女帝エメライン 12
「…蓮……お前って奴は…ホント凄ぇよ」
蓮姫の勝利に感極まり、星牙は声を絞り出すように呟く。
その目は涙で潤んでいるが、表情はとても晴れやかで彼の気持ちをそのまま表しているかのよう。
星牙は純粋に…ただただ嬉しかった。
友である蓮姫が、恐ろしく強い女帝に勝ったこと。
そして自分との約束を守ってくれたことが。
(俺も……蓮に負けてられない!俺もコイツに勝って!蓮との約束を守るんだ!!)
星牙はグイッ!と片腕で目を擦ると、再度シュガーへと向き直り折れた蒼月を構えた。
「おい!俺達も決着つけるぞ!今度こそ!俺はお前に勝つ!!」
改めて闘志を胸に抱き、シュガーへと叫ぶ星牙。
蓮姫の勝利が星牙に勇気を与え、彼の中に燻っていたシュガーへの恐怖を完全に打ち消したのだ。
星牙はもう……シュガーを恐れない。
彼の胸には熱い闘志と、絶対にシュガーに勝つという覚悟で満ちている。
しかし、星牙が魂のこもった宣誓を向けた相手は、星牙から顔を背けたまま。
「……まさか…ホントに母上に勝つなんて。あの子やるじゃん」
シュガーは楽しそうに笑みを浮かべると、蓮姫を見つめながら呟く。
その目には、今まで蓮姫に向けていた嫌悪や殺意など微塵もない。
むしろ彼の目は少年のようにキラキラと輝いている。
「口先だけの弱い奴だと思ったのに……こういうのを嬉しい誤算っていうのかな?母上には全部お見通しだったんだ」
ブツブツと蓮姫を見つめたまま独り言を続けるシュガー。
今は闘技場決勝戦の真っ最中であり、シュガーのすぐ側には対戦相手である星牙が、折れた剣をシュガーに向けて構えている。
それなのに……シュガーの視線も意識も、蓮姫に釘付けのまま。
「あんな戦い方…いくら想造力使えるからって、弱い奴じゃ出来ない。そっかそっか。弱くなかったんだ。母上に譲るんじゃなかったな~。勿体ないことした」
「おい!おいってば!ジョーカー!」
「君は強いんだね。ふふ…ははっ。いいね。凄くいいよ弐の姫。君は凄く…凄く僕の好きなタイプだよ。君とも楽しみたいな」
「おい!だから無視すんなって言ってんだろ!!」
「ん?………あぁ、お前がまだいたっけ?はぁ~~~。どうしよっかな~」
やっと星牙へ意識を向けたかと思うと、シュガーは至極めんどくさそうにため息を吐く。
(このままこいつを殺すのは簡単だけど…こんなゴミクズ……やっぱり相手するのもめんどくさいや。うん。もういいや)
「わかった。俺達も決着つけよう」
「覚悟しろよシュ…じゃなかった!ジョーカー!!」
「はいはい。わかったわかった」
シュガーもまた愛刀村雨を構えると、星牙へ構える。
蓮姫も従者達も観客も……会場中の視線がこの二人へ集まる。
今まで歓声が上がっていた会場は一斉に静かになり、静寂がこの場を包んだ。
また激しい攻防が繰り広げられるのだと誰もが思い、星牙とシュガーを見つめる。
これが本当に最後の戦いだと、観客の一人がゴクリと唾を飲み込んだ。
その直後、星牙が雄叫びを上げながらシュガーへと駆け出す。
「やぁああああぁ!!」
対するシュガーは愛刀で星牙の攻撃を防ごうとするが……その顔はやる気など微塵も感じられない。
それもそのはず。
シュガーは刀を持つ手から完全に力を抜いていた。
彼は星牙からの攻撃を防ぐ気など……微塵も無かったからだ。
ガキィィィン!!
激しい金属音と共にシュガーの愛刀が宙へと舞い上がる。
「え!?」
それに驚いたのはシュガーでも観客でもない。
攻撃をした星牙本人だった。
何故こうも簡単にシュガーの刀が彼の手から離れたのか?
そう考える暇もなく、シュガーはよろよろとした足取りで後ずさる。
「うわ~。や~ら~れ~た~」
なんとも気の抜ける声を出すと、シュガーはその場にドサリと倒れ込んだ。
「え?……え???」
困惑する星牙と審判だったが、シュガーは寝転んだまま審判に向けてとんでもない一言を口にする。
「降参」
「………は?シュ…シュガー様?」
「聞こえなかった?降参。俺の負け」
シュガーの言葉の意味が理解出来ず、一瞬ポカンと固まる星牙と審判。
だが審判は直ぐに自分の仕事を思い出し、高く右手を上げてこの試合の判決を口にする。
「っ!!?シュガー様も降参!対戦者二人が降参した為、勝者は挑戦者達!闘技場決勝戦は!スターファングと弐の姫の勝利!!」
「は?………はぁああああ!!?」
思いもよらない自分達の勝利宣言に、星牙は腹の底から大声を出す。
この試合…いや、闘技場を優勝する事が星牙と蓮姫の望みであり、果たすべき約束だった。
しかしこんな決着……誰より戦っていた星牙本人、納得出来る訳がない。
「何言ってんだお前!さっさと刀拾って戦えよ!!まだ試合は終わってねぇだろ!」
「いてて。あ~、油断したな~」
「だからふざけんなって!」
激昂しシュガーへと怒鳴り続ける星牙だが、シュガーはその場から立ち上がる事すらしない。
蓮姫もリングの端で試合の成り行きを見守っていたが、彼女にもシュガーの行動が理解出来ないでいた。
こんな勝利……蓮姫も星牙も喜べる訳がない。
そして試合を見守っていた観客達も、結界のせいで中の声が聞こえず、何が起こったのか理解出来ずにざわつき始めた。
「シュガーちゃん。どうしたの?」
あまりにも不自然過ぎるシュガーの様子に、母であるエメラインまで声を掛ける。
母親であるエメラインの声に、シュガーはやっと上体を起こすと、彼は何故か右手を抑えた。
「刀吹っ飛ばされた時に利き腕を痛めちゃった。これじゃもう武器持てないや」
「あら?そうなの?でもシュガーちゃんが武器を吹き飛ばされるなんて…」
「ゴミクズだからって油断し過ぎちゃったよ。流石は蒼牙さんの息子だよね。あ~、参った参った」
呑気な口調で告げるシュガーに星牙は怒りが増すばかり。
むしろ今の発言で星牙の中の怒りが爆発した。
「いい加減にしろっ!!」
星牙は落ちていたシュガーの刀を拾うと、シュガーへと突き出す。
「ほら!お前の武器だ!さっさとコレ持って俺と戦え!!」
「だから利き腕痛めて武器持てないんだってば。だから俺の負け。君の勝ち。はい。これでおしまい」
「~~~~~っ!!!」
星牙は怒りで顔を真っ赤にすると、シュガーへ殴りかかろうとする。
が、すんでのところで蓮姫が駆けつけ、星牙を後ろから羽交い締めにする形で彼を止めた。
「星牙!待って!ストップ!!」
「離せ蓮!こいつマジでぶん殴ってやる!!こんな八百長試合!俺は絶対に認めねぇ!!」
「ダメだってば!落ち着いて!」
バタバタと蓮姫の腕の中で暴れる星牙だが、そんな彼の抵抗も抗議も虚しく、そして無意味に終わる事になる。
エメラインはいつの間にかマイクを取り出すと、会場に向けて言葉を発した。
「どうやらシュガーちゃんは、今の攻撃で利き手を痛めたようです。もう武器を持てない。これでは試合の続行は出来ないと判断し、シュガーちゃんは降参しました」
エメラインの言葉に再び観客達は驚愕し、どよめく。
その言葉が何を意味するのか……観客達も瞬時に理解したからだ。
エメラインは一度深呼吸をすると、満面の笑みを浮かべ、改めて試合の勝敗を口にした。
「私もシュガーちゃんも降参致しました。よって今回の闘技場は……挑戦者達の優勝となります!」
エメラインが高々に告げた言葉に、観客は今までで一番の歓声を上げる。
中にはこの展開に、蓮姫や星牙へブーイングする者も何人かはいたが……久々の挑戦者による優勝に興奮する観客がほとんどだった。
闘技場に蓮姫と星牙の優勝という雰囲気が満ち、星牙は俯くとわなわなと震え出す。
「………星牙?」
心配した蓮姫が星牙から手を離した直後、星牙は顔を上げ、空に向けて叫んだ。
「ふざっけんなーーー!!」
こうして星牙と蓮姫達一行の命運をかけた闘技場は幕を下ろした。
優勝した蓮姫と星牙が全く喜べない…という結末で…。
「ほらほら。もっと食べなよ。君ってば細過ぎ。そんな細い腕だから、ろくに剣も振れないんだよ」
「いえ……あの……」
「肉追加してもらおっか。牛一頭分くらい」
「いえ!いりません!そんなに食べれませんから!……というかジョーカーさん」
「うん?なに?」
「なんで私の隣に座ってるんですか?」
蓮姫が困惑気味に隣に座るシュガーへと尋ねるが、シュガーはニコニコと笑顔を崩さない。
それは数時間前、蓮姫を殺そうとした相手とは思えない程の満面の笑顔だった。
「そんなの決まってるじゃん。君の隣に座りたいから」
「それ答えになってないんですけど…」
「あらあら。シュガーちゃんと蓮姫ちゃん、とっても仲良しになったのね。私も嬉しいわ」
シュガーの返答に更に困惑する蓮姫だったが、シュガーの母であるエメラインは息子に負けない程の満面の笑みを浮かべている。
蓮姫と星牙が出場した……いや、正しくは出場させられた闘技場が終了した後。
控え室に戻り従者達と再会した蓮姫に、エメラインは彼女達を再び晩餐へと招待した。
本音としてはもう女帝に関わりたくない蓮姫達。
このままギルディストから出ようと考えていたのだが、エメラインは蓮姫達の返事など聞かずに、そのまま彼女達を城へと誘導……というより連行した。
そして夜になり蓮姫達が晩餐の会場に入ると、そこには何故か上機嫌のシュガー。
彼は蓮姫が椅子に腰掛けると、ユージーンが座る前にその隣を陣取り、蓮姫を構いだした。
満面の笑顔で話し続け、時には彼女の肩に腕を回し、時には唇が蓮姫に触れるのではないかというほど顔を近づけて。
そして今に至る。
何故か自分にとても好意的なこの親子に、蓮姫はため息を吐きそうになるのをなんとか堪えた。
さすがに現皇帝と次期皇帝に対してため息をつく、というのはあまりに失礼極まりないからだ。
そんな蓮姫が出来るのは、心の中で悪態をつく事のみ。
(仲良くないし、出来れば今後もこの人とは仲良くしたくないんだけどな)
エメラインはともかく、蓮姫の中にあるシュガーの印象は最悪だ。
シュガーには王都でも、このギルディストでも殺されそうになった蓮姫。
今回の闘技場でシュガーの異常性も知った。
何より、彼が星牙にした行為を蓮姫は決して許さないし許したくない。
そんな蓮姫の気持ちなどまるで理解しない、理解出来ないシュガーは、変わらず蓮姫へ声をかけ続ける。
「お肉いらないなら魚?あ、もしかして君ベジタリアン?なんでもいいからさ、もっと食べなよ」
「いえ……十分頂いてますから。お気になさらず」
「そう?その割には全然進んでないよ?」
(貴方が横からゴチャゴチャ話しかけるからでしょ!)
「そ、そんな事ないですよ~」
額に青筋を浮かべながら、愛想笑いをして何とか言いたい文句を我慢した蓮姫。
しかしシュガーは空気を読まず、むしろ蓮姫の言葉をそのまま受け取った為、今度は不満げな表情をする。
「そんな事あるでしょ?何?遠慮してんの?ならさ、俺が食べさせてあげる。はい、あーん」
「い、いえ、自分で食べ」
「あーん!」
「…………あ、あーん」
駄々っ子のような声と威圧で、肉の刺さったフォークを持ち蓮姫へと迫るシュガー。
蓮姫は観念したように口を開き、シュガーの手から肉を食べる。
もぐもぐと渋い顔で肉を咀嚼する蓮姫を見て、再びシュガーは満面の笑みを浮かべた。
「美味しいでしょ?だから食べないとダメだよ。もっともっと食べて、もっともっと強くなってね」
「ん、んふふふふ」
もうやりたい放題のシュガーに、蓮姫は口元に手を当てながら愛想笑いをして堪える。
だが、堪えているのは蓮姫だけではない。
蓮姫の正面……向かいの席に座るユージーンは、蓮姫にベタベタと触りながら話し続けるシュガーを無表情で見つめていた。
機械のように手と口は動き食事をしているが、その顔は全くの無表情。
なのに全身からはドス黒いオーラが放たれているように見える。
恐らくこれを感じていないのは蓮姫と未月のみ。
シュガーとエメラインは気づいているようだが、この二人の戦闘狂にはユージーンのドス黒いオーラは全くの無意味であり、むしろ彼等にとっては心地いい空気そのもの。
なのでユージーンからの被害を受けているのは、彼の怒りが向いているシュガーではなく、彼の仲間である火狼と残火だけだった。
二人は真っ青になりながらも必死にユージーンから顔を背け、触らぬ神に何とやら精神で食事に集中している。
(ちょっとシュガーちゃん!マジ何してくれてんの!?旦那怒らせないでよ!めっちゃ怖ぇよ~。隣向きたくねぇよ~)
(うぅ………今すぐ部屋に戻りたい…)
泣きたい、逃げ出したいという本能を無理矢理押さえ込み我慢してする食事は、もはや苦行にしか思えない。
皇帝の晩餐という事もあり、テーブルには豪華な食事が並んでいるが、火狼と残火にはその全てに全く味を感じなかった。
そんな中、肉を飲み込んだ蓮姫は改めてシュガーへと問いかける。
「ジョーカーさん。私の事嫌いなんですよね。なんでこんなに私に構うんですか?」
「嫌いって言うか大嫌いだったんだけどさ~、今はもう好きだよ。君ってばあんな戦い方してさ、母上に勝っちゃうんだもん。見直したよ」
「うふふ。そうね。蓮姫ちゃんの戦い方、見事だったわ。私の見込んだ通り、蓮姫ちゃんは強い弐の姫だったわね」
「だよね。俺もそう思う。俺、強い奴が好きなんだ。だから君のこと好きになったよ。安心して」
「はぁ………それはどうも」
ニコニコと話し続けるシュガーとエメラインだが、蓮姫は他人事のように形だけ感謝の言葉を口にする。
「俺もさ、君と戦いたい。殺し合いしたいな~。きっと楽しめるよね。君とも銀髪さんとも他の従者とも戦いたい。あはっ!楽しみ!」
「あら?シュガーちゃん。気持ちは分かるけど、蓮姫ちゃんは女の子なのよ。あまり無茶をさせてはダメですからね」
「あ、そっか。女の子だもんね~。女の子はそのうち弱くなる………それはつまんないな~」
エメラインの言葉にあからさまに落ち込むシュガー。
あまり……ということは、戦う事にはエメラインも賛成だとでも言うのだろうか?
今のやり取りで、やはりこの親子はどうも好きになれない、と蓮姫は傍にあったグラスの水を飲む。
しかしシュガーの方は、次の瞬間何かを思いついたように蓮姫の方を向き……とんでもない一言を放った。
「そうだ!いい事思いついた!弐の姫、俺の子供産んでよ」
「「「ブッ!!?」」」
バキン!!
シュガーの言葉に、蓮姫と火狼と残火が同時に口の中のものを吐き出し、ユージーンは持っていたフォークを真っ二つに折った。