女帝エメライン 11
覚悟を決めた蓮姫の黒い瞳は強い光が宿っているかのよう。
今までと何処か違う蓮姫の様子には、エメラインも直ぐに気づいた。
「あら?顔つきが変わったわね。さっきとは違うけれど……今もとてもいい目をしているわ。何か思いついたのかしら?」
「えぇ。でもそれを、わざわざ貴方に教える義理は無い」
「うふ。それもそうね。大事なのは、蓮姫ちゃんが私に勝てるかどうか?それだけだもの。まだ諦めてないのでしょう?」
「誰が諦めるもんですか。私は絶対に……貴女に勝つ」
圧倒的不利な立場でいながら、決して勝利を諦めない蓮姫。
そんな蓮姫の姿に、エメラインの体はまた全身に鳥肌が立つ。
ゾクゾクとした感覚が全身を駆け巡った後、エメラインの体は高揚感に包まれ、体が火照り出した。
「はぁ~~~。いいわぁ。なんて素晴らしいの。蓮姫ちゃん」
ほぅ…とため息をこぼしながら、恍惚とした表情を浮かべるエメライン。
妖しい色気まで放たれ、見る者全てを魅了しそうな程に美しい。
現に遠目で見ている観客の中には、エメラインを見て頬を染めている者が何人もいた。
そんなエメライン本人は今、蓮姫という目の前の少女に魅了されている。
そしてエメラインのように魅了されていなくても、蓮姫の変化に気づいた者は他にもいた。
(ん~?あの子…なんか雰囲気変わった?)
シュガーはあぐらをかいたまま、頬杖をつきぼんやりと蓮姫を見つめる。
今まで蓮姫に全く興味が無かったシュガーだが、今までとは違う蓮姫の雰囲気が気になり彼女から目を離せないでいた。
そしてそんなシュガーを見つめる一人の男が、彼に向けて叫ぶ。
「おいっ!」
(なんか企んでるのかな?え?何する気だろ?)
「っ、おいっ!!聞こえてんだろ!無視すんじゃねぇよ!おいっ!こらっ!」
すぐ隣から大声が響き、シュガーは心底嫌そうにため息をつく。
至近距離から呼ばれて…いや、叫ばれているのだ。
気づかない訳がないし、聞こえない訳もない。
シュガーが無視をしていたのは、その声の主が先程自分が『ゴミクズ』と切り捨てた相手だったから。
だから聞こえないフリをしていたというのに、しつこく大声を出し続ける彼に、イライラしながらもシュガーはそちらへ顔だけを向ける。
「………何?…って、なんで立ってんの?」
シュガーの視線の先には、折れた蒼月を構える星牙の姿。
つい先ほどまで愛刀だけでなく闘志も完全に折られ、地面に突っ伏していた星牙だったが、今はその目に闘志を再び宿している。
何故さっきまでゴミクズ同然だったこの少年が、今は試合が始まった時と同じ武人の顔をしているのか、シュガーには意味がわからない。
訝しむように自分を見つめるシュガーに、星牙は再度声を上げた。
「お前も立て!シュガー!」
「俺ジョーカーなんだけど?マジでぶち殺すよ?」
『殺す』と言われ、腕を斬られた時の恐怖が蘇ったのか、星牙の顔は一瞬で蒼白になる。
だが直ぐに自分の中にある恐怖を振り払おうと、星牙はブンブンと首を激しく左右に振った。
「っ!?う、うるさい!俺はお前にぶち殺されない!俺は!もうお前に負けない!」
「はぁ?なんなのいきなり?」
シュガーとしては本当に意味がわからない。
何故いきなり、このゴミクズはやる気になっているのか?
剣を構えるという事は、自分とまた戦うということ。
まだ完全に恐怖が消えた訳でもないのに…その恐怖を植え付けた相手と戦おうとしている。
どんな敵相手でも立ち向かう強い父親ならわかるが、自分に一撃で負けて情けなく命乞いまでした弱い息子の方が、何故今になって?。
シュガーには全くもって理解出来なかった。
そんなシュガーの疑問に、星牙は俯きながら答える。
「蓮が……蓮が戦ってるんだ」
「そんなの見りゃわかるし」
「っ!蓮は!俺の為に戦ってるんだ!さっきも!今も!っ、」
星牙は顔を上げると、溢れそうになる涙を堪えながら叫ぶ。
叫んだのは星牙だというのに、彼はハッとしたように、勢いのまま出た自分の言葉からある事に気づいた。
「………違う。この試合だけじゃない。蓮はずっと……ずっと俺の為に戦ってくれたんだ。闘技場が始まってから…ずっと」
「そういえば……今回の闘技場は君を無罪にする為に開いた、とか言ってたっけ?」
シュガーはこの闘技場が開かれた経緯と理由について思い出す。
元々、闘技場で戦う事に興味はあっても、闘技場が開かれる理由に関しては全く興味が無かったので今の今まで忘れていた。
(そんなの無理矢理こじつけた理由で、母上は弐の姫と戦いたかっただけだろうけどね)
この闘技場は、エメラインが蓮姫と正当に戦う理由が欲しかった為に開催されたもの。
それは蓮姫もサイラス達から聞いて分かっていた事だが、闘技場開催の為に星牙がまんまと利用されたのは事実。
そして蓮姫が仲間の為、星牙の為に闘技場に出たのも事実だ。
蓮姫が今、何故エメラインと戦っているのか?
何の為に、誰の為に戦っているのか?
誰を守ろうとしているのか…シュガーには全く理解出来ず興味のないソレを、星牙は誰よりも理解している。
「蓮は……俺を守ってくれた。今も………俺の為に、あの強い女帝と戦ってくれてる」
「だから?言いたいことあるなら、さっさと言ってよ」
「蓮が!俺と同い年の女の子が!自分より強い相手と戦ってるんだ!!なのに俺は……俺はっ!」
言いかけて、星牙は悔しそうに歯を食いしばった。
自分はなんと惨めなのだろう。
自分はなんと情けないのだろう。
自分は腕を斬られたあの時、既に負けを認めていた。
容赦なく傷口に剣を突き刺され、勝ち負けなどどうでもよくなった。
ただひたすら逃げたくなった。
ただただ………怖かった。
何が武人だ。
これじゃ尊敬する父の足元にも及ばない。
力も、心も弱い自分。
それなのに……。
(蓮は俺を守ってくれた。俺を見捨てないでいてくれた。ずっと俺の為に…今も女帝と戦ってる!)
「蓮が戦ってるのに……俺が負ける訳にはいかないんだ!俺だけ逃げる訳にはいかないんだよ!立て!剣を抜けジョーカー!もう一度俺と勝負しろ!!」
「はぁ~~~………ホント意味わかんない。何熱くなってるんだか?けどまぁ……やっぱお前ムカつく」
シュガーはゆっくり立ち上がると、剣を抜き、冷ややかな目で星牙を見つめた。
「弱い奴は戦う価値も殺す価値もない。でも……お前ホント俺の嫌いなタイプだからさ…ぶち殺す。もうルールとかどうでもいいや」
シュガーから放たれた言葉に星牙はタラリと汗を流しながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「覚悟しろよ。今度は両腕斬り落としてやるからな」
「っ!!?の、望む所だ!」
終わったと思われた星牙とシュガーの試合も再開され、観客の歓声も再び盛り上がり、エメラインは満足気に微笑んだ。
「シュガーちゃん達も試合を続けるみたいね。闘技場が盛り上がるのはいいことだわ。でも勝敗は決まっているし。私達も……そろそろ終わらせましょうか」
そう告げると、エメラインは一歩下がり蓮姫から距離をとる。
これが最後の攻撃だと悟った蓮姫は、紅月を投げ捨て、瞬時に想造力を発動させた。
(次で…終わらせる!)
蓮姫の全身、そして握り締める短剣にも、淡い光が宿りエメラインの目にもそれは当然映る。
「やっと想造力を使うのね!さぁ!蓮姫ちゃんは何をするつもり!?私に………勝てるかしらぁ!!」
エメラインは嬉々とした表情で、容赦なくデスサイズを蓮姫へと振り下ろす。
避ける隙も、攻撃すら与える隙もない程に早く。
だが、エメラインも……誰も気づいてはいない。
蓮姫が今、短剣以外に込めたものとは別の想造力を同時に発動させていることに。
(今だ!!)
次の瞬間、蓮姫は振り下ろされるデスサイズに向けて、とんでもない行動をとる。
エメラインも蓮姫の従者達も、蓮姫は想造力の込めた短剣でデスサイズからの攻撃を防ぐと思っていた。
しかし蓮姫がとった行動とは……その予想の真逆。
蓮姫は短剣を持っていた右手を下げると、無防備な左手を前に出し、そのままデスサイズの攻撃を受けるように腕を曲げた。
そして……
ザシュッ!!
蓮姫の左腕はデスサイズにより勢いよく斬り落とされる。
まるで数分前の星牙と重なる蓮姫の姿。
その蓮姫の行動に誰しもが驚き、息を呑んだ。
「姫様っ!!?」
「姫さん!?嘘だろ!!」
「そんな!姉上の腕がっ!?」
「母さんっ!!」
蓮姫の従者達は椅子から勢いよく立ち上がり、リングの蓮姫に向けて叫ぶ。
従者でなくとも悲鳴をあげる観客も何人もいた。
それもそうだろう。
蓮姫の腕は肘から下がボトリとリングに落ち、残った肘から上の切断部分からは激しく血が吹き出ている。
星牙の時のように腕から血が吹き出し、リングを真っ赤に染めていく光景はまさに惨状。
そのあまりの光景や衝撃に、シュガーと星牙も戦いの手を止め、蓮姫に目が釘付けとなる。
蓮姫の理解出来ない行動と負傷に激しく動揺している彼等だが、それはエメラインとて同じだった。
「っ!?腕を……何故?」
エメラインの体にも動揺と衝撃が走り、彼女は驚愕のあまり体の動きを止める。
そこに一瞬の隙が生まれたのを蓮姫は見逃さなかった。
蓮姫は残った左腕をエメライン目掛けて振り、血しぶきがエメラインの顔へと飛んだ。
「うっ!!目がっ!!」
蓮姫の血が目に入った事でエメラインは咄嗟に片腕で目を擦り、デスサイズを持っていた片手は自然と下がる。
たった一瞬だがエメラインに生まれた僅かな隙。
この一瞬の隙こそ、蓮姫が左腕を犠牲にしてでも欲しかった瞬間。
「はぁあああああああ!!」
蓮姫は想造力を込めた短剣を、全力でデスサイズに向けて振り下ろした。
その雄叫びで蓮姫の意図に気づいたエメラインだが、この時ばかりは蓮姫の方が早い。
短剣が当たると、デスサイズはバキンッ!!と大きな音を立てて真っ二つに折れた。
折れた、とはいうものの短剣が直接当たった部分は広範囲で粉々に砕け散っている。
「っ、デスサイズが……まさか…これが蓮姫ちゃんの目的?」
「そうです………よっ!」
「っ!?」
呆気に取られるエメラインへ返答している間、蓮姫は一瞬でエメラインの懐に入り込む。
そして残った右手で、短剣をエメラインの喉元に突きつけた。
「これで終わりです。ギルディスト皇帝エメライン」
淡々と告げる蓮姫だったが、その左腕からは今も止めどなく血が吹き出ている。
普通、腕を斬り落とされればあの時の星牙のように痛みに悶え、泣き叫ぶもの。
それなのに、蓮姫は冷や汗すらかいておらず、その表情からは冷静さすら感じる。
どう見ても異常過ぎる蓮姫の姿を見て、エメラインは蓮姫の身に何が起こっているのか……蓮姫が何をしたのかを理解した。
「…………ふっ。そういうことだったのね。蓮姫ちゃん貴女、その短剣とは別に……もう一つ想造力を使っていたの」
喉元に短剣を突きつけられているというのに、自分の武器は既に破壊されたというのに、エメラインはまた楽しそうにクスクスと笑みを零す。
「まさか想造力で痛覚を消していたなんて。思いもしなかったわ。だからこそ蓮姫ちゃんは一切の躊躇無く左腕を犠牲にした。流石の私も驚いて…不意をつかれてしまったわね。このまま私が降参すれば、見事蓮姫ちゃんの勝ちになる」
それは自分の負けを認める発言ともとれるが、エメラインはやはり笑みを崩さなかった。
「蓮姫ちゃんは意外と策士だったのね。ホント…蓮姫ちゃんは私を楽しませるのが上手なんだから。でも……いいの?」
「何がですか?」
ふとエメラインの表情からは笑顔が消え、彼女は真顔で蓮姫へと尋ねる。
その質問の意味が分からず聞き返す蓮姫に、エメラインは蓮姫から目を離す事なく言葉を告げた。
「私がいつまでも降参しなかったら……蓮姫ちゃんは死んじゃうわよ。痛みは無くてもその出血の量…気を失ったら最後、危ないんじゃないかしら?」
「そうですね。でも……私の命は貴女が助けてくれるでしょう?」
「あら?どうしてそう思うの?」
「何度も自分で言っていたじゃないですか。『闘技場は殺し御法度』だと。このまま私が死ねば……闘技場主催者である皇帝は、色々と困るんじゃないですか?」
「そうね。蓮姫ちゃんの無茶が原因とはいえ、私は蓮姫ちゃんの腕を斬り落とした。このまま蓮姫ちゃんが死んだら…間違いなく私のせいだわ」
「えぇ。ですから……そうなる前に貴女は降参する」
真っ直ぐにエメラインを見つめる蓮姫の瞳には、死への恐怖などない。
その目はまるで、エメラインの降参を信じていると語っているかのよう。
この試合でエメラインに幻滅した蓮姫だったが、彼女が民に慕われる皇帝である事も蓮姫はよく理解している。
「貴女はこの国の皇帝。多くの民に慕われ、その民達を愛している素晴らしい皇帝です。だから皇帝として間違った判断を、かつての皇帝が定めたルールを破るような真似は決してしない。それを一番望まないのは、貴女が愛し、貴女を愛する…貴女の民だから」
「……蓮姫ちゃん」
「もう一度言います。ギルディスト皇帝エメライン。どうか……降参を」
蓮姫の言葉を聞き、蓮姫を見つめたまま沈黙するエメライン。
だがそれも数秒のこと。
エメラインは再び笑みを浮かべると、ゆっくりと自身の両手をあげる。
その笑顔は、今まで蓮姫が見た、どのエメラインの笑顔より……美しいものだった。
「降参よ。私の負けだわ」
エメラインの告げた言葉に、蓮姫もまた笑みを浮かべる。
しかし蓮姫の体は既に限界が近づいてきていた。
血を流し過ぎたせいで顔は段々と青白くなり、立っているのもやっとの状態。
意識が遠のき、ふらりと地面へと倒れこもうとする蓮姫の体。
それに気づいたエメラインは、蓮姫の体を抱きとめると高らかに声を上げる。
「私の負けです!皆さん!弐の姫蓮姫殿は見事!私に勝利致しました!これ以上蓮姫殿が戦う必要はありません!魔道士の皆さん!急いで蓮姫殿の手当てを!!」
エメラインの言葉を聞き、一斉に会場から歓声が上がる。
ユージーンと火狼は安堵のため息をつき、残火は泣きながら未月へと抱きついた。
未月もまた安心したように笑顔を浮かべ、蓮姫を見つめる。
また蓮姫の元にはエメラインの命令により魔道士達が急いで駆け付け、治療に当たる。
数人がかりの回復魔法により、蓮姫の左腕も顔色も元通りになった。
蓮姫とエメラインの試合は、蓮姫の勝利という形で幕を下ろす。
しかし闘技場決勝戦はまだ終わっていない。
まだ二人……戦っている者達が、決着をつけるべき者達が残っているのだから。