女帝エメライン 14
それは拒絶の言葉。
シュガーとの子供を……そしてシュガーと結婚して共に生きる未来を、蓮姫が完全に拒否しているからこそ出た彼女の本音であり本心。
キッパリと嘘偽りない自分の本心を言い放った蓮姫は、とても清々しい笑顔を浮かべていた。
だが蓮姫のその言葉を聞き、シュガーとエメラインはキョトンと目を丸くしている。
その顔は蓮姫の発言を『思ってもみなかった』と語っているかのよう。
事実その通りであり、シュガーもエメラインも、蓮姫がこの話を本気で断るとは想像もしていなかった。
この二人は蓮姫がシュガーとの子供を産んでくれると、自分達の提案を最終的には受け入れると勝手に思い込んでいたからだ。
エメラインにはそう確信する理由があったが、シュガーは理由などなく、もう本能のままに。
だからこそ蓮姫の拒否が理解出来ず、シュガーは段々と不機嫌そうに顔をしかめていく。
「なんでよ?なんで俺の子供産みたくないの?俺と君の子供だよ?絶対強い子が産まれるのに」
「別に私は自分の子供に強さは求めません。子供を危険な目にも合わせたくない。そもそも貴方との子供なんて私はいらないんです」
「だからなんでよ?いいじゃん。俺が欲しいって言ってるんだから。俺の為に産んでよ」
「絶対に嫌です。お断りします。断固拒否させて頂きます。仮に陛下やエメル様…世界中の人間から命令されても、こればかりは絶っっっ対に受け入れません」
蓮姫の確固たる意志を聞く度にシュガーの眉間には皺が寄り、不機嫌なオーラが溢れ出る。
蓮姫も蓮姫でシュガーを拒否しているが、シュガーもまた蓮姫の意見を拒否してるから。
「あっそ。ならいいよ。君の意見なんて無視して無理矢理産ませるだけだから」
「子供の作り方も知らない人にそんなこと言われても、ちっとも怖くありませんね」
ハッと鼻で笑う蓮姫に、シュガーの額にはビシッと青筋が浮かぶ。
そんな息子と蓮姫の様子を見て、エメラインは口元に手を当てながら楽しそうに笑った。
「うふふふ。もう蓮姫ちゃんったら」
「笑いごとじゃありません。エメル様、折角のお話ですが私にその気は一切ありませんので。早々に諦めて下さい」
「そう?でもこのお話、蓮姫ちゃんにもとても良いお話だと思うけれど」
「私に?」
「シュガーちゃんと結婚するという事は、ギルディスト王家と姻戚関係を結ぶということ。それがどのような意味を持つのか?……弐の姫である蓮姫ちゃんにどれだけ有益なことか……賢い蓮姫ちゃんならわかるわよね」
「それは…………」
エメラインが何を言いたいのか?
その言葉が何を指してるのか?
それが分からぬ程、蓮姫は馬鹿ではない。
そもそも『息子の求婚を蓮姫が受け入れる』と、エメラインが信じきっていたのは、これが原因であり理由だった。
「あまり言いたくはないけれど、今はまだどの国も次期女王に相応しいのは壱の姫さん、と考えているのよ。だって複数姫が現れた時は先に来た姫……壱の姫が必ず女王になったわ。それがこの世界の歴史で常識なの。暗黙のルールといってもいいわ。でも蓮姫ちゃんは……残念だけど弐の姫。壱の姫じゃない」
この世界で次期女王となれるのは、想造世界から来た姫のみ。
だが現在、この世界に姫は二人いる。
先に来たのは壱の姫であり、後から来たのは弐の姫。
蓮姫がどれだけ強い従者達に慕われようと、この先どれだけの修羅場をくぐり抜け強くなっても、その事実は変わらない。
弐の姫では女王になれない。
弐の姫では民衆は女王として認めない。
エメラインの言う通り、それがこの世界の歴史であり常識だから。
「蓮姫ちゃんが弐の姫である限り、この世界のどんな国も蓮姫ちゃんに味方はしないわ。今のままではね。あ、ロゼリアの若き国王様と王妃様、そしてアクアリア王家は次期女王に弐の姫である蓮姫ちゃんを推している、と報告があったけれど」
「っ、ロゼリアとアクアリアが!?」
エメラインの口から出た友人の治める国、そしてもう一人の友人の祖国。
その二つの国が、蓮姫を未だ慕い続け、彼女を女王にと望んでいる事実に蓮姫は驚く。
そして驚き以上に……喜びが湧き上がった。
(ルーイ……ラピス……皆さん……ありがとうございます)
かつてロゼリアで出会った友人達や、その両親達、そしてホームズ子爵。
蓮姫は胸を抑えながら、今この場にいない彼等に深く感謝する。
だがエメラインの話はまだ終わっていない。
「えぇ。でもロゼリアもアクアリアも、まだ正式に王家の意志を国民に告げてはいないわ。そんな事を公表したら……国民の反発は目に見えているもの。それも仕方のないことね」
例え王家の人間が蓮姫を、弐の姫を次の女王にと推薦しても国民はそれを認めない。
ロゼリアとアクアリアの両王家が蓮姫を認めているのは、この二つの国にとって蓮姫が自分の国を救った恩人だから。
しかし王家や一部の人間がソレを知っていても、ほとんどの国民はソレを知らない。
王家が蓮姫に救われた経緯を国民に説明しても、すんなり信じてくれる者は少ないだろう。
未だ人々に噂される弐の姫の評価は低く、悪いものばかりだから。
それは蓮姫とてわかっている。
この世界にとって弐の姫がどのような存在か?
蓮姫は誰よりも知っている。
だからこそ彼女は、自分の味方であると公表出来ない二つの国を責める気はない。
「そしてどちらの国も女王派。女王派ということは自国の力ではなく、女王の庇護の元で繁栄したに過ぎない国。この二つの国は古の王族が治める歴史ある国だけれど、大国でもなければ強国でもないわ。ロゼリアとアクアリアが味方についても……正直、壱の姫やそれを支える貴族、国に大した影響はないの」
そこまで説明して、エメラインは再び笑顔を浮かべる。
それは今までの慈悲深い微笑みでも、戦闘狂の笑みでもない。
何処かニヤリとした笑み。
「でもギルディストは違う。我がギルディストは世界中の誰もが認める強国よ。姻戚関係を結べば、世界中の国や人間が蓮姫ちゃんに注目するわ」
世界の女王と犬猿の仲として世間に知られている、ギルディストの女帝エメライン。
そんな彼女の治めるギルディストは、当然女王派ではなく、また反女王派でもない。
女王の庇護を受けず、また反乱軍にも属していない中立国でありながら、強国として存在する国。
ギルディストの強さ、恐ろしさは、この世界の誰もが知っている。
そんな国と姻戚関係を結べた弐の姫など……世界中の人間が無視できない存在になるだろう。
「………つまり……自分の評価を上げる為にこの政略結婚を受け入れろ、と?」
「そうよ。どうかしら?蓮姫ちゃんにとっても、この政略結婚はとても意味のあるものでしょう?」
「………………」
エメラインの説明を全て聞き、蓮姫は目を閉じて考える素振りをする。
そんな蓮姫が自分の望む答えを口にするように、エメラインは更に甘い言葉を重ねた。
「政略結婚とは言うけれど、私もシュガーちゃんも、本当に蓮姫ちゃんが大好きなのよ。もしシュガーちゃんと結婚して、シュガーちゃんの子供を産んでくれるなら……私達ギルディストの人間は、蓮姫ちゃんが女王になれるよう全力でサポートするわ」
エメラインのその甘い誘いに、ユージーンの眉がピクリと動いた。
その言葉に反応したのはユージーンだけではなく、火狼と残火も同じ。
だが全員が一言も声を出さず、蓮姫の言葉を待った。
決断するのはいつだって、弐の姫である蓮姫だからだ。
「………本当ですか?」
チラリと視線だけを自分に向けた蓮姫に、エメラインは満面の笑みで答える。
「えぇ。ギルディストの皇帝として約束します。………ねぇ蓮姫ちゃん。良く考えて。どうすれば……弐の姫である蓮姫ちゃんにとって最善なのか」
エメラインは確信している。
弐の姫である蓮姫が、女王になる事を望む弐の姫が、強国であるギルディストとの政略結婚を断るはずがない、と。
自分の評価を上げる為に息子シュガーとの結婚を受け入れる、と。
蓮姫もエメラインも黙り込み、この場に沈黙が流れる。
そして蓮姫が出した答えは…
「お断りします。何を言われようとも、私の意思は変わりません」
やはり先程と同じ、結婚を拒絶する言葉だった。
蓮姫の変わらぬ答えを聞き、安堵する従者達。
明らかに不機嫌顔になるシュガー。
そして困ったように頬に手を当てるエメライン。
「あらあら、困ったわね。どうしてもシュガーちゃんと結婚したくないの?」
「はい。どうしてもご子息とは結婚したくありません。むしろこの人とだけは結婚したくないです」
「ちょっと。喧嘩売ってんの?」
清々しく言い放つ蓮姫にシュガーのイライラは既にMAXだ。
そんな蓮姫とシュガーを見て、エメラインはあからさまにため息をついた。
「ふぅ………どうしてそんなに頑なに嫌がるの?蓮姫ちゃんにとっても悪いお話じゃない……ううん。とっっっても良いお話なのに」
「そうですね。弐の姫としては良過ぎる話だと思います」
「ならどうして?」
ヴェルト公爵家との姻戚関係が切れた今、弐の姫である蓮姫にはなんの後ろ盾もなく、味方もほぼいない。
そんな弐の姫にギルディストという強国がバックに付けば、エメラインが言った通り世界中の人間が弐の姫に注目するだろう。
警戒する者も多いだろうが、それはつまり壱の姫側の人間達を牽制する事にもなる。
女王すら手懐けられない強国を、弐の姫が味方につけた。
そんな噂が世界中に流れたら……蓮姫にとって圧倒的不利なこの王位争いは、確実に動く。
人々が弐の姫を見る目も、価値観も確実に変わるだろう。
この政略結婚は弐の姫である蓮姫にとって、得な事しかない。
夫となるシュガーと姑になるエメラインの人格が破綻している…という点を除けば、だが。
しかし蓮姫がこの結婚を受け入れないのは、この二人だけが問題なのではない。
蓮姫は一度目を伏せると、静かに自分の思いを口にする。
「………嫌なんです。……誰かを利用して自分の評価を上げるなんて。そんな事で見直してもらっても……そんなの私の実力じゃない」
この政略結婚の意味を聞いたからこそ、蓮姫は改めて断ろうと決意した。
蓮姫の性格上、そんな理由で結婚を受け入れることは出来なかった。
「ジョーカーさんはともかく……エメル様のお気持ちは嬉しいです。それほどまでに私を認めて下さって、ありがとうございます。私は弐の姫として、一国の王の協力を素直に受け入れるべき……ううん。本来なら受け入れる選択肢しか無いのかもしれません」
「そうね。普通はこんな好条件の結婚、断ったりしないわ。断る理由なんて無いはずだもの。でも……蓮姫ちゃんは自分に有利な政略結婚だからこそ、受けたくないのね?」
「はい」
エメラインの問いに蓮姫は即答する。
やはり何処か清々しさを感じる蓮姫の笑顔に、エメラインもまた満足気な笑みを浮かべた。
「ねぇ蓮姫ちゃん。一つ聞かせてくれるかしら?蓮姫ちゃんは、女王にはなりたくないの?」
「いいえ」
またしてもエメラインの問いに即答する蓮姫。
蓮姫は目を閉じると自分の胸に手を当てて、ゆっくりと語り出す。
「『私は女王になる』。その決意は……何があっても揺らぐことはなくて、常に私のこの胸にあります。私を信じてくれる人達の為、私を慕ってくれる人達の為。………私が死なせてしまった…友達の為」
蓮姫の瞼の裏に従者達、王都の友人達、今まで出会った人々……そしてエリックとアルシェンの姿が浮かぶ。
そしてゆっくりと目を開くと、その漆黒の瞳にエメラインを映しながら蓮姫は微笑んだ。
「大切で大好きな人達の為……何より自分自身の為に、私は女王になりたい。女王になってみせます」
笑顔でそう語る蓮姫は、エメラインや女王麗華…世界三大美女と並ぶ程に美しい。
いや、むしろ彼女達よりも美しいと蓮姫の従者達は思った。
そしてその美しい微笑みと、蓮姫の確かな決意を聞き、エメラインは頬を少し赤らめて、蕩けるような笑みを浮かべる。
「まぁ………蓮姫ちゃんたら本当に……本当に素晴らしい弐の姫だわ。ふふっ。やっぱり私は、蓮姫ちゃんが大好きよ」
「ありがとうございます」
「蓮姫ちゃんは?私のこと……好きかしら?」
「え!?……………え、ええと……き、嫌いでは……ないです…かねぇ……はは…」
今度は即答出来ず、視線を泳がせながら、最後は笑って誤魔化す蓮姫。
本当は好きだった。
蓮姫はエメラインに憧れていた。
しかし、闘技場で散々な目に合わされ、尚且つ言葉巧みに息子と結婚させようとしたエメラインを、ずっと好きでいるのはさすがの蓮姫でも難しい。
むしろ無理だった。
そんなどこまでも正直者な蓮姫に、エメラインはぷぅ、と頬を膨らませる。
「んもうっ!蓮姫ちゃんたら!………でもいいわ。私はそんな蓮姫ちゃんを好きになったのだから」
「お、恐れ入ります」
「ふふっ。だからね、蓮姫ちゃん。私からもう一つ提案があるの。聞いてくれるかしら?」
「提案……ですか?」
また何を言うつもりかと警戒する蓮姫だったが、エメラインは構わず言葉を続ける。
「えぇ。シュガーちゃんとの結婚はしなくていいけど……代わりに私…ギルディスト皇帝であるエメライン=ウィラ=ギルディストと、姉妹の契りを結んでくれないかしら?」
「えっ!?そ、それってどういう?」
「私と蓮姫ちゃんで盃を交わす、ということよ。ふふっ。そうなれば私達は、本物の親兄弟よりも強い絆で結ばれる。むしろ、シュガーちゃんとの結婚より効果あるかもしれないわね」
(盃を交わす、って……あのヤクザ映画とかでよくあるヤツ?仁義がどうとかっていう……え~、そんなのして大丈夫なのかな?)
ニコニコと上機嫌で話すエメラインに、困惑しつつも勝手な想像で不安になる蓮姫。
困惑しているのは火狼と残火も同じで、お互い顔を見合わせては不安そうな顔をしている。
未月は事の重大さがわからず、いつも通りの無表情。
そしてユージーンは、いつの間にか不機嫌オーラがエメラインに向けて再放出していた。
だが困惑しているのは、今の言葉で衝撃を受けたのは蓮姫達だけではない。
今までこの部屋で黙って給仕をしていた使用人達、扉の前で護衛をしていた親衛隊は自分達の女帝を凝視して固まる。
使用人達はただ困ったように蓮姫とエメラインを交互に見つめるだけだったが、親衛隊の者達は違った。
怒りのこもった眼差しで蓮姫を見つめる者。
中には分かりやすく蓮姫を睨みつけている者もいる。
そんな中、二人の親衛隊隊員が小声で何かを囁き合う。
「………サイラス団長に………………………大臣や貴族達…………闘技場…………全てを…………………」
「…………………わかっている…………皆様に……………………………………集めよう…」
ボソボソと何かを話すと二人は同時に部屋を出て行った。
エメラインも当然それに気づいているが、話の内容まではさすがに聞こえなかった為、特に彼等を気にもせず話を続ける。
「ね、いい考えでしょう?そうすれば、私もギルディストも蓮姫ちゃんの味方でいられるわ。何より蓮姫ちゃんのお姉様にもなれる……うふふ」
「あ、あのエメル様!さっきも言いましたけど、私はそういうやり方は」
「蓮姫ちゃん。蓮姫ちゃんは大切な人を馬鹿にされるのが嫌なんでしょう?私もそうよ。蓮姫ちゃんをよく知りもしない人に、可愛い可愛い蓮姫ちゃんが悪く言われるなんて……はぁ……絶えられないわ。うっかりその人達を殺してしまうかも」
最初は憂いた表情だったというのに、最後は何故か笑顔になるエメライン。
ニッコリと笑いながら、とんでもなく物騒な言葉を告げるエメラインは、確かにシュガーの母親だと実感する蓮姫達。
 




