再会した夜の前日。
蓮姫一行はエメラインに呼ばれ、使用人に案内されるまま、初めて彼女と会った謁見の間に来ていた。
「ここでお待ち下さい」
「はい。案内して頂き、ありがとうございました」
「………………いえ。命令ですので」
(う~ん。………なんか朝から城の人達が冷たいというか…視線が痛い気がしたんだけど……やっぱり気のせいじゃない)
何故か使用人達が昨日と比べて蓮姫達…特に蓮姫に冷たい態度をとっているが、蓮姫はとりあえず追求もせずこのままエメラインを待つ事にした。
蓮姫は自分達が呼ばれた理由は、恐らく前日にエメラインが言っていた『盃を交わし姉妹の契りを結ぶ行事』の為だと思っていた。
あれだけウキウキとしていたエメラインの様子からして、彼女が蓮姫と姉妹になる事に乗り気なのは間違いない。
蓮姫本人もエメラインと共にその行事を行うつもりであり、従者達もそれに立ち会い、彼女達を見守るつもりだった。
だが………遅れて謁見の間に現れたエメラインから告げられたのは…意外な言葉。
「え?………盃を交わせない?今日の行事は中止?」
「そうなのよ。ごめんなさいね、蓮姫ちゃん」
申し訳なさそうに眉根を下げて謝るエメライン。
何故昨日の今日でこうも意見が変わってしまったのか?
何処かひっかかりのような物を感じる蓮姫だったが、彼女より先に蓮姫にとって一番の従者であるユージーンが口を開く。
「何が『ごめんなさいね』ですか。先に盃の件を提案したのはそちらのはずですが?強国ギルディストの女帝ともあろう方が、こんなにも簡単に手のひらを返されるとは…呆れてものも言えませんね」
「こら!ジーン!」
「いいのよ蓮姫ちゃん。ユージーンさんのお怒りはもっともだわ。でもね…私も残念で仕方ないの。せっかく蓮姫ちゃんのお姉様になれると思ったのに」
残念で仕方ない…というのは彼女の本心らしく、エメラインはあからさまに肩を落としていた。
「従者の無礼をお許し下さい、エメル様。ですが…何故急に中止になったんです?」
「はぁ………。そうね。まずはそれを説明しなくてはいけないわね」
とりあえずは理由を聞かなくては納得出来ない。
エメラインの様子からして、行事の中止は彼女の意思ではない事もわかったから余計に。
そう考え尋ねた蓮姫だったが、エメラインはため息を一つ吐くとパンパンと軽く手を叩く。
すると一人の親衛隊がこの部屋に入って来た。
何故かかなりの量の書類を両手に抱えて。
「これはね……全部、私と蓮姫ちゃんの盃を反対する人達の署名なの。親衛隊に騎士団、更には大臣や貴族…この城の使用人に至るまでね」
「えっ!?これ……全部ですか?」
エメラインの言葉に蓮姫はまじまじと親衛隊達の持つ署名の紙を見つめた。
エメラインは一番上の紙を取ると、署名した人間の名前や役職をつらつらと読み上げた。
蓮姫達には知らない名前ばかりだが、確かに大臣やら貴族やらが署名しているらしい。
一枚の紙に何人も。
そしてこの親衛隊が持つ紙は100枚…いや200枚はゆうに超えている。
これだけの人間が、自国の女帝と弐の姫である蓮姫が盃を交わす……姉妹の契りを結び、深い関係となる事を反対しているのだ。
使用人達の態度もこの署名が原因だろう。
驚く蓮姫と残火だったが、火狼もまた嫌そうに顔を歪める。
「うっわ~。こんだけの人間に反対されたら、皇帝様は無視も強行突破も出来ないわな。しかも相手は『弐の姫』だし……って、ごめん!俺が悪かった!言い方めっちゃ悪かった!謝るから!そんな睨まないでよ旦那!」
ユージーンが射殺す程の眼光で火狼を睨みつけている間、蓮姫は自分とエメラインの盃が反対される理由に想像がついた。
奇しくも……悪い言い方をした火狼の言葉によって。
「すみません、エメル様。やっぱり私が弐の姫だから、皆さんから反対を」
「いいえ。違うわ。蓮姫ちゃんが弐の姫だからではないの。弐の姫という肩書きは一切関係ない。むしろ原因は……蓮姫ちゃんそのものであり、昨日の闘技場が原因だから」
「昨日の闘技場が原因?」
「また訳の分からない事を。姫様を闘技場に無理矢理参加させたのもそちらでしょう。しかし姫様は、その闘技場を優勝しました。女帝である貴女に勝って。それの何処が理由になるんですか?」
エメラインの言葉に困惑する蓮姫、そして苛立ちを隠さないユージーンだったが、エメラインは紙を親衛隊に戻すと、こうなった経緯を説明しだした。
「ユージーン殿のおっしゃる通り、昨日の闘技場で蓮姫ちゃんは優勝しました。でもね蓮姫ちゃん……思い出して。闘技場での蓮姫ちゃんの戦いを」
「私の戦い…………あ」
エメラインに促され、蓮姫は弐の姫である以外に自分が反対される理由に思い至った。
「自覚はあるのね。そう。蓮姫ちゃんは一日目、必要最低限の戦い方しかしなかった。二日目は自分の力ではなくマリオネットを使い、ユージーンさんの力を借りて戦った。極めつけは私との決勝戦。三回まで使用許可していた想像力を、蓮姫ちゃんは四回使用していたのよ。無意識で使ったとはいえ、蓮姫ちゃんは女帝である私との約束を破ってしまった」
「そう……ですね。私は神聖なる闘技場において、最低な戦い方をしたと思います」
「私は凄く楽しめたから咎めるつもりなんて無かったわ。何より蓮姫ちゃんをより良く知れて、更に好きになれたもの。蓮姫ちゃんの不正に気づいた親衛隊や騎士団達も納得なんてしていなかったけど、蓮姫ちゃん達は直ぐにギルディストを出る存在だから黙認しようとしてた」
そこまで言うと、エメラインはまた眉を下げて申し訳なさそうに言葉を続ける。
「でもね……そんな蓮姫ちゃんと私が…ギルディストの皇帝が深い繋がりを持つ事を、彼等は良く思わなかったみたいなの。認められない、って。昨夜の話を聞いた親衛隊が直ぐに騎士団や大臣、貴族を集めて闘技場で行った蓮姫ちゃんの不正……もとい戦法全てをバラしてしまった」
エメラインの言葉に、ユージーンや火狼は昨夜の晩餐での様子を思い出す。
確かに控えていた親衛隊の数名は、エメラインの話を聞いた直後、コソコソと何やら話し合い晩餐会場から出て行った、と。
「反対されるのは予想していたけれど……まさか一晩でこんなに署名が集まるなんて。……こればかりは私も予想外だったわ。本当にごめんなさいね」
「……いえ。エメル様が謝ることなんて……何もありません。全部私のせい…私の責任ですから」
謝るエメラインに、蓮姫もまた悔しそうに頭を下げた。
全ては蓮姫が未熟であるが故。
全てはあのような戦い方をした蓮姫の責任。
強さに拘り、強者の戦いを好み、強さを誇るギルディスト国民だからこそ蓮姫は認められなかったのだ。
弐の姫だから反対されたのではない。
蓮姫本人の戦いを見たからこそ、蓮姫がどういう弐の姫かを判断したからこそ、彼等は蓮姫を認めず、皇帝と結ぶ姉妹の契りを反対している。
「そう落ち込まないで、蓮姫ちゃん。それに私は…蓮姫ちゃんと盃を交わす事を諦めていないのよ」
「エメル様?」
「認められいのなら……認めさせればいいの。うふふ…そうは思わない?」
今度は楽しげに微笑むエメライン。
ユージーンと火狼は、またエメラインが良からぬ事を考えている。
蓮姫に面倒で、おかしな提案をすると悟ったが、彼等より先にエメラインが口を開いた。
「誰もが認める功績があれば、ギルディストの民は誰も文句を言わなくなるはず。蓮姫ちゃんが認められれば、誰も私達の盃を反対しないわ」
「誰もが認める功績…ですか?」
「えぇ。だから……私からのお願いを聞いてちょうだい。これはギルディスト皇帝から、弐の姫である蓮姫ちゃんへの正式な依頼よ」
「依頼?」
「今度は姫様に何をさせるおつもりですか?」
イライラした様子のユージーンにも全く怯まず、エメラインは蓮姫の従者達へと視線を向けた。
「うふ。勿論、蓮姫ちゃんだけではないわ。皆さんも一緒に行ってほしいの……海に」
「海?」
何故海なのか?
自分に何をさせるつもりなのか?
そう疑問を抱く蓮姫に、エメラインは満面の笑みで……とんでもない依頼をしてきた。
「海賊王を討伐してきて」
「えぇっ!!?」
蓮姫はエメラインの提案…言葉を聞いて驚き、声を上げる。
対するエメラインはニコニコと満面の笑みを全く崩さない。
それはもう楽しそうに、名案だとでも言いたげに。
そして蓮姫にとってはとんでもない提案でも、エメラインは簡単に、まるでおつかいでも頼むような雰囲気で話している。
「え、エメル様?海賊王の討伐って?」
「実はね、数年前からブラウナード国王から要請があったのよ。『ブラウナード近海にいる海賊王の一派を討伐してほしい』とね。手紙には『海賊王とその一派は、野蛮極まりなく極悪非道な者達の集まり。いくつもの商船や貴族の持つ船を沈めたり、金品や乗組員…そして商品を強奪している』とあったわ」
「海賊王はブラウナードに近い海にいるんですか?でも数年前からって…」
蓮姫が気になったのは『数年前』という部分。
数年前から要請されていたのに、未だ討伐出来ていないのなら…その海賊王は強国ギルディストですら手に負えない相手なのでは?と。
エメラインですら手に負えない相手を、自分達が討伐するなど……蓮姫にはかなりの無理難題かと思えた。
しかしエメラインからの返答は、またも意外なもの。
「えぇ。でもずっと私はその要請を断っていたの。確かにギルディストは強者との戦いを望んでいるけれど……討伐の報酬が、金銀財宝や、我が国に劣るブラウナードからの人員派遣なんて…あまりギルディストにとって利を感じられなくて」
はぁ……とため息を吐くエメライン。
だが次には楽しそうな笑顔を再び蓮姫へと向ける。
「でもね、今回またブラウナード国王から手紙が来たの。『見事海賊王を討伐してくれたなら、ブラウナード領の海、そして領土にある港町を一つギルディストに差し出す』とね」
「ブラウナード領の港町と海を?」
「えぇ。今までは海賊王討伐に、なんの魅力も感じなかったわ。でも海が手に入るとなれば話は別よ」
ギルディストとはユラシアーノ大陸にある国だが、周りは荒野であり海からも離れている。
少し行けば山や森、川はあってもギルディストの領土に海はない。
そこにブラウナード国王、そしてエメラインは目をつけたのだ。
海というのは宝の山とも言える。
海産物は食料としても装飾品としても利用できるし、何よりその商売の利益はかなりの物にもなるだろう。
海が手に入ればギルディストが更に栄える事は間違いない。
「私達はこの要請を今度こそ受けた。そしてその重要任務に、弐の姫であり私の友人でもある蓮姫ちゃん…貴女に行ってほしいの」
「重要な任務なのは分かりましたが……それなら尚のこと、私ではなく信頼出来る騎士団や親衛隊を任命した方がよろしいのでは?」
「あら?私は蓮姫ちゃんをとても信頼しているわ。それにね、強い海賊王を討伐し、その結果ギルディストに利益をもたらしたとなれば……ギルディストでの蓮姫ちゃんの評価は、格段に上がるわ。反対意見もこれで下げられる。ね。ギルディストにとっても、蓮姫ちゃんにとっても悪い話ではないでしょう?」
確かに、この話は蓮姫にとっても、ギルディストにとっても悪い話ではない。
昨日の盃の件を無しにしても、蓮姫はギルディストからの信頼を得られるし、ギルディストは海を得られる。
お互いにとって利益しかない。
だがその最低条件が『海賊王の討伐』。
蓮姫も海賊王の存在は知っており、詳しく教えてくれたかぐや姫達の話を覚えていた。
海賊王とは、海に巣食う化け物すら相手にしない者だ、と。
海賊王の話を思い出し不安を抱く蓮姫だったが、そんな彼女の手をエメラインはそっと握りしめる。
「大丈夫よ。蓮姫ちゃんは強いわ。ギルディストの皇帝である私が保証します。それに蓮姫ちゃんにはユージーンさんや、従者の皆さんもいらっしゃるでしょう。特別なオリハルコンの短剣もあるし、想造力だって使える。私は何も心配していないのよ」
そう話すエメラインの声はとても柔らかく、その笑みも慈母の如き優しさに満ちていた。
エメラインという女の本性を知っている蓮姫ですら、見惚れるほどに。
「蓮姫ちゃん。ギルディストの皇帝として、貴女の友としてお願いします。『海賊王討伐』の件。是非、受けて下さいな」
エメラインが改めて告げると、蓮姫は意を決したようにエメラインの手を握り返した。
「分かりました。私は弐の姫として、ギルディスト皇帝エメライン様からの海賊王討伐の命……謹んでお受け致します」
「うふ。それでこそ蓮姫ちゃんね」
二人の話がまとまると、あからさまに不機嫌顔になるユージーン。
あちゃ~、と片手で顔を覆う火狼。
そしていつも通り無反応の未月。
残火は蓮姫の判断を英断と思ったのか、尊敬の眼差しでパチパチと拍手をしている。
本当にそれぞれが、それぞれの反応を見せる蓮姫の従者達。
だが蓮姫の決定を誰一人として否定する者はおらず、だからこそ今まで誰も口を挟まなかった。
ただ一人ユージーンは口を挟んでいたが……それでも後半は黙って蓮姫や彼女の意思に従う姿勢を見せていた。
正直ユージーンとしてはまだまだ口を挟みたくて仕方なかったし、そもそもエメラインからの提案に納得などしていない。
とはいえ、皇帝からの正式な依頼を断れば、ギルディストでの蓮姫の印象は更に悪くなる。
巡り巡って、世界にもまた悪評として流れる可能性だってあるのだ。
主である弐の姫の蓮姫本人ではなく、従者でしかないユージーンが勝手に断れば尚のこと。
だからこそ一度黙る、という判断をしたユージーンだったが……結果、どう転んでも彼は不機嫌になり納得などしなかっただろう。
「親衛隊に命じて準備してもらうわね。善は急げとも言うし、出発は明日の朝にしましょう。今日はゆっくりと休んで、明日の為に英気を養ってちょうだい」
エメラインは蓮姫から手を離すと、意気揚々と蓮姫一行へと告げる。
話はまとまった、これでこの話は終わった、と判断した蓮姫もそれに従うことにした。
「はい。ではエメル様……これで失礼致します」
「はーい。またね、蓮姫ちゃん」
蓮姫達はエメラインに一礼し、謁見の間を出て行く。
すると彼女達と入れ替わるように、騎士団長であるサイラスが入ってきた。
サイラスは皇帝であるエメラインに一礼すると、その口を開いた。
「弐の姫様は陛下のご命令を受けられたのですね」
「えぇ。蓮姫ちゃんならきっと、受けてくれると信じていたわ」
「ですが………よろしいのですか?陛下がずっとこの要請を断られていたのは……海賊王とその一派が」
躊躇いつつ何かを告げようとするサイラスだったが、エメラインはそれを遮るように言葉を重ねた。
「いいのよサイラス。海賊王さん達の事は、私も貴方も…親衛隊も重鎮達もよく知っている。だからこそ…蓮姫ちゃんに依頼したのよ。『海賊王を討伐して』とね」
ニコニコと微笑む自分の主、皇帝にサイラスもまた理解した。
「つまり……陛下は弐の姫様に何一つ、お話していないのですね。ならば弐の姫様は…」
「うふふ。蓮姫ちゃんはどうするかしらね?帰って来た時…どんな報告をしてくれるのかしら?うふっ。今からとっても楽しみだわ」
楽しんでいるのはエメラインの本心だろう。
たとえその行為が、『海賊王討伐』という重要、且つ危険な任務が……昨日の闘技場のように蓮姫を試すだけの行為だとしても。
「あ、今回の話。シュガーちゃんには知られないようにしてね。あの子のことだもの。海賊王さん討伐の話を聞いたら、きっと蓮姫ちゃん達についていっちゃうわ。それはダメ。なんとしても阻止してちょうだい」
「それは………なかなか骨の折れ……いえ、陛下のご命令とあらば」




