女帝エメライン 15
そんな物騒な発言をする世界三大美女の一人エメラインは、蓮姫を諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「蓮姫ちゃんの気持ちはよく分ったわ。私も蓮姫ちゃんの思想はとても素晴らしいと思うの。でもね、時には人を使う事も政治には必要なのよ。女王になるのなら、そこもしっかり出来るようにならないといけないわ」
「で、でも……」
「蓮姫ちゃん。さっきも言ったけど……蓮姫ちゃんが女王になる為には一人でも多くの味方が必要なの。そして王とは……時には民の為に、自分の気持ちとは反対の決断も下さなきゃいけない。それがどんなに……非情な決断でもね。人を総べる王とは、そういうものなのよ」
エメラインのその言葉に蓮姫はハッと息を飲む。
かつて未来の自分も同じような事を言っていた。
『女王になってこの世界を変える為には、今の甘い考えを捨てて、非情になれ。自分も変えれない奴に、世界なんか変えられない』
未来の自分は、今の自分……過去の自分を見つめてそう言った。
(分かってたつもりでいたのに……まだ分かってなんかいなかったんだ、私は。女王になる為には……自分の安いプライドやこだわりなんて……捨てなきゃいけない。人を使う事にも慣れて、利用する必要性も考えなきゃいけない。私……まだ何処かで甘えてたんだな)
蓮姫はゆっくりと息を吐きながら、改めてエメラインの提案を考え直す。
エメラインと姉妹の契りを交わせば『今の弐の姫は強国ギルディストの女帝にも認められる存在』と世間に知らしめる事が出来る。
蓮姫の事を何も知らない、知ろうともしない貴族や国が……人が、蓮姫という弐の姫を知るきっかけになる。
勝手に独り歩きしている蓮姫の悪い噂、悪い印象を払拭出来る機会にもなる。
エメラインも言っていたように壱の姫側の人間を牽制する事も出来るだろう。
しかし……今まで壱の姫こそ王位継承者だと思っていた世界が、蓮姫が認められることで真っ二つに割れる可能性もある。
それは王都でマチルダ……エリックの母親が危惧していた『戦争』に繋がる危険性も出てくる、ということ。
そしてエメラインと姉妹の契りを交わせば……強国ギルディストは自分の味方になる。
そこまで考えて……蓮姫はゆっくりと、エメラインへと顔を向けた。
「エメル様……もし姉妹の契りを交わすなら……私を助けてくれますか?」
「勿論よ。蓮姫ちゃんの為ならなんだってするわ。蓮姫ちゃんのお願いなら何だって叶えてあげたいもの」
「………なら一つ、エメル様にお願いしたい事があります」
「なぁに?なんでも言ってちょうだい」
蓮姫が乗り気になってきたのが嬉しいのか、エメラインはニコニコと蓮姫の言葉を待つ。
だがやはり……ここでもエメラインは蓮姫に驚かされる事になった。
「私の味方になってくれるなら……ギルディストには世界への抑止力になってほしいんです」
「抑止力?」
「はい。私か壱の姫……どちらが女王に相応しいか?これから私の支持者が増えれば、世界が二つに割れる可能性もある。そうなった時と……もし万が一、私が王位争いで敗れても……戦争が起こらないように。私は強国ギルディストを、抑止力として使いたいです」
今度は蓮姫の提案にエメラインが目を丸くさせた。
戦争に関する提案はエメラインも想定内のこと。
しかしその提案はエメラインが考えるものとは真逆だったから。
いつものように頬に手を当てながら、エメラインは蓮姫へ自分の思いを口にする。
「あらあら。普通は『強国と名高いギルディストの武力を使って相手を制圧したい』とか『戦争を起こすから協力してほしい』と頼むのに。蓮姫ちゃんはあえて……逆を望むのね?」
「はい。かつて想造世界でも……大きな戦争が何度も起こりました。私が生まれるずっと前の事ですけど……私の国は戦争に負けました。たくさんの人が亡くなって、たくさんの人が大切な誰かを奪われて……たくさんの人が戦争で人生を狂わされた。負けた国だけじゃない。勝った国でもそうです。戦争が終わって何年何十年経とうと、その痛みは想造世界の戒めとして歴史に残り今も後世に語り継がれている」
かつて想造世界で起こった戦争。
その全ての歴史を今の蓮姫には思い出すことは出来ない。
それでも……戦争とは忌まわしいものであり多くの人間の命を奪うもの、という記憶は蓮姫の中で確かに残っている。
「私は戦争を経験していない世代です。歴史の勉強や他国の戦争のニュース……人伝でしか知らない。でも、だからこそ戦争をする女王にだけは決してならないし、そんな女王にはなりたくもない。経験したくも無いしさせたくも無い。戦争が国や世界に、結果的に利益をもたらすものだとしても………それだけは嫌なんです」
「『戦争をしない、させない』。それが……蓮姫ちゃんの望む、いいえ、目指している女王の在り方ということね?」
「それが全てではありませんが……そうですね。エメル様………私のお願い……聞いて頂けますか?」
蓮姫は不安げな表情でエメラインへと尋ねる。
提案の内容は至極まともなものだが、わざわざ、それもあえて強国に頼むような内容ではない。
しかもこの国を治める女帝はかなりの戦闘狂。
そんな彼女が……この提案を受け入れるかどうか?
しかしエメラインはふわりと優しく微笑むと、蓮姫へと頷く。
「えぇ。約束するわ。戦争が起こらないように、我が国ギルディストは弐の姫様の味方となり、戦争を起こそうとする者達への抑止力となりましょう」
「っ、ありがとう……ございます」
「どういたしまして。では、私と蓮姫ちゃんは姉妹の契りを結ぶ……という事で決まりね。早速準備をしなくちゃ。一国の王と世界を総べる次期女王候補の一人が盃を交わすというのは、公的にも一大行事だもの。明日には出来るようにサイラスや重臣達に伝えてくるわ。蓮姫ちゃん、皆様、私はこれで失礼します。この後もどうぞゆっくりなさってね」
そう言うとエメラインは席を立ち、この会場を出て行った。
残された蓮姫に、すさかず残火は興奮したまま声をかける。
「凄いです姉上!これでギルディストは姉上の味方ですね!一気に女王に近づきました!お祝い申し上げます!」
「ありがとう残火。でも……本当にいいのかな?自分で決めてなんだけど……陛下と犬猿の仲のエメル様と盃を交わすなんて……決断早まっちゃった?」
困ったように笑う蓮姫だったが、そこは火狼がフォローへと回る。
「『早まった』って言い方するって事はさ、遅かれ早かれ姫さんは女帝やギルディストと組む気はあるんだろ?ならいいんじゃね?陛下のことは……まぁ怒るだろうけど、そこはそこ。気にしたら負けさ。それに今度は女帝が味方だし、前の玉華の時みたいにはならんっしょ」
「そうならいいんだけどね。……狼もありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
素直に礼を告げる蓮姫に火狼もまた笑顔で返す。
そして蓮姫はユージーンにも声を掛けようとしたが、彼を見てその動きが止まる。
蓮姫第一のユージーンが、今は蓮姫の方を見ていない。
よく考えれば……ユージーンは今の今まで口を挟まなかった。
いつもなら絶対に、それはもう確実に口を挟むし、話が終わった後に小言が待っている。
それなのに……蓮姫が視線を向けたユージーンは、何故か主である蓮姫ではなく、エメラインの去った扉を睨みつけていた。
そんな中、シュガーがまた蓮姫へと絡んでくる。
「ねぇ。母上との話とかどうでもいいから。で、君はいつ俺の子供産んでくれるの?」
「………ジョーカーさん?話聞いてました?私は貴方とは結婚しないって正式に断ったんですけど?」
「別に俺『結婚してほしい』なんて言ってないじゃん。『俺の子供産んで』って言ってるの。結婚なんてしなくても子供産まれるでしょ?父上と母上だって、結婚してないのに俺産まれたんだから」
そういえば………結局エメラインの口から、シュガーの父親については詳しく聞けなかった。
シュガーは一度も会ったことが無い、と言っていたし………恐らく彼も父親について詳しくは知らないだろう。
だがその言葉がきっかけになったのか……ユージーンは椅子から立ち上がると、真っ直ぐ扉へと向かう。
「ジーン?どうしたの?」
「姫様、俺は少し女帝に聞きたいことがあります。申し訳ありませんが、しばしお傍を離れます」
「え?う、うん。わかった。でもエメル様に失礼はしないようにね」
「………善処します。未月、姫様を頼んだぞ」
「……わかった。…母さんのこと…俺頼まれた」
「そこは俺で良くね?……って、行っちまったよ。旦那どうしたんかね?」
「………わかんない。…………ジーン…」
ユージーンが何を思っているのか、エメラインに何を聞こうとしているのか、当然蓮姫も気になっている。
だが何故か………今は聞いてはいけないような気がして、黙って彼の去った扉を見つめた。
ユージーンはエメラインを探す為、晩餐会場を出て歩き出すが……意外にも目的の人物はすぐ近くにいた。
エメラインは親衛隊や騎士団の人間に、何やらニコニコと指示を出している。
しかし笑顔なのはエメラインだけで、指示を受けている親衛隊員や騎士団員は困惑した表情を浮かべていた。
会話の内容は恐らく明日行うと言っていた、蓮姫とエメラインが盃を交わす行事についてだろう。
大事な話の最中だと理解しながらも、ユージーンは構わずエメラインへと声をかけた。
「お話中、失礼致します。皇帝陛下」
「あら?ユージーンさん」
エメラインがユージーンに気づき振り向くと、親衛隊員や騎士団員もユージーンに気づく。
が、エメラインの後ろ……自分の皇帝に見えない所で、この二人は皇帝の客人であるユージーンを睨みつけてきた。
先程の晩餐会場での親衛隊員達のように。
それには気づかず、エメラインはニコニコと笑顔のままユージーンへと近づく。
「貴方が蓮姫ちゃんの傍を離れるなんて……どうなさったの?」
「はい。皇帝陛下にどうしてもお聞きしたい事がございまして」
「何かしら?明日の事なら、今からサイラスを呼んで準備をさせる所よ」
「いえ。明日の事ではありません。姫様も関係なく……これはあくまで、私個人の用事です」
隠す事なく告げるユージーンだったが、エメラインが反応するよりも先に親衛隊員の方がユージーンへと怒鳴る。
それも嫌悪感丸出しといった様子で。
「弐の姫ではなく従者風情が陛下に個人的な用だと!?貴様!身の程を弁えろ!」
「無礼は重々承知しております。その上で……どうしても陛下に確認したい事が」
「無礼だと分かっていて!ただの従者が陛下に声を掛けるなど!」
「あらあら。落ち着いてちょうだい。私の為に怒ってくれてありがとう。でもユージーンさんは余程の用事があるようよ」
怒り心頭の親衛隊員を宥めながらも、皇帝として彼へのフォローを怠らないエメライン。
親衛隊員が謝罪したのを確認し、エメラインは再度ユージーンへと向き合う。
「ユージーンさん。私で答えられることなら、何なりとお話しするわ」
「恐れ入ります。実は………シュガー様の事です」
「シュガーちゃん?シュガーちゃんがどうかしたのかしら?」
「正確にはシュガー様ではなく………陛下。私は以前、シュガー様によく似た者と会った事があるのです」
ユージーンの言葉に、エメラインは驚いたように目を丸くした。
そんな彼女に構わずユージーンは言葉を続ける。
「その者と会ったのは昔…本当に昔の事ですが、かなり強い印象の者でして。忘れようにも…忘れられない。初めてシュガー様とお会いした昨日……私は驚きました。なにせその者とシュガー様の外見は、瓜二つなのです。似ているのは外見だけでなく、性格も口調も。まるで生き写しのように。シュガー様と似ている、その者とは」
「ユージーンさん。貴方のおっしゃりたい事、お聞きしたい事。よく分かりました」
ユージーンの言葉を遮るように、エメラインは笑顔で言葉を紡ぐ。
そして親衛隊員達を下がらせると、直ぐ近くの部屋の扉を開いた。
「お話の続きは……この部屋のバルコニーで致しましょう」
「………かしこまりました」
親衛隊達を下がらせた………ということは、ユージーンの用件は他人に聞かせられない、又は聞かせたくない話とエメラインは判断したようだ。
ユージーンがエメラインに聞きたい話。
それはユージーンが、エメラインとシュガーに何度も感じた…ある者の気配と………シュガーの父親について。
エメラインの今の様子で、既に聞く前からその話に確信が持てたユージーンだったが、エメラインと共に部屋へと入って行った。
数分後。
「………あの女……とんでもねぇな」
一人呟きながらユージーンが部屋を出ると、遠くから火狼がユージーンへと駆け寄って来た。
「あ、旦那!こんな所に居たん?お話終わったの?」
「あぁ。お前は何してんだよ」
「俺?旦那を呼びに来たんよ。実は残火がもうお眠でさ。主催者の女帝も居ねぇし。だから晩餐はお開きにして、姫さんも部屋戻るって」
「わかった。俺も」
ユージーンが火狼と共に歩きだそうとしたその時。
「あー!銀髪さん見~っけた!ねぇねぇ!寝る前に俺と殺し合いしようよー!」
今度はシュガーがユージーン目掛けて駆け寄って……いや、突進して来た。
シュガー本人も、彼が言っている内容も厄介極まりなく、ユージーンと火狼は瞬時にシュガーから背を向ける。
「走れ犬!さっさと姫様の所に戻るぞ!」
「あいよっ!」
「あ!ちょっと待ってよ!」
音痴以外は完全無欠のユージーンと、元々イヌ科でもある火狼。
二人は一斉に駆け出すと、あっという間にシュガーから遠ざかってしまった。
シュガーは二人の全力疾走に唖然としながらも、頬を膨らませて拗ねる。
「もうっ!なんで逃げるかな!」
「あらあらあら。シュガーちゃんたら、振られちゃったのね」
「母上?なんでこんな部屋から出て来るの?」
ユージーンから少し遅れて部屋から出て来たエメラインは、息子の様子を見てクスクスと笑った。
「ちょっとユージーンさんとお話をしていたのよ。それにしてもシュガーちゃん。ふふっ、蓮姫ちゃんにユージーンさん…戦いたい人がたくさん出来たのね。……でも」
エメラインはそっとシュガーへと手を伸ばすと、優しく息子の頬に触れながら呟く。
「……お父様の事を忘れちゃダメよ?誰よりもシュガーちゃんと戦いたいのは…お父様なの。それを忘れないで」
愛おしげに告げるエメラインだったが、そんな言葉では今のシュガーの機嫌は治らない。
「その父上が全然来てくれないんだもん。このままじゃ、俺も直ぐ年寄りになるよ?父上だってお爺ちゃんになっちゃうじゃんか」
シュガーが不機嫌そうに話す言葉に、エメラインは息子の頬から手を引いた。
今の言葉で…彼女は改めて思い出した。
息子は父親である彼について、何一つ知らない。
一番大事な事すら……自分は教えていなかったのだと。
「そういえば……シュガーちゃんには言ってなかったかしら」
「ん?何を?」
「お父様の事よ」
「父上の事?確かに俺は父親の事なんて何も知らないけど……別にいいよ。父上がどんな人か?なんて全然興味無い。強いならそれだけで十分」
「ふふ。そうね。でも……一つだけ教えておくわ。シュガーちゃんのお父様はね……」
エメラインは息子の目を見つめると、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら……ゆっくりとその口を開いた。
「人間じゃないの。魔王の一人なのよ」
それを聞いたシュガーは一瞬固まる。
しかしその顔からは段々と不機嫌さが消えていき、纏う空気もパァ…と明るくなっていく。
そして不機嫌顔から変化し、最終的にシュガーが浮かべたのは、今日一番……いや、彼の20年の生涯で一番の笑顔だった。